第51番 熊野山 虚空蔵院 石手寺

石手寺
本尊薬師如来
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌西方をよそとは見まじ安養の 寺に詣りて受くる十楽
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第51番は 愛媛県(伊予・菩提の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では51番目です。

縁起と歴史
熊野山 虚空蔵院 石手寺は、日本最古級の温泉地である道後温泉のほど近くに建つ。参道は回廊のようになっていて、仲見世の土産店が並ぶ。境内の堂塔の多くが国宝や国の重要文化財に指定され、宝物館では寺宝を常時展示しており、四国霊場の中でも文化財の多い寺院として知られる。寺伝では、神亀5年(728年)に伊予の豪族・越智玉純が霊夢に二十五菩薩の降臨を見て霊地と感得し、熊野十二社権現を祀って鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇の勅願所となったと伝わる。翌天平元年(729年)には行基菩薩が薬師如来像を彫造して本尊とし、法相宗の「安養寺」と称したとされる。寛平4年(892年)頃、四国遍路の元祖とされる豪農・衛門三郎が弘法大師を追って巡礼の途中で病に倒れ、「衛門三郎再来」と刻まれた石を手に握りしめて往生し、その石が寺に祀られたことから「石手寺」と改称されたと伝わる。鎌倉時代の風格をそなえ、立体的な曼荼羅の形にならった伽藍配置を今に伝える名刹である。境内から出土した瓦の研究からは、石手寺の前身が白鳳時代(680年ごろ)に奈良・法隆寺系列の荘園を基盤として建てられた可能性も指摘されている。経塚からは衛門三郎にまつわる刻板をはじめ、中世の寺院史を物語る遺物が出土し、学術研究の対象となっている。
弘法大師との関わり
衛門三郎の伝説の中心は、弘法大師を追って四国を巡礼した豪農・衛門三郎が石手寺の付近で病に倒れ、再来の誓願を刻んだ石を握りしめたという物語である。遍路の元祖としての衛門三郎の姿は、石手寺の信仰と寺名の由来に深く結びついている。経塚から出土した衛門三郎の刻板は、その伝承を物の面から裏づける資料として注目されている。大師自身がこの寺に留錫したことの詳細は寺伝に乏しいが、四国霊場の札所としての位置づけと衛門三郎の伝説が一体となって信仰を形づくってきたとされる。
- 白鳳時代(680年ごろ):法隆寺系列荘園を基盤とする前身寺院の存在が瓦出土から推定される(考証)
- 神亀5年(728年):越智玉純が熊野十二社権現を祀り道場を建立、聖武天皇勅願所となったと伝わる(伝承)
- 天平元年(729年):行基菩薩が薬師如来を彫造し開基、「安養寺」と称したと伝わる(伝承)
- 建長3年(1251年):銘のある銅鐘が鋳造されたと伝わる(愛媛県最古の銅鐘)
- 文保2年(1318年):国宝仁王門(二王門)が建立されたと伝わる
- 寛平4年(892年):衛門三郎再来の説話にちなみ「石手寺」と改称されたと伝わる(伝承)
- 近世〜近代:経塚から衛門三郎刻板ほか多数の遺物が出土(2015年研究報告で整理)
見どころ・伽藍
- 国宝仁王門高さ約7メートル、文保2年(1318年)建立の二層入母屋造。四国霊場でもよく知られた仁王門。
- 曼荼羅伽藍鎌倉期の堂塔が、立体的な曼荼羅の形にならって配置された境内。
- 衛門三郎ゆかり「衛門三郎再来」と刻まれた石の伝承と、経塚から出土した関連資料。
- 訶梨帝母天堂安産・子宝の祈願所。感謝の返し石が積み上げられている。
- 落書き堂・洗い石門前にある洗い石は「渡らずの橋」とも呼ばれ、裏に経文が刻まれている。
- 宝物館寺宝を常時展示。四国霊場の中でも文化財の展示が多い寺院。
- 国宝の仁王門(二王門)を入ると、阿弥陀堂などが並ぶ。阿弥陀堂は二王門を入って左側にあり、ぼけ防止の祈願で参拝者が多い。
- 本堂では本尊薬師如来を礼拝する。本堂をはじめ三重塔・鐘楼・五輪塔・訶梨帝母天堂・護摩堂が国の重要文化財に指定されている。
- 護摩堂は、護摩供養を修するための堂として整えられている。
- 訶梨帝母天堂(迦理帝母天)の周囲には、子宝に恵まれた感謝のしるしとして返し石が積み上げられている。石には名前や感謝の言葉が刻まれている。
- 参道は回廊のようになっていて仲見世が続き、観光客や地元のお大師さん信者も多く訪れる。
- 宝物館では寺宝を常時展示し、境内出土の文化財研究の成果も紹介される。
- 落書き堂と洗い石は門前にある。洗い石は別名「渡らずの橋」とも呼ばれ、裏面に経文が刻まれている。
- 境内全体に、鎌倉時代の曼荼羅の形にならって堂塔が配置されている。四国霊場の中でも建築の文化財が多い。
- 衛門三郎再来の石は境内に祀られ、寺名「石手寺」の由来とされる。
- 経塚からは衛門三郎関連の刻板をはじめ、中世以降の寺院史を物語る遺物が出土している。
- 門前の洗い石(別名「渡らずの橋」)には裏面に経文が刻まれている。
- 仁王門(国宝、文保2年建立、二層入母屋造本瓦葺、高さ約7メートル、間口三間)
- 本堂(国指定重要文化財)
- 三重塔(国指定重要文化財)
- 鐘楼(国指定重要文化財)
- 五輪塔(国指定重要文化財)
- 訶梨帝母天堂(国指定重要文化財)
- 護摩堂(国指定重要文化財)
- 銅鐘(建長3年銘、愛媛県最古の銅鐘とされる)
- OUV特記:衛門三郎伝説。澄禅日記に熊野社の記述
信仰と物語
- 本尊薬師如来は行基菩薩が彫造したと伝わり、開創時の寺号「安養寺」は西方極楽・薬師信仰と結びつく。
- 御詠歌「西方をよそとは見まじ安養の 寺に詣りて受くる十楽」は、安養の名と極楽信仰を詠じる。
- 訶梨帝母(ハリティー)信仰は安産・子宝で全国的に知られ、返し石の習俗が残る。
- 衛門三郎伝説は四国遍路信仰の原点の一つとして語り継がれ、経塚出土資料が研究の対象となっている。
- 豪農・衛門三郎は弘法大師を追って四国巡礼を始め、病に倒れた際に「衛門三郎再来」と書かれた石を手に握り、河野家に生まれ変わったと伝わる。その石が寺に祀られ、寺名が石手寺となった。
- 洗い石の「渡らずの橋」には経文が刻まれ、参拝者の祈願と結びつく。
- 翌天平元年(729年)に行基菩薩が薬師如来像を彫造して本尊とし、法相宗の「安養寺」と称したとされる。
- 御詠歌「西方をよそとは見まじ安養の 寺に詣りて受くる十楽」は安養寺の旧名と薬師・極楽信仰を詠じる。
- 澄禅日記には当寺の熊野社に関する記述があり、中世の信仰実態を知る史料として参照される(OUV特記)。
- 御詠歌「西方をよそとは見まじ安養の 寺に詣りて受くる十楽」
- 越智玉純:神亀5年に霊地を感得し道場を建立したとされる伊予の豪族。
- 行基菩薩:天平元年に薬師如来を彫造して開基したと伝わる。
- 衛門三郎:四国遍路元祖とされる豪農。再来の伝説が寺名の由来。
- 聖武天皇:勅願所となったと伝わる。
参拝の手引き
- 年中行事の詳細は公式サイト・霊場会ページを参照。
- 訶梨帝母天堂では、安産・子宝の祈願が通年行われる。
- 駐車場あり。宿坊なし。
- 電話:089-977-0870
- 道後温泉観光と合わせて参拝する巡礼者・観光客が多い。
- 前の第50番繁多寺から約3.5km(市街地)。次の第52番太山寺へ約4.5km(山手方面)。
- 前の第50番繁多寺から約3.5キロ、次の第52番太山寺へ約4.5キロ。
- 松山ICから国道33号・環状線・国道317号経由で正面に至る。
- 〒790-0852 愛媛県松山市石手二丁目9番21号
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


