修験とは何か。「験」の正体を突きとめる
目次
人々が最後に頼った僧、験者
験者。「効きめを現す者」という名で呼ばれた僧がいた。
平安時代の京の都。貴族の屋敷で人が原因のわからない病に倒れると、薬師とならんで呼ばれたのが、験者と呼ばれる僧でした。加持祈祷によって病を癒し、もののけを調伏する。『枕草子』や『今昔物語集』には、汗を流して祈る験者の姿が幾度も描かれています。清少納言は「すさまじきもの(興ざめなもの)」の段で、祈ってももののけが動かず、あくび混じりになってしまう験者を挙げてからかってさえいます。つまり当時の人々は、僧の祈りを「効くか、効かないか」という、ひりひりするほど現実的な目で見ていたのです。
験とは、その「効きめ」のことです。祈りや行が確かに応え、目に見えるしるしとなって現れること。「霊験あらたか」「効験」という言葉に、いまもその意味が残っています。験を得た者が験者であり、験を「修する」、すなわち行によって験を身につける道が、修験道です。辞書類はしばしば「修行得験」「実修実験」の略と説明します。
ここで、ひとつの問いが立ち上がります。目に見える効きめを、行によって身につける。そんなことが、仏教の教えとして、本当に説かれているのでしょうか。それとも修験道だけの特殊な信仰なのでしょうか。結論を先に言えば、験の教義的な本体は、密教でいう悉地、梵語のシッディ(siddhi、成就)です。そしてその根は、仏教の最古層にまで届いています。いちばん深いところから、順に確かめていきましょう。
「修→験」は、諸言語に共通する構造
「験を修する」という言い方は、日本語の発明ではありません。仏教を伝えた諸言語が、同じ構造の言葉をもっています。
梵語(サンスクリット)では、行を サーダナ(sādhana)、行が結ぶ成就を シッディ(siddhi)といいます。この二語は、「成就させる」(√sādh)と「成就する」(√sidh)という同じ語根の対から生まれた一対の言葉です。行者(sādhaka)が行法(サーダナ)を修して成就(シッディ)を得る。この語彙の連なりは、「験を修して験を得る」という修験の構造と同型です。
チベット語ではさらに分かりやすく、スグルプ(sgrub、修する・成就する)から ンゴードゥプ(dngos grub、成就)、そして ドゥプトプ(grub thob、成就を得た者)と語が連なります。日本語の「修→験→験者」と、語の組み立てまで一致します。しかもチベット訳 dngos grub は「dngos(現実)+grub(成就)」、すなわち「現実の成就」という意訳で、験が観念ではなく現に確かめられる効果であることを、訳語の語形そのものが示しています。
このシッディを、漢訳の経典は「悉地」と音写しました。修験の「験」の正体は、この悉地にほかなりません。
「修 → 験 → 験者」。4つの言語で、同じ連なり
原点は「現に確かめられる果」
「修行に、いま確かめられる果はあるのか」。王が釈尊に突きつけた問い。
仏教は最古の層から、「行は確かめうる果を生む」ことを正面から問うてきました。パーリ語の経典『沙門果経』(長部・第二経)で、マガダ国の阿闍世王は釈尊に問います。象使いも、料理人も、織師も、その技能でこの世での実りを得ている。では出家の修行にも、同じように現に確かめられる果があるのか、と。信仰の世界に向かって、これほど率直な問いはありません。
『沙門果経』が積み上げる「目に見える果」
Sakkā nu kho, bhante, evameva diṭṭheva dhamme sandiṭṭhikaṃ sāmaññaphalaṃ paññapetuṃ?
尊師よ、それと同じように、この現法(この生)において、目に見える沙門の果報(サンディッティカ・サーマンニャパラ)を示すことができるでしょうか。
「サンディッティカ(sandiṭṭhika)」とは「現に見られる、いま確かめられる」の意。法(教え)の徳を讃える定型句でも、法は「現に見られ(sandiṭṭhika)、時を要さず(akālika)、来て見よと言える(ehipassika)」と説かれます。行の果が今ここで検証できるという確信は、仏教の出発点からあるものです。
パーリ語『長部』第二経「沙門果経」(Dīgha-nikāya 2)。
Imasmā ca pana, mahārāja, sandiṭṭhikā sāmaññaphalā aññaṃ sandiṭṭhikaṃ sāmaññaphalaṃ uttaritaraṃ vā paṇītataraṃ vā natthīti.
大王よ、この目に見える沙門の果報よりも、さらに高く、さらに勝れた、目に見える果報は、ほかに存在しない。
釈尊は王の問いを退けません。戒をたもつ安らかさ、禅定の喜び、神通の力、と現に確かめられる果を一段ずつ積み上げ、最後の頂点に漏尽、すなわち煩悩の滅尽=解脱を置いて、こう結びます。最高の験は、解脱である。験の伝統の出発点に立つ宣言です。
パーリ語『長部』第二経「沙門果経」(Dīgha-nikāya 2)結語。
重要なのは、神通(超常の力)もこの「目に見える沙門の果」の一つに数えられつつ、最高の果はあくまで解脱とされる点です。験の伝統は、その出発点からすでに「力は実在するが、頂点ではない」という方向づけをもっていました。
その力は、どこから来るのか
仏教の論書とヨーガ学派の根本経典が、同じ答えを書き残している。
目に見える効きめ、超常の力。それはどこから生じるのでしょうか。生まれつきの霊能なのか、それとも修めて得るものなのか。この問いに、インドの思想家たちは驚くほど律儀に、分類で答えています。しかも仏教の内と外で、ほとんど同じ分類が成立しているのです。
ヨーガ学派の根本経典『ヨーガスートラ』は、シッディ(悉地)の生因を五つ挙げます。生まれつき、薬草、真言(マントラ)、苦行、三昧(深い瞑想)。一方、仏教の教理を集大成した世親の『倶舎論』も、神通の足場となる力を五種に分類します。修習(瞑想)、生得、真言、薬、業。学派を超えて、ほぼ同じ品目が並びます。
力はどこから生じるか。学派を超えて重なる分類
janma-auṣadhi-mantra-tapaḥ-samādhi-jāḥ siddhayaḥ
悉地(シッディ)は、生まれ、薬草、真言、苦行、三昧から生じる。
ヨーガ学派の根本経典が、シッディの生因を五つに分類した一句です。注目すべきは、「生まれ」を除く四つがすべて、いまこの生で修しうる行だということ。力は天与の例外ではなく、行の関数として説かれています。
パタンジャリ『ヨーガスートラ』第4章第1句。
ṛddhir mantra-auṣadhābhyāṃ ca karmajā ceti pañcadhā
神足(超常の力)は、(修習によるもののほか)真言と薬によるもの、業から生じるものがあり、あわせて五種である。
仏教側の力の分類です。ヨーガスートラと品目がほぼ重なります。さらに同じ章で世親は「神足とは三摩地(深い瞑想の境地)である」と定義します。力の本体は、不思議な何かではなく、深まった心そのものだという見立てです。
世親『阿毘達磨倶舎論』第7章(神通・神変・示導を論じる章)。
「験は生まれつきの霊能ではなく、行によって修め、発現させるもの」という修験道の前提は、インドの原典に全面的に裏づけられています。山に入り、滝に打たれ、真言を誦する。あの厳しい行のかたちは、力の五つの生因のうち「苦行」「真言」「三昧」を、まとめて修めるかたちになっているのです。
験の本体は悉地(シッディ)
「霊験が無い」とは「悉地が現前しない」こと。経典がそう書いている。
この「確かめられる果」を、行法として精密に体系化したのが密教です。鍵となる語が悉地。真言宗の根本経典『大日経』は、正式には『大毘盧遮那成佛神變加持經』といいます。仏の不思議なはたらき(神變)と、仏と行者の感応(加持)。経題そのものが、験の主題を掲げています。その冒頭の品で、経はこう説きます。
験・悉地・霊験は、一つのことの三つの呼び名
復次祕密主!以影喻解了真言能發悉地,如面緣於鏡而現面像,彼真言悉地當如是知。
また次に秘密主よ、影(鏡像)の喩えによって、真言がよく悉地を発し起こすことを了解せよ。顔が鏡に向かえば顔の像が現れるように、かの真言の悉地も、そのように現れると知るべきである。
住心品末尾の十喩の一節。真言の行と悉地(成就)が、鏡に顔が映るという確実な現象に喩えられます。験は神秘でも偶然でもなく、行に応じて現れる道理として説かれています。
善無畏・一行訳『大毘盧遮那成佛神變加持經(大日経)』入真言門住心品第一(大正蔵 No.848, T18p0003c24)。
所有隨用一切真言皆不應頻頻而作;亦不與人互諍驗力。
用いるところの一切の真言は、みだりに繰り返し行ってはならない。また、人と互いに験力を競い諍ってはならない。
経題の蘇悉地は梵語スシッディ(su-siddhi)、「妙なる成就」の意。悉地の得方を主題とするこの経に、「験力」という言葉そのものが現れます。修験道の根幹語「験力」は、この密教経軌の語彙を母胎としています。同時に、験力を人と競うことが最初から戒められている点にも注意してください。
善無畏訳『蘇悉地羯羅經』(大正蔵 No.893, T18p0607a02)。
若有人久持誦無靈驗,悉地不見前者,作此灌頂法速得悉地。如是等世間、出世間,所求一切願皆得成就。
もし人が、久しく持誦しても霊験がなく、悉地が現前しないならば、この灌頂の法を行えば速やかに悉地を得る。このように世間・出世間の、求める一切の願いはみな成就する。
「霊験がない」ことと「悉地が現前しない」ことが、同じ一つの事態として重ねられています。悉地が現前すること、それ自体が霊験である。効験としての「験」と、成就としての「悉地」が一つであることを、経文がそのまま述べています。
不空訳『大寶廣博樓閣善住祕密陀羅尼經』(大正蔵 No.1005A, T19p0626a01)。
悉地は『大日経』に「若し現法に上中下の悉地を求め楽わば」(T18p0052a19)と説かれるように、上・中・下の三品に分かれ、しかも現法(この生)で得られるものとされます。日本でも平安の学僧 済暹が『大日経住心品疏』に「三密行法の威験力に依って、能く成就を得る」と記し、三密の行の験力が悉地(成就)をもたらすという理解を明言しています(大正蔵 No.2215)。
空海は験を二層で説いた
弘法大師空海は『即身成仏義』で、悉地(験)の全体像を簡潔に整理しました。
空海が説いた、悉地の2つの層
此經所説悉地者,明持明悉地及法佛悉地。
この経(大日経)の説く悉地とは、持明悉地と法仏悉地とを明かすものである。
持明悉地は、真言を持つ行者が得る悉地。現世に現れる効験や神通の層です。法仏悉地は、成仏そのものとしての悉地。修験者が加持祈祷で現す効験は前者に、行者自身がこの身のままに仏となること(即身成仏)は後者にあたります。チベット密教も悉地を「共通の悉地(現世の力)」と「無上の悉地(成仏)」の二層に分けており、密教世界に共通する枠組みです。
空海『即身成佛義』(大正蔵 No.2428)。
三密相應加持故,早得大悉地。
(手に印を結び、口に真言を誦し、心が三摩地に住して)三密が相応し加持しあうがゆえに、速やかに大いなる悉地を得る。
身・口・意の三密が仏と響き合う(加持)ことから悉地が生じる。これが密教における験の発生のしくみです。同じ箇所には「現身獲得五神通(現身に五神通を獲得す)」ともあり、験は来世ではなく、この身に現れると説かれます。
空海『即身成佛義』(大正蔵 No.2428)。
佛日之影現衆生心水曰加,行者心水能感佛日名持。
仏日(仏の光)の影が衆生の心水に現れるのを「加」といい、行者の心水がよく仏日を感じとるのを「持」と名づける。
験は、行者ひとりの力で絞り出すものではありません。仏の光が心の水に映り、心の水がその光を感じ返す。この仏と行者の感応のなかにこそ、悉地(験)は生まれます。だからこそ、験を「自分の力」と誇ることは、加持の道理そのものから外れるのです。
空海『即身成佛義』(大正蔵 No.2428)。
験の現れの「速さ」も空海の眼目です。顕教は成仏を三大阿僧祇劫というはるかな未来に置きますが、密教は三劫を経ず、この身に証すと説きます(『弁顕密二教論』大正蔵 No.2427)。さらに『大日経開題』には「無辺の通力も営まずして本より得たり」、つまり験は外から付け加わるのではなく本来そなわっているという一句もあります(大正蔵 No.2211)。現世における験の即時の顕現を重んじる修験道は、この密教の「速疾」の立場に立っています。
験は、誇るものではない
力は実在する。しかし、頂点ではない。
験の伝統には、最初から強い歯止めが組み込まれています。釈尊自身の言葉から見ます。
Imaṃ kho ahaṃ, kevaṭṭa, iddhipāṭihāriye ādīnavaṃ sampassamāno iddhipāṭihāriyena aṭṭīyāmi harāyāmi jigucchāmi.
ケーヴァッタよ、わたしは神通の神変にこのような危うさ(過患)を見るがゆえに、神通の神変を厭い、恥じ、嫌悪するのである。
在家信者ケーヴァッタが「比丘に神通を示させれば、人々はもっと信じるでしょう」と勧めたのに対する釈尊の答えです。神通を見せても、見た者は「呪術でやっているだけだ」と片づけ、かえって不信の口実になる。釈尊が最上とされたのは、人の心を実際に変え、確かに導く「教誡の神変」、すなわち教えのはたらきでした。世親『倶舎論』も同じく、三示導のうち誤りなく人を利益へ導く教誡示導を最勝とします(第七章)。
パーリ語『長部』第十一経「堅固経」(Dīgha-nikāya 11)。
有此多貪無厭之想,是龍趣之心也。亦本從龍趣中來,故生此習。喜令行人願求世間悉地,障出世淨心。思惟少欲知足無常等,是彼對治。
このように貪って飽きない想いは、龍趣の心である。それは行者に世間の悉地(現世利益)ばかりを願い求めさせ、出世間の浄らかな心を妨げる。少欲知足と無常を思惟することが、その対治である。
真言宗の根本注釈書『大日経疏』は、現世の効験そのものを目的として貪ることを、対治すべき煩悩に数えます。験は求めて行に入るものではあっても、握りしめて誇るものではない。先の『蘇悉地経』が験力の競い合いを戒めるのも、同じ精神です。
善無畏説・一行記『大毘盧遮那成佛經疏(大日経疏)』(大正蔵 No.1796, T39p0597b)。
つまり験の伝統は、力の実在を認めると同時に、その誇示と目的化を一貫して退けてきました。験力は、覚りに随って自ずから現れ、衆生を救うはたらきに供されるべきもの。これが原典の示す験の倫理です。
験者から修験道へ
この悉地・効験の教えは、日本で独自の展開を遂げました。千二百年の歩みをたどります。
平安時代、加持祈祷にすぐれた効験を現す密教僧は「験者」と呼ばれ、宮廷や貴族社会で病気平癒やもののけの調伏を担いました。験者の系譜の上に、山岳での修行によって験力を錬磨する人々が現れ、中世にかけて修験道という独自の道が形づくられていきます。
修験道は、開祖として役行者(えんのぎょうじゃ、役小角)を仰ぎます。歴史上の役小角は、正史『続日本紀』の文武天皇三年(699年)の条に、葛城山に住み呪術で知られた人物として現れます。鬼神を使役したなどの伝承は後世の説話によるもので、「修験道の開祖」という位置づけ自体も後世に形づくられたものですが、山林の行者が験をもって人々に応えたという古代の記憶を、役行者の名は伝えています。
中世以降、修験道は大きく二つの流れに分かれました。真言密教(東密)を基盤とし、醍醐寺三宝院を本拠とする当山派。天台系で、聖護院を本拠とする本山派です。当山派は、醍醐寺を開いた真言僧 聖宝(理源大師、832〜909)を祖と仰ぎます(教団としての確立は室町期で、聖宝は遡って派祖とされました)。依る法流は分かれても、験の核を密教の悉地・加持に置く点は共通しています。
明治5年(1872年)、太政官布達により修験宗は廃止され、修験は天台・真言の両本宗への帰入を命じられました。当山派系の修験は真言宗に帰入し、その法流は現在、真言宗醍醐派などに受け継がれています。本山派の流れは戦後、本山修験宗として再興されました。千年を超えて、験の道は法流のかたちを変えながら続いています。
699年
役小角、正史に現れる
『続日本紀』が、葛城山に住み呪術で知られた人物として記します。後世、修験道の開祖と仰がれます。
平安時代
験者の時代
加持祈祷で病を癒し、もののけを調伏する験者が宮廷で活躍。『枕草子』『今昔物語集』に描かれます。
平安〜中世
山の行者たちと修験道の形成
山岳修行で験力を錬磨する人々が現れ、修験道という独自の道が形づくられます。
室町時代
当山派と本山派
真言系の当山派(醍醐寺三宝院)と天台系の本山派(聖護院)の二大流派が確立します。
1799年
役行者に神変大菩薩号
千百年遠忌にあたり、光格天皇から「神変大菩薩」の号が贈られます。
1872年
修験宗廃止令
太政官布達により修験宗は廃止。天台・真言の両本宗への帰入が命じられます。
明治5年
戦後〜現代
法流の再興と継承
当山派の流れは真言宗醍醐派などに、本山派は本山修験宗として、験の道が続いています。
験を修するということ
あらためて、最初の問いに戻ります。修験の「験」とは何か。それは、行によって現に確かめられる成就、すなわち悉地です。パーリ経典のサンディッティカ(現に確かめられる果)に始まり、梵語のサーダナからシッディへ、チベット語のスグルプからンゴードゥプへ、そして日本語の「修」から「験」へ。言葉も国も変わりながら、「行は確かな果を生む」という一つの確信が、二千五百年間、途切れずに受け渡されてきました。
平等寺は高野山真言宗の寺院です。当山派修験が依りどころとした東密、すなわち『大日経』『蘇悉地経』と空海の教えは、私たちが日々の護摩や加持祈祷で依りどころとしている教えそのものです。本堂で護摩の火が上がるとき、そこで修されているのは、この記事でたどってきた悉地と加持の教えにほかなりません。修験道の「験」を理解することは、密教の祈りがなぜ「効く」と説かれてきたのか、その教義の芯を理解することなのです。
験とは、祈りが現実にふれた、そのしるし。修験とは、そのしるしへ向かって歩きつづける道の名です。
よくあるご質問
参考文献・出典
本記事は、高野山真言宗 平等寺 住職 谷口真梁(たにぐち しんりょう)が、次の原典と研究にもとづいて記しました。漢訳は大正新脩大藏經(CBETA・SAT)、パーリ語は Chaṭṭha Saṅgāyana 版、梵語は GRETIL 等の校訂テキスト、チベット語は Adarsha・BDRC の本文から、引用文をすべて原文で確認しています。
漢訳:密教経軌と注釈
- 善無畏・一行訳『大毘盧遮那成佛神變加持經(大日経)』(大正蔵 No.848)
- 善無畏訳『蘇悉地羯羅經』(大正蔵 No.893)
- 不空訳『大寶廣博樓閣善住祕密陀羅尼經』(大正蔵 No.1005A)
- 阿地瞿多訳『陀羅尼集經』(大正蔵 No.901)/法天訳『妙臂菩薩所問經』(大正蔵 No.896)
- 善無畏説・一行記『大毘盧遮那成佛經疏(大日経疏)』(大正蔵 No.1796)
空海の著作と日本撰述
- 空海『即身成佛義』(大正蔵 No.2428)/『弁顕密二教論』(大正蔵 No.2427)/『大日經開題』(大正蔵 No.2211)
- 済暹『大日經住心品疏』(大正蔵 No.2215)/円仁『蘇悉地羯羅經略疏』(大正蔵 No.2227)
- 光宗『溪嵐拾葉集』(大正蔵 No.2410。役行者を金剛薩埵の化身とする天台密教側の記述)
パーリ語・梵語・チベット語
- パーリ『長部』第二経「沙門果経」・第十一経「堅固経」/『法句経』183〜184
- 梵語『金剛頂経(真実摂経)』/『文殊師利根本儀軌経』/世親『阿毘達磨倶舎論』第七章(神通・神変・示導)/パタンジャリ『ヨーガスートラ』4.1
- チベット語:dngos grub(悉地)の二層〔mchog gi dngos grub(無上悉地)/thun mong gi dngos grub(共通悉地)〕を説く諸文献(BDRC 所蔵)
史料
- 『続日本紀』文武天皇三年(699年)五月条(役小角の伊豆配流の記事)
- 太政官布達(明治5年9月15日。修験宗廃止令)
研究文献
- 宮家準『修験道思想の研究』春秋社、1985年(増補決定版 1999年)
- 徳永誓子「修験道成立の史的前提:験者の展開」『史林』第84巻第1号、2001年/同『憑霊信仰と日本中世社会』法藏館、2022年
- 関口真規子『修験道教団成立史:当山派を通して』勉誠出版、2009年
- 近藤祐介『修験道本山派成立史の研究』校倉書房、2017年
- 鈴木正崇「明治維新と修験道」『宗教研究』第92巻第2号、2018年
- 林淳「明治五年修験宗廃止令をめぐる一考察:天台・真言への帰入問題」『愛知学院大学禅研究所紀要』第30号
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