第53番 須賀山 正智院 圓明寺

円明寺
本尊阿弥陀如来
おん あみりた ていぜい からうん
御詠歌来迎の弥陀の光の圓明寺 照りそふ影は夜な夜なの月
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第53番は 愛媛県(伊予・菩提の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では53番目です。

縁起と歴史
圓明寺には、四国霊場で最も古いとされる銅板の納札が保存されている。見つけたのはアメリカ人の巡礼者だった。大正13年3月、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしている途中、本尊の阿弥陀如来像を安置する厨子に打ち付けてあるのを見つけたという。慶安3年(1650)の銘があり、江戸時代の初期にあたる。縦24cm、幅9.7cm、厚さ約1mmで、破損のない納札としては現存最古であり、銅板製も例がない。奉納者の樋口平人家次は、京都・五智山蓮華寺の伽藍を再興し、五智如来の石仏を造立したことで知られる。この納札でとくに注目されるのは、初めて「遍路」の文字が記されている点である。縁起によると、天平勝宝元年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされる。当時は和気浜の西山という海岸にあり、「海岸山・圓明密寺」と称したという。のち、弘法大師が荒廃した諸堂を整え、霊場の札所として再興したが、鎌倉時代に度重なる兵火で衰え、元和年間(1615〜24)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移された。さらに寛永13年(1636)、京都・御室の覚深法親王からの令旨により仁和寺の直末として再建され、寺号もそのとき現在のように改められた。圓明寺はまた、聖母マリア像を浮き彫りにしたキリシタン灯籠があることでも知られる。
- 大正13年3月、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしている途中、本尊の阿弥陀如来像を安置する厨子に打ち付けてあるのを見つけた。
- 慶安3年(1650)の銘があり、縦24cm、幅9.7cm、厚さ約1mm。破損のない納札としては現存最古であり、銅板製も例がない。
- 縁起によると、天平勝宝元年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされる。
見どころ・伽藍
- 左甚五郎作の龍本堂の右上、鴨居にあり、5mほどの彫り物。行いの悪い人が見ると目が光るという。
- キリシタン石塔・左甚五郎作の龍・観音堂(十一面観音像を安置。慶長5年の台座銘。)
- 圓明寺には、四国霊場で最も古いとされる銅板の納札が保存されている。
- 大正13年3月、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしている途中、本尊の阿弥陀如来像を安置する厨子に打ち付けてあるのを見つけた。
- キリシタン石塔大師堂の左、塀ぎわに立つ高さ40cmほどの灯籠。キリシタン禁制の時代、この地方には信者が多く、寺では隠れ信者の礼拝を黙認していたようである。
- 左甚五郎作の龍本堂の右上、鴨居にあり、5mほどの彫り物。行いの悪い人が見ると目が光るという。
- キリシタン石塔:大師堂の左、塀ぎわに立つ高さ40cmほどの灯籠。キリシタン禁制の時代、この地方には信者が多く、寺では隠れ信者の礼拝を黙認していたようである。
- 左甚五郎作の龍:本堂の右上、鴨居にあり、5mほどの彫り物。行いの悪い人が見ると目が光るという。
- キリシタン石塔・左甚五郎作の龍・観音堂(十一面観音像を安置。慶長5年の台座銘。)
- 奉納者の樋口平人家次は、京都・五智山蓮華寺の伽藍を再興し、五智如来の石仏を造立したことで知られる。この納札でとくに注目されるのは、初めて「遍路」の文字が記されている点である。
- 縁起によると、天平勝宝元年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされる。
- のち、弘法大師が荒廃した諸堂を整え、霊場の札所として再興したが、鎌倉時代に度重なる兵火で衰え、元和年間(1615〜24)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移された。
- 圓明寺周辺の霊跡・奥の院は寺伝に記される。詳細は公式を参照。
信仰と物語
- 本尊は阿弥陀如来。臨終に来迎する阿弥陀仏の光のように円かに明るい圓明寺、その照り添う光は夜ごとに澄みわたる月のようだ。
- 真言は「おん あみりた ていぜい からうん」。
- 宝号は南無大師遍照金剛/南無興教大師。
- 当時は和気浜の西山という海岸にあり、「海岸山・圓明密寺」と称したという。
- 縁起に含まれる伝承は『〜と伝わる』の語り口で扱うこと。
- 御詠歌「来迎の弥陀の光の圓明寺 照りそふ影は夜な夜なの月」
- 御詠歌は四国霊場会の札所案内・納経帳などで広く流通し、巡礼の道中で唱えられる。
- 開基は行基菩薩と伝わる。
- 縁起によると、天平勝宝元年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされる。
- のち、弘法大師が荒廃した諸堂を整え、霊場の札所として再興したが、鎌倉時代に度重なる兵火で衰え、元和年間(1615〜24)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移された。
参拝の手引き
- 年中行事は霊場会公式サイトを参照。
- 駐車場:あり(無料)
- 電話:089-978-1129
- 納経時間・拝観料は季節・行事で変わる場合がある。参拝前に電話または公式で確認を推奨。
- 前の第52番太山寺から約2.5km。次の第54番延命寺へ約35km。
- 松山インターチェンジから国道33号線を松山市街へ。南環状線・国道196号線と走り、内宮交差点で左折。そのまま直進すると右手に見える。
- 〒799-2656 愛媛県松山市和気町1-182
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


