薬師という名の由来を、顕教は前世で医の家に生まれ薬を施したことに求め、密教は、大日如来が除病延命の三摩地(深い瞑想の境地)に入った姿を薬師如来とみます。
真言宗の事相書『祕鈔口决』は、この二つの説を並べて伝えます。顕教の説では、この仏は因位(菩薩として修行していた過去世)に医の家に生まれ、薬を施した功徳で成仏したので、薬師と名づけます。密教の意では、胎蔵の大日如来が除病延命の三摩地に入り、十二の大願を発して一切衆生の病を滅する姿が薬師如来である、と伝えます(報恩院の口伝)。
密教のこの読みは、お像の形の説明にも用いられます。法界定印(両手を重ねる大日如来の瞑想の印)の上に薬壺をのせる薬師如来の像は、大日如来の瞑想が癒やしのはたらきとなって現れたしるしと読まれます。
両界曼荼羅に薬師如来の名が見えないことも、同じ考え方で説明されます。曼荼羅の東方に座すのは阿閦如来です。では薬師はどこにいるのか。事相書は、一切諸尊を両界に摂めるときは中台の大日に摂する、薬師も中台に摂在すると心得よ、と答えます。薬師と阿閦を同じ尊とみるか別の尊とみるかは、真言宗で古来議論があり、別尊とする口伝と同体とする口伝がともに残されています。続真言宗全書に収められた事相書『諸軌稟承録』も、「古来、此れ等の文に依りて、阿閦と薬師とを同体とす。或いは同仏と為し、或いは別仏と為すも、拠有り」と、どちらの説にも典拠があると記します。
修法の伝来について、『諸軌稟承録』は次のように伝えます。薬師にはもともと儀軌が無かったため、『大日経疏』の記者として知られる唐の一行阿闍梨がこれを撰集しました。その軌が請来されてからは、諸流がみなそれを本軌として薬師法を修してきたといいます。同書は、入唐八家(弘法大師空海・伝教大師最澄ら)の請来目録に薬師の儀軌は無い、とも記しています。
なお、七仏薬師の七尊を並べて修する七仏薬師法は、真言宗の文献では一貫して天台(台密)の法とされ、真言宗では一仏の薬師法を修してきました。
「医王」ということばは、空海の著作にも出てきます。空海は『般若心経秘鍵』の序で、迷いの中で眠りこける人々を悲しみ、こう記しました。「曾て医王の薬を訪はずんば、何れの時にか大日の光を見ん」。医王の薬、すなわち仏の教えを訪ねないかぎり、大日如来の光を見る日は来ない、という意味です。同じ書には、次の一節もあります。
- 日本語訳
- すぐれた医王の目には、道ばたの草もすべて薬に見える。宝を見わける人は、ただの鉱石を宝と見る。見える人と見えない人がいるだけのこと、それが誰の罪だというのか。
- 原文
医王の目には、途に触れて皆薬なり。解宝の人は、礦石を宝と見る。知ると知らざると、何ぞ誰か罪過ぞ。
- 解説
- 出典
- 空海『般若心経秘鍵』(大正蔵 No.2203A)