東京・横浜など都市部の暦に合わせたお盆
7月お盆供養法会
7.10 ― 7.16(金 → 木)
関東・都市部の7月盆に合わせて、ご先祖さま・大切な方をご供養いたします。
- 7月10日(金)20時 開白
- 7月13日(月)迎え盆
- 7月15日(水)盂蘭盆供養
- 7月16日(木)送り盆・総回向

Homecoming of the Heart
お盆が近づくと、ふと、心がふるさとの方へ向かう瞬間があります。
「今年こそ帰省したい」「お墓参りに行きたい」「あの人に、ちゃんと手を合わせたい」。そう思いながらも、お仕事や距離、ご体調、ご家庭のご事情によって、思うように動けない年もあります。帰れないことに、ふっと申し訳なさを覚える方も少なくありません。
けれど、お盆の本来は、心を寄せる時間です。場所そのものよりも、亡き方やご先祖さまへどれだけ気持ちを向けられたか。その向き合い方こそが、お盆の中心にあります。
亡き方やご先祖さまをお迎えし、供物を調え、感謝をお伝えし、その功徳を回向し、また丁寧にお見送りする。お盆は、その一つひとつのおこないに祈りを重ねていく時間です。
平等寺オンラインのお盆供養法会は、ご帰省や墓参が難しい方に代わって、その祈りを持仏堂の精霊棚で営む法会としてお預かりします。ご自宅から、旅先から、海外からでも、同じ法会に心を合わせていただけます。
今年のお盆、あなたの「おかえりなさい」を、平等寺の持仏堂でお迎えします。
2026 Services
お盆の時期は地域やご家庭によって異なります。東京・横浜など都市部では7月盆、四国・関西をはじめ全国の多くの地域では、月遅れの8月盆が一般的です。どちらが正しいということもございません。ご家庭の暦、ご実家の地域、手を合わせやすい時期に合わせてお選びください。
Nightly Memorial Service
7月盆・8月盆のそれぞれの期間中、平等寺では毎晩20時より、持仏堂の精霊棚の前で供養法会を営みます。お申し込みいただいたご先祖さま・大切な方のお名前を僧侶が読み上げ、その功徳を回向いたします。
お参りの仕方と、平等寺での供養の流れをご紹介いたします。20時にご一緒できる方はその時間に、難しい方はご都合のよい時間に、静かに手を合わせてお過ごしください。
20:00
お盆期間中は毎晩20時より、平等寺の持仏堂に設えた精霊棚の前で、ご先祖さま・大切な方への供養法会を営みます。
毎晩20:00からの供養法会で、期間を通して丁寧にお勤めいたします。
読経・回向
読経と回向を通して、供物をお調えし、亡き方をお迎えし、感謝をお伝えする。お盆の心を、形にしてお届けいたします。
期間中、毎日
一度のお勤めで終わりにせず、お盆の期間を通して毎晩お勤めすることで、お迎えし、お供えし、回向し、お見送りする一連の流れを大切にしています。
What You Receive
ご自宅のPC・スマートフォンから、平等寺の持仏堂に設えた精霊棚の前で営まれるお盆供養に、お参りいただけます。ご帰省が難しい方も、外出にご不安のある方も、いまいる場所から手を合わせていただけます。
お預かりしたお名前・ご戒名・願意を、僧侶が法会のなかでお読み上げし、供養の功徳を、ご先祖さま・大切な方へお振り向けいたします。
離れて暮らすご家族とも、同じ配信・同じ法会のなかで、心を合わせて手を合わせていただけます。集まることが難しい年でも、同じ祈りの時間を分かち合えます。
お盆期間中、毎晩20時に、持仏堂の精霊棚で、迎え盆から送り盆までを通してご供養いたします。
お仕事、距離、ご病気、介護、子育て、海外在住。お参りが難しいご事情があっても、いまできるかたちで、お供養を続けていただけます。
故人を想い、ご先祖さまへ感謝し、手を合わせたい。そのお気持ちを大切にいたします。菩提寺がある方は、まず菩提寺でのお勤めを大切にされたうえで、ご帰省や墓参が難しい年の補いとしてご活用ください。
Memorial
お預かりした亡き方のお名前・ご戒名・願意を、期間中、毎晩20時に、持仏堂の精霊棚の前でお読み上げいたします。遠方からでも、同じ時間に手を合わせていただけます。
卒塔婆やお位牌をお申し込みの場合は、平等寺の持仏堂に設えた精霊棚に奉安し、お盆期間を通してご供養いたします。お迎えし、お供養し、お見送りするまで、一連の流れを大切にしています。
回向の証や授与品は、供養を終えたあと、順次お届けいたします。お手元に届きましたら、ご家庭の仏壇や清浄な場所にお祀りいただき、折にふれて手を合わせるご縁としてお受け取りください。
Customs

迎え火は、ご先祖さま・大切な方をお迎えするための灯りです。「どうぞ迷わず、お帰りください」。その願いを、火のあかりに託します。
送り火は、再び仏さまの世界へお戻りいただくための灯りです。「今年もお帰りくださり、ありがとうございました」。その感謝とともに、お見送りいたします。

きゅうりの馬には、早く帰ってきてほしいという願い。なすの牛には、ゆっくりお帰りくださいという名残惜しさ。素朴な供物のなかに、再会を待つ心と、別れを惜しむ心が、そっと込められています。

盆提灯は、ご先祖さま・大切な方をお迎えするための目印です。とくに新盆・初盆では、白提灯を灯すことがあります。はじめてのお盆を迎えられる亡き方が、迷わず帰ってこられるようにという、ご家族の祈りのかたちです。

お盆のお供えには、季節の果物、そうめん、精進料理、故人の好きだったものなどをお供えします。立派な品を揃えること以上に大切なのは、心を込めて差し出すこと。その姿勢そのものに、お供えの意味があります。
「これが好きだったね」「今年もお供えしますね」。そうして故人を思い出し、語りかける時間そのものが、供養になります。食を通して故人を想うこと、それもまた、お盆の大切なおもてなしです。
Apply
7月盆・8月盆、どちらにお申し込みいただいても、ご先祖さまを想うお気持ちに違いはありません。ご実家の地域、菩提寺の暦、ご家族が手を合わせやすい時期に合わせて、お選びください。
7月盆・8月盆の選び方、オンライン参列、新盆・初盆、宗派、卒塔婆や授与品について。
Source
お盆は、いくつもの流れが重なって育ってきた行事です。お釈迦さまのお弟子・目連(もくれん)が亡き母を救おうとした『盂蘭盆経』の物語、中国で古くから七月十五日に営まれてきた祖霊祭り(中元)、そして日本で受け継がれてきた、亡き方をお迎えし、もてなし、お見送りする習わし。これらが長い年月のなかで重なり、いま私たちが「お盆」と呼ぶ行事になりました。
ここからは、その源を一つずつ、原典のことばに添いながら辿ります。
年年七月十五日,常以孝順慈憶所生父母,乃至七世父母,為作盂蘭盆施佛及僧。
中心にあるのは、お釈迦さまが目連にお説きになった一段です。雨期の修行を終えた七月十五日に、お坊さんたち(僧伽)へ供物を捧げ、その功徳を亡き方へ振り向けるよう、説かれました。短い経のなかに、お盆の根がはっきりと記されています。
この作法はやがて中国で年中行事として広がり、日本にも伝わって、各地で大切にされてきた祖霊を迎える習俗と、自然に結び合っていきました。下では、経のことば、その語に長く添えられてきた解釈、そして中国と日本に残る最古の記録までを、原典に即して順に読みます。
大目乾連始得六通,欲度父母,報乳哺之恩。即以道眼觀視世間,見其亡母生餓鬼中,不見飲食,皮骨連立。目連悲哀,即鉢盛飯,往餉其母。母得鉢飯,便以左手障鉢,右手摶飯。食未入口,化成火炭,遂不得食。
大目乾連、はじめて六通を得て、父母を救おうとし、乳哺の恩を報じようとした。すなわち道眼をもって世間を観るに、亡き母が餓鬼の世界に生まれ、飲食もなく、骨と皮ばかりに痩せ衰えているのを見た。目連は悲しみ、すぐに鉢に飯を盛って母のもとへ運んだ。母は鉢の飯を得て、左手で鉢を覆い、右手で飯を握ったが、口に入れる前に飯は炭に化し、ついに食べることができなかった。
物語の発端です。神通第一と称された目連でさえ、自力では亡き母を救えず、お釈迦さまのもとへ駆けつけます。お盆の中心に置かれてきた「亡き方への祈り」は、ここに発します。
T16, no.685, 779a
佛告目連:「十方眾僧於七月十五日僧自恣時,當為七世父母及現在父母厄難中者,具飯、百味五果、汲灌盆器、香油錠爥、床敷臥具,盡世甘美以著盆中,供養十方大德眾僧。」
仏、目連に告げたまわく。十方の衆僧の、七月十五日の僧自恣の時に、まさに七世の父母および現在の父母の厄難の中にある者のために、飯・百味の五果・汲灌の盆器・香油・錠燭・床敷・臥具を具え、世の甘美を尽くして盆の中に著け、十方の大徳の衆僧を供養すべし。
釈尊が説かれた、亡き方を救うための具体的な作法です。安居(雨期の修行)を終えた七月十五日に、僧伽へ供物を捧げ、その功徳を亡き父母・先祖へ振り向けるよう、説かれます。お盆の核となる「供養と回向」は、この一段に集約されています。
T16, no.685, 779b
年年七月十五日,常以孝順慈憶所生父母,乃至七世父母,為作盂蘭盆施佛及僧,以報父母長養、慈愛之恩。
年年、七月十五日、常に孝順慈憶をもって、所生の父母、乃至七世の父母のために盂蘭盆を作り、仏および僧に施し、もって父母長養慈愛の恩を報ずべし。
一度きりではなく、毎年七月十五日に必ず行うこと。お盆が年に一度の年中行事として日本に根づいた根拠が、この一節に明記されています。
T16, no.685, 779c
盂蘭,是西域之語,此云倒懸。盆乃東夏之音,仍為救器。若隨方俗,應曰救倒懸盆。
盂蘭は西域(インド)の語、ここに「倒懸(逆さ吊り)」と訳す。盆は東夏(中国)の音、すなわち救う器である。順俗に随って訳せば、まさに「救倒懸盆(逆さ吊りを救う器)」と言うべし。
唐の宗密(七八〇‐八四一)による『盂蘭盆経』注釈の核心。「盂蘭」を「倒懸」(餓鬼が受けるという逆さ吊りの苦しみ)と解し、「盆」はそれを救う供物の器とする読みが、長く伝統的な定説となってきました。「盆」が漢語の器を指すこと自体は、宗密自身がこの一節で明記しています。
T39, no.1792, 506c
「盂蘭」即梵語 odana(米飯)之中期印度語口語形 olana 之音譯;「盆」為漢語盛食之器。
「盂蘭(yulan)」は、サンスクリット odana(米飯)の中期インド語の口語形 olana の音写と考えられ、「盆(pen)」は「器」を意味する漢語である。
創価大学国際仏教学高等研究所の辛嶋静志(二〇一三)は、宗密以来定説とされてきた「盂蘭=倒懸(ullambana)」説を文献学的に再検討しました。「ullambana」という語が実際の梵語文献にまったく見当たらないこと、『盂蘭盆経』本文の用例(「盆の中に著け」「盂蘭盆を作り」)からは「盆」が供物を盛る器を指していることが明らかであることから、「盂蘭盆」は「米飯を盛った供物の盆」と理解するほうが自然である、と論じます。江戸時代の『和漢三才図会』にもすでに「盆は食べ物を貯る器」との理解が見え、日本ではむしろこの素直な読みが古くから生きていました。
Karashima Seishi, ARIRIAB 16 (2013)
(大同)四年。帝幸同泰寺設盂蘭盆齋。
(梁の)大同四年、武帝、同泰寺に幸し、盂蘭盆斎を設く。
南宋の志磐撰『仏祖統紀』に伝わる、中国における盂蘭盆会の最古の記録です。梁の武帝が大同四年(五三八年)、首都・建康の同泰寺で初めて盂蘭盆斎を設けました。皇帝による国家的行事として始まったことが、その後の急速な広がりにつながります。
T49, no.2035, 351a
(推古十四年) 是年自始、毎寺、四月八日・七月十五日設齋。
(斉明三年七月辛丑) 作須彌山像於飛鳥寺西。且設盂蘭瓫會。
(推古天皇十四年、六〇六年) 是の年より始めて、寺ごとに四月八日と七月十五日に斎を設く。 (斉明天皇三年、六五七年) 七月辛丑、須弥山の像を飛鳥寺の西に作り、また盂蘭瓫会を設けた。
推古朝の段階で、すでに七月十五日の斎(=盂蘭盆会の原形)が寺ごとに行われ始めています。「盂蘭盆会」「盂蘭瓫会」という語が確認できるのは斉明朝。仏教伝来からまもない時期に、年中行事として日本に定着しはじめたことがうかがえます。
『日本書紀』巻22 推古14年条 / 巻26 斉明3年7月条
お迎えして、お供えして、回向し、お見送りする。
お盆のひとつひとつのおこないは、亡き方へ「忘れておりません」とお伝えするための時間です。
帰れない年にも、できる供養があります。離れていても、届く祈りがあります。