第57番 府頭山 無量寿院 栄福寺

栄福寺
本尊阿弥陀如来
おん あみりた ていぜい からうん
御詠歌この世には弓矢を守る八幡なり 来世は人を救う弥陀仏
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第57番は 愛媛県(伊予・菩提の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では57番目です。

縁起と歴史
瀬戸内海に面したこの近海では、海難事故が絶えなかった。栄福寺は、弘法大師が海神供養を修したことから、海陸安全と福寿増長を祈る祈願寺として、古くから信仰されてきた。縁起によると、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願を受け、大師がこの地を巡教したのは弘仁年間であった。内海の風波や海難の事故がおさまるよう祈って、府頭山の山頂で護摩供を修した。その満願の日、風波はしずまり、海上には阿弥陀如来が影向した。府頭山の山頂に堂宇を建て、この阿弥陀如来の尊像を本尊として安置したのが創建といわれ、勅願寺とされた。栄福寺には神仏混合の歴史もあり、その由来も平安時代に遡る。貞観元年(859)、大和の大安寺の行教上人は、宇佐八幡(大分)の霊告を受け、その分社を山城(京都)の男山八幡(石清水八幡)として創建するために近海を航行していた。その途中で暴風雨に遭い、この地に漂着した。府頭山の山容が山城の男山と似ており、しかも本尊の阿弥陀如来は八幡大菩薩の本地仏でもあったことから、境内に八幡明神を勧請して社殿を造営し、神仏合体の勝岡八幡宮を創建したと伝えられる。この八幡宮は「伊予の石清水八幡宮」とも呼ばれ、寺社名を並べて刻んだ「四国五十七番」の石塔の道標が立っている。明治新政府の神仏分離令により、寺は旧地から山の中腹にあたる現在地に移転し、神社と寺はそれぞれ独立した。現在の大師堂は、山頂にあった堂舎を移築したものと伝わる。また、栄福寺が所蔵する江戸中期の手書きの納経帳にも「別当 栄福寺」の墨書きがあり、同じく江戸時代の版木で押した納経帳にも「別当 栄福寺」の名がみられる。納経を明治維新からではなく、古来より行っていたことがわかる。
- 明治新政府の神仏分離令により、寺は旧地から山の中腹にあたる現在地に移転し、神社と寺はそれぞれ独立した。
- 納経は明治維新からではなく、古来より行っていたことがわかる。
見どころ・伽藍
- 古い納経帳・少年の箱車・お願い地蔵(参道入口。赤い帽子をかぶっている。)・大師堂の十二支彫刻
- 府頭山の山頂に堂宇を建て、この阿弥陀如来の尊像を本尊として安置したのが創建といわれ、勅願寺とされた。
- 府頭山の山容が山城の男山と似ており、しかも本尊の阿弥陀如来は八幡大菩薩の本地仏でもあった。
- 古い納経帳寛政12年(1800)の江戸時代中期、九州から巡礼に来た人のもので、「八幡宮別当栄福寺」と記されている。約3ヵ月で四国霊場を一巡している。
- 少年の箱車足の不自由な15歳の少年が、犬に引かせて巡礼した箱車。昭和8年にこの寺で足が治り、松葉杖とともに奉納したもの。
- 古い納経帳:寛政12年(1800)の江戸時代中期、九州から巡礼に来た人のもので、「八幡宮別当栄福寺」と記されている。約3ヵ月で四国霊場を一巡している。
- 少年の箱車:足の不自由な15歳の少年が、犬に引かせて巡礼した箱車。昭和8年にこの寺で足が治り、松葉杖とともに奉納したもの。
- 古い納経帳・少年の箱車・お願い地蔵(参道入口。赤い帽子をかぶっている。)・大師堂の十二支彫刻
- 府頭山の山頂に堂宇を建て、この阿弥陀如来の尊像を本尊として安置したのが創建といわれ、勅願寺とされた。
- 貞観元年(859)、大和の大安寺の行教上人は、宇佐八幡(大分)の霊告を受け、その分社を山城(京都)の男山八幡(石清水八幡)として創建するために近海を航行していた。その途中で暴風雨に遭い、この地に漂着した。
- 府頭山の山容が山城の男山と似ており、しかも本尊の阿弥陀如来は八幡大菩薩の本地仏でもあったことから、境内に八幡明神を勧請して社殿を造営し、神仏合体の勝岡八幡宮を創建したと伝えられる。
- この八幡宮は「伊予の石清水八幡宮」とも呼ばれ、寺社名を並べて刻んだ「四国五十七番」の石塔の道標が立っている。
- 現在の大師堂は、山頂にあった堂舎を移築したものと伝わる。
- 栄福寺周辺の霊跡・奥の院は寺伝に記される。詳細は公式を参照。
信仰と物語
- 本尊は阿弥陀如来。この世では弓矢を司り武運を守る八幡の神であり、来世では人々を救ってくださる阿弥陀仏である。神と仏は一体として人を護り導きます。
- 真言は「おん あみりた ていぜい からうん」。
- 宝号は南無大師遍照金剛。
- 縁起に含まれる伝承事項は『〜と伝わる』の語り口で扱うこと。
- 縁起に含まれる伝承は『〜と伝わる』の語り口で扱うこと。
- 御詠歌「この世には弓矢を守る八幡なり 来世は人を救う弥陀仏」
- 御詠歌は四国霊場会の札所案内・納経帳などで広く流通し、巡礼の道中で唱えられる。
- 開基は弘法大師と伝わる。
- 栄福寺は、弘法大師が海神供養を修したことから、海陸安全と福寿増長の祈願寺として、古くから信仰されている。
- 縁起によると、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により、大師がこの地を巡教したのは弘仁年間であった。
参拝の手引き
- 年中行事は霊場会公式サイトを参照。
- 駐車場:あり
- 電話:0898-55-2432
- 納経時間・拝観料は季節・行事で変わる場合がある。参拝前に電話または公式で確認を推奨。
- 前の第56番泰山寺から約3.2km。次の第58番仙遊寺へ約5.3km。
- 今治インターチェンジから国道196号線・317号線を玉川町方面へ向かい、県道155号線を左折。蒼社川を越えて右折し、約1km先を左折して直進すると、左手にみえます。
- 〒794-0114 愛媛県今治市玉川町八幡甲200
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


