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平等寺を知る

平等寺の歴史

平等寺は、弘仁5年(814年)に弘法大師空海が開いたと伝わります。寺名は、薬師如来の「人々の苦しみを平等に癒やす」という誓いに由来するとされます。戦乱で荒れた伽藍は江戸時代に照俊法印らが再建し、歴代住職が守り継いできました。現在は、2034年の弘法大師御入定1200年御遠忌に向けて、堂宇と文化財の修繕を進めています。

山裾に広がる平等寺の全景

開創の伝承

平等寺の始まり

『平等寺由来記』は、古松に掛かった金の蓮華、瑠璃の光の中に現れた薬師如来、その誓いから生まれた寺号を、平等寺の始まりとして伝えています。

「我衆生の苦を醫し去ること平等不偏なるべきぞ」
私は人々の苦しみを、分け隔てなく平等に癒やし去る。

弘仁5年(814年)の3月中旬、弘法大師空海はこの地を訪れ、伽藍を開く場所を探していました。山に登り、「密教を広めるにふさわしい地なら、しるしを現したまえ」と金の蓮華を投じると、古松の枝に掛かって八方に輝いたといいます。

瞑想を続ける大師の前に、瑠璃色の「鑁(ばん)」の字が現れ、やがて薬師如来のお姿になりました。大師は、一刀ごとに三度礼拝する「一刀三礼」の作法で、薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、十二神将を自ら刻み、伽藍を開いたと伝わります。

薬師如来は「人々の苦しみを分け隔てなく平等に癒やし去る」と誓ったとされます。その言葉から、寺号を「平等寺」と定めたと伝わります。

平等寺由来記を現代語で読む

名に残る由来

寺号・山号と二つの院号

平等寺には、寺号の「平等寺」、山号の「白水山」、院号の「醫王院」と「日光院」があります。ここでは、現在用いる二つの院号を示したうえで、『平等寺由来記』に記された日光院のいわれをご紹介します。

寺号

平等寺(びょうどうじ)

薬師如来の「人々の苦しみを分け隔てなく平等に癒やし去る」という誓いにちなみ、寺号を「平等寺」と定めたと伝わります。

山号

白水山(はくすいざん)

弘法大師が独鈷(とっこ。密教で用いる仏具)で岩に穴を開けると、乳のように白い水が湧いたと伝わります。この霊水が山号「白水山」の由来です。水は今も「弘法の霊水」として境内に湧いています。

院号

醫王院(いおういん)

本堂の本尊である薬師如来の別名「醫王善逝(いおうぜんぜい)」にちなむ院号です。現在、平等寺は「醫王院」と「日光院」の二つの院号を用いています。

院号

日光院(にっこういん)

『平等寺由来記』は、朝の加持水に映った日光が院内を照らしたと伝えます。その光を十一面観音のお姿と受け止め、方丈(住職の居室)の本尊としてお祀りしたことが、院号「日光院」の由来です。

年表

開創以降の歩み

開創については寺伝を、南北朝期以降については文書や寺に残る記録をもとに、平等寺の節目を時代順にたどります。

  1. 弘仁5年(814年)

    弘法大師空海の開創伝承

    『平等寺由来記』は、弘法大師が薬師如来を刻んで安置し、伽藍を開いたと伝えます。

    • 山上から投じた金の蓮華が古松に掛かり、八方に輝いたことを、開創のしるしとして伝えています。
    • 瑠璃色の「鑁」の字が薬師如来のお姿となり、大師は一刀三礼で薬師如来、日光・月光両菩薩、十二神将を刻んだとされます。
    • 寺号「平等寺」は、人々の苦しみを平等に癒やすという薬師如来の誓いに由来すると伝わります。
  2. 南北朝期

    熊野先達として人々を導く

    南北朝期、平等寺の住職は、熊野三山へ参詣する人々を案内する「熊野先達(くまのせんだつ)」を務めていました。

    • 住職が熊野先達として活動したことは、『熊野那智大社文書』に記録されています。
    • 新野町北側の延野にある大宮八幡神社には、この時代に書写された『大般若経』六百巻が今も伝わります。
    平等寺の住職が熊野先達として往来した熊野那智大社と、那智の滝。
  3. 戦乱期

    戦乱のなかで衰えた伽藍

    室町末から戦国期の戦乱を受け、平等寺は衰え、山中の伽藍も荒れていきました。『平等寺由来記』は、長宗我部元親が祈りの声を聞いて下馬礼拝したと伝え、元親が寺を焼いたという説は誤りだと記します。

    • 天正5年(1577年)には、細川真之と三好長治の戦乱がこの地で起こりました。
    • 長宗我部元親が通りかかったのは、平等寺で阿修羅天の護摩供を修していた最中だったと、由来記は記します。
    • 堂床・護摩ヶ谷・塔ヶ峰・蓮池といった地名が、当時の伽藍の面影を今に伝えています。
    • 旧本堂の跡とされる場所は、現在は新野町重友地区の八坂神社境内地となっています。
  4. 江戸前期

    照俊法印から始まる伽藍再建

    延宝5年(1677年)、荒れた境内を見た照俊法印が復興を志しました。再建は歴代住職へ受け継がれ、現在の伽藍につながります。

    • 照俊法印は伊予国(現在の愛媛県)の古田村から平等寺へ来て、住職となりました。
    • 天和3年(1683年)に梵鐘を再鋳し、宝永3年(1706年)に楼門、享保7年(1722年)に本堂を建立しました。
    • 享保10年(1725年)、照俊法印は八十歳で亡くなる前に、後の住職たちへ堂宇と行事の復興を託しました。1722年に建てた堂は、将来、大師堂にするよう言い残しました。
    • 中興二世・槐翁上人はその遺志を受け、元文2年(1737年)3月に新しい薬師堂を建立しました。これが現在の本堂です。

    照俊法印が始めた再建は代々受け継がれ、現在の本堂へ結実しました。

  5. 江戸後期

    大師堂の再建、護摩堂の建立と開帳の復興

    再建を受け継いだ住職たちは、大師堂と護摩堂を整え、護摩や読経の行事を始めました。薬師如来の開帳も復興し、版木による出版にも取り組みました。

    • 中興四世・無為の代、安永8年(1779年)に大師堂を再建し、護摩堂を建立しました。千日千座の護摩修行と、普門品を読む行事も始めました。
    • 中興五世・啓盤の代、寛政4年(1792年)3月に、久しく途絶えていた薬師如来の開帳が五日間にわたり復興しました。最終日には、法界万霊(すべての亡き方々)を供養する流水灌頂を修しました。
    • この開帳を機に、厄除薬師としての信仰が広まったと、由来記は伝えます。
    • 「白水精舎(はくすいしょうじゃ)」の名で版木を作り、四国遍路の案内書などを出版しました。
    「白水精舎」の名で出版していたことを伝える、平等寺所蔵の版木。
  6. 文政期

    大師堂の造立と『大般若経』

    文政年間には大師堂が改めて造立され、信者の願いによって『大般若経』が整えられました。

    • 『平等寺由来記』は、安永8年(1779年)の再建に続き、中興八世・憲翁が文政5年(1822年)閏正月に、改めて大師堂(御影堂)の造立を始めたと記します。文政7年(1824年)4月に上棟式を行いました。
    • 大師堂には弘法大師の十大弟子像が安置され、当時の天井絵も残っています。
    • 平等寺所蔵の『大般若経』は、このころ信者の願いによって整えられました。
    • 中興十世・儀陶の代、文政11年(1828年)から、薬師如来の開帳で『大般若経』六百巻を一巻ずつ繰る「転読」が恒例になりました。
  7. 明治期

    西宥賢による堂宇と地域の整備

    明治期には、境内の堂宇に加え、橋や浄水鉢など、地域と参拝者を支える整備が進みました。

    • 裏山に「新四国八十八ヶ所霊場」が開かれ、境内で四国八十八ヶ所を巡拝できる場が整えられました。
    • 中興十三世・西宥賢(さいゆうけん)僧正は、明治17年(1884年)に閻魔十王堂を造営しました。平等寺橋を修繕し、蓮華をかたどった青銅の浄水鉢も設けました。
  8. 近代

    谷口津梁師と戦後の復興

    谷口津梁(たにぐちしんりょう)師は、寺に伝わる記録や口伝を『平等寺由来記』にまとめました。戦後には山門や鐘楼堂を整え、荒れた境内の復興を進めました。

    • 大正12年(1923年)、『新野町志』編纂のための調査中に、星供(ほしく)の秘法にまつわる「星」(隕石)が床下から見つかりました。
    • フレデリック・スタール博士が、遍路として平等寺を訪れました。
    • 筒井林之助と父・福次の「箱車」の物語が伝えられ、薬師如来への祈りを求める人々が平等寺を訪れました。
    • 戦後には山門を再建し、鐘楼堂を新調するなど、境内を整えました。

    地元では、住職への親しみを込めて「院家(いんげ)さん」と呼ばれました。

  9. 現代

    境内の修復と24時間ライブ配信

    境内の修復を重ねるなか、2020年には本堂の24時間ライブ配信が始まり、遠方からも祈りに参れるようになりました。

    • 谷口晃梁(こうりょう)名誉住職の代、「平成の大修理」で持仏堂、納経所、お手洗いなどを改修しました。
    • その後、護摩堂と庫裡(くり。住職の居住棟)を再建し、2015年に本堂内陣の修復とご開帳、2016年に本尊初会式の復興を行いました。
    • 2020年4月26日、本堂内陣の24時間ライブ配信を始めました。現在はYouTube、Twitch、ニコニコ生放送で配信し、遠方からも本堂にお参りいただけます。

    2034年の弘法大師御入定1200年御遠忌に向け、堂宇と文化財の修繕を進めています。

2034年

2034年に向けて

真言宗では、弘法大師はいまも高野山の奥之院で禅定を続けておられると仰ぎます。2034年は、その御入定から1200年に当たり、報恩の大法会「御遠忌」を迎えます。平等寺では、その節目に向けて堂宇と文化財の修繕を進めています。

建物を修繕するだけでなく、薬師如来への祈り、護摩やご開帳、地域に伝わる記憶も、これから参る方へ手渡していきます。

これからの修繕計画

  • 本堂外陣の修繕
  • 八祖大師像・弘法大師像・十大弟子像の文化財修復
  • 十王堂の諸尊像修復
  • 大師堂修繕の完了
  • 木造宝篋印塔の建立

支援について

御遠忌に向けた境内整備と文化財修復の計画、ご支援の方法を、専用ページでご案内しています。

御遠忌に向けた境内整備を見る

これからも平等寺で手を合わせていただけるよう、一つずつ修繕を進めてまいります。

合掌

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