第63番 密教山 胎蔵院 吉祥寺

吉祥寺
本尊毘沙門天
おん べいしらまんだや そわか
御詠歌身の中の悪しき悲報を打ちすてて みな吉祥をのぞみいのれよ
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第63番は 愛媛県(伊予・菩提の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では63番目です。

縁起と歴史
四国霊場で本尊を毘沙聞天とする札所は、吉祥寺だけである。弘法大師がこの地方を巡教したのは弘仁年間とされる。その折、大師は光を放つ1本の檜を見つけ、一帯に霊気が満ちているのを感得した。大師はこの霊木で本尊の毘沙聞天像を彫り、脇侍として吉祥天像と善膩師童子像も彫って安置した。そして貧苦からの救済を祈願し、堂宇を建立したのが開創と伝えられている。当時の寺は現在地より南東の坂元山にあり、広い寺域に塔頭を21坊ほども有していた。しかし天正13年(1585)、豊臣秀吉による四国攻めの争乱に巻き込まれ、全山を焼失した。その後、江戸時代の万治2年(1659)に末寺の檜木寺と合併し、現在の地に移って再建されたと伝えられる。寺宝に「マリア観音像」(非公開)がある。高さ30cmほどの、純白の美しい高麗焼の像で、その伝来の由縁が興味深い。土佐沖で難破したイスパニア船の船長が長宗我部元親に贈ったもので、元親はマリア像とは知らず、吉祥天のように美しい観音像として代々伝えてきた。そのため徳川幕府のキリスト教禁令でも難を逃れている。寺にはほかに、鎌倉時代の「十二天屏風」、室町時代の「山越阿弥陀三尊像」(紙本著色)などが保存されている。
弘法大師との関わり
四国霊場で本尊を毘沙聞天とする札所は、吉祥寺だけである。
弘法大師がこの地方を巡教したのは弘仁年間とされる。その折、大師は光を放つ1本の檜を見つけ、一帯に霊気が満ちているのを感得した。大師はこの霊木で本尊の毘沙聞天像を彫り、脇侍として吉祥天像と善膩師童子像も彫って安置した。そして貧苦からの救済を祈願し、堂宇を建立したのが開創と伝えられている。
当時の寺は現在地より南東の坂元山にあり、広い寺域に塔頭を21坊ほども有していた。しかし天正13年(1585)、豊臣秀吉による四国攻めの争乱に巻き込まれ、全山を焼失した。その後、江戸時代の万治2年(1659)に末寺の檜木寺と合併し、現在の地に移って再建されたと伝えられる。
- 弘法大師の巡教は弘仁年間とされる。その折、大師は光を放つ1本の檜を見つけ、一帯に霊気が満ちているのを感得した。
- 天正13年(1585)、豊臣秀吉による四国攻めの争乱に巻き込まれ、全山を焼失した。
見どころ・伽藍
- 四国霊場で本尊を毘沙聞天とする札所は、吉祥寺だけである。
- 大師はこの霊木で本尊の毘沙聞天像を彫り、脇侍として吉祥天像と善膩師童子像も彫って安置した。
- くぐり吉祥天女像の下をくぐって子宝・商売繁盛を祈願。
- 成就石金剛杖を通した願いが成就するとされる。
- くぐり吉祥天女お迎え大師の右横にある、本尊毘沙門天の妃で脇侍でもある吉祥天女の像。当寺の名の由来である。あらゆる貧困を取り除き大富貴をもたらす天部の仏として篤い信仰を集めている。この像の下をくぐるとご利益を願う信仰があると伝えられ、「くぐり天女」(きちじょうてんにょ)の名で多くの人に親しまれている。優雅な立ち姿が印象的である。
- 成就石手水鉢の右横にある高さ1mほどの石で、中央下に径30〜40cmの穴があり、金剛杖を通せば願いが叶えられるという。
- くぐり吉祥天女:お迎え大師の右横にある、本尊毘沙門天の妃で脇侍でもある吉祥天女の像。当寺の名の由来である。あらゆる貧困を取り除き大富貴をもたらす天部の仏として篤い信仰を集めている。この像の下をくぐるとご利益を願う信仰があると伝えられ、「くぐり天女」(きちじょうてんにょ)の名で多くの人に親しまれている。優雅な立ち姿が印象的である。
- 成就石:手水鉢の右横にある高さ1mほどの石で、中央下に径30〜40cmの穴があり、金剛杖を通せば願いが叶えられるという。
- 大師はこの霊木で本尊の毘沙聞天像を彫り、脇侍として吉祥天像と善膩師童子像も彫って安置した。そして貧苦からの救済を祈願し、堂宇を建立したのが開創と伝えられている。
- 当時の寺は現在地より南東の坂元山にあり、広い寺域に塔頭を21坊ほども有していた。
- 吉祥寺周辺の霊跡・奥の院は寺伝に記される。詳細は公式を参照。
信仰と物語
- 本尊は毘沙門天。わが身の内にある悪しき災い(悲報)をすべて打ち捨てて、皆が吉祥(めでたい幸い)を望み、祈りなさい。本尊吉祥にあやかって。
- 真言は「おん べいしらまんだや そわか」。
- 宝号は南無大師遍照金剛。
- 縁起に含まれる伝承事項は『〜と伝わる』の語り口で扱うこと。
- 縁起に含まれる伝承は『〜と伝わる』の語り口で扱うこと。
- 御詠歌「身の中の悪しき悲報を打ちすてて みな吉祥をのぞみいのれよ」
- 御詠歌は四国霊場会の札所案内・納経帳などで広く流通し、巡礼の道中で唱えられる。
- 開基は弘法大師と伝わる。
- 弘法大師がこの地方を巡教したのは弘仁年間とされる。その折、大師は光を放つ1本の檜を見つけ、一帯に霊気が満ちているのを感得した。
- 大師はこの霊木で本尊の毘沙聞天像を彫り、脇侍として吉祥天像と善膩師童子像も彫って安置した。そして貧苦からの救済を祈願し、堂宇を建立したのが開創と伝えられている。
参拝の手引き
- 毘沙聞天初会式(護摩供):1月3日
- 花まつり(甘茶接待):旧4月8日
- 駐車場:なし ※近隣に有料駐車場あり
- 電話:0897-57-8863
- 納経時間・拝観料は季節・行事で変わる場合がある。参拝前に電話または公式で確認を推奨。
- 前の第62番宝寿寺から約1.3km。次の第64番前神寺へ約3.2km。
- いよ小松インターチェンジから国道11号線を西条市方面へ、氷見小前交差点を過ぎてすぐの左手にあります。
- 〒793-0072 愛媛県西条市氷見乙1048
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


