第55番 別宮山 金剛院 南光坊

南光坊
本尊大通智勝如来
なむ だいつうちしょう ぶつ
御詠歌このところ三島に夢のさめぬれば 別宮とても同じ垂迹
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第55番は 愛媛県(伊予・菩提の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では55番目です。
縁起と歴史
四国霊場のうち「坊」がつく寺院はこの南光坊だけである。正式には光明寺金剛院南光坊という。今治市の中心街にあるが起源は古く、航海の神であり総鎮守・伊予一の宮の大山祇神社と深くかかわる歴史をもつ。推古天皇御代二年甲寅(594)、勅により大三島に造立された。その後、越智玉澄公が文武天皇の勅を奉じ、大宝三年(703)、風波で祭祀がおろそかになるのを憂えて当地に勧請し、「日本総鎮守三島の地御前」と称して奉祭した。弘法大師は四国巡錫のとき別館に参拝し、坊で御法楽をあげて四国霊場第五十五番札所と定めた
のち、伊予全土におよんだ「天正の兵火」により社殿・伽藍はことごとく焼失したが、南光坊だけが別宮の別当寺として再興された。慶長5年(1600)には藤堂高虎公の祈願所として薬師堂を再建し、江戸時代には藩主・久松公も祈祷所として信仰し、祭祀料を奉納している。さらに時代がくだり、明治初年の廃仏毀釈では、社殿に本地仏として奉安していた大通智勝如来と、脇侍の弥勒菩薩像・観音菩薩像を南光坊薬師堂に遷座し、別宮大山祇神社と明確に分離した。太平洋戦争最末期の昭和20年8月、空襲により大師堂と金比羅堂を残して罹災した。現在の本堂は昭和56年秋、薬師堂は平成3年春、山門は同10年に再建されている。
- 「天正の兵火」により社殿・伽藍はことごとく焼失したが、南光坊だけが別宮の別当寺として再興された。
- 明治初年の廃仏毀釈では、社殿に本地仏として奉安していた大通智勝如来と脇侍の弥勒菩薩像・観音菩薩像を南光坊薬師堂に遷座し、別宮大山祇神社と明確に分離した。
- 昭和20年8月、空襲により大師堂と金比羅堂を残して罹災した。
- 本堂は昭和56年秋、薬師堂は平成3年春、山門は同10年に再建されている。
見どころ・伽藍
- 大通智勝如来『法華経』の化城喩品第七に説かれる仏で、大山祇大明神の本地とされ、河野水軍に信仰された。
- 見どころは大通智勝如来、川村驥山の菅笠、金比羅堂(讃岐の金比羅宮から勧請した金比羅大権現を祀る堂)。
- 川村驥山の菹笠書家の川村驥山が遍路の途中に贈った菹笠が残るという逸話。
- 海岸の護摩弘法大師ゆかりの護摩修法が今も伝わるとされる。
- 今治の海岸寺瀬戸内海を望む静かな札所。
- 大通智勝如来:『法華経』の化城喩品第七に説かれる仏で、大山祇大明神の本地とされ、河野水軍に信仰された。
- 川村驥山の菅笠:書道界で初めて芸術院賞を受けた書家の川村驥山が、昭和29年に娘を伴って遍路の途中で南光坊の住職と出会い、奉納した菅笠。達筆に驚いた住職の望みに応えたという。
- 見どころは大通智勝如来、川村驥山の菅笠、金比羅堂(讃岐の金比羅宮から勧請した金比羅大権現を祀る堂)。
- 弘法大師は四国巡錫のとき別館に参拝し、坊で御法楽をあげて四国霊場第五十五番札所と定めた。のち、伊予全土におよんだ「天正の兵火」により社殿・伽藍はことごとく焼失したが、南光坊だけが別宮の別当寺として再興された。
- 慶長5年(1600)には藤堂高虎公の祈願所として薬師堂を再建し、江戸時代には藩主・久松公も祈祷所として信仰し、祭祀料を奉納している。
- さらに時代がくだり、明治初年の廃仏毀釈では、社殿に本地仏として奉安していた大通智勝如来と脇侍の弥勒菩薩像・観音菩薩像を南光坊薬師堂に遷座し、別宮大山祇神社と明確に分離した。
- 太平洋戦争最末期の昭和20年8月、空襲により大師堂と金比羅堂を残して罹災した。
- 現在の本堂は昭和56年秋、薬師堂は平成3年春、山門は同10年に再建されている。
- 南光坊周辺の霊跡・奥の院は寺伝に記される。詳細は公式を参照。
- OUV特記:平野部
信仰と物語
- 本尊は大通智勝如来。この地で三島明神を信仰する迷いの夢から覚めてみれば、別宮であってもその本地は同じ仏の垂迹なのだと悟られる。
- 真言は「なむ だいつうちしょう ぶつ」。
- 宝号は南無大師遍照金剛/南無禅定法皇。
- 正式には光明寺金剛院南光坊という。
- 縁起に含まれる伝承は『〜と伝わる』の語り口で扱うこと。
- 御詠歌「このところ三島に夢のさめぬれば 別宮とても同じ垂迹」
- 御詠歌は四国霊場会の札所案内・納経帳などで広く流通し、巡礼の道中で唱えられる。
- 開基は行基菩薩と伝わる。
- 推古天皇御代二年甲寅(594)、勅により大三島に造立された。
- その後、越智玉澄公が文武天皇の勅を奉じ、大宝三年(703)、風波で祭祀がおろそかになるのを憂えて当地に勧請し、「日本総鎮守三島の地御前」と称して奉祭した。
- 弘法大師は四国巡錫のとき別館に参拝し、坊で御法楽をあげて四国霊場第五十五番札所と定めた。のち、伊予全土におよんだ「天正の兵火」により社殿・伽藍はことごとく焼失したが、南光坊だけが別宮の別当寺として再興された。
- 慶長5年(1600)には藤堂高虎公の祈願所として薬師堂を再建し、江戸時代には藩主・久松公も祈祷所として信仰し、祭祀料を奉納している。
- 弘法大師は四国巡錫のとき別館に参拝し、坊で御法楽をあげて四国霊場第五十五番札所と定めた。
参拝の手引き
- 修正会:1月1日〜3日
- 御本尊お口開け:1月9日
- 旧正御影供:旧暦3月21日
- 金毘羅大権現大般若転読:旧暦6月10日
- 霜月大師御影供:12月21日
- 駐車場:あり(無料)
- 電話:0898-22-2916
- 納経時間・拝観料は季節・行事で変わる場合がある。参拝前に電話または公式で確認を推奨。
- 前の第54番延命寺から約4.2km。次の第56番泰山寺へ約3km。
- 今治インターチェンジから国道196号線を進み、片山交差点を左折して今治市街方面へ直進。今治大丸の前を左折し、約500m先の左手にある。
- 〒794-0026 愛媛県今治市別宮町3丁目1番地
写真

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- 境内© DVMG / Wikimedia Commons / CC BY 3.0
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。