第54番 近見山 宝鐘院 延命寺

延命寺
本尊不動明王
のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん
御詠歌くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第54番は 愛媛県(伊予・菩提の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では54番目です。

縁起と歴史
今治の市街地から西北へ6kmほどのところに、延命寺の山号にもなっている近見山という標高244mの山がある。延命寺はこの山頂一帯に七堂伽藍を連ね、谷々には100坊を数えたと伝えられる。縁起によると、養老四年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願をうけた行基菩薩が、大日如来の化身とされる不動明王像を彫って本尊とし、伽藍を建てて開いた。弘仁年間(810〜24)には、弘法大師が嵯峨天皇(在位809〜23)の勅命をうけ、伽藍を信仰と学問の中心道場として再興し、「不動院・圓明寺」と名づけて勅願所とした。この「圓明寺」の寺名は明治維新まで続いたが、同じ寺名の五十三番・圓明寺(松山市)と取り違えられることが多く、江戸時代から俗称としてきた「延命寺」へ改めた。その後も再三の火災で堂宇を焼失したが、そのたびに再興し、享保12年(1727)には火難を免れた本尊とともに現在地の近見山麓へ移った。この間、鎌倉時代の文永5年(1268)には、華厳宗の学僧・凝然(1240〜1321)が寺の西谷の坊に籠もり、初学者の仏教入門書といわれる『八宗綱要』を著した。「八宗」とは倶舎・成実・律・法相・三論・天台・華厳の各宗と、新しく興った浄土宗を指し、上下2巻に記されている。寺には四国で2番目に古い真念の道標も残る。境内には馬酔木の木があり、春の彼岸ごろから1ヵ月ほど可憐な白い花をつける。
弘法大師との関わり
弘法大師との関わりについて、霊場会公式サイトの縁起に記される内容を参照のこと。
- 弘仁年間(810〜24)、弘法大師が嵯峨天皇(在位809〜23)の勅命をうけ、伽藍を信仰と学問の中心道場として再興し、「不動院・圓明寺」と名づけて勅願所とした。
- 寺名は明治維新まで「圓明寺」だったが、同じ寺名の五十三番・圓明寺(松山市)と取り違えられることが多く、江戸時代から俗称としてきた「延命寺」へ改めた。
見どころ・伽藍
- 山門もと今治城の城門の一つで、総けやき造り明治初期に今治城取り壊しの際に譲り受けた
- 火伏せ不動尊本尊宝冠をかぶった珍しい不動明王像で、再三の火災から逃れているのでこの尊名が
- 縁起によると、養老四年に聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が大日如来の化身とされる不
- その後、再三火災に遭い堂宇を焼失しているが、再興をくり返し、享保12年(1727)に難を免れた本尊と
- 山門もと今治城の城門の一つで、総けやき造り。明治初期、今治城取り壊しの際に譲り受けた。
- 火伏せ不動尊本尊。宝冠をかぶった珍しい不動明王像で、再三の火災から逃れたことからこの尊名がつく。
- 山門:もと今治城の城門の一つで、総けやき造り。明治初期、今治城取り壊しの際に譲り受けた。
- 火伏せ不動尊:本尊。宝冠をかぶった珍しい不動明王像で、再三の火災から逃れたことからこの尊名がつく。
- 山門・火伏せ不動尊・越智孫兵衛の墓(阿方の庄屋であった越智孫兵衛は、農民の窮乏を救い、享保年間の大飢饉でも餓死者を出さなかったと伝えられる。)
- 延命寺は近見山の山頂一帯に七堂伽藍を連ね、谷々には100坊を数えたと伝えられる。
- 縁起によると、養老四年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願をうけた行基菩薩が、大日如来の化身とされる不動明王像を彫って本尊とし、伽藍を建てて開いた。
- 弘仁年間(810〜24)、弘法大師が嵯峨天皇(在位809〜23)の勅命をうけ、伽藍を信仰と学問の中心道場として再興し、「不動院・圓明寺」と名づけて勅願所とした。
- その後も再三の火災で堂宇を焼失したが、そのたびに再興し、享保12年(1727)に火難を免れた本尊とともに現在地の近見山麓へ移った。
- この間、鎌倉時代の文永5年(1268)、華厳宗の学僧・凝然(1240〜1321)が寺の西谷の坊に籠もり、初学者の仏教入門書といわれる『八宗綱要』を著した。
- 延命寺周辺の霊跡・奥の院は寺伝に記される。詳細は公式を参照。
- OUV特記:平野部(今治)
信仰と物語
- 本尊は不動明王。少しの曇りもない鏡のような不動明王との結縁と思って眺めれば、すべてを残さず映し出してくださるものだ。
- 真言は「のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うん たらた かんまん」。
- 宝号は南無大師遍照金剛/南無興教大師/南無専誉僧正。
- 今治の市街地から西北へ6kmほどのところに、延命寺の山号にもなっている近見山という標高244mの山がある。
- 縁起によると、養老四年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願をうけた行基菩薩が、大日如来の化身とされる不動明王像を彫って本尊とし、伽藍を建てて開いた。
- 御詠歌「くもりなき鏡の縁とながむれば 残さず影をうつすものかな」
- 御詠歌は四国霊場会の札所案内・納経帳などで広く流通し、巡礼の道中で唱えられる。
- 開基は行基菩薩と伝わる。
- 縁起によると、養老四年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願をうけた行基菩薩が、大日如来の化身とされる不動明王像を彫って本尊とし、伽藍を建てて開いた。
- 弘仁年間(810〜24)、弘法大師が嵯峨天皇(在位809〜23)の勅命をうけ、伽藍を信仰と学問の中心道場として再興し、「不動院・圓明寺」と名づけて勅願所とした。
参拝の手引き
- 初不動:1月28日
- 節分祭:2月3日
- お花まつり:4月8日
- 越智孫兵衛・慰霊祭:8月7日
- 施餓鬼法要:8月23日
- 納め不動:12月28日
- 除夜の鐘:12月31日
- 駐車場:あり ※冥加料あり
- 電話:0898-22-5696
- 納経時間・拝観料は季節・行事で変わる場合がある。参拝前に電話または公式で確認を推奨。
- 前の第53番円明寺から約35km。海沿いの長い平坦路が続く。次の第55番南光坊へ約4.2km。
- 円明寺を出たら、海沿いを走る国道196号線を北東へ進む。JR大西駅を過ぎてしばらく行くと、県道38号線へ続く細い道へ分岐する。38号線に入って1.4km走ると、道路沿いに延命寺入り口の看板がある。そこを左折し、300mほど進むと延命寺に着く。
- 〒794-0081 愛媛県今治市阿方甲636
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


