修験道とは何か
山伏の道をたどる

目次
役行者という人
修験道は、役行者(えんのぎょうじゃ。役小角とも)を開祖と仰ぎます。七世紀の終わりごろ、大和の葛城山にこもり、呪術の力で名を知られた行者です。
伝えられる役行者の姿は、人間ばなれしています。鬼神を思いのままに使い、前鬼・後鬼(ぜんき・ごき)という二匹の鬼を従え、葛城の神である一言主神を呪縛したとも語られます。こうした話は、平安初期の説話集『日本霊異記』や、後の時代の縁起(寺社の由来を語る書)が伝えるものです。江戸時代の寛政十一年(1799年)には、光格天皇から「神変大菩薩」の号も贈られました。役行者の姿は、千年あまりをかけて、少しずつ大きく描かれてきたのです。
いっぽう、確かな史実として残る記録は、ただ一つ。正史『続日本紀』の、文武天皇三年(699年)の短い一文だけです。そこに記されているのは、呪術で名を知られた小角が、讒言(事実を曲げて人をおとしいれる訴え)によって伊豆島に流された、という出来事です。
役君小角を伊豆島に流す。はじめ小角は葛木山に住み、呪術で名を知られた。外従五位下の韓国連広足は彼を師としたが、後にその能力を妬み、人を惑わすものだと讒言した。それゆえ遠い地へ流された。世に伝えて云う。小角はよく鬼神を使役し、水を汲ませ薪を採らせた。もし命に従わなければ、呪術でこれを縛った、と。
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役君小角流于伊豆嶋。初小角住於葛木山、以咒術稱。外從五位下韓國連廣足師焉。後害其能、讒以妖惑。故配遠處。世相傳云、小角能役使鬼神、汲水採薪。若不用命、即以咒術縛之。
前半(配流まで)は正史の記述、後半の「世相伝へて云ふ」以下は、正史みずからが伝聞と断る部分です。正史が、事実と言い伝えを文のうえで区別している。役行者をめぐる超人譚は、この一文を出発点に、後の時代へとふくらんでいきました。
『続日本紀』巻一 文武天皇三年五月条(699年)
山に死に、生まれ直す
峰入りとは、いったん死んで、新しく生まれ直すこと。
修験道の中心となる行は、霊山に分け入る峰入り(入峰修行)です。山林抖擻ともいいます。
抖擻とは、煩悩(心を乱す迷い)の塵を振るい落とすこと。衣食住への執着を払う修行を指す頭陀と、もとは同じ言葉です。山に分け入り、滝に打たれ、寝食を切りつめて歩む。その歩みそのものが、心の塵を払い落とす行になります。
峰入りの芯にあるのは、擬死再生、いったん死んで生まれ直すという考え方です。日ごろの自分がいったん死に、山という母胎に抱かれて清まり、新しく生まれ直す。出羽三山では、山に入る前に行者を死者に見立てる葬送の儀式を行い、羽黒山・月山・湯殿山をめぐる「生まれかわりの旅」として峰を歩みます。母胎をかたどった岩穴をくぐる胎内くぐりも、この死と再生に由来します。
山中では、一つ一つの行を、地獄から仏までの十の境涯(十界)に割り当て、十界のすべてをこの身で修めます。これを十界修行といいます。なかでも知られるのが、大峯山の「西の覗き」。命綱に身を支えられて断崖から上体を投げ出し、「懺悔懺悔、六根清浄」と唱える、捨身(身を仏に投げ出すこと)の行です。吉野から熊野へ尾根を越える大峯奥駈道は、世界遺産にも登録された、修験道の最もきびしい道のりです。
その大峯で、役行者が祈りのすえに感得(心に見ること)したと伝わるのが、蔵王権現です。インドに起源をもたない、日本の山で生まれた尊格です。忿怒の形相で片足を高く上げ、背に火炎を負い、迷いを打ち砕く力を示します。修験を代表する尊です。
十界修行で、どの境涯をどの行になぞらえるかは、流派や時代によって伝え方が異なります。本記事は、その概観を示すものです。
装束と法具
山伏の白い装束と、手にする道具。その一つ一つに、密教の教えが込められているとされます。身につけることが、そのまま教えを身にまとうことです。
額の頭襟は、大日如来の宝冠を表すとされます。背に負う笈は、峰のなかで行者を抱く母の胎にたとえられます。手にする金剛杖は大日如来の法身(かたちを超えた仏そのもの)とされ、杖を持つことは「我れ即ち大日」と観ずることだといいます。
腰の最多角念珠は、煩悩を打ち砕く智の剣にたとえられます。肩から掛ける結袈裟は、十界を身に具えるしるしとされます。そして法螺貝の音は、釈迦如来の説法にたとえられます。
歩けば杖が鳴り、吹けば法螺が峰に響く。山伏は一歩ごとに、教えを身体で確かめながら山を歩みます。
これらの象徴の読み解きは、本山派・当山派や時代によって細部が異なります。頭襟を役行者が天皇から賜ったという話なども、後代の縁起として伝わるものです。なお、同じ金剛杖を、四国遍路では弘法大師の御身として仰ぎ、巡る人と大師が一体となる同行二人の杖とします。一つの法具に、道ごとの祈りが重なっています。
柴燈護摩と、不動の火
修験道といえば、屋外で高々と燃え上がる炎を思い浮かべる方も多いでしょう。柴燈護摩です。
野外に壇を築き、柴や薪を組んで修する大護摩で、天下泰平や五穀豊穣を祈ります。真言宗系では、醍醐寺を開いた僧、聖宝(理源大師)が初めて修したと伝わります。その本尊は不動明王です。護摩は「焚く」とはいわず「修する」といいます。その火は智慧の火と呼ばれ、「燃やす」ではなく「燈す」といいます。外道(仏教の外の道)の火とは異なる、煩悩を焼く智火だからです。
不動明王の智火が、衆生の無明(根本の迷い)を焼き尽くす。この火と一つになる行が、火生三昧です。仏典の説くところでは、行者が自らを不動明王と観じ、火の輪のなかに身を置く観想の行をいいます。燃え尽きた熱い灰の上を素足で渡る火渡りも、この火生三昧になぞらえられ、不動と一体となって煩悩を焼く行として、修験に伝えられています。経典が直接説くのはこの観想までで、火渡りは、後の修験が育てた身体の行です。
この真言の行者が、もろもろの尊において降伏の法を行おうとすれば、自らを無動尊(不動明王)と観じて、火輪のなかに住する。これを火生三昧と名づける。
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此真言行人亦於諸尊若欲作降伏、即須自身作無動尊住於火輪中、亦名火生三昧也。
経が説くのは、自らを不動明王と観じて火輪のなかに住する、という内観の三昧です。降伏(調伏)の法を修すときの観法で、灰の上を渡る火渡りそのものを説いているわけではありません。火渡りは、この火生三昧の観想になぞらえて後代の修験が伝えた身体の行であり、経軌に直接の根拠を持つものではありません。
不空訳『底哩三昧耶不動尊聖者念誦秘密法』(大正蔵 T21n1201)
「験」とは、何か
験とは、正しい行が実を結んだ効きめ。生まれつきの力ではない。
峰をめぐり、火を修する。そこまでして山伏が求める「験」とは、いったい何なのでしょうか。
験とは、まじめな行が確かに実を結んだ、その効きめのことです。「霊験あらたか」というときの験です。密教の言葉では、悉地(成就)といいます。生まれつきの超能力ではなく、正しい作法(如法)の行から生じる成就。ここが芯です。
悉地は、サンスクリットでシッディ。行が結ぶ実りを指す言葉で、行と実りは、種と収穫のように切り離せません。修験という名の「修」と「験」も、ちょうどこの間柄にあります。行を離れて、験だけが先にあるのではない。正しい行が熟したときに験がおのずと現れることを、『大日経』は、鏡に顔を向ければ必ず顔が映る、という喩えで説きます。
弘法大師は、この悉地を二つの層でとらえました。一つは、行者がこの世に現す効験(持明悉地。持明は、真言を保つ者の意)。病を癒し、災いを除くはたらきです。もう一つは、この身のままに仏となること(法仏悉地)。これを即身成仏といい、験の究極はここにあります。手に印を結び、口に真言を唱え、心を仏に重ねる三密の行が、仏のはたらきと響き合うとき、験は生まれる、と説かれます。
また秘密主よ、影(鏡像)の喩えによって、真言がよく悉地を起こすことを了解せよ。顔が鏡に向かえば顔の像が現れるように、かの真言の悉地も、そのように現れると知るがよい。
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復次祕密主!以影喩解了真言能發悉地、如面緣於鏡而現面像、彼真言悉地當如是知。
「入真言門住心品」の末尾に説かれる十の喩え(十縁生句)の一つ、影(鏡像)の喩えです。真言の行が悉地を結ぶ確かさを、鏡に向かえば必ず像が現れることに重ねています。
善無畏・一行訳『大毘盧遮那成仏神変加持経(大日経)』入真言門住心品(大正蔵 T18n0848)
験は、誇示する力ではない
見せびらかし、人に誇るための力ではありません。あるのは、行と、その実りだけです。
修験というと、行のすえに不思議な力を手に入れる道だと思われがちです。効きめそのものは、あるのかもしれません。けれども修験は、その験を、人前で誇ってみせる力としては求めてきませんでした。見せびらかすことへの戒めは、密教よりも古く、釈尊(仏教の開祖、お釈迦さま)の時代にさかのぼります。
験と聞いて人が思い描く「不思議な力」の最たるものが、神変(空を飛ぶような超常のわざ)です。経典にも、神変を現す話は数多く出てきます。けれども釈尊は、神変を人前で見せることを深く忌まれました。なぜか。見せたところで、疑う者は「あれは呪術でやっているだけだ」と決めつけてしまうからです。それでは、人の信を起こす確かなしるしにならない。この教えは、古代インドの言葉パーリ語で伝わる経典と、それに対応する漢訳の長阿含『堅固経』とに、そろって残っています。
釈尊が最も尊んだのは、神変ではなく、人の心を確かに善く変える、教えそのもののはたらき(教誡示導)でした。この戒めは、経だけにとどまりません。戒律では明確な禁戒となり、論書では理路として整えられ、やがて密教の作法のなかにも、そのまま受け継がれました。経から律へ、論から密教へ。いずれも角度を変えて、同じ一事を説きます。力の誇示ではなく、行の実りを。
「ケーヴァッタよ、神変示導とは何か。ここに比丘が、さまざまな神変を現す。一人でありながら多数となり(中略)梵天の世界にまで、身をもって至る。(中略)まだ信じていない者は、信ある者にこう言うだろう。『友よ、ガンダーリーという名の呪術がある。それであの比丘は神変を現し、梵天の世界にまで至るのだ』と。(中略)ケーヴァッタよ、まさにこの神変示導に、この過患を見るがゆえに、私は神変示導を、厭い、恥じ、嫌うのである」。
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‘‘Katamañca, kevaṭṭa, iddhipāṭihāriyaṃ? Idha, kevaṭṭa, bhikkhu anekavihitaṃ iddhividhaṃ paccanubhoti. Ekopi hutvā bahudhā hoti …pe… yāva brahmalokāpi kāyena vasaṃ vatteti. (中略) Tamenaṃ so assaddho appasanno taṃ saddhaṃ pasannaṃ evaṃ vadeyya – ‘atthi kho, bho, gandhārī nāma vijjā. Tāya so bhikkhu anekavihitaṃ iddhividhaṃ paccanubhoti …pe… yāva brahmalokāpi kāyena vasaṃ vattetī’ti. (中略) Imaṃ kho ahaṃ, kevaṭṭa, iddhipāṭihāriye ādīnavaṃ sampassamāno iddhipāṭihāriyena aṭṭīyāmi harāyāmi jigucchāmi’’.
長阿含『堅固経』に対応する、パーリの原典です。gandhārī(ガンダーリー)は、ガンダーラ地方の名を負う呪術。原文の「…pe…」は、さきに挙げた神変の列挙がそのまま繰り返されることを示す、原典自身の反復記号です。神変を現してみせても、信じない者には「呪術でやっているだけだ」と片づけられてしまう。この続きでは、他人の心を言い当てる記心示導も、釈尊は同じ言葉で斥けます(このとき疑う者が持ち出す呪は、神変のガンダーリー呪に代わって、摩尼〔マニカー〕呪となります)。
『長部(ディーガニカーヤ)』第十一経「ケーヴァッタ経(堅固経)」(パーリ仏典 DN11)
信を得た長者・居士が、比丘が限りない神足(神通)を現し、梵天にまで至るのを見て、まだ信じていない人のもとへ行き、「私は比丘が限りない神足を現すのを見た」と告げる。すると、まだ信じていない者は、こう言うのである。「私は瞿羅の呪というものがあって、それでこのような限りない神変を現し、梵天にまで至れるのだ、と聞いている」と。
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若有得信長者、居士、見此比丘現無量神足、立至梵天、當復詣餘未得信長者、居士所、而告之言:「我見比丘現無量神足、立至梵天。」彼長者、居士未得信者、語得信者言:「我聞有瞿羅呪、能現如是無量神變、乃至立至梵天。」
同じ経の漢訳です。パーリの gandhārī(ガンダーリー呪)に当たる呪が、漢訳では瞿羅呪として現れます。長者から居士へと伝え聞くうちに、信じない者は「瞿羅呪でやっているだけだ」と謗る。引用は、この成り行きを見通した釈尊の言葉です。だからこそ釈尊は、在家の前でみだりに神通を現すことを許しませんでした。パーリと漢訳が、同じ筋をそろって伝えています。
仏陀耶舎・竺仏念訳『長阿含経』巻十六「堅固経」(大正蔵 T01n0001)
「バラモンよ、三つの示導がある。何が三か。神変示導・記心示導・教誡示導である。(中略)これら三つの示導のうち、どれがそなたには、より勝れ、より妙なるものと受け入れられるか」。「ゴータマ尊よ、さまざまな神変を現すという示導は、私には幻術(マーヤー)と同類のもののように見えます。(中略)しかしゴータマ尊よ、『かく思え、かく思うな(中略)これを成就して住せ』と教え導く、この教誡示導こそ、三つの示導のうち、より勝れ、より妙なるものとして受け入れられます」。
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‘‘Tīṇi kho imāni, brāhmaṇa, pāṭihāriyāni. Katamāni tīṇi? Iddhipāṭihāriyaṃ, ādesanāpāṭihāriyaṃ, anusāsanīpāṭihāriyaṃ. (中略) Imesaṃ te, brāhmaṇa, tiṇṇaṃ pāṭihāriyānaṃ katamaṃ pāṭihāriyaṃ khamati abhikkantatarañca paṇītatarañcā’’ti? ‘‘Tatra, bho gotama, yadidaṃ pāṭihāriyaṃ idhekacco anekavihitaṃ iddhividhaṃ paccanubhoti …pe… idaṃ me, bho gotama, pāṭihāriyaṃ māyāsahadhammarūpaṃ viya khāyati. (中略) Yañca kho idaṃ, bho gotama, pāṭihāriyaṃ idhekacco evaṃ anusāsati – ‘evaṃ vitakketha, mā evaṃ vitakkayittha (中略) idaṃ upasampajja viharathā’ti, idameva, bho gotama, pāṭihāriyaṃ khamati imesaṃ tiṇṇaṃ pāṭihāriyānaṃ abhikkantatarañca paṇītatarañca’’.
別の経でも、同じ選びが語られます。バラモンのサンガーラヴァが、神変も読心も「幻術と同類(māyāsahadhammarūpa)」と評し、人を教え導く力(教誡示導)だけを「より勝れ、より妙なる(abhikkantatara・paṇītatara)」と認め、釈尊もこれを是とします。原文の「…pe…」は、さきに挙げた句がそのまま繰り返されることを示す、原典自身の反復記号です。
『増支部(アングッタラニカーヤ)』三集「サンガーラヴァ経」(パーリ仏典 AN3.60)
「バーラドヴァージャよ、お前はなぜ、つまらぬ木の鉢のために、在家者の前で人を超えた法・神変を現したのか。たとえば女が、わずかな端た金のために身を露わにするように、お前はつまらぬ木の鉢のために神変を現したのだ」。……「比丘らよ、在家者の前で人を超えた法・神変を現してはならない。現せば、突吉羅(軽い罪)である」。
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Kathañhi nāma tvaṃ, bhāradvāja, chavassa dārupattassa kāraṇā gihīnaṃ uttarimanussadhammaṃ iddhipāṭihāriyaṃ dassessasi! Seyyathāpi, bhāradvāja, mātugāmo chavassa māsakarūpassa kāraṇā kopinaṃ dasseti, evameva kho tayā, bhāradvāja, chavassa dārupattassa kāraṇā gihīnaṃ uttarimanussadhammaṃ iddhipāṭihāriyaṃ dassitaṃ. … Na, bhikkhave, gihīnaṃ uttarimanussadhammaṃ iddhipāṭihāriyaṃ dassetabbaṃ. Yo dasseyya, āpatti dukkaṭassa.
戒律のなかでは、これがはっきりとした禁戒になります。叱られたバーラドヴァージャは、賓頭盧の名でも知られる弟子です。彼が、宙に飛び上がって栴檀の鉢を取ってみせたとき、釈尊は「女がはした金のために裸を見せるようなものだ」と厳しく叱り、在家の前で神通を見せることを、罪として戒めました。
『律蔵』小品「小事犍度」(パーリ仏典 Cūḷavagga 第五章)
前の二つの導き(神足変化と他心を読むこと)は、呪術でもできるので、神通によるとは限らず、確かな証にはならない。たとえば健馱梨という呪術があり、これを持てば空を自在に飛べる。また伊剎尼という呪術があり、これを持てば他人の心を知れる。教誡示導(おしえによる導き)だけは、漏尽通(煩悩を尽くした智)によるほかなく、ほかの手段ではできない。ゆえに確かである。また前の二つは、人を一時的に心変わりさせるだけで、勝れた果へは導かない。教誡示導は、真実の巧みな手立てによって説くから、必ず人を利益と安楽の果へ導く。それゆえ、教誡(教え)こそが最も勝れ、ほかではない。
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謂前二導呪術亦能、不但由通故非決定。如有呪術名健馱梨、持此便能騰空自在。復有呪術名伊剎尼、持此便能知他心念。教誡示導除漏盡通、餘不能為、故是決定。又前二導有但令他暫時迴心、非引勝果。教誡示導亦定令他引當利益及安樂果、以能如實方便說故。由是教誡最勝非餘。
経の教えは、論書のなかで理路として整えられます。世親の『倶舎論』も、奇しくも堅固経と同じ呪術のたとえで説きます。空を飛ぶ神変も、心を読む力も、健馱梨(gandhārī の音写)という呪でできてしまうから、確かな証にはならない。人を本当に変えるのは、教えそのもののはたらき(教誡)だけだ、と。この健馱梨と同じ役割の呪を、さきの堅固経は瞿羅呪と呼んでいました。
世親造・玄奘訳『阿毘達磨倶舎論』分別智品(大正蔵 T29n1558)
受け持っていない真言や、ほかの真言を、みだりに行ってはならない。用いる一切の真言も、たびたび繰り返し行ってはならない。また、人と互いに験力を競い争ってはならない。
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非持所持真言、諸餘真言亦不應作。所有隨用一切真言、皆不應頻頻而作。亦不與人互諍驗力。
歯止めは、密教にもそのまま受け継がれます。悉地の得方を主題とする『蘇悉地経』が、その作法のなかに「力を競うな」を組み込んでいます。経題の蘇悉地は「妙なる成就」の意。修験道の根幹語『験力』も、こうした密教の語彙を母胎としています。
善無畏訳『蘇悉地羯羅経』巻上(大正蔵 T18n0893)
このように貪って飽きない想いは、龍趣の心である。それはもともと龍の世界から来た習いで、行者に世間の悉地(現世の効きめ)ばかりを願い求めさせ、出世間の浄らかな心を妨げる。少欲知足と無常を思惟することが、その対治である。
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有此多貪無厭之想、是龍趣之心也。亦本從龍趣中來、故生此習。喜令行人願求世間悉地、障出世淨心。思惟少欲知足無常等、是彼對治。
龍は、宝を貪り蓄える者の象徴とされます。『大日経疏』は、効きめや財を貪って飽きない心を、その龍の心になぞらえ、対治すべき煩悩に数えます。験を願う心が行への入口になることはあっても、験は、握りしめて貪り、誇るものではない。少欲知足と無常を観ずることが、その薬だと説きます。
善無畏説・一行記『大毘盧遮那成仏経疏(大日経疏)』(大正蔵 T39n1796)
経も、律も、論も、そして密教の作法も、角度は違えど、ひとつの芯を戒めています。戒められているのは、効きめそのものではなく、それを貪り、人前で見せて誇る心です。験は、正しく行を積み、それが熟したときに、おのずと現れるもの。しかも行者ひとりの力ではなく、仏の力と行者の心とが呼応してはたらく、加持の結果である、と説かれます。だから験は、見せびらかしたり、人と競ったり、欲しがったりするものではなく、病や悩みに苦しむ人から請われたとき、その人を助けるはたらきとなります。修験がいちばん大事にしたのは、不思議な力を得ることではなく、この身のままで仏になること、即身成仏でした。釈尊にさかのぼるこの戒めは、経・律・論から密教まで、それぞれの形で繰り返し現れます。修験もまた、その同じ芯を大切にしてきました。
験者から、修験道へ
山の行と、密教の悉地。この二つが結びついて、修験道は形づくられました。役小角の時代から数えて、およそ千二百年の歩みです。
平安時代、加持祈祷の効験で名を知られた密教僧は「験者」と呼ばれ、請われて宮廷に上り、病気平癒やもののけの調伏を担いました。力を誇るためではなく、人の病や災いに応えるための験です。『枕草子』や『今昔物語集』には、汗を流して祈る験者の姿が描かれています。その験者の系譜の上に、山岳での修行で験力を錬磨する人々が現れ、中世にかけて修験道という独自の道が形づくられていきます。
修験道はやがて、二つの大きな流れに分かれました。真言密教を基盤とし、醍醐寺三宝院を本拠とする当山派。天台系で、聖護院を本拠とする本山派です。よりどころとする法流は分かれても、験の核を密教の悉地・加持に置く点は同じでした。
明治五年(1872年)、太政官布達(政府の法令)により修験宗は廃止され、当山派の修験は真言宗へ、本山派は天台宗へ帰入(組み入れられること)を命じられました。その法流は、現在も真言宗醍醐派や本山修験宗などに受け継がれています。宗派のかたちを変えながら、験の道は千年を超えて続いています。
699年
役小角、正史に現れる
『続日本紀』が、葛木山に住み呪術で知られた人物として記します。後世、修験道の開祖と仰がれます。
平安時代
験者の時代
加持祈祷で病を癒し、もののけを調伏する験者が宮廷で活躍。『枕草子』『今昔物語集』に描かれます。
平安〜中世
山の行者と修験道の形成
山岳修行で験力を錬磨する人々が現れ、修験道という独自の道が形づくられます。
中世後期
当山派と本山派
真言系の当山派(醍醐寺三宝院)と天台系の本山派(聖護院)へと展開していきます。
1799年
役行者に神変大菩薩号
光格天皇から、役行者に「神変大菩薩」の号が贈られます。
1872年
修験宗廃止令
太政官布達により修験宗は廃止。当山派は真言宗、本山派は天台宗への帰入が命じられます。
明治5年
戦後〜現代
法流の継承
当山派の流れは真言宗醍醐派などに、本山派は本山修験宗として、験の道が続いています。
山に死に、誇らず、人に供する
修験道は、山そのものを道場とする行の道です。霊山に分け入り、寝食を切りつめて歩み、不動の火を修し、断崖に身を投げ出す。そうした峰入りの行のなかで、日ごろの自分はいったん死に、清まって、新しく生まれ直します。
修の行が熟したとき、おのずと現れる実りを、験と呼びます。それは、生まれつきの超能力ではありません。如法の行から生まれる成就であり、その究極にあるのが、この身のままに仏となる即身成仏です。
だから験は、人に見せて誇るものではありませんでした。山に死んで生まれ直した行者は、その身をそのまま、人を救うはたらきへ向けていく。山に入って自分を作り変え、その身を人に尽くす。それが、修験道という道です。
山に入らずとも、日々手を合わせ、お参りし、亡き人を思う。その祈りに、修験の道は静かにつながっています。
よくあるご質問
参考文献・出典
本記事は、高野山真言宗 平等寺 住職 谷口真梁(たにぐち しんりょう)が、次の原典と研究にもとづいて記しました。漢訳の引用は大正新脩大蔵経(CBETA・SAT)、パーリ語は Chaṭṭha Saṅgāyana 版の本文で確認しています。史実と伝承は分けて記し、象徴の解釈は流派による差異がある旨を本文に注記しました。あわせて、修験道をさらに学ぶための書籍を「入門・手引き」と「研究文献」に分けて挙げます。記事が直接依拠したものに限らず、初学の手引きとして良いもの、学術的に確かなものを選びました。