第59番 金光山 最勝院 国分寺

国分寺
本尊薬師瑠璃光如来
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第59番は 愛媛県(伊予・菩提の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では59番目です。

縁起と歴史
伊予の国府があったところで、この地域は伊予文化発祥の地ともいえる。往時の国分寺は、いまの寺から150mほど東にあった。東塔跡とみられる遺跡には13個の巨大な礎石があり、国の史蹟とされている。礎石の配置などから推測される七重塔の高さは60mほどで、豪壮な七堂伽藍を構えた寺観は、伊予の仏教界に君臨した天平の昔をしのばせ、その面影をいまに残している。国分寺は、天平13年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる。第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納した。また大師の弟子・真如(?〜862年)も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納めている。その後の伊予国分寺は、たびたび災禍に見舞われる。まず天慶2年(939)の「藤原純友の乱」により灰燼に帰した。次に元暦元年(1184)、源平合戦の戦火で焼失。3度目は南北朝時代の貞治3年(1364)、讃岐・細川頼之の兵火によって焼かれ、4度目は長宗我部元親の「天正の兵火」にかかって堂塔を焼失している。相次ぐ罹災で寺は荒廃し、元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記』には「茅葺の小堂が寂しく建つのみ」という旨が記されている。本格的な復興は江戸時代後期からであった。幸い寺には、古瓦をはじめ『国分寺文書』『大般若経』など数多くの文化財が保存されている。
弘法大師との関わり
伊予国分寺。伊予の国府があったところで、この地域は伊予文化発祥の地ともいえる。往時の国分寺は、いまの寺から150mほど東にあった。東塔跡とみられる遺跡には13個の巨大な礎石があり、国の史蹟とされている。礎石の配置などから推測される七重塔の高さは60mほどで、豪壮な七堂伽藍を構えた寺観は、伊予の仏教界に君臨した天平の昔をしのばせ、その面影をいまに残している。
国分寺は、天平13年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる。第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納した。また大師の弟子・真如(?〜862年)も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納めている。
- 天平の昔をしのばせる面影を、いまに残している。
- 天平13年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる。
- 長宗我部元親の「天正の兵火」にかかり、堂塔を焼失している。
- 元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記』には「茅葺の小堂が寂しく建つのみ」という旨が記されている。
見どころ・伽藍
- 本堂・本尊・書院、そして唐椿(四月初旬に径17cmほどの牡丹に似た花をつける)。
- 国分寺は天平13年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる。
- 古瓦をはじめ、『国分寺文書』『大般若経』など数多くの文化財が保存されている。
- 奈良時代の国分寺七堂伽藍の遺構を今治平野に伝える。
- 今治平野の入口菩提の道場後半をめぐる巡礼の拠点。
- 本堂・本尊・書院、そして唐椿(四月初旬に径17cmほどの牡丹に似た花をつける)。
- 東塔跡とみられる遺跡には13個の巨大な礎石があり、国の史蹟とされている。
- 礎石の配置などから推測される七重塔の高さは60mほどで、豪壮な七堂伽藍を構えた寺観は、伊予の仏教界に君臨した天平の昔をしのばせ、その面影をいまに残している。
- 3度目は南北朝時代の貞治3年(1364)、讃岐・細川頼之の兵火によって焼かれ、さらに4度目は長宗我部元親の「天正の兵火」にかかり、堂塔を焼失している。
- 相次ぐ罹災で寺は荒廃し、元禄2年(1689)の寂本著『四國禮霊場記』には「茅葺の小堂が寂しく建つのみ」という旨が記されている。
- 国分寺周辺の霊跡・奥の院は寺伝に記される。詳細は公式を参照。
- OUV特記:律令期国分寺
信仰と物語
- 本尊は薬師瑠璃光如来。国を守り護るために建てて尊んできた国分寺で、本尊の薬師如来が、いよいよ深く人々に恵みをお与えくださるのです。
- 真言は「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」。
- 宝号は南無大師遍照金剛/南無興正菩薩。
- 縁起に含まれる伝承事項は『〜と伝わる』の語り口で扱うこと。
- 縁起に含まれる伝承は『〜と伝わる』の語り口で扱うこと。
- 御詠歌「守護のため建ててあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり」
- 御詠歌は四国霊場会の札所案内・納経帳などで広く流通し、巡礼の道中で唱えられる。
- 開基は行基菩薩と伝わる。
- 国分寺は天平13年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が本尊の薬師如来像を彫造して安置し、開創したと伝えられる。
- 第3世住職・智法律師のとき、弘法大師が長く滞在して「五大尊明王」の画像一幅を奉納した。また大師の弟子・真如(?〜862年)も2年間留まり、『法華経』の一部を書写して納めている。
参拝の手引き
- 年中行事は霊場会公式サイトを参照。
- 駐車場:あり
- 電話:0898-48-0533
- 納経時間・拝観料は季節・行事で変わる場合がある。参拝前に電話または公式で確認を推奨。
- 前の第58番仙遊寺から約8.1km。次の第60番横峰寺へ約36km。
- 今治インターチェンジから国道196号線を東予市方面へ走ります。高市交差点で左折し、直進。県道156号線を右折して約1km走ると、左手にあります。
- 〒799-1533 愛媛県今治市国分4-1-33
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


