短い真言
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
まずはこの一行から。息を急がず、願いを一つ心に置いて、ゆっくり唱えます。
四国霊場第二十二番札所 平等寺本尊
平等寺の祈りの中心におられるのは、弘法大師空海が刻んだと伝わる薬師如来です。このページでは、まず平等寺のご本尊がどのように受け継がれてきたか、その由来をたどり、つづいて薬師如来とはどんな仏さまかを確かめ、お薬師さまを囲む日光・月光菩薩と十二神将、そして真言と祈り方までを、順を追ってご案内します。

平等寺のご本尊
平等寺の祈りの中心におられるのは、弘法大師空海が刻んだと伝わる薬師如来です。じつは「平等寺」という寺の名そのものが、このお薬師さまの誓いから生まれました。はじめに、その由来からたどります。
寺に伝わる由来記によれば、弘仁5年(814年)の春、弘法大師がこの地を巡り、伽藍を建てる場所を探していました。北の山に登った大師が「ここが密教の広まる、ご縁の深い土地であるなら、ふさわしいしるしを現したまえ」と祈って金色の蓮華を投げると、それは一株の古い松の枝に掛かり、八方に光り輝いたと伝わります。
その奇瑞に打たれた大師が深い三昧に入ると、空中の光のなかに瑠璃色の梵字が浮かび、やがて薬師如来のお姿となりました。薬師如来は「私は衆生の苦しみを、分け隔てなく、平等に癒やし去る」と告げ、五色の光を放って大師を照らされたといいます。
大師は、その尊いお姿を、一刀ごとに三度礼拝する「一刀三礼」の作法で刻みました。こうして生まれたのが、本尊の薬師如来と、これを補佐する日光菩薩・月光菩薩、そして守護の十二神将です。大師は「松の上の蓮華が八方に輝いたのは、すべての人へ平等に救いを及ぼす大いなる誓いのしるしである」として、この寺を平等寺と名づけられました。
つまり、ご本尊が薬師如来であることと、寺の名が「平等寺」であることは、ひとつの物語のなかで同時に定まりました。平等寺という名は、薬師如来の「分け隔てなく、平等に癒やす」という誓いそのものなのです。

また、大師が加持の水を求めて独鈷(とっこ)で山の岩を突くと、乳のように白い泉が湧き出しました。これが山号「白水山」の由来で、この水は今も加持水として大切にされています。
今のご本尊は、弘法大師御作と伝わる初代を写して、室町時代に整えられた二代目のお像と考えられています。木を寄せて造る寄木造りに漆箔をほどこしたお姿です。とくに左手の薬壷は金属製で、千年以上前のものと伝えられ、初代の祈りの記憶を今にとどめています。
薬師如来とは
平等寺でこのご本尊に病気平癒や足腰健全の祈りが集まってきたのには、薬師如来そのものの性格があります。ここでは、経典に説かれる薬師如来のお姿を見ていきます。
身如琉璃。内外明徹。
「薬師」とは薬を授ける医王、すなわち医薬の王という意味です。ただし仏教でいう「病」は、身体だけではありません。無明や恐れ、執着、孤立、貧しさ、誤った生き方もまた、人を蝕む病と見られます。
ですから薬師如来の救いは、悪いところを一つ治して終わりではありません。苦しみの連鎖そのものをほどき、人が自分の足で仏道へ歩み出せるところまで整えるのが、お薬師さまのはたらきです。
経典は、薬師如来の光が内も外も明らかに照らすと説きます。これは暗闇にいる人をただ慰める光ではなく、何が苦しみの因か、どこへ向かえばよいかを見失わせない光です。
読み違えやすい点
薬師如来は名高い分、お姿が狭く受け取られがちです。次の二点を押さえると、ここまでの話がすっきりつながります。
病気平癒の仏だけにしない
身体の病は大切な入口ですが、経典では孤立や貧しさ、恐れ、誤った見方、社会的な苦境までが救いの対象に入っています。
唱えればすぐ叶う魔術として読まない
薬師如来の祈りは、光を受けて向きを正し、身も心も暮らしも整え、支え合いの行いへ移っていく道でもあります。
箱車の物語
歩く力を失った親子が、平等寺のお薬師さまにすがった物語です。平等寺の足腰健全の信仰は、ここに重なります。

このお薬師さまの霊験を物語る一つが、本堂に奉納された「箱車」です。大正10年、脊髄の病で歩く力を失った筒井林之助とその父・福次は、林之助が横たわれる箱車を作り、四国遍路の旅に出ました。大正12年、二十二番札所の平等寺に四週間とどまり、白水山の霊水を飲み、住職の加持祈祷を受けるうちに、少しずつ感覚が戻り、ついには金剛杖をついて立ち上がれるまでに回復したと伝わります。親子は深い感謝をこめて、命を支えた箱車を、本尊の薬師如来に奉納しました。
平等寺が足腰健全の寺として信仰を集めてきたのは、こうした薬師如来の霊験とともにあります。病気平癒、がん封じ、足腰健全。さまざまな願いが、今もこのご本尊に向けられ、お堂にはお遍路の巡拝が絶えません。
お薬師さまを囲む方々
薬師如来は一体で現れるのではなく、光を補う二菩薩と、現実の危難から守る十二神将に囲まれて祀られます。
日光菩薩と月光菩薩は、薬師如来の光が昼も夜も衆生を照らすことを表します。知恵の光は一瞬のひらめきではなく、暮らしの時間ぜんたいを包む光だということです。
十二神将は、薬師如来の教えを護り、経を保つ人を守ると誓った方々です。病や厄難に向き合う信仰が、具体的な守りのすがたを伴うのは、ここに由来します。
平等寺でお薬師さまを拝むときも、ご本尊だけでなく、その周りに広がる光と守りの世界まで含めて受け止めると、信仰の厚みが見えてきます。



真言と祈り方
初めての方は、難しい作法を全部おぼえる必要はありません。薬師如来の願いの向きがつかめたら、短い真言を丁寧に唱えるところから始めれば十分です。
経典では、薬師如来の名を聞くこと自体に大きな意味があると説かれます。名を聞くとは、ただ音を耳にすることではなく、その願いがどこへ向いているのかを知ることです。
平等寺で薬師如来に祈るときも、まず、いま自分は何に苦しみ、何を立て直したいのかを確かめてください。身体の不調でも、心の不安でも、家族のことでも、暮らしの苦しさでも、どこから祈ってもかまいません。
そのうえで、真言は心を整える短い道筋になります。意味を全部わかっていなくてもよいのですが、何のために唱えるのかだけは見失わないことが大切です。
短い真言
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
まずはこの一行から。息を急がず、願いを一つ心に置いて、ゆっくり唱えます。
長い真言
ナウボウ バギャバテイ ベイシャジャグル ベイリュリャ ハラバ リタヤ ボウダヤ ボウダヤ マカボウダヤ ソワカ
法会で耳にすることのある長い真言です。流派や伝承で音写に揺れがありますが、中心にあるのは薬師如来への帰依と、覚りへの願いです。


五色の綱と五色のお守り。とつぜん出てきた縁起物ではなく、薬師法に見える「五色の糸」の作法が、平等寺で今も結縁のかたちとして生きている一例です。
FAQ
薬師如来の理解を、平等寺の歴史と祈りの物語へ広げるページです。