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薬師如来とは

十二の誓いで、身と心を癒やす

左手に薬壺やっこをのせ、静かに坐すお薬師さま。病気平癒の仏さまとして、日本でもっとも古くから頼られてきた如来です。けれども経典を開くと、その誓いは病気治しにとどまりません。医者も薬もない人、飢えた人、囚われた人、孤立した人。あらゆる苦しみへ向けて立てられた十二の大願たいがん(仏が菩薩のときに立てた根本の誓い)が、この仏さまの本体です。その誓いとお姿を、経典と儀軌の言葉からたどります。
平等寺本堂の本尊・薬師如来

 

  1. 薬師如来とは
  2. 十二の大願
  3. 『薬師経』という経典
  4. お姿と薬壺
  5. 東方の浄瑠璃世界
  6. 日光・月光菩薩と十二神将
  7. 五色の縷と、御手綱
  8. 真言宗における薬師如来
  9. 祈りの言葉になった経典
  10. 高野山の中心にも
  11. おとなえする真言
  12. 日本での信仰
  13. 平等寺の薬師如来
  14. よくあるご質問
  15. 参考文献・出典
概要

薬師如来とは

病気を治すだけの仏さまではありません。身と心と暮らしの苦を、この世で癒やすと誓われた仏さまです。

薬師如来やくしにょらいは、正式には薬師瑠璃光如来やくしるりこうにょらいといいます。梵語の名はバイシャジヤグル・ヴァイドゥーリヤプラバ(Bhaiṣajyaguru-vaiḍūryaprabha)。「薬の師」と「瑠璃の光」というふたつの名を併せもち、別名を醫王善逝いおうぜんぜい、大醫王仏とも呼びます。医薬の王として病を癒やし、瑠璃のように透きとおる光で世界を照らす如来です。

住まいは、東の彼方にある浄瑠璃世界じょうるりせかい。阿弥陀如来の西方極楽浄土と対をなすように、東方の浄土の教主として説かれます。

その中心にあるのが、菩薩であったときに立てた十二の大願です。病の平癒はそのひとつにすぎません。感官の不自由、飢えと渇き、衣服のない寒さ、投獄や刑罰の理不尽まで、十二の誓いは身と心と暮らしの苦しみをまるごと引き受けています。

日本では飛鳥・奈良の昔から、天皇の病気平癒から庶民の目や足腰の祈りまで、現世の苦を託す本尊としてまつられてきました。四国八十八ヶ所でも、薬師如来を本尊とする札所がもっとも多く、第二十二番 平等寺の本堂の御本尊もこの仏さまです。

なお、病を治す手だてを尽くすことと、仏に祈ること。この二つは、昔からともにありました。病とともにある方も、治療を続けながら、安心して祈ってください。

誓願

十二の大願

『薬師経』は、薬師如来が菩薩の行を修していたときに立てた十二の誓いを説きます。第一の誓いは、病気治しではありません。

大願とは、仏が菩薩であったときに「さとりを得たなら、こういう世界を必ず実現する」と立てた根本の誓いです。人が仏に願うより先に、仏の側が人の苦しみを引き受け、言葉にした誓いです。

その第一願は、すべての人を自分と同じ仏にする、という誓いから始まります。

経典の言葉(第一の大願・書き下し)

日本語訳
第一の大願。願わくは、わたしが来世でこの上ないさとりを得るとき、わが身の光明が燃えさかるように無量無数無辺の世界を照らし、三十二相八十種好によってその身を飾りたい。そして、生きとし生けるものすべてを、わたしと少しも異ならぬ姿にしたい。
原文
第一の大願、願わくは我れ来世に阿耨多羅三藐三菩提を得ん時、自身の光明、熾然として無量無数無辺の世界を照曜し、三十二の大丈夫相・八十随好を以て、其の身を荘厳せん。一切の有情をして、我が如く異なること無からしめん。
解説
阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいは、この上ない完全なさとりのこと。「一切の有情をして、我が如く異なること無からしめん」。すべてのいのちを、自分とまったく等しいところまで引き上げる。十二の誓いは、この平等の誓いを土台に置いて始まります。
出典
玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(大正蔵 No.450)

経典の言葉(第七の大願・書き下し)

日本語訳
第七の大願。願わくは、わたしが来世でさとりを得るとき、もし人々が、あらゆる病に追いつめられ、救ってくれる者も頼るところもなく、医者も薬もなく、身寄りも家もなく、貧しさの中で苦しんでいるならば、わたしの名がその耳を一度でも通っただけで、病はことごとく除かれ、身も心も安らぎ、家族も暮らしの品も満ち足り、ついにはこの上ないさとりに至るようにしたい。
原文
第七の大願、願わくは我れ来世に菩提を得ん時、若し諸の有情、衆病逼切して、救い無く帰する無く、医無く薬無く、親無く家無く、貧窮にして苦多からんに、我が名号、一たび其の耳を経れば、病悉く除くことを得、身心安楽にして、家属・資具、悉皆豊足し、乃至無上菩提を証得せん。
解説
「医無く薬無く、親無く家無く」。この願が見つめているのは、病そのものよりも、医療から零れ落ち、身寄りを失った人の孤立です。そして結びは「乃至無上菩提を証得せん」。病が癒えた先のさとりまでを見届ける誓いです。現存する梵本では、この箇所は「わたしの名が耳の穴に落ちたならば(カルナプテー・ニパテート)」と説かれます。聞こうと構える耳にではなく、向こうから届いてしまう名。救いが仏の側からやって来ることを、原語は身体の感覚で語っています。
出典
玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(大正蔵 No.450)
  • 第一願 光明普照。すべてのいのちを、わが身と等しい仏の姿へ。
  • 第二願 身如瑠璃。瑠璃のように透きとおる身の光で、暗闇の人を照らす。
  • 第三願 無尽の受用。人々が暮らしに事欠かないように。
  • 第四願 大乗への安立。誤った道を歩む人を、さとりへの道に導く。
  • 第五願 戒の清浄。戒をたもてなかった人も、清浄に立ち戻れるように。
  • 第六願 諸根具足。感官の不自由と病苦が除かれるように。
  • 第七願 除病安楽。医もなく薬もなく孤立した人の、身と心が安らぐように。
  • 第八願 転女成男。女性であることによる百の苦悩から解き放つ(当時のインドの社会通念を前提とした誓いです)。
  • 第九願 正見への引摂。魔の網と誤った見解の縛めから解き放つ。
  • 第十願 繋縛からの解脱。投獄・刑罰など、王法の理不尽な苦しみから解き放つ。
  • 第十一願 飢渇の充足。飢えた人には、まず食べ物を。そののちに法の味わいを。
  • 第十二願 美衣満足。衣服がなく寒暑と虫に責められる人に、衣と荘厳を。
補足

十二の誓いには、飢え・衣服・投獄といった、病気治しに収まらない暮らしと社会の苦が並びます。第十一願の順序は印象的です。飢えた人にはまず上妙の飲食を与えて身を満たし、そののちに法味ほうみ(仏の教えの味わい)をもって安楽に立たせる。教えを説くより先に、まず食べさせる。それがこの仏さまの流儀です。なお第六願の原文には当時の病名が列記されますが、現代では差別的に響く語を含むため、ここでは要旨のみを記しました。

経典

『薬師経』という経典

『薬師経』とひとことで呼ばれるお経には、四つの漢訳があります。約二百五十年をかけて、訳し重ねられてきました。

名の中心にある瑠璃るりは、梵語のヴァイドゥーリヤ(vaiḍūrya)。青く透きとおる宝玉のことです。経典は、その青く澄んだ姿を、内も外も透きとおって曇りがない清浄さの比喩としました。第二願は「身は瑠璃の如く、内外明徹」と誓い、その光は日月をも超えると説きます。

漢訳は次の四本が伝わります。

『仏説灌頂抜除過罪生死得度経』

『灌頂経』(大正蔵 No.1331)の巻十二として伝わる最古層の訳です。大正蔵の題記は東晋の帛尸梨蜜多羅はくしりみつたら訳としますが、次の隋訳の経序は、五世紀半ばの劉宋の代に慧簡えかんが訳出して世に流行した、と記します。十二の願をすでに「十二上願」と呼び、十二神王と五色の縷る(糸)の誓いも備わっています。

『薬師如来本願経』

隋の達磨笈多だるまぎゅうたらによる改訳です(大正蔵 No.449)。経文の付記が、大業十二年(616年)に東都洛陽の翻経館で訳し終えたと自ら記す、成立事情のもっとも確かな一本。旧訳の訳文の乱れを正すために訳し直したことも、経序が自ら述べています。

『薬師瑠璃光如来本願功徳経』

唐の玄奘げんじょう訳(大正蔵 No.450)。650年の訳出と伝わります。十二大願・浄瑠璃世界・日光遍照と月光遍照・十二薬叉大将をひとそろい備えた、日本と中国でもっとも広く読誦される標準本です。本記事の引用も、この訳によります。

『薬師瑠璃光七仏本願功徳経』

唐の義浄ぎじょう訳(大正蔵 No.451)。707年ごろの訳出と伝わる、漢訳ではもっとも新しい一本です。薬師如来を東方七仏の第七として位置づけ、善名稱吉祥王如来はじめ六仏の本願を先に説いてから薬師の十二大願を説く拡大本で、「七仏薬師」という呼び名はこの経に由来します。七仏の形は一仏の経が発展したものとみる研究があります。

補足

この四本を並べると、ひとりの薬師如来を説く「一仏経」から、七仏をそろえる「七仏経」へと経典が育っていく流れが見えます。第一訳から第四訳まで約二百五十年。訳し直され、読み継がれ、そのたびに信仰が厚みを増していった経典です。そして『薬師経』は、漢訳だけの経典ではありません。西域ギルギットで出土した写本に連なる梵本が現存し、十二の大願から十二薬叉大将の誓いまで、玄奘訳とほぼ同じ骨組みを梵語で読むことができます。八世紀インドの学僧シャーンティデーヴァも、大乗の学びを集成した『シクシャーサムッチャヤ(大乗集菩薩学論)』で「くわしくは『薬師瑠璃光経』に見よ」と読者に指示しており、この経がインド本国でも権威ある経典として読まれていたことがうかがえます。また近年の研究は、「名を聞くだけで救いがはたらく」という説き方が、最古の訳では経そのものを聞くことの勧めとして現れ、訳を重ねるごとに名号を聞くことへと深められていった、と指摘しています。

お姿

お姿と薬壺

左手に薬壺、右手は畏れを除く施無畏印せむいいん。日本で見慣れたこのお姿は、実は経典には説かれていません。

意外に思われるかもしれませんが、『薬師経』は薬師如来のお姿を定めていません。造像についても、玄奘訳は「まさに先ず彼の仏の形像を造立すべし」と勧めるだけで、手に何を持つかは記さないのです。

経典が描くのは、瑠璃のように清らかな身です。第二の大願は、その身を瑠璃にたとえます。

経典の言葉(第二の大願・書き下し)

日本語訳
第二の大願。願わくは、わたしが来世でさとりを得るとき、その身は瑠璃のように内も外も透きとおり、清らかで曇りなく、光明は広大で功徳は高くそびえていたい。身は静かに安らい、光の網に飾られて、その輝きは日月をも超える。暗闇の中にいる者たちもみなその光に照らされて目を開き、思うままに歩み、なすべきことを成しとげるであろう。
原文
第二の大願、願わくは我れ来世に菩提を得ん時、身は瑠璃の如く、内外明徹にして、浄く瑕穢無く、光明広大に、功徳巍巍たり。身善く安住し、焰網荘厳して、日月に過ぎん。幽冥の衆生も、悉く開暁を蒙り、意の趣く所に随いて、諸の事業を作さん。
解説
内も外も透きとおって、隠すもののない身。瑠璃光という名は、この誓いから来ています。仏像の光背や台座が光をかたどるのも、この「日月に過ぎる」光の表現です。
出典
玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(大正蔵 No.450)
補足

では、左手の薬壺はどこから来たのでしょう。手に薬の器を執る形のもっとも古い明文は、不空訳と伝わる『薬師如来念誦儀軌』の「如来の左手に薬器を執らしめよ。亦た無価珠むげじゅ(値のつけようのない宝珠)と名づく」という一節です(大正蔵 No.924A)。日本の真言宗の事相書じそうしょ(修法の実際を記した書)は、この壺を薬師如来の三昧耶形さんまやぎょう(本誓をあらわす持ち物)と定め、「十二上願の壺」と呼ぶことを秘事として伝えました(『諸尊要抄』)。壺に入っているのは、十二の大願そのものだという読みです。なお、薬壺を持たない薬師像も古くは少なくありません。持物の有無より、誓いを宿した身そのものが、このお像の本体です。

浄土

東方の浄瑠璃世界

東の薬師は現世のご利益、西の阿弥陀は来世の救い。そう対比されることがよくあります。経典自身は、ふたつの浄土を等しいと説きます。

薬師如来の国土は、東の彼方の浄瑠璃世界です。玄奘訳は、その荘厳をこう描きます。

経典の言葉(浄瑠璃世界・書き下し)

日本語訳
その仏国土はひとすじに清らかで、悪しき境涯も、苦しみの声もない。瑠璃を大地とし、黄金の縄で道を区切り、城も門も宮も楼も、軒も窓も網も、すべて七つの宝でできている。西方の極楽世界と同じく、功徳による荘厳において少しも差はない。その国に二人の大菩薩がある。一人を日光遍照といい、一人を月光遍照という。無数の菩薩たちの筆頭であって、薬師瑠璃光如来の正法の宝蔵をことごとく保っている。だから文殊よ、信心ある人々は、あの仏の世界に生まれたいと願うべきである。
原文
然るに彼の仏土は、一向に清浄にして、女人有ること無く、亦た悪趣及び苦の音声も無し。瑠璃を地と為し、金縄もて道を界り、城・闕・宮・閣・軒・窓・羅網、皆な七宝もて成る。亦た西方極楽世界の如く、功徳荘厳、等しくして差別無し。其の国の中に、二りの菩薩摩訶薩有り。一を日光遍照と名づけ、二を月光遍照と名づく。是れ彼の無量無数の菩薩衆の上首にして、悉く能く彼の世尊薬師瑠璃光如来の正法宝蔵を持てり。是の故に、曼殊室利、諸の信心ある善男子・善女人等、応当に彼の仏世界に生ぜんと願ずべし。
解説
「功徳荘厳、等しくして差別無し」。東方の浄瑠璃世界は、西方極楽と比べて、少しも劣らず、少しも異ならない。経はそう明言したうえで、この東の浄土への往生を勧めています。
出典
玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(大正蔵 No.450)
補足

東の薬師が今の苦しみを、西の阿弥陀が来世を。この分担の図式は覚えやすく、日本の信仰の実際もおおむねその通りに歩んできました。ただ、経典自身の言葉はもう少し大きいのです。ふたつの浄土は「等無差別」。薬師の十二の願はどれも「乃至無上菩提を証得せん」と、さとりへの到達で結ばれます。今を癒やすことと、来世とさとりへ導くこと。薬師如来は、その両方を引き受けた仏さまです。同じ経は、西方極楽への往生を願いながら心の定まらない人が薬師如来の名号を聞けば、命の終わりに八人の大菩薩が来て道を示す、とも説きます。東の仏は、西の浄土をめざす人の道連れにもなってくださるのです。

眷属

日光・月光菩薩と十二神将

昼の光と夜の光。そして十二の武神。薬師如来のまわりには、光と守りの一族が仕えています。

薬師三尊の両脇に立つのが、日光菩薩と月光菩薩です。玄奘訳での名は日光遍照・月光遍照。日輪と月輪の光をあまねく行きわたらせる、という名です。経典はこの二尊を「脇侍」とは呼びません。浄瑠璃世界の無量の菩薩たちの上首じょうしゅ(筆頭)であり、薬師如来の正法の宝蔵を保つ後継ぎとして説かれます。最古の訳では名も異なり、日曜・月浄という二菩薩が「次に仏処を補す」と記されます。三尊で並ぶ造像の形は、この経説をもとに後の時代に定まったものです。

そしてお堂の周囲を固めるのが、十二神将じゅうにしんしょうです。経典での正体は、薬叉やくしゃ(夜叉)の十二人の大将。梵本はマハーヤクシャセーナーパティ(mahāyakṣasenāpati。薬叉の大軍勢の将)と呼びます。

経典の言葉(十二薬叉大将の誓い・書き下し)

日本語訳
そのとき、会座に十二の薬叉(夜叉)の大将がいた。宮毘羅・伐折羅・迷企羅・安底羅・頞儞羅・珊底羅・因達羅・波夷羅・摩虎羅・真達羅・招杜羅・毘羯羅である。この十二の大将にはそれぞれ七千の薬叉が眷属としてつき従っている。彼らは声をそろえて仏に申しあげた。「世尊、わたしどもはいま仏の威力によって薬師瑠璃光如来の名号を聞き、もはや悪しき境涯への恐れがありません。わたしどもは心を一つにし、命のかぎり仏法僧に帰依し、誓ってすべての生きものを背負い、その利益と安楽のためにはたらきます」。
原文
爾の時、衆中に十二の薬叉大将有り、倶に会坐に在り。所謂わく、宮毘羅大将・伐折羅大将・迷企羅大将・安底羅大将・頞儞羅大将・珊底羅大将・因達羅大将・波夷羅大将・摩虎羅大将・真達羅大将・招杜羅大将・毘羯羅大将なり。此の十二の薬叉大将、一一に各おの七千の薬叉有りて眷属と為す。同時に声を挙げて仏に白して言さく、世尊、我等今者、仏の威力を蒙りて、世尊薬師瑠璃光如来の名号を聞くことを得、復た更に悪趣の怖れ有らず。我等相い率いて、皆な同じく一心に、乃至形を尽くすまで仏法僧に帰し、誓って当に一切の有情を荷負し、為に義利・饒益・安楽を作すべし。
解説
十二人がそれぞれ七千の薬叉を率いるので、守りの軍勢は総勢八万四千。注目したいのは、大将たち自身がまず「名号を聞いて悪趣の怖れがなくなった」と告白していることです。守り手たちは、誰より先に薬師の願いに救われた者たちなのです。
出典
玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(大正蔵 No.450)
補足

一方、十二神将を十二支や昼夜十二時に結びつける見方は、『薬師経』そのものにはいっさい説かれていません。頭に十二支の獣を戴く像や、生まれ年の守り本尊めいた語りは、後の時代、とくに日本で育った展開です。日本の真言宗の事相書には、十二神将は十二大願そのものをあらわし、十二の月と十二の時の厄難から人を守る、という口伝も伝えられています(『祕鈔口决』)。そして、この誓いには続きがあります。十二神将が最後に説き置いたのが、次の五色の縷る(糸)の作法です。

五色の糸

五色の縷と、御手綱

経は、五色の糸に十二神将の名を結ぶ作法を説きます。平等寺では、この祈りが薬師如来の御手綱みてづなとして、いまも生きています。

十二神将の誓いは、ひとつの具体的な作法を説いて結ばれます。

平等寺本堂で、薬師如来の御手から伸びる五色の御手綱
御本尊の御手に結ばれた五色の御手綱。本堂の外へ、山門まで伸びています

経典の言葉(五色の縷・書き下し)

日本語訳
あるいは病や災厄があって、そこから逃れたいと願う者は、この経を読誦し、五色の糸にわたしども(十二薬叉大将)の名を結びなさい。願いがかなったのちに、その結び目を解きなさい。
原文
或いは疾厄ありて度脱を求むる者は、亦た応に此の経を読誦し、五色の縷を以て、我が名字を結び、願の如きを得已りて、然る後に結を解くべし。
解説
結ぶのは、十二の大将の名。つまり、守り手との縁をかたく結ぶという作法です。そして願いがかなったら解く。願いの成就を見届け、縁を完結させるところまでが、ひとつづきの祈りとして説かれています。
出典
玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(大正蔵 No.450、T14.408b)
補足

この一節は、五世紀の最古の訳から玄奘訳・義浄訳まで、どの『薬師経』にも一貫して備わる経文です。最古の訳は、経の名のひとつを「灌頂章句十二神王結願神呪」(十二神王に願を結ぶ神呪)と自ら告げるほど、この作法を大切にしています。ギルギット伝来の梵本でも、結びで仏自身が、この経を「十二の大薬叉将軍の誓願」という名でたもつように説いており、十二神将の誓いがこの経の柱のひとつであることは、梵語と漢訳の両方から確かめられます。平等寺では、この五色を御手綱として受け継いでいます。御本尊の御手に結ばれた五色の綱は本堂を出て、石段の下の山門まで。石段を登れない方も、綱に触れれば、その手は御本尊の御手につながります。分け隔てなく癒やすという十二の大願を、手に触れられる形にしたのが、この御手綱です。

真言宗

真言宗における薬師如来

顕教は「前世で医者だったから薬師」と説き、密教は「大日如来が癒やしの三摩地に入った姿」と説きます。

なぜ薬師と名づけるのか。真言宗の事相書『祕鈔口决』は、ふたつの読みを並べます。顕教の説では、この仏は因位いんに(菩薩として修行していた過去世)に医の家に生まれ、薬を施した功徳で成仏したから薬師と名づける。対して密教の意こころでは、胎蔵の大日如来が除病延命の三摩地さんまじ(深い瞑想の境地)に入り、十二の大願を発して一切衆生の病を滅する、その姿こそが薬師如来である、と伝えます(報恩院の口伝)。

この読みは、お像の形にも表れています。薬師如来が結ぶ法界定印ほっかいじょういん(両手を重ねる大日如来の瞑想の印)の上に薬壺がのる。それは、大日如来の瞑想が癒やしのはたらきとなって結実したしるしだ、というのです。

両界曼荼羅りょうかいまんだらに薬師如来の名が見えないことも、同じ論法で説かれます。曼荼羅の東方に座すのは阿閦如来あしゅくにょらい。では薬師はどこにいるのか。事相書は、一切諸尊を両界に摂めるときは中台の大日に摂する、薬師も中台に摂在すると心得よ、と答えます。薬師と阿閦を同じ尊とみるか別の尊とみるかは、真言宗の内部でも古来議論があり、別尊とする口伝と同体とする口伝がともに残されています。続真言宗全書に収められた事相書『諸軌稟承録』も、「古来、此れ等の文に依りて、阿閦と薬師とを同体とす。或いは同仏と為し、或いは別仏と為すも、拠有り」と、どちらの説にも典拠があると記します。密教は口伝の世界であり、ひとつの答えに畳まれてはいません。

修法の側の伝来には、意外な事実があります。『諸軌稟承録』は、薬師にはもともと儀軌が無かったため、『大日経疏』の記者として知られる唐の一行阿闍梨いちぎょうあじゃりがこれを撰集し、その軌が請来されてからは諸流がみなそれを本軌として薬師法を修してきた、入唐八家(空海・最澄ら)の請来目録に薬師の儀軌は無い、と伝えます。経典は誰よりも広く読誦されながら、修法の組み立ては日本の側で丁寧に育てられてきた仏さまなのです。

なお、七仏薬師の七尊を並べて修する七仏薬師法は、真言宗の文献では一貫して天台(台密)の法とされ、真言宗では一仏の薬師法を修してきました。

そして「医王」ということばは、空海自身の筆にも現れます。『般若心経秘鍵はんにゃしんぎょうひけん』の序で、空海は迷いの中で眠りこける人々を悲しみ、こう記しました。「曾て医王の薬を訪はずんば、何れの時にか大日の光を見ん」。医王の薬、すなわち仏の教えを訪ねないかぎり、大日如来の光を見る日は来ない、と。同じ書には、もうひとつの名文があります。

空海の言葉(『般若心経秘鍵』・書き下し)

日本語訳
すぐれた医王の目には、道ばたの草もすべて薬に見える。宝を見わける人は、ただの鉱石を宝と見る。見える人と見えない人がいるだけのこと、それが誰の罪だというのか。
原文
医王の目には、途みちに触れて皆薬なり。解宝げほうの人は、礦石こうしゃくを宝と見る。知ると知らざると、何ぞ誰か罪過ぞ。
解説
顕教の経典である般若心経に、密教の深い意味を読みとってよいのか。その問いに空海が答えた一節です。ここでの医王は、薬師如来その方ではなく、法の薬を与える仏の喩え。それでも、迷いを病とみて教えを薬とするこのまなざしは、医王善逝と呼ばれる薬師如来の癒やしと同じ地平にあります。平等寺の院号のひとつ、医王院の「医王」も、このことばの系譜に連なります。
出典
空海『般若心経秘鍵』(大正蔵 No.2203A)
表白

祈りの言葉になった経典

経典の教えは、修法の場で、本尊へ語りかける言葉に生まれ変わります。表白ひょうびゃくです。

表白とは、修法や法会のはじめに、導師が本尊へ向かって声に出して読み上げる願文のことです。この法をなぜ修するのか、本尊はどういう仏さまか、誰の何を祈るのか。それを仏前で申し述べる、いわば祈りの口上です。

室町時代の関東で学問を究めた真言宗の学僧・印融いんゆうが集成した『諸尊表白抄』には、薬師法の表白が残されています。『薬師経』の教えが、そのまま祈りの言葉に編み直されたような文章です。

表白の言葉(薬師法・書き下し)

日本語訳
そもそも薬師如来は、はるか昔、菩薩の道を歩みはじめたときに十二の願を立て、東方瑠璃界のほとりで、迷えるすべての者を導いてくださる仏さまです。内も外も透きとおった恵みの光は、惑いと煩悩の闇夜をよく破り、末の世を潤すその力は、広大な慈悲の願いを今も変わらず保っています。それゆえに、薬壺を開いて秘められた妙薬を施し、あらゆる患いを速やかに除き、松のような長い齢を与えて、ねんごろな祈りに応えてくださいます。
原文
夫れ薬師如来とは、本、菩薩の道を行じたまひし初め、十二の上願を発して、東方瑠璃界の際に、一万の下愚を導きたまふ。内外明徹の恵光は、能く惑業煩悩の闇夜を破り、像末饒益の威力は、広大慈悲の願望を改むること無し。是の故に、薬壺を開きて秘方を施し、衆患を速疾に除き、松算を与へて懇念に随ひ、寿域を長生に全うしたまふ。
解説
十二の上願、瑠璃の光、そして薬壺。経典と儀軌が伝えてきた要素のすべてが、仏へ語りかける文体に流し込まれています。表白はこのあと、日光・月光の二菩薩が左右に、十二の調将(十二神将)が前後に従い、八万四千の夜叉の守護は怠らず、六道四生への利益は休むことがない、と続きます。経に説かれた光と守りの一族が、そのまま祈りの隊列になるのです。
出典
印融『諸尊表白抄』(続真言宗全書 第31巻、169〜170頁)
補足

この表白は「乃至法界、平等利益」という句で結ばれます。祈りの功徳が法界のすべてに、平等に行きわたるように、という結びです。この結句は本書の表白に共通する定型ですが、分け隔てなく癒やすと誓った仏への祈りが「平等の利益」という言葉に届くことは、平等寺の寺号と静かに響き合います。平等寺の薬師護摩でも、表白を読み上げ、皆さまの願意を御本尊へ申し述べてから、護摩を修しています。

高野山

高野山の中心にも

平等寺が属する高野山真言宗。その総本山・金剛峯寺の伽藍の中心、金堂の御本尊も薬師如来です。

弘法大師が開いた高野山の壇上伽藍で、いちばん大きなお堂が金堂です。江戸後期の地誌『紀伊続風土記』高野山之部は、その本尊を薬師如来と記し、「寺の本堂には多く薬師の像を安ず。今の堂に薬師如来を安置し奉るも此の意なるべし」と、日本の寺の本堂に薬師が多いという通例の中に高野山金堂を位置づけています。

同じ書は、金堂で毎日絶やさず勤められた行法(長日行法)の編成も伝えます。

地誌の言葉(金堂長日行法・書き下し)

日本語訳
金堂で毎日修される行法。中央の壇では薬師法を一座、東の壇では胎蔵界の法を一座、西の壇では金剛界の法を一座。
原文
金堂長日行法。中壇に薬師法一座、東壇に胎蔵界一座、西壇に金剛界一座。
解説
胎蔵界と金剛界。真言密教の二つの世界を説く両部の行法が東西の壇に置かれ、その真ん中の壇に、薬師法が据えられています。密教の山の日々の祈りの中心に、薬師如来がいたのです。『金剛峯寺年中行事記』が伝える伽藍巡礼の次第でも、金堂に詣でたときは「薬師大呪十二反」。薬師の大呪を十二反となえると定められています。十二という数に、十二の大願を重ねて読むことができます。
出典
『紀伊続風土記 高野山之部』(続真言宗全書 第39巻、394頁)
補足

高野山金堂の御本尊は秘仏で、その像容を東方の阿閦如来とみる伝えもあります。薬師と阿閦の同異が真言宗で古くから論じられてきたことは前節のとおりで、総本山の中心の御本尊をめぐって、この問いはいまも生きています。四国の平等寺の本堂に薬師如来がおられることは、この大きな伝統の、自然なひとつの現れです。

真言

おとなえする真言

薬師如来の真言(小咒)

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

oṃ huru huru caṇḍāli mātaṅgi svāhā

日本でもっとも広くとなえられる薬師の真言です。実はこの呪は、漢訳の『薬師経』本文には出てきません。日本の真言宗の事相書が、金剛智訳『薬師如来念誦法』に出る薬師の心呪として伝えてきたものです(『諸尊要抄』ほか)。フルフルは病苦を除き去るはたらきの声、チャンダーリーとマータンギーは病魔を降す女尊の名と解されます。

薬師如来の大呪(大陀羅尼)

のうまく さまんだ ぼだなん ばいせいじゃ くろ ばいちょりや はらばあらんじゃや たたぎゃたや たにゃた おん ばいせいぜい ばいせいぜい ばいせいじゃ さんぼりぎゃてい そわか

namo bhagavate bhaiṣajyaguruvaiḍūryaprabharājāya tathāgatāya arhate samyaksaṃbuddhāya tadyathā oṃ bhaiṣajye bhaiṣajye bhaiṣajyasamudgate svāhā

「薬師瑠璃光王如来に帰命したてまつる。すなわち説く。オーム。薬よ、薬よ、薬より生じたものよ、成就あれ」。経典のなかで薬師如来自身が、一切衆生の苦悩を除き滅する三摩地に入り、肉髻(にっけい。頭頂の盛り上がり)から大光明を放って説いた陀羅尼です。義浄訳と『薬師如来念誦儀軌』に本文として伝わります。玄奘訳では、大正蔵の底本にはこの段がなく、後に他本から補われて現在の流布本に入りました。

補足

経典は、名号がひとたび耳を通るだけで救いがはたらく、と繰り返し説きます。真言をとなえることは、その名を声にして、誓いの主とつながる営みです。回数や上手さよりも、静かにとなえて手を合わせることを大切になさってください。

日本での信仰

日本での信仰

日本の薬師信仰は、仏教の伝来とほとんど同時に始まったとみられています。その入口は、教理よりも先に、医療でした。『日本書紀』の敏達六年(577年)条は、百済から経論とともに咒禁師じゅごんし(呪によって病を治療する専門職)が来朝したと記します。病を癒やす仏教の技術と一体になって、薬師の信仰は海を渡ってきた、と研究は推定しています。

以後、国家の祈りから庶民の暮らしまで、薬師如来は日本仏教の表舞台に立ちつづけます。

  • 敏達6年(577年)。百済から咒禁師が来朝。仏教医療の受容が薬師信仰の素地になったとみられます。
  • 天武9年(680年)。天武天皇が皇后の病気平癒を祈って薬師寺を発願。文献上、薬師信仰がはっきり確かめられる最初の記事です。なお法隆寺金堂の薬師像は用明天皇のための造像と伝わりますが、造像年代に諸説があり、伝来の根拠にはできないとされています。
  • 天武朝。『薬師経』が勧める放生ほうじょう(捕らえた生き物を放つ善行)と、国じゅうの大祓おおはらえが並んで詔される時代が続き、経の思想と日本古来の祓の営みが重なり合いました。
  • 奈良時代。国家の法会として薬師悔過やくしけか(薬師如来の前でおのれの罪を懺悔する行法)が営まれ、新薬師寺のように悔過の道場として建てられた寺も現れます。
  • 奈良〜平安。薬師寺金堂の薬師三尊、新薬師寺の薬師如来と十二神将、神護寺の薬師立像など、日本彫刻の頂点と呼ばれる薬師像が次々と造られました。
  • 毎月8日。薬師如来の縁日です。いまも各地の薬師堂で、8日の縁日の祈りが続いています。
平等寺

平等寺の薬師如来

四国八十八ヶ所第二十二番札所 平等寺の本堂の御本尊は、薬師如来です。寺号そのものが、この仏さまの誓いから生まれました。

寺伝によれば、弘仁5年(814年)、この地で修法していた弘法大師の前に、空中の光のなかから瑠璃色の梵字が現れ、薬師如来のお姿となって五色の光を放ちました。大師はそのお告げを「わたしは衆生の苦しみを、分け隔てなく、平等に癒やし去る」という誓いと受け止め、一刀三礼いっとうさんらい(ひと彫りごとに三度礼拝する作法)で薬師如来と日光・月光菩薩、十二神将を刻み、寺を平等寺と名づけたと伝わります。御本尊と光の一族が、はじめから一具として刻まれたのです。

現在の御本尊は、その初代のお像を写して室町時代に整えられた二代目と考えられている、寄木造り漆箔の坐像です。ただし左手の薬壺だけは金属製で、千年以上前のものと伝わり、初代から受け継がれたと推測されています。経典には説かれず、密教が「十二大願の壺」と読んだあの薬壺を、このお像は一千年、実際に手の上に守りつづけてきたことになります。

院号は醫王院・日光院のふたつ。醫王院は薬師如来の別名の醫王善逝にちなみます。日光院は、開創の朝に加持水の水面へ映った日の光を十一面観音のお姿と受け止めた言い伝えによるもので、薬師の日光菩薩とは別の由来です。山号の白水山はくすいざんは、大師が独鈷で岩を穿つと乳のように白い水が湧いたという言い伝えによります。その水はいまも「弘法の霊水」として境内に湧いています。

本堂には三台の箱車が奉納されています。大正のころ、歩けなかった遍路がこの本堂で回復し、乗ってきた箱車を置いて金剛杖で立ち去ったと伝わるものです。御本尊の御手から山門まで伸びる五色の御手綱とあわせて、癒やしの信仰が形になって残る本堂です。

毎月8日の夜には薬師護摩を、毎週日曜の午後にも護摩を修し、足腰健全・眼病平癒・癌封じをはじめ、身と心の癒やしの祈りを続けています。参列とお申し込みの流れは、下のリンク先でご案内しています。オンラインでもお参りいただけます。

平等寺で修する薬師護摩

平等寺本堂で、数珠を繰って薬師護摩の祈りを捧げる住職
御本尊の前で数珠を繰り、お名前と願いを心に留めて祈ります。
護摩の智火を前に、護摩木に記された祈願を読み上げる平等寺住職
お申し込みいただいたお名前と願意を、護摩木ごとに読み上げます。
薬師護摩の大きな智火と、その前で修法する平等寺住職
護摩木を炎に投じ、病気平癒や身心安穏の願いを薬師如来の智火に託します。
平等寺本堂の御本尊 薬師如来坐像の全身
本堂の御本尊 薬師如来。左手の薬壺だけが金属製で、初代から受け継がれたと伝わります
御本尊の脇に立つ菩薩像(一体目)
御本尊の両脇に立つ菩薩像のうち一体。日光菩薩・月光菩薩としてまつられています
御本尊の脇に立つ菩薩像(もう一体)
両脇のもう一体。二尊で昼の光と夜の光をあらわします
平等寺本堂の十二神将像
御本尊を囲んで守る十二神将
平等寺本堂の内陣
本堂の内陣。薬師三尊と十二神将が一堂に会します

平等寺の薬師如来

安置本堂(本堂御本尊)
造像室町時代の二代目と伝わる。寄木造り・漆箔
薬壺金属製。千年以上前のものと伝わり、初代から受け継がれたと推測
院号醫王院・日光院
護摩毎月8日 午後8時から薬師護摩。毎週日曜の午後にも修する
五色の綱御本尊の御手から山門までつながる
平等寺の御本尊 薬師如来(紹介)毎月8日の薬師護摩(解説・お申し込み)箱車の言い伝え

よくあるご質問

願いごとから護摩を選ぶ

平等寺では、五尊の月例護摩をオンラインで受け付けています。願いごとに近い仏さまを選び、申込画面で内容を確かめられます。

五つの護摩を願いごとから選ぶがん封じ(癌封じ)の詳しい案内
参考文献

参考文献・出典

本記事は、次の原典と資料にもとづいて、高野山真言宗 平等寺 住職 谷口真梁(たにぐち しんりょう)が記しました。漢訳の経典・儀軌と真言宗の事相書は、大正新脩大藏經(CBETA および SAT 大正蔵テキストデータベース)と『真言宗全書』『続真言宗全書』の本文から、梵本は GRETIL の電子テキストから確認しています。「No.」は大正新脩大藏經の経・論番号です。研究論文には、J-Stage で全文公開が確認できたものにリンクを付しました。

漢訳の一次資料(経と儀軌)

『仏説灌頂抜除過罪生死得度経』(『灌頂経』巻十二。大正蔵 No.1331)。漢訳『薬師経』の最古層。大正蔵の題記は東晋の帛尸梨蜜多羅訳とするが、隋訳の経序は劉宋の慧簡の訳出と記す。十二上願・十二神王・五色の縷の誓いをすでに備える。
達磨笈多ら訳『薬師如来本願経』(大正蔵 No.449)。隋・大業十二年(616年)、東都洛陽の翻経館で訳了と経文の付記が自ら記す。旧訳を正すための改訳であることを経序が述べる。
玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(大正蔵 No.450)。もっとも広く読誦される標準本。本記事の引用(十二大願・浄瑠璃世界・十二薬叉大将)は、この訳による。現行流布本の大陀羅尼は、大正蔵の底本にはなく他本から補入されたもの。
義浄訳『薬師瑠璃光七仏本願功徳経』(大正蔵 No.451)。漢訳で唯一の七仏経。大陀羅尼を本文に備える。
不空訳と伝える『薬師如来念誦儀軌』(大正蔵 No.924A)。「如来の左手に薬器を執らしめよ」と説く、薬壺(薬器)のもっとも古い明文。
金剛智訳と伝える『薬師如来念誦法』(大正蔵 19巻)。日本の事相書が小咒「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」の所出とする儀軌。
『浄瑠璃浄土摽』(大正蔵 No.929)。日本成立の図像テキスト。十二神将の方位・持物・乗り物の配当を記す。
空海『般若心経秘鍵』(大正蔵 No.2203A)。序の「曾て医王の薬を訪はずんば、何れの時にか大日の光を見ん」と、本文の「医王の目には途に触れて皆薬なり」を引用。

梵語の一次資料

梵本『薬師経』(Bhaiṣajyaguruvaidūryaprabharājasūtra)。P. L. Vaidya 校訂、Buddhist Sanskrit Texts 17、1961年。ギルギット出土写本に連なる校訂本で、十二大願・十二薬叉大将段・経題の命名を梵語で確認できます。本文は GRETIL(ゲッティンゲン大学の電子テキスト集成)で確認。
シャーンティデーヴァ『シクシャーサムッチャヤ(大乗集菩薩学論)』。八世紀インドの学処集成。「これは『薬師瑠璃光経』に見るべし」という参照指示があり、『薬師経』のインドでの流通を示します。

真言宗の事相書

教舜きょうしゅん『祕鈔口决ひしょうくけつ』第二 薬師法(真言宗全書 第28巻、47〜55頁)。報恩院の口伝を軸に、薬師を胎蔵大日の除病延命の三摩地とみる密教の読み、薬壺の三昧耶形、阿閦との同異、十二神将の口伝を集成する。
興然こうねん『五十卷鈔ごじっかんしょう』第四・第五(真言宗全書 第29巻、87〜118頁)。薬師法の経証を整理し、阿閦法に依る台密系の別伝(五鈷杵・象座)も併載する。
実運じつうん『諸尊要抄』(大正蔵 No.2484)。薬壺を三昧耶形として「十二上願の壺」と名づける秘事と、宝山印の呪(小咒に相当)を記す。
『密聞書』(真言宗全書 第33巻、204頁)ほか。七仏薬師法を「台家専修」とする真言側の認識を伝える(第21巻には「七仏薬師法相伝不分明の事」の論も収める)。
『覚源抄』下本「薬師如来御名の事」(真言宗全書 第36巻、376頁)。
『真言宗全書』全42巻、真言宗全書刊行会。真言宗の教相・事相の書を集成した基本叢書です。
印融『諸尊表白抄』(続真言宗全書 第31巻、165〜252頁)。室町時代の学僧・印融による諸尊法の表白の集成。薬師法の表白(169〜170頁)を引用。
『諸軌稟承録』(続真言宗全書 第2〜3巻)。諸尊の儀軌の伝承来歴を記した事相書。薬師儀軌の伝来(八家請来なし・一行阿闍梨撰集)と、阿閦・薬師の同体説と別体説の両説を記す(第3巻 20頁・44頁)。
『紀伊続風土記 高野山之部』(続真言宗全書 第36巻・第39巻)。江戸後期の紀伊国の地誌。高野山金堂の本尊薬師如来(第36巻 212頁)と、金堂長日行法の中壇薬師法(第39巻 394頁)を記す。
『金剛峯寺年中行事記』(続真言宗全書 第41巻)。金剛峯寺の年中行事と伽藍巡礼の次第を記す。金堂での「薬師大呪十二反」(97頁)。
『続真言宗全書』全42巻・解題、続真言宗全書刊行会。『真言宗全書』に続く叢書で、次第・口伝・表白・高野山史料を多く収めます。

研究論文

新井慧一「藥師經――一佛經と七佛經」『印度學佛教學研究』第16巻第1号、1967年、124〜125頁。一仏経と七仏経の区分を整理した研究です。 J-Stageで読む
新井慧一「藥師經――一佛經と七佛經(續)」『印度學佛教學研究』1969年。経文の比較から、七仏経を一仏経の発展形とみる結論を示した続編です。
新井慧誉「『薬師経』の伝える十二神将」『印度學佛教學研究』第20巻第2号、1972年、759〜763頁。十二神将の梵本での実体(薬叉の大将)と眷属数を整理し、十二支との関係が経に説かれないことを明言した研究です。 J-Stageで読む
有働智奘「古代日本における薬師信仰の受容――放生、大祓の神道思想を視座として」『印度學佛教學研究』第66巻第2号、2018年、211〜216頁。咒禁師の来朝と仏教医療、放生・大祓との接触から受容史を描いた研究です。
吹田隆徳「薬師経に見る聞名思想の加上」『印度學佛教學研究』第71巻第1号、2022年、97〜102頁。「名を聞く」救いの説き方が、最古の訳では経を聞くことの勧めとして現れ、訳を重ねる中で深められていったことを示した研究です。

概説書・研究書

五来重(ごらい しげる)編『薬師信仰』(民衆宗教史叢書 第12巻)雄山閣出版、1986年。庶民の薬師信仰を仏教民俗学の視点から体系化した論集で、日本の薬師信仰を広く見わたす最初の一冊に向きます。Amazonで探す ↗
頼富本宏(よりとみ もとひろ)『密教仏の研究:文献・美術遺品両面からの研究』法藏館、1990年。文献と美術遺品の両面から密教の諸尊を論じた研究書です。Amazonで探す ↗

寺院・博物館・データベース

薬師寺(奈良)。天武9年発願。金堂の薬師三尊像(国宝)を伝えます。 公式サイト
新薬師寺(奈良)。天平の薬師悔過の道場に始まり、薬師如来坐像と十二神将立像(国宝)を伝えます。 公式サイト
e国宝(国立文化財機構)。国宝・重要文化財の薬師如来像を高精細画像で見られます。 公式サイト
文化遺産オンライン(文化庁)。全国の指定文化財を横断検索できます。 公式サイト

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