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きゅうり加持とは

きゅうり加持は、きゅうりを病や厄を託す依代として用い、無病息災を祈る寺院の加持祈祷です。「きゅうり封じ」とも呼ばれます。

夏の土用の丑の日前後に、京都・徳島・山口・東京・岡山・静岡など全国の寺院で行われ、近年ではハワイの日系コミュニティでも継承されている、宗派を超えた祈りの形です。

祈りのかたち、三つの歩み

病や厄を託す

病や厄を、きゅうりという一本の依代よりしろに託します。

加持して祈る

僧が印いんを結び真言マントラを誦し、本尊を念じて、仏さまのお力を加持します。

土へ還す

厄を受けたきゅうりを土に埋め、自然へとお還しします。

「加持」とは何か

「加持」という言葉は、サンスクリット語の adhiṣṭhānaアディシュターナ の漢訳語です。「加(仏のお力が加わる)」と「持(私たちがそれを受けとめる)」の二字で、双方向のお働きを表します。

お大師さまは『即身成仏義』というお書物の中で、こう説かれました。

漢文原文 『即身成仏義』加持釈(『大正新脩大蔵経』第77巻 No.2428、弘法大師撰)

加持者表如來大悲與衆生信心。佛日之影現衆生心水曰加。行者心水能感佛日名持。

  • SAT 大蔵経

日本語訳

加持とは、如来の大悲と衆生の信心とを表す。仏日(仏という太陽)の影が、衆生の心水しんすい(心の水面)に現れることを「加」と曰う。行者の心水が能よく仏日を感ずることを「持」と名づく。

仏という太陽の光が、私たちの心の水面に映る。私たちはその光を感じ取る。その双方向のお働きを「加持」と呼ぶのです。きゅうり加持では、このお働きをきゅうりという一つの依代よりしろに集めて、身代わりとなっていただきます。

きゅうり加持の理論的支柱は、お大師さまの『即身成仏義そくしんじょうぶつぎ』に説かれた「三密加持さんみつかじ」です。

お大師さまは、加持がすみやかに成就する根拠を、『即身成仏義』の「即身成仏頌(二頌八句)」にこう示されました。

漢文原文 『即身成仏義』即身成仏頌・二頌八句(『大正新脩大蔵経』第77巻 No.2428、弘法大師撰、9世紀前半)

六大無礙常瑜伽 四種曼荼各不離
三密加持速疾顯 重重帝網名即身

法然具足薩般若 心數心王過剎塵

各具五智無際智 圓鏡力故實覺智

  • SAT 大蔵経

日本語訳

六大 無碍にして常に瑜伽ゆが(相応・一体)なり。
四種曼荼、各々離れず。
三密加持すれば、速疾そくしつに顕あらわる。
重重帝網(インドラの宝網)なるを即身と名づく。
法然に薩般若さはんにゃ(一切智)を具足して、
心数心王、刹塵せつじん(無数の微塵)に過ぎたり。
各々 五智・無際智を具し、
円鏡力のゆえに実覚智なり。

第三句の 「三密加持速疾顕」 が、きゅうり加持の理論的支柱です。三密とは、私たちの身体・言葉・心の三つの働き。これが如来の三密と一つに重なるとき、「速疾」、すなわち、すみやかに、仏の働きが姿を現すと説かれます。

三密働き所作
身密しんみつ身体の働き印いんを結ぶ
口密くみつ言葉の働き真言マントラを誦する
意密いみつ心の働き本尊を観想する

三密の働きが、仏さまの三密と一つに重なるとき、私たちはこの身このままで、仏さまのお力と一体になる。これが、お大師さまの密教の核心です。きゅうり加持は、この三密のお働きを、きゅうりという一つの依代に向けて集める修法です。

なぜ「もの」に仏の働きが宿るのか

さらに、お大師さまが請来された『大日経』の代表的注釈である『大日経疏だいにちきょうしょ』にも、三密加持の核心がはっきりと説かれています。

漢文原文 『大日経疏』巻五(『大正新脩大蔵経』第39巻 No.1796、善無畏述・一行記、唐・8世紀前半)

今此真言門中、以如來三密淨身為鏡、自身三密行為鏡中像、因縁有悉地生、猶如面像。

  • CBETA Online

日本語訳

いま、この真言門のなかにおいては、如来の三密という清浄身を鏡となし、自身の三密の行を鏡中の像となす。因縁によって悉地しっじ(成就)が生ずることは、ちょうど顔と鏡像の関係のごとくである。

きゅうり加持で、僧の三密がきゅうりという物に向けられ、本尊の働きがきゅうりに映し出されるという構造は、まさにこの「鏡と鏡中の像」の譬えたとえの延長線上にあります。物を依代よりしろとして、仏の働きが衆生の願いに届く。お大師さまの遺した教えが、後のきゅうり加持の足場となりました。

お大師さまは『即身成仏義』で、こう説かれました。

六大無礙ろくだいむげにして常に瑜伽ゆがなり。

地・水・火・風・空・識の六大は、森羅万象を成り立たせる根本として説かれます。『即身成仏義』では、六大によって成る身が互いに妨げなく関わり、常に相応していることを「六大無礙にして常に瑜伽なり」と示します。

そのため密教では、きゅうりのような具体的な物も、ただの物として終わるのではなく、仏さまの加持を受ける依代となりえます。きゅうり加持は、ものを通して仏さまの働きをいただく、密教の祈りとして理解することができます。

祈りの古層、慈悲をもって護るということ

仏教が成立した頃、加持の語源にあたるパーリ語 adhiṭṭhānaアディッターナ(サンスクリット adhiṣṭhāna に対応)が「決住けつじゅう・誓願」として、十波羅蜜の第八に位置づけられました。波羅蜜はらみつとは、悟りに至る菩薩の徳目のことです。

パーリ原文 『仏種姓経』第二章「スメーダの誓願」(Buddhavaṃsa 2, Sumedhapatthanākathā)151・154

Vicinanto tadā dakkhiṃ, aṭṭhamaṃ adhiṭṭhānapāramiṃ. ...
Adhiṭṭhānapāramitaṃ gantvā, Sambodhiṃ pāpuṇissasi.

  • SuttaCentralで読む

日本語訳

求道のうちに、私は第八の徳である「不退転の決意の波羅蜜」を見出した。
……
その決意の波羅蜜を究めたとき、あなたはついに完全なる悟りへ至るだろう。

また初期仏教には、パリッタ(paritta、護経・護りの経)と呼ばれる、身を護るために唱えられる言葉の伝統が見えます。仏教には、ただ災いを恐れるのではなく、仏への帰依と慈しみの心をもって、身を護り、場を清める祈りが早くから伝えられてきました。

なかでも『蘊護経うんごきょう(Khandhaparitta)』は、蛇の害をきっかけに説かれた護りの言葉です。世尊は、蛇を憎んで退けるのではなく、四つの蛇王族を慈しみの心で包むことを、自己防護のためのパリッタとして許されました。

パーリ原文 『増支部経典』第四集第六十七「蛇王経(Aṅguttaranikāya 4.67 Ahirājasutta)」

Anujānāmi, bhikkhave, imāni cattāri ahirājakulāni mettena cittena pharituṁ attaguttiyā attarakkhāya attaparittāyāti.

Sabbe sattā sabbe pāṇā, sabbe bhūtā ca kevalā;

Sabbe bhadrāni passantu, mā kañci pāpamāgamā.

Ahivicchikā satapadī, uṇṇanābhī sarabū mūsikā;

Katā me rakkhā katā me parittā, paṭikkamantu bhūtāni;

  • SuttaCentralで読む

日本語訳

世尊は言われました。「比丘たちよ、私は、自分を守るため、身を護るため、自分の護りとするために、この四つの蛇王族を慈しみの心で包むことを許します。」

すべての衆生、すべての息あるもの、すべての生きものが、残らず幸いを見ますように。誰にも悪しきことが訪れませんように。
蛇、さそり、百足、蜘蛛、やもり、鼠よ。私の護りはなされました。私のパリッタはなされました。生きものたちは退いてください。

この祈りは、危険なものを憎しみで押し返すのではありません。害を及ぼしうる存在までも慈しみで包み、仏の前で「護りはなされた」と唱えます。そこには、恐れを慈悲へ変え、言葉によって身と心を整える仏教の力があらわれています。

きゅうり加持もまた、病や災いをただ敵として追い払う祈りではありません。真言を唱え、本尊を念じ、きゅうりを身代わりとして、苦しみが離れていくことを祈ります。初期仏教のパリッタに見える「慈悲をもって護る」という心は、時代を越えて、加持祈祷の祈りの底にも流れています。

典拠:ヴィパッサナー研究所(VRI)刊『第六結集パーリ三蔵(Chaṭṭha Saṅgāyana Tipiṭaka)』所収。『仏種姓経(Buddhavaṃsa)』第二章「スメーダの誓願(Sumedhapatthanākathā)」151・154、および『増支部経典(Aṅguttaranikāya)』第四集第六十七「蛇王経(Ahirājasutta)」。パリッタは、初期仏教に見える護身のための唱えごととして紹介しています。

なぜきゅうりを用いるのか

きゅうりは、病や厄を祈りの中で受け止める器として用いられます。

細長く、手で持って身体を撫でやすく、夏の土用に身近な作物であること。その具体的な形と季節感が、きゅうりを依代として受け止めやすいものにしています。

人体に見立てる「代受苦だいじゅく」の智慧

仏教には「代受苦だいじゅく」という言葉があります。他の存在が苦しみを代わって受け止めるという、慈悲の働きをあらわす言葉です。

きゅうり加持では、きゅうりを願主さまの身代わりとして見立てます。病や厄をそのまま抱え込むのではなく、祈りの中で仏さまへお預けするための受け皿として用いるのです。

代受苦の智慧ときゅうり加持

土用の身体感覚と、旬のきゅうり

土用の頃は、暑さと季節の変わり目が重なり、体調を崩しやすい時期です。水気を多く含むきゅうりは、その季節の身体感覚に近い作物です。

中国の本草学でも、きゅうりは身体を冷やす作物として語られてきました。夏の不調を仏前に託す祈りに、旬の作物を用いることには、生活の実感に根ざした自然さがあります。

きゅうりの水分と冷やす力

五来重氏が見た、きゅうりという祈りの器

仏教民俗学の大家・五来重氏(1908〜1993、高野山大学・大谷大学教授)は、ご著書『宗教歳時記』(角川選書、1982年。角川ソフィア文庫、2010年再刊)のなかで、きゅうり加持を含む夏の祈りと、きゅうりの信仰について触れています。

胡瓜は水神の供物にされる伝統があり、ヒョウタンと同じく霊的なものを入れておく容器になりうると考えられていた。

難しく言えば、きゅうりは「霊的なものを受け止める器」と見られていた、ということです。もっと平たく言えば、きゅうりは水をたっぷり含む夏の瓜であり、神仏への供物にも、病や厄を預ける身代わりにもなりやすいものとして受け止められてきた、ということです。

同じ瓜の仲間では、瓢箪ひょうたんも、古くから薬を入れる器、魔除けの器として大切にされてきました。中が空洞で、何かを納めることができる瓜類は、東アジアの信仰の中で「受け止めるもの」「守るもの」として見られやすかったのでしょう。

だからこそ、きゅうり加持では、きゅうりに病や厄を託します。きゅうりそのものに不思議な力があるというより、身近で水気を含んだ一本のきゅうりを、仏さまの加持をいただくための器として用いるのです。

古い祈りの言葉にも、瓜が自然に離れる姿を、束縛から解き放たれる比喩として読む感覚が見えます。

古代インドの聖典『リグ・ヴェーダ』第七巻 7.59.12 には、「熟した瓜が蔓から離れるように」という祈りの言葉が残されています。

サンスクリット原文(デーヴァナーガリー)

त्र्यम्बकं यजामहे सुगन्धिं पुष्टिवर्धनम् ।
उर्वारुकमिव बन्धनान्मृत्योर्मुक्षीय माऽमृतात् ॥

IAST 転写

tryambakaṃ yajāmahe sugandhiṃ puṣṭi-vardhanam |
urvārukam-iva bandhanān mṛtyor mukṣīya mā ’mṛtāt ||

日本語訳

三つの眼をもつ聖なる御方を、私たちは祈り敬います。
その御力は香りのように満ち、生命を育み、力を与える。
熟した実が自然に蔓から離れるように、
私たちを死の束縛から解き放ち、
永遠のいのちへと導きたまえ。

この祈りが、そのまま日本のきゅうり加持の起源である、という意味ではありません。しかし、瓜が蔓から自然に離れる姿を、束縛からの解放として読む感覚は、病や厄が身から離れることを願うきゅうり加持を考えるうえで、一つの深い補助線になります。

典拠:『リグ・ヴェーダ本集(Ṛgveda-saṃhitā)』第七巻 7.59.12。この箇所は中期マンダラに属し、ヴァシシュタ家集成に含まれます。テキストは、ゲッティンゲン大学のインド語電子テキスト登録「GRETIL」所収の詞別誦本(Padapāṭha)に拠ります。

  • GRETIL 詞別誦本(Padapāṭha)

弘法大師伝来と、きゅうり加持の歩み

きゅうり加持は、弘法大師が唐から伝えた密教の祈りに連なります。その源は唐の密教経軌にさかのぼり、平安の宮廷、中世の寺院をへて、各地の夏の祈りとして広まりました。

  1. 紀元 7 世紀 唐の都・長安

    冬瓜を護摩に供え、災いをしずめる祈り

    唐の都・長安で訳された密教の儀礼文献には、冬瓜や冬瓜の蔓を護摩の火に供える作法が記されています。瓜は、ただ食べるための作物ではなく、目に見えない災いや病の気配をしずめ、祈りを仏天へ届けるための供物でもありました。

    唐の阿地瞿多あぢくた(Atikūṭa)が永徽5年(654年)に訳した『陀羅尼集経だらにじっきょう』には、護摩の火にさまざまな供物を捧げ、鬼神や天部を歓喜させる作法が並びます。その中に、冬瓜を少しずつ火に供える一節があります。

    漢文原文 『陀羅尼集経』巻第十(『大正新脩大蔵経』第18巻 No.901、阿地瞿多訳、唐・永徽5年〔654年〕)

    又法、若取具嚧陀木一千八段、一一呪已、呪一遍火中燒盡、一切鳩盤荼・藥叉等鬼神皆悉歡喜。
    又法、若火燒冬瓜少少、一千八遍并呪者、一切魍魎皆悉歡喜。

    又法、若取塚墓之樹木一千八段與胡麻相和、火燒一千八遍并呪者、一切大惡鬼神歡喜。

    • CBETA Online

    日本語訳

    別の作法。具嚧陀木くろだぼく(ニグローダ樹に似る木)を千八段取り、それぞれ呪を誦したうえで、一遍ごとに火に供える。そうすれば、鳩盤荼くばんだ・薬叉やくしゃなどの鬼神はみな歓喜する。
    別の作法。冬瓜を少しずつ火に供え、呪とともに千八遍行えば、魍魎もうりょうはみな歓喜する。
    別の作法。塚墓の樹木を千八段取り、胡麻と合わせて、呪とともに千八遍火に供えれば、すべての大悪鬼神は歓喜する。

    護摩の火に冬瓜を供え、真言を重ねる。そこでは、病や災いをもたらすと恐れられた目に見えないものたちも、祈りの場の中でしずめられていきます。瓜は、火と真言の中で災いをやわらげる供物として用いられていました。

    唐の不空三蔵ふくうさんぞう(Amoghavajra、705〜774)が訳した『聖迦抳忿怒金剛童子菩薩成就儀軌経しょうかじふんぬこんごうどうじぼさつじょうじゅぎききょう』には、さらに踏み込んで、鳩盤茶鬼を降伏するために冬瓜の蔓藤を護摩に用いる作法が説かれています。

    漢文原文 『聖迦抳忿怒金剛童子菩薩成就儀軌経』巻中(『大正新脩大蔵経』第21巻 No.1222a、不空訳、唐)

    又法欲降伏鳩盤茶鬼、取冬瓜蔓藤長十指截一千八莖、搵酥護摩、誦真言一千八遍、一遍一擲火中、其鬼即皆降伏。

    • CBETA Online

    日本語訳

    また、鳩盤茶鬼くばんだきを降伏させようとする作法。冬瓜の蔓藤を十指ほどの長さに切り、千八茎を用意する。これを酥バターに浸して護摩を行い、真言を千八遍誦する。一遍ごとに一茎を火中に投じれば、その鬼はみな降伏する。

    ここで火に投じられるのは、冬瓜の実ではなく蔓藤です。実を火に供える作法と、蔓を火に投じる作法。姿は異なりますが、どちらにも、瓜という具体物を通して、見えない災いを鎮めるという祈りの感覚が通っています。

    鳩盤荼・鳩盤茶について、慧琳『一切経音義』には「冬瓜鬼」「面や腹が冬瓜に似る」といった説明も見えます。冬瓜は、災いをもたらす鬼神の姿を思わせるものでもあり、またその災いを仏の火に預けるための供物でもありました。

    きゅうり加持では、きゅうりに病や災いを移し、最後に土へ還します。唐代の文献に見える冬瓜の護摩にも、瓜を祈りの器とし、災いを仏のはたらきにゆだねる心があらわれています。時代も作法も異なりますが、身近な瓜を前にして災いがしずまることを願う祈りは、静かに響き合っています。

    典拠:『大正新脩大蔵経』第18巻 No.901『陀羅尼集経』巻第十 0873c01-c08(阿地瞿多訳)、同 第21巻 No.1222a『聖迦抳忿怒金剛童子菩薩成就儀軌経』巻中 0112c26-c28(不空訳)、および第54巻 No.2128『一切経音義』の鳩盤荼関連項。テキストは中華電子佛典協會(CBETA)所収。

  2. 紀元 9 世紀 お大師さまの密教将来

    弘法大師、密教を将来する

    お大師さま(774〜835)は、延暦23年(804年)から大同元年(806年)にかけて唐に渡り、長安・青龍寺の恵果阿闍梨けいかあじゃりから両部の灌頂かんじょうを受け、密教の正系を日本に将来しました。きゅうり加持を支える「加持」と「三密加持」の教えは、このとき体系づけられました(くわしくは「加持」とは何か)。

    典拠:『大正新脩大蔵経』第77巻 No.2428『即身成仏義』(弘法大師撰、9世紀前半)、ならびに同 第39巻 No.1796『大日経疏』巻五(善無畏述・一行記)。テキストは中華電子佛典協會(CBETA)所収。

  3. 十世紀末〜十一世紀初頭の宮廷説話 古今著聞集・元亨釈書所収

    瓜への加持、藤原道長の御前で

    鎌倉末の虎関師錬こかんしれん(1278〜1346)が撰した日本仏教史『元亨釈書げんこうしゃくしょ』巻第四「慧解二之三」釋勸修伝しゃくかんじゅでんに、興味深い逸話が伝わります。藤原道長(966〜1028)のもとに夏の瓜が届けられ、道長から厚く帰依を受けていた勸修かんじゅ(945〜1008、天台宗・園城寺長吏)、陰陽師・天文博士の安倍晴明(921〜1005)、医師の丹波重雅たんばのしげまさ(946〜1011)が居合わせた、その折のお話です。

    漢文原文 『元亨釈書げんこうしゃくしょ』巻第四(虎関師錬撰、元亨2年〔1322年〕成立、全30巻。CBETA 補編 No.B0173 所収)

    開門納之。于時修在座。大史安晴明、大毉重雅預焉。
    相國顧安大史曰。家裏有齋祓、不知此瓜可嘗不。

    晴明曰。瓜中有毒不可輙啖也。

    相國語修曰。許多瓜子何為毒乎。

    修誦呪加持。忽一瓜宛轉騰躍。一座驚恠。

    重雅乃袖出一針針瓜、其動便止。割見中有毒蛇、針中其眼。蓋術家之言是也。

    • CBETA Online

    日本語訳

    門を開いて〔瓜を〕納れ入れさせた。その時、修じゅ(勸修かんじゅ)が座におり、太史たいし(天文博士の唐名)の安倍晴明、大医たいい(典薬寮の医師)の丹波重雅たんばのしげまさ(946〜1011、後の典薬頭)も同席していた。
    相国しょうこく(道長)は晴明を顧みて言った。「家中で齋祓を行ったところでもあり、この瓜は食して良いものかどうか」。
    晴明「瓜の中に毒があります。たやすく食すべきではありません」。
    相国しょうこくは修じゅに向かって「これほど多くの瓜のうち、何が毒となろうか」と問うた。
    修じゅは呪を誦して加持を施した。すると一個の瓜がにわかに転がり跳ね上がった。一座は驚き怪しんだ。
    重雅は袖から針を取り出して瓜を刺すと、その動きはすぐに止まった。割って見ると中に毒蛇がおり、針はその眼を貫いていた。陰陽師の言は正しかったのである。

    この逸話には、瓜と加持が結びついて語られた、古い日本の祈りの感覚がよくあらわれています。瓜の中にひそむ災いが、僧の誦む呪と加持によって動き出し、医師の針によって鎮まる。目に見えない不安を、仏の力をいただきながら受け止め、しずめていく。一本の瓜を前に、病や厄が離れていくことを願う心が、ここにも静かに息づいています。

    典拠:虎関師錬撰『元亨釈書』巻第四「慧解二之三」釋勸修伝。類話は『古今著聞集』巻第七「術道第九」第295話にも伝わります。

  4. 中世 12〜16 世紀

    寺院の祈りとして受け継がれる

    中世になると、密教の祈りは寺院の堂内だけにとどまらず、病や災いに向き合う人々の暮らしの中へ深く広がっていきました。真言、護符、加持、身代わり、土に還す作法は、各地の寺院の祈りと結びつきながら、生活を護る祈りとして受け継がれていきます。

    きゅうり加持も、そのような祈りの流れの中で熟してきました。きゅうりを身代わりとして、病や災いを移し、仏の加持をいただいて土へ還す。そこには、密教の三密加持と、修験道の病封じ、そして夏を無事に越したいという庶民の願いが重なっています。お経と真言の力を、一本のきゅうりという身近なものに託すところに、この祈りの具体性があります。

明治の移民とともに、きゅうり加持は海を越えてハワイにも伝わりました(くわしくは海を越えて根付く祈り、ハワイのきゅうり加持)。現在は真言宗をはじめ宗派を超えて全国の寺院で、またオンラインでも受け継がれています。実施寺院は全国のきゅうり加持 実施寺院一覧をご覧ください。

八坂神社のきゅうり禁忌、もう一つのきゅうりの物語

実は、京都の八坂神社の氏子は、伝統的にきゅうりを食べないとされてきました。

理由は二つあります。一つは、八坂神社の神紋「五瓜に唐花ごかにからはな」がきゅうりの断面に似ていること。もう一つは、八坂神社の祭神・牛頭天王ごずてんのうが、追われた際にきゅうり畑に隠れて命拾いをしたという伝承です。神さまが命拾いしたきゅうりを、氏子が食べるのは恐れ多い、という信仰です。

五瓜に唐花

きゅうりの断面

きゅうりの輪切りの断面
五瓜に唐花の紋と、きゅうりの輪切りの形を並べて見比べます。神紋ときゅうりの輪切り、似てますね
  • 紋画像: Mukai / Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)

このきゅうり禁忌は、八坂神社の分社・祇園信仰浸透地域に全国分布することが、民俗学者・鈴木棠三すずきとうぞう『日本俗信辞典 動・植物編』(角川書店、1982年。後に分冊化、角川ソフィア文庫『植物編』2020年)で確認されています。

江戸時代の刊本『和漢三才図会』正徳二年(1712)にも、こう記されています。

祇園社では、胡瓜を食べることを強く戒める。木瓜花形の神紋に似るためである。

きゅうりと祇園信仰の結びつきは、少なくとも江戸初期に遡ることが、確実な刊本史料によって裏付けられます。

きゅうりを、ただの野菜として扱わない信仰

八坂神社の氏子には、きゅうりを食べないという習わしが伝わります。一方、きゅうり加持では、きゅうりを仏前に供え、病や厄が離れることを祈ります。

食べないのは、神仏にかかわるものとして慎むため。祈りに用いるのは、病や厄を受け止めるものとして仏さまにお預けするため。どちらにも、きゅうりをただの夏野菜としてではなく、祈りにかかわる特別なものとして大切に扱う心が見えます。

海を越えて根付く祈り、ハワイのきゅうり加持

きゅうり加持の伝統は、日本だけにとどまりません。遠く太平洋を越えたハワイの地でも、この祈りの文化が大切に受け継がれています。

19世紀後半(1885年以降)、サトウキビ・プランテーションの労働者として太平洋を渡った日系移民の方々。新天地での過酷な労働と異文化の中で、彼らは故郷の信仰を、心の支えとして大切に抱き続けました。医療資源が限られていたプランテーションで、お祈りは生きるための支えでもありました。

特に「大師講だいしこう」と呼ばれる弘法大師信仰の集まりは、医療と宗教が一体となった治療儀礼として機能してまいりました。立命館大学・守屋友江氏の研究「戦前のハワイにおける日系仏教教団の諸相」(『立命館言語文化研究』20-1、2008)が、この歴史を詳細に明らかにしています。

ハワイのきゅうり加持 日系移民が受け継ぐ祈り

現代のハワイで続くきゅうり加持

現代のハワイには、高野山真言宗ハワイ開教区に属する12か寺の寺院が、オアフ島・マウイ島・ハワイ島・カウアイ島にあります。それらの多くのお寺で、きゅうり加持が夏の祈りとして受け継がれています。

確認できる例として、カウアイ島のワイメア真言寺、ハワイ島ホノムのホノム遍照寺、オアフ島ハレイワのハレイワ弘昭寺で、Cucumber Blessing または Kyuri Kaji Blessing としての実施記録が残っています。これらの寺院は、全国のきゅうり加持 実施寺院一覧にも国内寺院と同じ形式で掲載しています。

参照:The Garden Island、ワイメア真言寺 公式発信、ホノム遍照寺 関連イベント情報、ハワイ報知。

  • The Garden Island
  • ワイメア真言寺
  • ホノム遍照寺 関連イベント情報
  • ハワイ報知

比較民俗、身体と災厄をめぐる祈りの中で

きゅうり加持は、苦しみをただ心の中で受け止めるのではなく、きゅうりという具体物に託して祈る儀礼です。似た発想は、形代、紙の替身、贖いの供物、魂を呼び戻す儀礼など、東アジアとその周辺にも見られます。

地域・系統媒介物祈りの働き
日本のきゅうり加持きゅうり・護符願主の病や厄を託し、加持して土へ還す
日本の大祓人形・形代身体を撫で、息を吹きかけて穢れを移し、祓いへ送る
台湾道教・民間信仰紙の替身・紙人災厄を受ける身代わりを立て、本人から離す
朝鮮半島の民間信仰藁の人形厄や災いを人形に負わせ、本人の代わりに送る
チベット仏教gludルー・torma人や共同体に代わる供物を出し、災いを遠ざける
東南アジアの魂呼びBaci / Riak Khwanリアク・クワン離れた魂を呼び戻す。身代わり封じとは別系統だが、身体と魂の回復を願う

比較できる点は、苦しみや災いを抽象的なものとして扱わず、身体に触れる物、紙の人形、供物、魂を呼ぶ声など、具体的なかたちを通して祈ることです。その中で、きゅうり加持には次の特徴があります。

  1. きゅうりを、撫で身に使える生の依代として用いる。細長く、水気を含み、夏の土用の身体感覚と結びつく作物です。
  2. 護符・真言・加持・土へ還す作法が一つになっている。病や厄をきゅうりへ託し、仏前で加持して、最後は土へ還します。
  3. 盛夏の土用に、無病息災を願う季節儀礼として行われる。暑さと季節の変わり目に、身体の無事を祈る行事です。
  4. 寺院ごとに作法は異なりながら、全国に分布している。密教寺院だけでなく、地域の信仰や夏の年中行事としても受け継がれています。

よくあるご質問(教義編)

暑さで体調を崩しやすい夏土用に、土へ厄を還す作法として、無病息災を祈るためです。

各地の寺院で弘法大師伝来の祈りとして伝えられてきた作法を、平等寺でも三密加持の教えにもとづく祈祷として大切にお勤めする、という意味です。

主要参考文献と典拠

本ページは、原典資料の網羅検索に基づいて編纂しています。記述の典拠となる主要文献を、ここにご紹介申し上げます。

一次経典・原典

  • 『リグ・ヴェーダ』第七巻 7.59.12「ウルヴァールカ偈」(紀元前1500〜1200年頃)
  • 『仏種姓経』第二章「スメーダの誓願」(Buddhavaṃsa 2, Sumedhapatthanākathā)151・154
  • 『増支部経典』第四集第六十七「蛇王経(Aṅguttaranikāya 4.67 Ahirājasutta)」
  • 『陀羅尼集経』T18n0901 巻第十(阿地瞿多訳、唐・永徽5年〔654年〕、全12巻)
  • 『聖迦抳忿怒金剛童子菩薩成就儀軌経』T21n1222a 巻中(不空訳、唐)
  • 『大日経疏』T39n1796 巻第五(善無畏述・一行記、唐・8世紀前半)
  • 『即身成仏義』T77n2428(弘法大師撰、9世紀前半)
  • 『御請来目録』T55n2161(弘法大師撰)
  • 『元亨釈書』B32n0173 巻第四「慧解二之三」釋勸修伝(虎関師錬撰、元亨2年〔1322年〕)
  • 『古今著聞集』巻第七「術道第九」第295話(橘成季編、建長6年〔1254年〕)

本草・字書・歳時記

  • 孟詵『食療本草』(唐・開元年間713〜741)
  • 賈思勰『斉民要術』巻二「種瓜第十四」(北魏・533〜544)(維基文庫)
  • 李時珍『本草綱目』菜部巻28(明・1596)
  • 慧琳『一切経音義』T54n2128(唐・807)
  • 源順『和名類聚抄』巻十七「菓蓏部」瓜類(承平年間934頃)
  • 寺島良安『和漢三才図会』巻第七十二之本「山城」祇園社の項(正徳2年〔1712年〕、全105巻)

民俗学・宗教学研究

  • 五来重『宗教歳時記』角川選書、1982年。角川ソフィア文庫、2010年再刊。夏の部「水無月の川祭と胡瓜」所収
  • 鈴木棠三『日本俗信辞典 動・植物編』角川書店、1982年(後に『植物編』として角川ソフィア文庫、2020年)
  • 三井英光『加持祈祷の原理と実修』『加持力の世界』東方出版・法藏館
  • 守屋友江「戦前のハワイにおける日系仏教教団の諸相」『立命館言語文化研究』第20巻第1号(2008年)pp.115-159
  • Pamela D. Winfield "Curing with Kaji: Healing and Esoteric Empowerment in Japan" Japanese Journal of Religious Studies, Vol. 32, No. 1(2005年)pp.107-130(JSTOR)
  • 小山聡子「摂関期の疫病治療における加持祈祷」二松学舎大学論集、2015年
  • 佐々木大樹「土砂加持儀礼の成立と展開」『印度学仏教学研究』2019年

オンライン一次資料データベース

  • 中華電子佛典協會 CBETA Online 漢訳大蔵経の網羅的電子テキスト
  • SAT 大正新脩大藏經テキストデータベース 東京大学
  • SuttaCentral パーリ三蔵・阿含経の多言語版
  • VRI Tipiṭaka ヴィパッサナー研究所の第六結集パーリ三蔵
  • GRETIL ゲッティンゲン大学のインド語電子テキスト登録
  • 国立国会図書館デジタルコレクション 日本古典籍の原本画像
  • ctext.org/維基文庫 漢籍電子テキスト

本ページでは、弘法大師伝来のきゅうり加持をお伝えするため、以上の原典・研究資料を背景資料として参照しています。文献・寺院伝承・民俗資料の関係は、本文中でできるだけ分けて記しています。

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