第44番 菅生山 大覚院 大宝寺

大宝寺
本尊十一面観世音菩薩
おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌今の世は大悲のめぐみ菅生山 ついには弥陀の誓いをぞまつ
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第44番は 愛媛県(伊予・菩提の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では44番目です。

縁起と歴史
菅生山 大覚院 大宝寺は、四国山地に囲まれた標高579メートルの山中にあり、老樹が立ち並ぶ静かな境内を持つ。八十八ヶ所のちょうど半分に当たることから「中札所」とも呼ばれる。縁起は大和朝廷の時代まで遡る。百済から来朝した聖僧が携えてきた十一面観音像を、この山中に安置していたと伝わる。飛鳥時代の大宝元年(701年)、安芸(広島)から来た狩人、明神右京・隼人の兄弟が菅草の中で十一面観音像を見つけ、草庵を結んで祀った。文武天皇(在位697〜707年)は奏上を聞いて勅命で寺院を建立し、元号にちなんで「大宝寺」と号したと伝わる。弘仁13年(822年)には弘法大師が訪れて密教を修法し、四国霊場の中札所と定め、天台宗から真言宗に改めたと伝わる。仁平2年(1152年)に全山が焼失したが、保元年間(1156〜1159年)に後白河天皇が病気平癒を祈願して成就し、伽藍が再建された。天皇は勅使を遣わして妹宮を住職に任じ、勅願寺として「菅生山」の勅額を賜った。盛時には山内に48坊を数えたとされる。その後、天正の兵火で再び焼失したが、松山藩主の寄進で復興した。江戸中期には松平家の祈願所となったが、明治7年(1874年)に三度目の全焼を経験した。
弘法大師との関わり
弘仁13年(822年)、弘法大師がこの地を訪れて密教を修法し、四国八十八ヶ所の中札所と定めたと伝わる。このとき天台宗だった寺を真言宗に改めたともいう。御詠歌は十一面観音の大悲の恵みと、弥陀の本願誓願とを結び付けている。
- 飛鳥〜大宝元年(701年):明神右京・隼人が観音像を発見、文武天皇勅命で大宝寺創建と伝わる(伝承)
- 弘仁13年(822年):弘法大師が修法し中札所に定め、真言宗に改宗したと伝わる(伝承)
- 仁平2年(1152年):全山焼失
- 保元年間(1156〜1159年):後白河天皇の病気平癒祈願成就、伽藍再建・妹宮住職・菅生山勅額
- 天正期:兵火で焼失、藩主寄進で復興
- 明治7年(1874年):三度目の全焼
- 昭和9年(1934年):山中から掘出観音(金銅製)発見
見どころ・伽藍
- 中札所八十八ヶ所のちょうど第44番、半分の節目として信仰される
- 掘出観音昭和9年発見の金銅製観音像。病気・悪霊を「掘り起こす」信仰
- 陵権現後白河天皇妹宮を祀る。勅使橋・勅額「菅生山」が残る
- 芭蕉塚芭蕉33回忌法要の記念碑
- 久万山農民一揆地域史と結び付く史跡
- 山岳幽寂標高579メートル、老樹林立の境内
- 本堂には本尊の十一面観世音菩薩が祀られる。
- 掘出観音堂には、昭和9年に山中から発見された金銅製の観音像が安置される。樹齢千年余の木の根元で、法華経一字一石約130枚に覆われていたと伝わる。
- 陵権現は後白河天皇の妹宮を祀り、廟墓と五輪塔、勅使橋の遺跡が残るとされる。
- 芭蕉塚は、芭蕉33回忌の法要を営んだ際に建立された記念碑である。
- 境内は老樹が立ち並び、標高579メートルの山岳部に静寂な空気を漂わせる。
- 宿坊は約150人を収容でき、要予約で利用できる。
- 第43番明石寺からの遍路道は、峠越えの長丁場として知られる。
- 掘出観音の発見地は山中の樹根付近と伝わり、観音像発見の霊跡として信仰される。
- 陵権現の陵・勅使橋は、後白河天皇ゆかりの史跡として境内外に残る。
- 掘出観音(金銅製):昭和9年発見。京都博物館の鑑定で平安後期〜鎌倉初期とされる
- 法華経一字一石:約130枚の石に覆われて発見されたと伝わる
信仰と物語
- 本尊の十一面観世音菩薩は、御詠歌のとおり大悲の恵みと弥陀の本願を結び付ける信仰の中心である。
- 掘出観音は、身体から病気や悪霊を「掘り起こして」くれる仏として信仰される。
- 陵権現は、後白河天皇の病気平癒祈願の成就と妹宮信仰を象徴する。
- 中札所として、遍路の折り返し点・節目の霊場として参拝される。
- 明神右京・隼人が菅草の中から十一面観音像を見つけ、草庵を結んだという創建伝承がある。
- 弘法大師が中札所に定め、真言宗に改めたという寺伝が残る。
- 後白河天皇の病気平癒祈願が成就し、48坊の僧堂坊舎が建立されたという保元期の逸話がある。
- 昭和9年の掘出観音は、法華経一字一石に覆われて千年の木の根元から発見されたと伝わる。
- 御詠歌「今の世は大悲のめぐみ菅生山 ついには弥陀の誓いをぞまつ」
- 芭蕉塚は松尾芭蕉33回忌にちなむ。芭蕉ゆかりの法要記念として境内に残る。
- 御詠歌の結句は、極楽・利益・守護など本尊信仰の要点を詠じ、参拝の心構えとして唱和される。
- 明神右京・隼人:大宝元年の開基と伝わる。
- 弘法大師:弘仁13年の修法・中札所制定・真言宗改宗(伝承)。
- 後白河天皇・妹宮:保元期の再興・陵権現・勅額「菅生山」。
- 松山藩主・松平家:近世の復興と祈願所としての帰依。
参拝の手引き
- 年中行事は霊場会公式サイトを参照(独自公式HPなし)
- 宿坊は約150人収容・要予約
- 駐車場はあり、無料。
- 宿坊は約150人・要予約。
- 第43番からの山道は峠越えで、長時間を要する。車利用が一般的。
- 前の第43番明石寺から約20km(峠越え)。次の第45番岩屋寺へ約10km。
- 松山ICから国道33号線久万方面、久万警察署手前信号左折、県道12号線、久万公園前右折、久万美術館手前左折。
- 久万高原町の山岳部に位置し、岩屋寺(第45番)への遍路区間の起点となる。
- 〒791-1205 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2-1173
- 0892-21-0044
- あり(無料)
- あり(150人・要予約)
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


