第52番 龍雲山 護持院 太山寺

太山寺
本尊十一面観世音菩薩
おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌太山へのぼれば汗のいでけれど 後の世思へば何の苦もなし
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第52番は 愛媛県(伊予・菩提の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では52番目です。

縁起と歴史
太山寺は、松山市街から太山寺町へ続く長い参道を登った先に建つ。開基とされる真野長者の「一夜建立」の伝承で知られる。長者は豊後(大分)で炭焼きをしていたが、神のお告げで久我大臣の娘・王津姫と結婚し、大富豪となった。用明2年(587年)、大阪へ商いに向かう途上で大暴風雨に遭い、観音に祈願して高浜の岸で救われた。その報恩のため豊後の工匠を集め、間口66尺・奥行81尺の本堂の木組みを船に積んで運び、順風で高浜に着くと、夜を徹して組み上げ、朝日とともに本堂が建ち上がったと伝わる。天平11年(739年)には聖武天皇の勅願を受け、行基菩薩が十一面観音像を彫り、真野長者が瀧雲山(龍雲山)で見つけた小さな観音像を胎内に納めて本尊としたともいう。孝謙天皇のころには七堂伽藍と66坊を数えるほど栄え、弘法大師は天長年間(824〜834年)に護摩供を修して真言宗に改宗したと伝わる。後冷泉天皇をはじめ6代の天皇が、同型の十一面観音像を奉納したという。現在の本堂は嘉元3年(1305年)の再建で、真言密教では最大規模を誇り、国宝に指定されている。
弘法大師との関わり
弘法大師は晩年の天長年間(824〜834年)に太山寺を訪れ、護摩供を修したと伝わる。それまでの法相宗から真言宗に改宗したともいう。伊予の菩提の道場における観音信仰と密教修法の中心地として、後の隆盛の基礎を築いたとされる。
- 用明2年(587年):真野長者が一夜にして御堂を建てたと伝わる(伝承)
- 天平11年(739年):行基菩薩が十一面観音像を彫り、小像を胎内に納めたと伝わる(伝承)
- 749年頃:孝謙天皇の勅願所として伽藍が整えられたと伝わる
- 824〜834年:弘法大師が護摩供を修し、真言宗に改宗したと伝わる
- 嘉元3年(1305年):松山城主・河野家の寄進により現本堂を再建
- 明治37年(1904年):本堂・仁王門を重要文化財(当時の特別保護建造物)に指定
- 昭和31年(1956年):本堂を国宝に指定。修理工事報告書が作成される
- 昭和32年(1957年):木造十一面観音立像(本尊ほか)を重要文化財に指定
- 2014年:本尊十一面観音立像が開帳(次回開帳は2064年とされる)
見どころ・伽藍
- 国宝本堂嘉元3年(1305年)建立。桁行7間・梁間9間の入母屋造本瓦葺き。真言密教で最大級
- 仁王門鎌倉時代再建の3間8脚門。国指定重要文化財
- 十一面観音七躯本尊1躯と歴代天皇奉納6躯。いずれも像高150センチ前後の秘仏で、国の重要文化財
- 一夜建立真野長者の伝承。船で運んだ木組みを一晩で組み上げた御堂
- 聖徳太子堂伊予を訪れた太子との縁にちなみ、法隆寺夢殿と同型の太子像を祀る
- 最古の木製納札安永9年(1780年)の銘を持つ
- 仁王門(二王門)をくぐり、長い参道を登ると本堂に着く。本堂は嘉元3年(1305年)に松山城主・河野家が寄進した再建で、桁行7間・梁間9間の入母屋造本瓦葺き。和様・唐様・天竺様を折衷した国宝建造物で、真言密教の寺院としては最大級の規模を誇る。
- 本堂の内陣には横長の宮殿厨子が安置され、その中に本尊の十一面観音立像と、後冷泉・後三条・堀河・鳥羽・崇徳・近衛の各天皇が奉納した6躯の十一面観音立像が祀られる。いずれも秘仏で、50年に一度の開帳とされる(2014年に開帳、次回は2064年)。
- 仁王門は本堂と同じ鎌倉時代の再建で、3間8脚門・入母屋造本瓦葺き。国の重要文化財。
- 聖徳太子堂には、伊予を訪れた太子との縁にちなみ、法隆寺夢殿と同型の太子像を安置する。
- 境内には長者堂、大師堂、一畑薬師堂、鐘楼などが並ぶ。鐘楼の壁面に描かれた地獄・極楽の絵図も見どころとされる。
- 真野長者が瀧雲山(龍雲山)で見つけた小さな観音像を、行基作の大像の胎内に納めたという縁起が伝わる。
- 太山寺周辺の霊跡・奥の院は寺伝に記される。詳細は公式を参照。
- 太山寺本堂:国宝。嘉元3年(1305年)建立、入母屋造本瓦葺き。昭和31年(1956年)国宝指定
- 太山寺二王門(仁王門):国指定重要文化財。鎌倉時代、3間8脚門
- 木造十一面観音立像1躯:国指定重要文化財。本尊で秘仏、像高155.4センチ、平安時代作
- 木造十一面観音立像6躯:国指定重要文化財。歴代天皇の奉納と伝わる
- 算額:松山市指定有形民俗文化財
- 史跡・名勝・重要文化的景観選定候補(世界遺産提案書):いずれも○。国宝本堂
- OUV特記:国宝本堂
信仰と物語
- 本尊の十一面観世音菩薩は秘仏。行基作と伝わり、真野長者が見つけた小像を胎内に納めたという。
- 6代の天皇が奉納した像とともに本堂の厨子に安置され、朝廷との深い関係を示す。
- 御詠歌は、険しい登りの苦労を後生の救いに換えて詠み、太山寺参詣の労を励ます歌として知られる。
- 真野長者の一夜建立:木組みを船で運び、一晩で本堂を建て上げたという伝承。
- 暴風雨の海で観音に救われた長者が、報恩のため寺を建てたという縁起。
- 用明2年(587年)の創建説や、天平11年(739年)の行基彫造説など、年代に諸説がある。
- 御詠歌「太山へのぼれば汗のいでけれど 後の世思へば何の苦もなし」
- 太山寺町へ続く長い登り参道は、遍路の体力と意志を試す区間として知られる。
- 御詠歌は四国霊場会の札所案内や納経帳などで広く流通し、巡礼の道中で唱えられる。
- 真野長者:開基と伝わる。
- 行基菩薩:十一面観音像を彫造したと伝わる。
- 弘法大師:天長年間に護摩供を修し、真言宗に改宗したと伝わる。
- 河野氏:嘉元3年の本堂再建の寄進者。
- 後冷泉天皇ほか6代の天皇:十一面観音像を奉納したと伝わる。
参拝の手引き
- 年中行事は霊場会公式サイトを参照
- 駐車場:あり(無料)
- 参道は長く、登りが続く。仁王門から本堂まで距離がある
- 本尊・奉納像は秘仏のため、通常は厨子の外からの拝観となる
- 宿坊:なし
- 前の第51番石手寺から約5.5km(太山寺道は登り)。次の第53番円明寺へ約4.5km。
- 前の第51番石手寺から約5.5km、次の第53番円明寺へ約4.5km。
- 松山自動車道「松山IC」から国道33号・南環状線・国道196号を進み、内宮交差点を左折して直進。
- 〒799-2662 愛媛県松山市太山寺町1730
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


