第49番 西林山 三蔵院 浄土寺

浄土寺
本尊釈迦如来
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
御詠歌十悪のわが身を棄てずそのままに 浄土の寺へまいりこそすれ
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第49番は 愛媛県(伊予・菩提の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では49番目です。

縁起と歴史
浄土寺は、空也上人(903〜972)の姿が今も残る寺として知られる。境内入口には正岡子規の句碑「霜月の空也は骨に生きにける」が立つ。空也上人は、腰のまがったやせた身に鹿の皮をまとい、鉦をたたいて「南無阿弥陀仏」を唱えた。道路の補修や橋架け、井戸掘り、広野に棄てられた屍の火葬供養など、民衆を救う遊行僧・念仏聖として語り継がれる。寺伝では、天平勝宝年間(749〜757年)に女帝・孝謙天皇の勅願寺として恵明上人が開基し、行基菩薩が彫造した釈迦如来像を本尊としたという。当初は法相宗だったが、弘法大師が訪れて伽藍を再興し、真言宗に改宗したと伝わる。空也上人は天徳年間(957〜961年)の3年間この地に滞留して布教した。建久3年(1192年)には源頼朝が堂塔を修復し、応永23年(1416年)の兵火ののち、文明年間(1469〜1487年)に河野道宣公が再建した。現在の本堂と内陣の厨子は文明期の建造で、昭和36年(1961年)に解体修理されている。
弘法大師との関わり
弘法大師がこの寺を訪れ、荒廃していた伽藍を再興し、真言宗に改宗したと伝わる。そのころから寺運は栄え、寺域は八丁四方に及び、66坊の末寺をもつほどであったともいう。御詠歌「十悪のわが身を棄てずそのままに 浄土の寺へまいりこそすれ」は、罪深い身をそのまま仏前に携えて参ることが救いの道だと説く。
- 天平勝宝年間(749〜757年):恵明上人が開創、行基作釈迦如来を本尊としたと伝わる(伝承)
- 957〜961年:空也上人が3年間滞留し布教したと伝わる
- 1192年(建久3年):源頼朝が堂塔を修復
- 1416年(応永23年):兵火で焼失
- 1469〜1487年(文明年間):河野道宣公が再建
- 1484年(文明16年):現本堂建立(附厨子)
- 1927年(昭和2年):木造空也上人立像を重要文化財に指定
- 1953年(昭和28年):本堂(附厨子)を重要文化財に指定
- 1961年(昭和36年):本堂・厨子の解体修理
見どころ・伽藍
- 空也上人像国指定重要文化財。像高121.5センチ、鎌倉時代作、玉眼。口元から六体の阿弥陀小化仏
- 厨子落書1527年本堂厨子に大永7年(1527年)「四国中辺路同行五人・南無大師遍照金剛守護・阿州名東住人」などの墨書
- 落書群室町から江戸時代にかけての遍路者の墨書。最古は大永5年(1525年)
- 正岡子規句碑「霜月の空也は骨に生きにける」
- 三蔵院法然・聖光・良忠の三祖像を安置していたが、1945年の空襲で焼失
- 本堂和様と唐様を折衷した、簡素で荘重な国重文
- 本堂は桁行5間・梁間5間・一重寄棟造・本瓦葺き。柱は円柱で、正面中央の3間は両開きの桟唐戸、両端と妻面は引違いの格子板戸。表2間を外陣とし、蔀戸で隔てた奥が内陣で、中央に厨子を置く。
- 厨子は正面1間・入母屋妻入・板葺・禅宗様詰組の精緻な造り。ここに、室町時代から江戸時代にかけての巡礼者の墨書落書が残る。
- 空也上人像は本堂の厨子内に安置される。像高121.5センチの木造彩色・玉眼で、口元から六体の阿弥陀小化仏を吐く珍しい表現を見せる。
- 境内入口の正岡子規句碑「霜月の空也は骨に生きにける」は、空也の生きた姿を詠んだ句として知られる。
- 院号「三蔵院」は、浄土宗三祖(法然上人・聖光上人・良忠上人)の自作像を安置していたことに由来する。三祖像は昭和20年(1945年)の松山空襲で、出開帳先の寺で全焼した。
- 空也上人が天徳年間(957〜961年)に3年間教化に努めた地として、当地の布教史が語り継がれる。
- 奥の院・別院の有無や参拝ルールは、季節・工事で変わる場合がある。現地の案内板を確認すること。
- 浄土寺本堂(附厨子1基):国指定重要文化財。文明16年(1484年)建立、昭和28年(1953年)指定
- 木造空也上人立像:国指定重要文化財。像高121.5センチ、鎌倉時代作、昭和2年(1927年)指定
- 厨子落書:大永5年(1525年)を最古とする、室町〜江戸期の墨書群。1527年(大永7年)の記述は、16世紀の庶民巡礼と札所固定を示す証拠として世界遺産提案書でも特記
- 史跡・名勝選定候補(世界遺産提案書):史跡○・名勝○。道後地区と一体
信仰と物語
- 本尊の釈迦如来は秘仏で、行基菩薩の作と伝わる。厨子内に安置される。
- 御詠歌は、十悪を犯した身を棄てずそのまま参る救済を説き、空也的な「そのままの衆生」を受け入れる信仰と響き合う。
- 空也上人像は、念仏聖の生きた姿を今に伝える浄土寺の象徴である。
- 空也上人が、口から小さな仏を吐き出すように念仏を唱えたという像の表現。
- 厨子落書1527年(大永7年):「四国中辺路同行五人・南無大師遍照金剛守護・阿州名東住人」。16世紀の庶民遍路と札所番号固定を示す史料として注目される。
- 落書1525年(大永5年):「四国中辺路」「遍路」「越前の国一乗の住人ひさの小四郎」など、より古い年号も残る。
- 高野山金剛峯寺谷上の善空ら、複数の霊場に落書を残した僧の記録も厨子に見られる(納札的な機能の可能性も指摘される)。
- 御詠歌「十悪のわが身を棄てずそのままに 浄土の寺へまいりこそすれ」
- 正岡子規句碑「霜月の空也は骨に生きにける」(境内入口)
- 御詠歌の結句は、極楽・利益・守護など本尊信仰の要点を詠じ、参拝の心構えとして唱和される。
- 恵明上人:開基と伝わる。
- 行基菩薩:本尊釈迦如来を彫造したと伝わる。
- 弘法大師:再興と真言宗への改宗を行ったと伝わる。
- 空也上人:天徳年間に3年間滞留し布教したと伝わる。
- 源頼朝:建久3年に堂塔を修復。
- 河野道宣公:文明期に再建。
- 正岡子規:句碑が境内入口に立つ。
参拝の手引き
- 年中行事は霊場会公式サイトを参照
- 宿坊:なし
- 前の第48番西林寺から約3.5km、次の第50番繁多寺へ約2.5km。
- 松山自動車道「松山IC」から国道33号、天山交差点を右折、環状線を経由し、枝松交差点から県道40号川内方面へ約3km、左折で正面。
- 車:松山ICから国道33号、天山交差点右折、環状線、枝松交差点右折し県道40号川内方面へ約3km、左折
- 〒790-0925 愛媛県松山市鷹子町1198
- 089-975-1730
- 普通20台・バス4台(有料)
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


