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読みもの ・ 四国遍路

はじめての四国遍路

四国八十八ヶ所のお遍路へんろは、弘法大師こうぼうだいし空海くうかいへの信仰とともに受け継がれてきた巡礼です。弘法大師は、親しみを込めて「お大師さま」とも呼ばれます。お大師さまは今も生きて、私たちを見守ってくださる。古くからそう信じられてきました。

名所をめぐる観光とは、少し性格が違います。お遍路で慕うのは、美しい景色ではなくお大師さまだからです。お大師さまのことをまだ知らなくても、お参りしたいという気持ちから始められます。

お遍路のしくみと歴史、巡り方、札所での作法、お接待まで、はじめての方にもわかるようにお話しします。

 

  1. まず、これだけ
  2. そもそも四国遍路とは何か
  3. 八十八のしくみ
  4. 弘法大師空海とは何者か
  5. なぜ、遍路するのか
  6. 回り方の選び方
  7. 装束と持ち物
  8. 札所での参拝作法
  9. 納経・御朱印・御影
  10. 日数・宿・季節(現実の段取り)
  11. 四国遍路の特徴:お接待
  12. 四国遍路の特徴:円環状巡礼
  13. 四国遍路の歴史:辺地修行から大衆化へ
  14. 昔ながらの遍路道
  15. 第22番 平等寺
  16. 出発前に確かめること
  17. よくある質問
  18. 出典・参考文献
01/165分でわかる

まず、これだけ

細かいことは、後の章でゆっくり。ここだけ読めば、四国遍路の全体像はつかめます。

  • 何を巡る? 四国の弘法大師こうぼうだいし(お大師さま)ゆかりの八十八ヶ所はちじゅうはっかしょを、徳島・高知・愛媛・香川と一周します。
  • 誰と歩く? ひとりで歩いても、いつもお大師さまがご一緒。これを同行二人どうぎょうににんといいます。
  • どう回る? 歩き・車・公共交通・団体巡拝などから選べます。区切り打ちくぎりうち(何回かに分けて巡ること)でも構いません。
  • 作法は? 迷ったら「本堂と大師堂の両方に手を合わせる」。これだけ押さえれば十分です。
  • お接待とは? 道中、地元の方がお茶やみかんを無償で差し出してくれる文化。お遍路さんをお大師さまと見て、もてなすのです。
  • 結局、何の旅? 巡り終えても、終わらない。「人生即遍路じんせいそくへんろ」、日々の暮らしがそのままお遍路になる旅です。
要点

難しく考えなくて大丈夫。近くの一寺から、普段着で、できる範囲で。それがもう、はじめの一歩です。

02/16はじめての方へ

そもそも四国遍路とは何か

四国遍路しこくへんろは、弘法大師こうぼうだいし・空海くうかいへの信仰とともに、四国の八十八ヶ所はちじゅうはっかしょを巡る道です。空海の四国での修行を信仰上の源流とし、長い時間をかけて現在の形になりました。

「遍路へんろ」と聞くと、白い装束で杖をつき、お経を唱えながら歩く人の姿が浮かぶかもしれません。その姿の中心にあるのは、弘法大師こうぼうだいし・空海くうかいへの信仰です。お大師さまの足跡を慕い、同行二人どうぎょうににん(いつもお大師さまとご一緒、という意味です)の心で札所ふだしょを巡る、れっきとした巡礼の道。気軽な名所めぐりとは、性格が少し違います。宗派は問いませんが、お大師さまへの敬いだけは、どうか胸に。年齢も背景もさまざまな人が、国内外からこの道を訪れています。

四国遍路とは、ひとことで言えば、四国にある八十八ヶ所はちじゅうはっかしょの札所ふだしょを巡るお参りの旅です。札所は霊場れいじょうとも呼ばれ、いずれも弘法大師こうぼうだいし(空海くうかい)ゆかりの寺とされています。徳島・高知・愛媛・香川の四県を、一筆書きのようにぐるりと一周します。

巡り方は、歩き・車・バスとさまざまです。いまは車やバスで巡る方が多くを占めます。八十八ヶ所を一度に回りきる必要もなく、何回かに分けて巡る方も大勢います。それぞれの巡り方は、後の章でくわしく見ていきます。

どんな思いでめぐってもいい

信仰お大師さまにお参りする弘法大師こうぼうだいしを慕い、同行二人どうぎょうににんの心で札所を巡る、昔ながらの遍路。
歴史と自然千年の寺と四国をめぐる歴史ある寺々と、海・山・里をめぐる四国一周。納経のうきょう(御朱印)を集める楽しみも。
願掛け・供養願いを込めて、しのんで病気平癒や厄除やくよけの願掛けに、亡き人の供養に。人生の節目にめぐる人も多い。

信仰の旅として、歴史と自然をめぐる旅として、願掛けや供養の旅として。動機はさまざまでよい。車でもバスでも歩きでもよい。

お遍路は、ひとつの正解だけの旅ではありません。お大師さまへのお参りを軸に、人それぞれの思いでめぐれます。

巡る動機も、人それぞれです。亡き人やご先祖を供養するために、病気平癒や厄除やくよけを願って、受けたご恩に報いるために。静かに自分を見つめ直したいという方もあります。歴史あるお寺をたずね、四国の海や山に身を置きながら、一つずつ札所ふだしょを巡っていく。理由がどうあれ、最初の一寺で手を合わせたその時から、もうお参りは始まっています。

この道の中心には、たしかに信仰があります。なぜ人々は、わざわざこの道を巡るのか。その答えは、弘法大師こうぼうだいし(お大師さま)がいまも生きておられるという信仰にあります。背景を少し知るだけで、一つひとつの景色が変わってきます。

巡り方の入口は、どなたにも始めやすく開かれています。車でも、バスでも、一区切りずつでもかまいません。けれど、お参りの中身は浅くありません。一つひとつの札所ふだしょで本堂と大師堂(ご本尊をまつる堂と、お大師さまをまつる堂)に手を合わせ、お経を唱え、お大師さまと歩く。敬う心で一歩を踏み出せば、お参りを重ねるほどに、得るものは深まっていきます。

遍路を迎える提灯の灯り
要点

四国遍路は、弘法大師こうぼうだいしゆかりの八十八ヶ所を巡る、四県一周およそ1,400kmのお参りの旅です。

03/16四国を一周する

八十八のしくみ

四国の四つの県を、八十八の寺で結んでぐるりと一周する。これが八十八ヶ所のかたちです。全長およそ1,400km。一筆書きのように島をひとめぐりし、スタートもゴールもめぐる人が決められます。

第1番霊山寺の境内
1番霊山寺りょうぜんじ(徳島)。番号をたどる旅は、ここから始まります。 写真 © 663highland / Wikimedia Commons / CC BY 2.5

四県を結ぶ巡礼路

まずは大きな地図を頭に入れましょう。四国には番号のついたお寺が八十八あって、1番霊山寺りょうぜんじ(徳島)から88番大窪寺おおくぼじ(香川)まで、番号順にたどると四県を一周できます。番号は道しるべのようなもので、一筆書きで島をひとめぐりする形です。

四国を、ぐるりと一周する

徳島発心の道場1〜23番高知修行の道場24〜39番愛媛菩提の道場40〜65番香川涅槃の道場66〜88番八十八ヶ所四国一周回遊型

四国の四つの県を時計回りに一周する。東の徳島(阿波・発心の道場・1〜23番)から、南の高知(土佐・修行・24〜39番)、西の愛媛(伊予・菩提・40〜65番)、北の香川(讃岐・涅槃・66〜88番)へ。88番のすぐ先に1番がある回遊型。

八十八ヶ所は、徳島・高知・愛媛・香川をめぐる「回遊型かいゆうがた」の巡礼です。番号順に進むと、四国を一周する大きな輪を描きます。

この一周を、昔の人は四つの道場に分けて意味づけました。徳島(阿波あわ)は発心の道場、高知(土佐とさ)は修行の道場、愛媛(伊予いよ)は菩提の道場、香川(讃岐さぬき)は涅槃の道場。思い立って旅立ち、長い道のりに鍛えられ、やがて心がひらけ、最後に静かな境地へ。ひとめぐりが、そのまま心の旅の四段階になぞらえられています。気構えのいる言葉ですが、「東で始まり、南で踏ん張り、西でひと息つき、北で帰ってくる」という旅のリズムとして味わうのもよいでしょう。

四県を、四つの道場として巡る

徳島|発心の道場1〜23番23ヶ寺こころざしを起こす。1番霊山寺りょうぜんじから旅が始まる。
高知|修行の道場24〜39番16ヶ寺寺と寺の間が長い、いちばんの難所区間。
愛媛|菩提の道場40〜65番26ヶ寺さとりに近づく。札所がもっとも多い県。
香川|涅槃の道場66〜88番23ヶ寺結願けちがんへ。88番大窪寺おおくぼじで満願。

徳島は発心の道場で1〜23番の23ヶ寺、高知は修行の道場で24〜39番の16ヶ寺、愛媛は菩提の道場で40〜65番の26ヶ寺、香川は涅槃の道場で66〜88番の23ヶ寺。

四国の四県は、それぞれ発心ほっしん・修行・菩提ぼだい・涅槃ねはんの道場と呼ばれます。

なぜ八十八なのか

では、なぜ「八十八」なのか。じつは、確かな答えはわかっていません。インドの八大聖地はちだいせいちにちなむという説、八十八の煩悩ぼんのうを表すという説、「米」の字を分けると八十八になるという説、厄年やくどし(男42・女33・子13)を足した数だという説、研究者近藤喜博こんどうよしひろが唱えた熊野くまのの九十九王子くじゅうくおうじからの転移説など、いくつもの説が伝わっています。どれも「これが答え」と確かめられたものではありませんが、八十八という数に意味を見出そうとしてきた人々の思いが重なってきたことは確かです。研究では、数に意味を読み込む動きは、交通が発達した近代になってから強まったとみられています。

「八十八」の数、よく聞く四つの説

米の字説米 → 八十八「米」の字を分けると八十八。お米と信仰の縁から。
煩悩説88の煩悩ぼんのう八十八の煩悩を、一か寺ずつ消していく。
厄年説42+33+13男42・女33・子13の厄年やくどしを足すと88。
転移説九十九王子くじゅうくおうじ熊野詣の九十九王子になぞらえたとする研究者の説。

米の字説は米を分けると八十八。煩悩説は八十八の煩悩を消す。厄年説は男42女33子13を足すと88。転移説は熊野の九十九王子から。どれも確かめられた答えではない。

どれも「これが答え」と確かめられたものではありません。数への意味づけは、交通が発達した近代になってから強まったとみられています。

札所の宗派

最後に、よくある誤解をひとつ。八十八の札所はすべて真言宗しんごんしゅうのお寺だと思われがちですが、そうではありません。いまの宗派でみると、真言宗系が80ヶ寺、真言宗以外が8ヶ寺で、あわせて八十八ヶ寺です。真言宗系も一つではなく、高野山真言宗こうやさんしんごんしゅうが21、豊山派ぶざんはが18と多く、ほかに御室派おむろは・智山派ちさんは・善通寺派ぜんつうじは・大覚寺派だいかくじは・醍醐派だいごは、さらに東寺真言宗とうじしんごんしゅう・真言律宗しんごんりっしゅう・単立などを合わせて八十ヶ寺になります。

真言宗以外の8ヶ寺は、宗派が札所ごとに異なります。なお、案内によっては「真言宗以外は九つ」とすることもありますが、これは59番国分寺こくぶんじの真言律宗しんごんりっしゅうを真言系に含めるかどうかの違いで、ここでは含めて八つとしています。

真言宗ではない、八つの札所

臨済宗りんざいしゅう妙心寺派みょうしんじは
11番 藤井寺ふじいでら・33番 雪蹊寺せっけいじ
天台寺門宗てんだいじもんしゅう
43番 明石寺めいせきじ・76番 金倉寺こんぞうじ
天台宗てんだいしゅう
82番 根香寺ねごろじ・87番 長尾寺ながおじ
曹洞宗そうとうしゅう
15番 阿波国分寺あわこくぶんじ
時宗じしゅう
78番 郷照寺ごうしょうじ

八十八ヶ所の大半は真言宗系だが、八つは別の宗派。臨済宗妙心寺派が11番藤井寺と33番雪蹊寺、天台寺門宗が43番明石寺と76番金倉寺、天台宗が82番根香寺と87番長尾寺、曹洞宗が15番阿波国分寺、時宗が78番郷照寺。

八十八ヶ所の大半は弘法大師こうぼうだいしゆかりの真言系ですが、宗派は札所ごとに異なります。真言宗以外は、この八つ。どの札所でも、お参りの作法は同じで大丈夫です。

いまでこそ八十八ヶ所はすべて寺院ですが、江戸時代までは神社じんじゃ、あるいはその別当寺べっとうじ・神宮寺じんぐうじが札所をつとめた所がいくつもありました。元禄げんろく2年(1689年)の『四国徧礼霊場記しこくへんれいじょうき』には、琴弾八幡宮ことひきはちまんぐうなどの神社の名が、そのまま札所として記されています。明治のはじめの神仏分離しんぶつぶんりで神社と寺が分けられ、神様の本地仏ほんじぶつ(その神の本来のお姿とされる仏)と札所のおつとめが寺へ受け継がれて、いまのかたちになりました。たとえば30番は土佐神社とさじんじゃの神宮寺じんぐうじが、68番神恵院じんねいんは琴弾八幡宮ことひきはちまんぐうの別当寺べっとうじが、もとの札所でした。神仏習合の色が濃い札所は約10ヶ所、数え方によっては十数ヶ所におよびますが、確かな統計はなく諸説あります。

要点

1番(徳島)から88番(香川)まで四国を一周。四つの県は発心ほっしん・修行・菩提ぼだい・涅槃ねはんの四つの道場です。

04/16旅の真ん中にいる人

弘法大師空海とは何者か

四国遍路しこくへんろの真ん中には、いつも一人のお坊さんがいます。弘法大師こうぼうだいし、空海くうかい。この人を知ると、旅の景色がまるごと変わります。

弘法大師を描いた巡礼用の掛軸
弘法大師こうぼうだいしを描いた掛軸。各札所ふだしょでいただく納経のうきょうを重ねていく巡礼用の軸もあります。

空海くうかいは宝亀ほうき5年(774年)6月15日、いまの香川県善通寺ぜんつうじに生まれました。幼名ようみょうは真魚まお。若いころ四国の山野で修行し、のちに遣唐使として唐(中国)へ渡って密教を学び、帰国して真言宗しんごんしゅうを開きます。高野山こうやさんをひらき、承和じょうわ2年(835年)3月21日、62歳で高野山こうやさん奥之院おくのいんに御入定ごにゅうじょうされました。教科書に出てくる歴史上の人物が、この旅の出発点です。

第21番太龍寺の境内
空海くうかいが若き日に修行した大瀧嶽たいりゅうだけと伝わる、21番太龍寺たいりゅうじ。別格20番大瀧寺おおたきじとする説もあります 写真 © Reggaeman / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

若き日の修行地は、いまの札所ふだしょとも重なります。空海自身が24歳で著した『三教指帰さんごうしいき』には、阿波あわの大瀧嶽たいりゅうだけに登り、土佐とさの室戸崎むろとざきで修行したと記されています。

原文(三教指帰)を見る

「阿国あこくの大瀧嶽たいりゅうだけに躋攀のぼりよじし、土州としゅうの室戸崎むろとざきに勤念ごんねんす」

大瀧嶽たいりゅうだけの場所は定まっておらず、21番太龍寺たいりゅうじや別格20番大瀧寺おおたきじなどに比定する説があります。また、室戸での修行地は御厨人窟みくろどと伝えられていますが、『三教指帰』が記すのは「室戸崎」までです。史料で確かめられることと、後世の伝承とは分けて受け止める必要があります。

四国の人々にとってのお大師さんは、真言宗しんごんしゅうという宗派の枠を超えた存在でした。各地で井戸を掘り、作物を実らせ、困っている人を救った。そんな救済の言い伝えが四国のあちこちに残り、宗派を問わず広く慕われてきました。だからこの旅は、どなたにも開かれています。

要点

弘法大師こうぼうだいし空海くうかいは讃岐に生まれ、四国で修行した実在の人。「お大師さん」として宗派を超えて慕われてきました。

05/16御入定と同行二人

なぜ、遍路するのか

お大師さまは承和じょうわ2年(835年)に御入定ごにゅうじょうされました。けれど、それは「終わり」ではありません。お大師さまは、いまも生きておられる。ここに、四国遍路の心があります。

御入定の信仰

御入定ごにゅうじょうとは、死ぬことではなく、瞑想に入ること。お大師さまは肉体を用いた活動を終えられましたが、いまも高野山こうやさん奥之院おくのいんの奥で禅定ぜんじょうに入りつづけ、はるか未来に弥勒菩薩みろくぼさつが世にあらわれるときまで、人々を見守り救いつづけておられる、と真言宗しんごんしゅうでは信じられています。だから、亡くなったとは数えません。歴史の上では62歳。けれど信仰の上では、774年のご生誕から数えて、今年で1,252歳。お大師さまは、いまも生きておられるのです。

お大師さまは、いまも生きておられる

774年誕生善通寺ぜんつうじ(香川)に生まれる。幼名は真魚まお。
835年御入定ごにゅうじょう62歳高野山こうやさん奥之院おくのいんで、永遠の瞑想に入られた。
921年「弘法大師」醍醐だいご天皇より諡号しごう「弘法大師こうぼうだいし」をおくられる。
いまも御入定の信仰お大師さまは、今も人々を見守っておられると信じられている。

弘法大師空海は774年に讃岐で誕生し、835年に62歳で高野山奥之院に御入定、921年に醍醐天皇より弘法大師の諡号を贈られた。信仰の上では、今も御入定のまま人々を見守っておられる。

御入定ごにゅうじょうは、死ではありません。永遠の瞑想に入りながら、いまも毎日すがたを変えて現れ、自分の足跡(遍路道)を確かめて廻っておられる、と信じられてきました(『御遺告ごゆいごう』)。
弘法大師の化身とされる金剛杖
金剛杖こんごうづえはお大師さまの化身けしん。「同行二人どうぎょうににん」と記されます

では、御入定されたお大師さまは、どこで何をしておられるのか。お大師さまご自身の言葉と伝えられる『御遺告ごゆいごう』には、毎日かならず仮のすがたで人々の前に現れ、自分がかつて歩いた所々の跡を、いまどうなっているかと見て廻まわっておられる、とあります。

原文(御遺告)を見る

「日々にちにちの影向ようごうを闕かかさず、処々しょしょの遺跡ゆいせきを検知す」

お大師さまは、こうも詠まれたと伝わります。その意味は、比べるもののない誓いを立て、四国のような辺地にも寄り添い、昼も夜も人々を憐あわれみ、菩薩の願いに生きる、と。

原文(伝・弘法大師の偈)を見る

「無比の誓願せいがんを発し、辺地へぢ・異域いいきに陪したがい、昼夜に万民を愍あわれみ、普賢ふげんの悲願に住じゅうす」

同行二人

「同行二人どうぎょうににん」とは、ひとりで巡るときも、お大師さまが常に共におられるという信仰の言葉です。

いつも、お大師さまと共に

ひとりで巡るときも、ひとりきりではありません。

お遍路さん巡る人
+
お大師さまいつも共におられる
同行
お大師さまと同じ道を歩む
二人
巡る人とお大師さまの二人
金剛杖こんごうづえお大師さまそのもの杖は、お大師さまの化身けしん。宿では杖の先を洗い、上座かみざに立てて大切にします。
菅笠すげがさ「同行二人」を記す笠には「同行二人どうぎょうににん」「迷故三界城まよえばさんがいのしろ」などの偈げを記します。
納め札おさめふだ本堂と大師堂へ札所で納める札。ここにも「同行二人どうぎょうににん」と書きます。

同行二人とは、ひとりで巡るときも、お大師さまが常に共におられるという信仰の言葉。金剛杖はお大師さまの象徴として大切に扱い、菅笠や納め札にも同行二人と記す。

「同行二人どうぎょうににん」とは、ひとりで巡るときも、お大師さまが常に共におられるという信仰の言葉です。金剛杖こんごうづえは、お大師さまの象徴として大切に扱います。

金剛杖をお大師さまの化身けしんとして大切に扱うのも、この心によります。同行二人は、旅の孤独を打ち消す飾り文句ではありません。日々の歩みをお大師さまと共にするという、遍路のよりどころです。

要点

お大師さまは御入定ごにゅうじょうして、いまも生きておられる。だからお遍路は、いつも同行二人どうぎょうににんです。

06/16どう回る?

回り方の選び方

四国遍路しこくへんろは「正しい回り方」がひとつに決まっているわけではありません。手段・方向・区切り方を自分の体力と予定に合わせて組み合わせれば、どなたでも無理なく巡れます。

白衣に菅笠、金剛杖で四国の遍路道をゆくお遍路の姿
白衣びゃくえに菅笠すげがさ、手には金剛杖こんごうづえ。歩きでも車でも、装いと「同行二人どうぎょうににん」の心は変わりません。

八十八ヶ所をすべてつなぐと、その道のりは一周およそ1,400km(公称。番外ばんがいや旧道もふくむ目安で、実際に歩く距離は経路によって前後します)。この数字を聞くと、つい「自分の足では無理だ」と身構えてしまいます。でも安心してください。回り方は歩きだけではありません。手段(何で移動するか)、方向(どちら回りで進むか)、区切り方(何回に分けるか) の3つを選ぶだけで、自分に合った旅の形ができあがります。

移動手段を選ぶ

まず手段。歩き、車(レンタカーや自家用車)、バイク、自転車、路線バス、タクシー、バスツアー。どれを選んでもかまいません。所要日数は手段でまるごと変わります。歩きならおよそ40〜50日(人によっては60日近く)、車なら約7〜11日、バイクで約10日、自転車で約2〜3週間。観光会社のバスツアーは通しで約12日ほどですが、実際は何回かに分けて催行されることがほとんどです。「何日休めるか」から逆算して手段を選ぶ、という決め方がいちばん現実的です。

順打ちと逆打ち

次に方向。1番から番号順に進むのを順打ちじゅんうち、88番から逆向きにたどるのを逆打ちぎゃくうちと呼びます。道しるべ(道標みちしるべ)は順打ちを基準に立てられているものが多いため、はじめての方には順打ちがわかりやすいでしょう。逆打ちは、衛門三郎えもんさぶろうが逆にたどってお大師さまにめぐり会えたという伝説にちなむ巡り方です。

ちなみに、巡ることを「打うつ」と言い、お寺を「札所ふだしょ」と呼ぶのには、わけがあります。昔は木や金属でできた納め札おさめふだを、お堂の柱に釘くぎで打ちつけて納めていました。そこから「札を打つ所」で札所、お参りすることを「打つ」と言うようになったのです。紙の札に変わったのは安永あんえい年間(1772〜1781年)ごろと伝わります。

順打ちと逆打ち、どちらで回る?

順打ちおすすめ1番 → 88番番号順にめぐる基本の回り方。道しるべもこの向きに立ち、はじめてでも迷いにくい。
逆打ち(上級者向け)88番 → 1番道しるべが逆向きになり、道に迷いやすい。歩き慣れた人向き。

順打ちは1番から88番へ番号順。道しるべはこの向きに立てられており、はじめての人向き。逆打ちは88番から逆向きで、道に迷いやすく上級者向け。

道しるべ(道標みちしるべ)は順打ちを基準に立てられています。はじめての方は、迷いにくい順打ちが安心です。

通し打ちと区切り打ち

最後に区切り方。一度の旅で八十八ヶ所を巡りきるのが通し打ちとおしうち、何回かに分けて進めるのが区切り打ちくぎりうち、一県ずつ巡るのが一国参りいっこくまいりです。長い休みを取れなくても、「今回は徳島だけ」のように続けられます。

一度で全部? いいえ、分けてよい

通し打ち一度で全周する歩きで約40〜50日。まとまった休みが要るが、達成感は大きい。
区切り打ちおすすめ何回かに分けて巡る週末だけ、1県だけ、と少しずつ。今いちばん多い回り方。何年かけてもよい。

通し打ちは一度に全周、約40〜50日。区切り打ちは何回かに分けて巡る、今の主流。

八十八ヶ所を一度に回りきる必要はありません。今は、週末ごとや県ごとに分けて巡る「区切り打ちくぎりうち」が主流です。

歩き、車、公共交通、団体巡拝のどれを選んでも、お参りであることに変わりはありません。体力や日程、同行者に合わせて選んでください。歩く場合は、12番焼山寺しょうさんじや21番太龍寺たいりゅうじなど山道を含む区間があります。距離だけで予定を決めず、天候、標高差、宿の位置を確かめて計画しましょう。

  • 休みが取れる日数から逆算する。 7〜11日なら車、2〜3週間なら自転車、40日以上の長期休暇があれば歩きの通し打ちも視野に。
  • 公共交通だけで巡る場合は念入りに計画を。 鉄道や路線バスは地域によって1時間に1〜2本と本数が少なく、乗り継ぎの待ち時間が出ます。
  • 逆打ちは道に迷いやすい。 道標が順打ち基準で設置されているため、はじめての方は順打ちのほうが安心して進めます。
  • 「全部歩く/一度で回りきる」が正解ではない。 車でも、何回かに分けても、立派な遍路です。自分の暮らしに合う形を選んでよいのです。
要点

手段・方向・区切り方を、体力と日程に合わせて選びます。番号順に巡る必要も、一度に巡りきる必要もありません。

07/16何を着て、何を持つ?

装束と持ち物

遍路装束には、それぞれに意味があります。ただし、最初から一式をそろえなければ参拝できないわけではありません。必要な品は、巡り方に合わせて選びます。

白衣に輪袈裟、金剛杖をたずさえた遍路の装束
白衣びゃくえに輪袈裟わげさ、金剛杖こんごうづえ。意味を知って身につけると、装束が旅の相棒になります。

霊場会は白装束を基本の姿として案内していますが、服装そのものを一律に定めてはいません。歩く距離や季節に合う服を選び、できれば白衣・輪袈裟・金剛杖・念珠を整えると、巡拝への心構えも定まります。

とはいえ、装束には一つひとつ意味があります。白衣びゃくえはもともと死装束しにしょうぞくの白で、いつ行き倒れても悔いはないという覚悟を表すとも言われます。菅笠すげがさには「同行二人どうぎょうににん」。金剛杖こんごうづえは弘法大師こうぼうだいしの化身けしんとされ、宿では杖先を洗って上座かみざに立てます。輪袈裟わげさは略式の袈裟けさで、食事やお手洗いのときは外すのが作法です。意味を知って身につけると、装いへの心持ちが変わります。

納経帳のうきょうちょうは、各札所ふだしょで納経をいただくための帳面です。納め札おさめふだは、本堂と大師堂の納札箱に納め、お接待を受けた際のお礼にも用います。念珠、ろうそく、線香も、参拝の作法に沿って用意します。

納め札おさめふだには、巡拝回数による色の目安があります。1〜4回は白、5〜6回は緑、7〜24回は赤、25〜49回は銀、50〜99回は金、100回以上は錦にしきです。納め札の扱いは改定されることがあるため、作る前に霊場会の案内を確かめてください。

お遍路の身支度。最低限、これだけ

白白衣びゃくえ装束巡礼の正装。清らかさを表す。
袈輪袈裟わげさ装束首にかける略式の袈裟。食事や手洗いの時は外す。
笠菅笠すげがさ装束日よけ・雨よけ。お堂の中でもかぶったままでよい。
杖金剛杖こんごうづえ同行二人お大師さまそのもの。橋の上では杖をつかない作法がある。
珠数珠じゅずお参り合掌や読経のときに手にかける。
札納め札おさめふだお参り本堂と大師堂に納める。名前・願いを書く。お接待のお礼にも。
帳納経帳のうきょうちょう納経お参りの証に墨書と宝印ほういんをいただく帳面。
灯ろうそく・線香お参り本堂と大師堂で灯し、供える。ライターも忘れずに。

白衣、輪袈裟、菅笠、金剛杖、数珠、納め札、納経帳、ろうそくと線香。すべて1番札所などで揃う。

きちんと揃えると気持ちが引きしまりますが、最初から全部でなくても大丈夫。1番霊山寺りょうぜんじなどで手に入ります。
巡礼で手にかける数珠(念珠)
巡礼で手にかける数珠じゅず(念珠ねんじゅ)

遍路用品は札所によって扱いが異なります。出発前に購入先を確認し、まず基本の品を用意して、必要に応じて道中で足していくこともできます。

  • 白衣びゃくえ … 上に羽織る白い衣。袖なしの笈摺おいずるもある。
  • 輪袈裟わげさ … 首から下げる略式の袈裟けさ。食事・お手洗いでは外す。
  • 金剛杖こんごうづえ … 弘法大師こうぼうだいしの化身けしん。宿では杖先を洗い上座かみざへ。
  • 菅笠すげがさ … 日よけ雨よけ。「同行二人どうぎょうににん」と書かれる。堂内でも脱がなくてよいとされる。
  • 念珠・納経帳・納め札・ろうそく・線香 … 霊場会が案内する基本の参拝用品。
要点

白装束は基本の姿ですが、服装は一律に定められていません。参拝用品は巡り方に合わせ、必要なものから整えます。

08/16お寺に着いたら、どうする?

札所での参拝作法

作法と聞くと身構えますが、流れは決まっていて簡単です。迷ったら「本堂と大師堂の両方に手を合わせる」。これだけ押さえれば大丈夫です。

第51番石手寺の境内
石手寺いしてじ(51番)の境内。山門で一礼し、本堂と大師堂に手を合わせます。 写真 © CT-May / Wikimedia Commons / CC0

一つの札所ふだしょでの流れは、だいたい次のとおりです。(1)山門(仁王門)で合掌し一礼して入る。(2)手水場ちょうずばで手を洗い、口をすすぐ。(3)鐘楼しょうろうがあり、自由に撞ける場合は参拝前に鐘を撞く。(4)本堂でお参り。(5)大師堂でお参り。(6)納経所のうきょうじょで納経のうきょうをいただく。(7)山門を出るときに合掌し、一礼する。この順番が基本です。

札所での、お参りの順番

1山門で一礼寺に入る前に、合掌して一礼する。
↓
2手水ちょうずで手を洗い、口をすすぐ左手、右手の順に洗い、口をすすぐ。
↓
3鐘をつく(撞いてよい寺で)お参りの前に一つ。帰りに撞くのは避ける。
↓
4本堂でお参りろうそく・線香・納め札おさめふだを納め、お賽銭。読経または合掌。
↓
5大師堂でお参りお大師さまへ。本堂と同じようにお参りする。
↓
6納経所のうきょうじょで納経をいただく納経帳のうきょうちょうに墨書と宝印ほういんを受ける。
↓
7山門で一礼して出る振り返って合掌し、次の札所へ。

山門で一礼、手水で手を洗い口をすすぐ、自由に撞ける場合は参拝前に鐘を撞く、本堂で献灯・献香・納め札・読経、大師堂で同じく、納経所で納経をいただき、山門で一礼して出る。

難しく考えなくて大丈夫。基本は「本堂と大師堂の両方に手を合わせる」こと。慣れれば自然に身につきます。

鐘には小さな注意があります。撞くのはお参りの前です。お参りの後に撞く「戻り鐘もどりがね」は縁起が悪いとされ、また鐘を撞くこと自体を禁止しているお寺もあります。案内表示を確かめてからにしましょう。手水は、左手→右手→口をすすぐ→最後に柄杓ひしゃくの柄を水で流す、の順です。

本堂と大師堂での所作はほぼ同じです。ろうそくを1本灯し、線香を3本供え、納め札おさめふだを札箱に納め、お賽銭さいせんを静かに入れて(投げない)、読経どきょうします。ろうそくは奥(上段)から、線香は中央から立てるのが、後から来る人が火傷しないための心配りの作法です。小さなことですが、こういう配慮の積み重ねが遍路の気持ちよさを作っています。

本堂と大師堂、同じ所作を二度

1本堂その寺のご本尊さまへろうそく・線香・納め札おさめふだ・お賽銭さいせん・読経(合掌だけでも大丈夫)。
2大師堂お大師さまへ本堂と同じ所作を、もう一度。大師堂のご本尊は弘法大師こうぼうだいしです。

札所のお参りは本堂と大師堂で一組。本堂ではその寺のご本尊へ、大師堂ではお大師さまへ、ろうそく・線香・納め札・お賽銭・読経(または合掌)を同じように行う。

札所のお参りは、この二つで一組。「本堂と大師堂の両方に手を合わせる」これだけは忘れずに。

読経はいくつものお経を順に唱えます。開経偈かいきょうげや般若心経はんにゃしんぎょう、その寺の本尊の真言しんごん、光明真言こうみょうしんごん、そして大師宝号だいしほうごう「南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう」などです。一つだけ覚えておくと便利なのは、大師堂では本尊真言を唱えないこと。大師堂のご本尊は弘法大師こうぼうだいしだからです。

そして、いちばん大切なこと。初心者は形式より気持ちが大切だとされています。フルセットの読経は難しければ、本堂で本尊の真言しんごんを、大師堂で「南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう」を唱えるだけでもよい。静かに手を合わせるだけでも、立派なお参りです。間違えても誰も咎めません。まずは八十八ヶ所の空気に、身を置いてみてください。

  • 迷ったら「本堂と大師堂の両方に手を合わせる」。これが最重要。
  • 鐘はお参りの前。戻り鐘はNG、禁止の寺もある。
  • ろうそくは奥から、線香は中央から(後の人への配慮)。賽銭は投げない。
  • 大師堂では本尊真言を唱えない(ご本尊が弘法大師のため)。
  • 難しければ手を合わせるだけでもよい。形式より気持ち。
要点

本堂と大師堂の両方に手を合わせる。これだけ押さえれば大丈夫です。

09/16お参りの証をいただく

納経・御朱印・御影

各札所ふだしょでいただく墨書ぼくしょと朱印が「納経のうきょう」です。世間でいう御朱印のこと。これは本来、本堂と大師堂にお参りした証としていただくものです。

墨書と朱印が並ぶお遍路の納経帳
納経帳のうきょうちょう。お参りのたびに墨書ぼくしょと朱印が増えていきます。旅の記録そのものです。

納経のうきょうとは、お参りをした証として納経所のうきょうじょでいただく墨書ぼくしょ(手書きの文字)と朱印(赤い判)のことです。もともとは写経したお経を納めた名残で、いまは納め札おさめふだを納める形に変わりました。世間でいう御朱印と同じものですが、四国では「納経」と呼ぶのがならわしです。本堂・大師堂にお参りしてから、納経所でいただきます。

納経は、納経帳のうきょうちょう、納経軸、朱印を受けるための判衣はんえにいただけます。巡拝中に着る白衣と、朱印を受ける判衣は分けて扱います。納経帳または納経軸に納経を受けると、その寺のご本尊を刷った御影おみえ(御姿の札)が授与されます。

納経帳にいただく墨書と宝印

墨書墨書ぼくしょ寺名・本尊の名などを墨で書いていただく。
宝印宝印ほういん(朱印)寺の朱の印。御朱印の中心。
御影御影おみえご本尊を写した札。納経帳または納経軸に納経を受けると授与される。

納経帳には墨書と宝印をいただく。納経帳または納経軸に納経を受けると、御影も授与される。納経帳は1ヶ所500円、重ね印は300円。

「納経のうきょう」は、お参りした証にいただくもの。スタンプラリーではなく、本来は写経を納めた受領じゅりょうのしるしです。
各札所でいただく御朱印(納経)
各札所ふだしょでいただく御朱印ごしゅいん(納経のうきょう)。墨書と朱印が一つずつ増えていきます

料金は2024年(令和6年)4月1日に、約30年ぶりに改定されました。納経帳は1ヶ所300円から500円へ、掛軸は500円から700円へ、白衣の朱印は200円から300円へ。重ね印(2巡目以降)は300円で据え置きです。受付時間も見直され、いまは午前8時から午後5時までです(以前は午前7時から)。一周ぶん集めるとそれなりの額になるので、予算に入れておきましょう。

納経料は、約30年ぶりに改定

改定前2024年4月から
納経帳300円500円
掛軸500円700円
白衣(朱印)200円300円
受付時間7時〜17時8時〜17時

2024年4月1日改定。納経帳は300円から500円へ、掛軸は500円から700円へ、白衣の朱印は200円から300円へ。納経所の受付時間は7時から17時が、8時から17時に変わった。

2024年(令和6年)4月1日の改定です。ネット上には古い料金も残っているので、ご注意ください。

美しい墨書ぼくしょに心ひかれて集めはじめる。その入口は、いっこうにかまいません。ただし納経のうきょうはお参りの証ですから、順番だけは大切にしてください。まず本堂と大師堂で手を合わせ、そのうえで納経所のうきょうじょへ。集めることが先に立つ、ただのスタンプ集めとは少し違うのです。一つひとつ墨の香りとともに増えていく帳面に手を合わせるうち、いつのまにかお参りそのものが大切になっていく。そういう人が、たくさんいます。

要点

納経のうきょうはお参りの証。納経帳は1ヶ所500円です。納経時間と料金は出発前に霊場会の最新案内を確認してください。

10/16旅の現実

日数・宿・季節(現実の段取り)

何日かけて、どこに泊まり、いつ行くのか。四国遍路しこくへんろの段取りを、ここでまとめて答えます。

白衣に菅笠、金剛杖で四国の遍路道をゆくお遍路の姿
白衣びゃくえに菅笠すげがさ、金剛杖こんごうづえ。装いはシンプルでも、千年続く道がそこにあります。

泊まる場所には、寺院の宿坊しゅくぼう、お遍路さんを多く受け入れる遍路宿へんろやど、一般の旅館やホテルなどがあります。宿坊の食事や勤行への参加の有無、遍路宿の設備はそれぞれ異なります。善根宿ぜんこんやどや通夜堂つやどうも常時利用できるとは限りません。

泊まる場所は、四つのかたち

坊宿坊しゅくぼう有料お寺が営む宿。精進料理しょうじんりょうりなど、旅館にはない体験も。
宿遍路宿有料お遍路さん向けの民宿。1泊6千〜9千円ほどが相場。
善善根宿ぜんこんやど善意地元の方の善意による無料・格安の宿。必ず連絡してから。
堂通夜堂つやどう善意お寺が境内の一角を開放する簡素な泊まり場。許可を得て使う。

宿坊はお寺が営む宿。遍路宿はお遍路さん向けの民宿で1泊6千から9千円ほど。善根宿は地元の方の善意による無料・格安の宿。通夜堂はお寺が開放する簡素な無料の泊まり場。善根宿と通夜堂は必ず連絡して許可を得る。

善根宿ぜんこんやどと通夜堂つやどうは善意で成り立つ場所。必ず連絡して許可をいただき、使ったら掃除をして次の人へつなぎます。

宿は早めに予約するのが鉄則です。とくに歩き遍路は、その日どこまで進めるかが体力や天候で読みにくいので、宿坊や遍路宿は前日までに電話で押さえておくのが基本になります。善根宿や通夜堂は善意で成り立つ無料の施設なので、勝手に泊まるのは禁物です。必ず管理する方に連絡して許可をもらい、使ったあとは掃除をして次の人へつなぐ。この心づかいが利用の前提です。

行く季節は、気温が比較的穏やかな春と秋が選ばれます。夏は熱中症、冬は積雪や凍結に注意が必要です。山間部や海沿いには、トイレや商店まで距離がある区間もあります。水、行動食、携帯トイレを備え、その日の道と天候を確かめてください。

いつ巡る? 季節の目安

春(3〜5月)◎ 定番気候おだやか。桜の遍路道。
夏(6〜8月)△ 暑さ対策を炎天下。熱中症ねっちゅうしょうと虫に注意。水を多めに。
秋(10〜11月)◎ 定番紅葉と実りの季節。歩きやすい。
冬(12〜2月)△ 寒さ対策を防寒具で荷物が増える。山道の凍結に注意。

春3月から5月と秋10月から11月が定番。夏は炎天下で熱中症と虫に注意。冬は防寒具で荷物が増え、山道の凍結にも注意。

どの季節でもお参りはできます。はじめてなら、気候のおだやかな春か秋が安心です。

四国の外から向かうときのアクセスも押さえておきましょう。最初の札所が多い徳島へは、東京・品川から高速バスで約9時間。飛行機なら徳島阿波おどり空港からリムジンバスで約30分です。香川の高松へは、岡山から快速マリンライナーで約1時間。空路・高速バス・フェリー・鉄道のどれでも四国に入れます。所要時間や本数はダイヤ改正で変わるので、出発前に最新の時刻表で確認してください。

歩き通すことだけが目的ではありません。交通機関を使う、何回かに分ける、予定を変更して引き返すこともできます。無理をせず、安全にお参りを続けてください。

要点

日数は手段しだい(車なら約7〜11日)。宿は早めの予約が鉄則です。

11/16聖も俗もない、もてなしの心

四国遍路の特徴:お接待

四国を巡っていると、地元の人が「これ持っていき」とお茶やみかんを差し出してくれることがあります。これがお接待おせったい。四国遍路をいちばん象徴する文化に、深い仏教の心が隠れています。

お接待おせったいとは、地域の方がお遍路へんろさんに食べ物や飲み物、休む場所などを差し出し、道中を支える風習です。お遍路さんを敬い、助けることで、接待する側も巡拝の功徳にあずかると伝えられてきました。

「お遍路さんにお大師さまのお姿を重ねて接する」という信仰が、この風習を支えています。お接待は観光サービスではなく、差し出す方の信仰と善意によるものです。受ける側も、当然のものと思わずに向き合います。

お接待を受けたら、感謝を伝え、お礼に納め札おさめふだをお渡しするのが古くからのならわしです。体調やアレルギーなどで受けられないときは、事情を伝えて丁寧に辞退しても差し支えありません。

「お接待」を受けたら、どうする?

1感謝して受ける体調などで受けられないときは、丁寧に事情を伝える。
↓
2お礼に納め札おさめふだをお渡しするお接待への返礼は、品物ではなく納め札が習わし。
↓
3感謝を言葉にする「ありがとうございます」「南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう」と。図々しく求めない。

お接待は、お遍路さんにお大師さまのお姿を重ねて道中を支える四国の文化。受けたら感謝を伝え、納め札を渡す。体調などで受けられないときは、事情を伝えて丁寧に辞退してよい。

四国では、地元の人がお遍路に飲み物や食べ物をふるまう「お接待おせったい」の文化があります。これはお遍路の背にいるお大師さまへの喜捨きしゃでもあります。
要点

お接待は、信仰と善意によって道中を支える文化です。感謝して受け、納め札おさめふだをお渡しします。

12/16始まりも終わりもない

四国遍路の特徴:円環状巡礼

八十八の札所ふだしょが四国を囲むように連なり、巡礼路が大きな輪を描くことは、四国遍路の特徴です。

1番霊山寺りょうぜんじから番号順に巡れば、徳島・高知・愛媛・香川を経て、88番大窪寺おおくぼじで結願けちがんします。ただし、出発点も巡る順番も自由です。結願後の高野山や1番札所へのお礼参りも、必ず行わなければならないものではありません。

四国を一周する回遊型の巡礼

88 → 1徳島高知愛媛香川無始無終始まりも、終わりもない

1番霊山寺から番号順に巡ると、徳島・高知・愛媛・香川を経て88番大窪寺で結願する。ただし、出発点も順番も自由で、結願後のお礼参りも必須ではない。

四国遍路は、八十八の札所と道が大きな輪を描く回遊型の巡礼です。出発点も巡る順番も自由で、できる範囲に区切って巡れます。

文化庁の日本遺産は、四県にまたがる巡礼路と、地域の人々が守ってきた回遊型かいゆうがたの巡礼文化を、この道の大きな特徴として紹介しています。世界の巡礼に例がないと断定するのではなく、四国遍路が持つ固有の景観と文化として受け止めるのが適切です。

要点

八十八の札所と道が四国を一周する、回遊型の巡礼です。どこから始め、どこで区切るかは巡る人が決められます。

13/16いつから、どうやって、この形になったのか

四国遍路の歴史:辺地修行から大衆化へ

四国遍路しこくへんろは、ある日だれかが一気に作ったものではありません。海辺を歩いた古代の行者から、白装束で巡る現代の遍路へんろまで、千年かけて少しずつ今の姿になりました。その「移り変わり」こそが、いちばん面白い入口です。

白衣に菅笠、金剛杖で四国の遍路道をゆくお遍路の姿
海辺や山を、ひたすら歩いた古代の辺地へぢ修行。千年かけて、今の遍路の姿になりました。

起源は一つに定まらない

四国遍路は、「弘法大師こうぼうだいし(空海)が八十八ヶ所を開いた」と伝えられています。ただ、その起源を歴史資料で確かめると、諸説あっていまも確定していません。大師の足跡を僧侶や修験者しゅげんじゃが辿ったという説、衛門三郎えもんさぶろうという人物が大師を追った説、大師の高弟が入定にゅうじょう後に巡ったという説などがあり、四国八十八ヶ所霊場会や自治体の公式見解も「はっきりしたことはわからない」としています。まず、ここが出発点です。

では原型は何か。古代から中世にかけての辺地へぢ修行です。海岸や山林をひたすら歩いて巡る頭陀ずだ(修行の旅)で、平安末の歌謡集『梁塵秘抄りょうじんひしょう』や説話集『今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう』には、すでに「四国の海辺をめぐる」行者の姿が描かれています。研究(大石 2024)によれば、12世紀の時点で、いまの遍路にかなり近いルートが歩かれていたと考えられます。

お遍路は、どうやって今の形になった?

平安〜辺地へぢ修行一部の修行者が、四国の海辺の難所を歩いて修行した。
1687年真念『道指南みちしるべ』すでにあった札所と巡り方を、案内書として広く伝えた。
近代交通で大衆化鉄道・バス・車が発達し、全国から人が訪れるように。
2015年日本遺産に認定ストーリー#015として、独自の巡礼文化が評価された。

平安末には四国の海辺を巡る修行者の記録があり、室町期には八十八ヶ所や同行二人の古い用例が見える。1653年の澄禅の日記には番号を付した巡拝が記され、1687年に真念の案内書が刊行された。2015年に日本遺産に認定。

今のような「八十八ヶ所巡り」は、はじめからあったわけではありません。長い時間をかけて、少しずつ今の形になりました。

八十八ヶ所の成立

中世になると、この道を物語る言葉や数が、文字の上にも現れはじめます。「同行二人どうぎょうににん」という言葉が確かめられる古い例は、永正えいしょう10年(1513年)、80番讃岐国分寺さぬきこくぶんじの本堂に残された落書きです。「四国中辺路へんろ、同行どうぎょう只二人納おさめ申し候」と記されています。「四国八十八ヶ所しこくはちじゅうはっかしょ」という呼び名も、高知県本川村ほんがわむらの地蔵堂にある鰐口わにぐち(文明ぶんめい3年=1471年の銘)にさかのぼるとされ、室町のころには、この数がすでに意識されていたとみられます。

そこへ中世以降、いろいろな信仰の人々が重なっていきます。熊野くまの信仰の山伏やまぶし、踊り念仏の時衆じしゅう、諸国を勧進して歩いた高野聖こうやひじり、お経を六十六ヶ国に納めて回る六十六部ろくじゅうろくぶ。こうした多様な聖ひじりが幾重にも積み重なり、戦国期から近世のはじめにかけて「八十八ヶ所をめぐる」という形が固まりました。つまり遍路は、一人の人物が一度に作った道ではなく、多くの人が長い時間をかけて作った道なのです。

「遍路へんろ」という字も、はじめからこの形だったわけではありません。古くは海辺をたどる道を「辺地へぢ」「辺路へじ」と書き、いまの「遍路」が広く使われるようになったのは元禄げんろく年間(1688〜1704年)ごろとされます。真念しんねんの案内書も、題には『四国辺路へんろ道指南』と「辺路」の字を用いています。

真念しんねんが1687年(貞享じょうきょう4年)に刊行した『四国辺路道指南しこくへんろみちしるべ』は、札所と道を案内する近世の代表的な書物です。ただし、番号を付して通しで巡る形は、それ以前の澄禅ちょうぜん『四国辺路へんろ日記』(1653年)にも見えます。真念が番号や順番を初めて定めたのではなく、当時すでにあった巡り方を案内書として広めたと考えるのが適切です。実際の巡礼者は番号順に限らず、上陸した港に近い札所から始め、番外の霊場にも参りました。

伊能忠敬が歩いて実測した日本地図のうち、四国を中央に描いた一枚
伊能忠敬いのうただたかが歩いて実測した『伊能日本実測小図』に描かれた四国。江戸時代の遍路は、海をへだてたこの地へ船で渡って巡りました。国立国会図書館デジタルコレクションより

近世の記録と道標

この道を歩きやすくしたのは、道標みちしるべ(道しるべの石)を残した人々でした。真念しんねんはみずから四国を巡りながら、道々に200余りとも伝わる標石ひょうせきを建てます。今治いまばりの武田徳右衛門たけだとくえもんは、次の札所ふだしょまでの里数を刻んだ丁石ちょうせきを100基以上残しました。周防すおう(山口県)の中務茂兵衛なかつかさもへえにいたっては、生涯に280度も巡拝し、行く先々に230を超える道標を立てています。いまあなたが頼りにする一本の道しるべにも、こうした人々の願いがこもっています。

現存する近世初期の重要な巡拝記録が、澄禅ちょうぜんの『四国辺路へんろ日記』(1653年)です。これより早い1638年の巡拝記録とされてきた『空性法親王四国霊場御巡行記くうしょうほっしんのうしこくれいじょうごじゅんこうき』には、後世の創作とする研究があり、「現存最古」とは断定できません。

服装と巡拝の変化

江戸時代の遍路に一律の服装はなく、『守貞謾稿もりさだまんこう』にも身なりは定まらないと記されています。現在の白装束は遍路を象徴する姿ですが、その装い方は近代以降にも変化してきました。古くから全員が同じ白装束で巡っていたわけではありません。

有名な衛門三郎の伝説も、よく見ると一筋縄ではいきません。実は二つの系統があります。江戸期の僧澄禅ちょうぜんや真念らが伝える話は、強欲な衛門三郎が大師の鉢を割り、その後に大師を慕って四国を巡る、いわば「大師信仰の物語」。一方、永禄10年(1567年)の石手寺いしてじの刻板に残る古い形は、衛門三郎が貪欲どんよくゆえに仏神に背き、子ども8人を一度に失い、最後にただ石を渡されるだけ、という厳しい話です。研究では、後者(石手寺いしてじの熊野くまの信仰の由来を語る話)の方が本来形で、大師信仰がふくらむなかで前者へ変わっていったと考えられています(寺内 2017ほか)。この伝説をそのまま「四国遍路の起源」と単純化はできません。

衛門三郎の伝説、二つの系統

古い形(1567年の刻板)石を渡されるだけの、厳しい話貪欲どんよくゆえに仏神に背いた衛門三郎が、子を失い、最後にただ石を渡される。石手寺いしてじに残る。
広まった形(江戸期)大師を追って四国を巡る話大師の鉢はちを割った衛門三郎が悔い、大師を慕って四国を巡る。お遍路の始まりを語る物語に。

古い形は1567年の石手寺の刻板に残る話で、貪欲ゆえに仏神に背き、子を失い、最後に石を渡されるだけの厳しい物語。広まった形は江戸期のもので、大師の鉢を割った衛門三郎が悔いて大師を追い、四国を巡るお遍路の始まりを語る物語。研究では古い形が本来と考えられている。

研究では、古い形(石手寺いしてじの熊野くまの信仰の由来を語る話)が本来と考えられています。伝説も、大師信仰の広がりとともに育ってきました。

巡礼というと自由なイメージですが、江戸時代の四国遍路はむしろ厳重に管理されていました。とりわけ土佐藩とさはん(高知)が最も厳格で、遍路は往来手形おうらいてがた(身分証明書のようなもの)を持ち、四国の外から来た者は港で船揚ふなあがり切手を受け、番所で照合されました。土佐藩は入国口を二ヶ所に限り、約400kmの行程に30日の期限、宿は一泊限り、ルートも固定という制限を課しています(Kouamé 1997、Moreton 2001)。ただし番所の役人は取り締まるだけでなく、病人への手当てや村送りむらおくり、行き倒れた遍路の埋葬も担っていました。

  • 起源:諸説あり未確定。「空海が開いた」と言い切るのは不正確(霊場会・自治体も「わからない」と明記)
  • 原型:平安の辺地へぢ修行。『梁塵秘抄』『今昔物語集』に12世紀の海辺めぐりが見える
  • 成立:熊野・山伏・時衆・高野聖・六十六部など多様な聖が重なり、戦国〜近世初頭に八十八ヶ所として確立
  • 番号の定着:真念『四国辺路道指南』(1687年)の頃には定着していた
  • 服装:江戸期は一律の決まりがなく、現在の白装束の姿は近代以降にも変化した
  • 統制:江戸期は往来手形・番所で管理。土佐藩が最も厳格(入国2口・30日制限・一泊限り)
要点

起源は諸説あり未確定。平安の辺地へぢ修行から、千年かけて多くの人が作りあげた道です。

14/16四国各地に残る道

昔ながらの遍路道

古い遍路道へんろみちは、お大師さまに会いたくて人々が歩んだ道。阿波だけでなく、土佐・伊予・讃岐にも、札所と里、山、海辺を結ぶ昔ながらの道筋が残っています。

国の史跡指定資料や県・市町教育委員会の調査報告書には、四県それぞれの旧道名が記録されています。ただ、道名だけを並べても、どこを歩くのか、どれくらい長いのか、山を越えるのかは分かりません。ここでは全指定名の羅列ではなく、区間・距離・高低差の目安まで示せる代表的な道筋に絞って見ます。

旧遍路道は、どこをどれだけ歩く道か

阿波
焼山寺道山越え

11番藤井寺 → 12番焼山寺 → 鍋岩

藤井寺から長戸庵・柳水庵を経て焼山寺へ上がる、阿波の代表的な難所。

長さ15.6km
標高・上り海抜0m近く→700m級
鶴林寺道山寺への上り

19番立江寺 → 20番鶴林寺

里から一気に山上の札所へ上がる区間。20番前後で道の負荷が大きく変わる。

長さ約13.2km
標高・上り里→約550m
太龍寺道山越え

20番鶴林寺 → 21番太龍寺

鶴林寺を下って、再び太龍寺へ上がる。阿波の山岳札所を結ぶ道。

長さ約6.1km
標高・上り下り約460m→登り返し
かも道急な山道

加茂谷(一宿寺) → 21番太龍寺

太龍寺へ向かう古い登拝路。図の外に名前だけ出すのではなく、加茂谷から山へ入る道として見る。

長さ約4.8km
標高・上り上り約450m
平等寺道・薬王寺道里道・峠道

21番太龍寺 → 22番平等寺 → 23番薬王寺

平等寺から阿南南部・海部郡境へ向かう道筋。山寺型の急登ではなく、長さで効く区間。

長さ約10.3km / 約20.2km
標高・上り山寺から里へ、さらに海辺へ
土佐
最御崎寺道岬の上り

室戸岬 → 24番最御崎寺

海岸から室戸岬上の札所へ上がる、土佐最初の道筋。

長さ約0.6km規模
標高・上り海辺から岬上へ
竹林寺道・禅師峰寺道山腹の旧道

31番竹林寺・32番禅師峰寺周辺

高知市域の札所を結ぶ短い旧道。距離は短いが、平地の道ではない。

長さ指定区間 849m
標高・上り五台山の上り
青龍寺道峠越え

塚地坂・竜坂(35番清瀧寺 → 36番青龍寺)

宇佐湾側へ抜ける峠道。短くても、道の印象は平坦な町道とまったく違う。

長さ約1.6km
標高・上り峠 約190m
神峯寺道急登

26番金剛頂寺方面 → 27番神峯寺

土佐の山寺へ上がる道。距離よりも標高差で厳しさが出る。

長さ山麓から約4km規模
標高・上り神峯寺 約450m
伊予
大寶寺道・岩屋寺道山岳札所

44番大寶寺 → 45番岩屋寺

岩屋寺はふもとから本堂まで急こう配の参道が続く。伊予の山岳感が強い区間。

長さ札所間 約8km
標高・上り岩屋寺 約650m
横峰寺道山道

60番横峰寺へ上がる道

石鎚信仰の山域に入る道。平野部の札所めぐりとは負荷が変わる。

長さ上道 9.1km規模
標高・上り石鎚山北麓
浄瑠璃寺道里の遍路道

46番浄瑠璃寺周辺

山岳難所ではなく、松山市南部の札所群を結ぶ旧道として見る。

長さ松山市域の旧道
標高・上り低山・里道
讃岐
曼荼羅寺道里山の道

71番弥谷寺 → 72番曼荼羅寺

短いが、弥谷寺から善通寺周辺へ向かう流れをつかむ入口になる。

長さ指定区間 約0.9km
標高・上り弥谷山麓
しろみね道山上の尾根道

81番白峯寺 → 82番根香寺

白峯寺と根香寺を結ぶ、讃岐でも地形がはっきり出る道。

長さ約4.8km
標高・上り五色台の山上道
大窪寺道結願前の山道

87番長尾寺 → 88番大窪寺

結願の札所へ向かう最後の長い道。平地から山へ入る感覚が強い。

長さ約15〜16km
標高・上り大窪寺は山間

距離・標高は歩く区間の概数です。国史跡の指定範囲長とは一致しない場合があります。

代表的な旧遍路道について、阿波、土佐、伊予、讃岐ごとに、対応する札所や地域、距離の概数、高低差や標高の目安、山道か里道かを示す。

道名だけでは位置も負荷も分からないため、区間・距離・高低差の目安が確認できるものに絞りました。距離は歩くルートの概数で、国史跡の指定範囲長そのものとは限りません。

距離や標高の数字は、道を実際に歩くときの感覚をつかむための目安です。国史跡の指定範囲や調査報告書の対象範囲とは一致しないことがあります。大切なのは、遍路道が単なる寺名の列ではなく、里から山へ、山から海へと身体で移る道だった、ということです。

要点

昔ながらの遍路道は、札所名の一覧ではなく、里・山・峠・海辺を身体でたどる道です。

15/16当サイトを運営する札所

第22番 平等寺

平等寺びょうどうじは徳島県阿南あなん市にある第22番札所です。ご本尊は薬師如来やくしにょらい。病と苦しみを癒す仏さまとして信仰されています。

第22番平等寺の境内
平等寺びょうどうじ(22番)の境内。八十八ヶ所はちじゅうはっかしょのなかでも東に位置する、当サイトを運営する寺院です。 写真 © AreaPhoto / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

平等寺びょうどうじの院号は、医王院いおういん・日光院にっこういんです。八十八ヶ所はちじゅうはっかしょのなかでも東に位置し、寺の名は、弘法大師こうぼうだいしが「平等に衆生しゅじょうを救おう」と願ったことに由来すると伝わります。境内には、大師が掘ったという「白水しろみずの井戸」が今も残ります。

真念しんねんの『四国辺路道指南しこくへんろみちしるべ』(1687年)にも、平等寺は本尊薬師如来やくしにょらい・南向き・那賀郡なかぐんと記されています。前後には、21番太龍寺たいりゅうじと23番薬王寺やくおうじがあります。

お参りの作法は、これまでの章のとおりで大丈夫です。本尊薬師如来やくしにょらいについては本尊のページで、お寺のライブ配信では日々の護摩ごまの様子もご覧いただけます。ご縁がありましたら、どうぞ平等寺びょうどうじへお参りください。

要点

平等寺は、徳島県阿南市にある第22番札所です。ご本尊は薬師如来です。

16/16安全に巡るために

出発前に確かめること

巡る順番や手段を決めたら、札所の案内、道、天候、宿を出発前に確認します。情報は変わるため、古い案内だけに頼らないことが大切です。

白衣に菅笠、金剛杖で四国の遍路道をゆくお遍路の姿
白衣に金剛杖、菅笠。装束を整えれば気持ちが切り替わります。普段着のままのお参りも、もちろん構いません。
  • 納経所の受付は原則8時から17時までです。納経を受ける場合は、混雑も考えて余裕を持って到着してください。
  • 歩く区間は紙の地図も用意し、携帯電話の圏外や電池切れに備えます。通行止めや迂回路は、自治体や霊場会などの最新情報を確かめてください。
  • 体調と天候を優先してください。予定どおりに進めないときは、交通機関を使う、宿を変更する、引き返す判断も必要です。
要点

最新情報を確かめ、無理のない予定を立てることが、安全な巡拝につながります。

よくある質問

参考文献

出典・参考文献

本文の確認に用いた一次史料、公的機関・霊場会の案内、主な研究文献を、分野ごとに掲げます。

一次史料・翻刻・史料批判

空海『三教指帰』、797年。阿波の大瀧嶽、土佐の室戸崎での修行を記す、空海自著の基礎史料。
伝・空海『御遺告』。御入定信仰と「同行二人」を考える際に参照される真言宗の根本史料。
『今昔物語集』巻三十一、『梁塵秘抄』巻二。平安期の「四国辺地」修行をうかがわせる文献。
本川村地蔵堂鰐口、1471年。「八十八ヶ所」呼称の早い例として参照されるが、年代理解には慎重を要する。
讃岐国分寺本堂落書、1513年。「同行二人」の早い用例として参照される札所資料。
『空性法親王四国霊場御巡行記』、1638年とされる道中記。後世の創作説があり、史料批判を要する。
澄禅『四国辺路日記』、1653年。現存する最古級の通し巡拝日記。
真念『四国邊路道指南』、1687年。内田九州男翻刻、瀬戸内海歴史民俗資料館蔵。八十八ヶ所の巡拝順と案内記の成立を示す基礎史料。
真念『四國邊路道指南』内田九州男翻刻、瀬戸内海歴史民俗資料館蔵、PDF版。
寂本『四国徧礼霊場記』、1689年。札所縁起と霊場像を伝える近世案内記。
小松勝記「創作された四国ヘンロ資料:空性法親王四國靈場御巡行記」『愛媛大四国遍路研究会報告』、2008年。

研究史・基礎文献・総合調査

前田卓「四国遍路の社会学的研究」『密教文化』、1966年。
前田卓「西国巡礼と四国遍路の再考察と現在の巡礼者の動き(その1)」『関西大学社会学部紀要』、1990年。
愛媛県生涯学習センター編『四国遍路のあゆみ』「ふるさと愛媛学」調査報告書、2000年度。データベース「えひめの記憶」収載。
愛媛県生涯学習センター編『伊予の遍路道』「ふるさと愛媛学」調査報告書、2001年度。データベース「えひめの記憶」収載。
松尾剛次「四国遍路図考」『山形大学歴史地理人類学論集』第2号、2001年。
頼富本宏・白木利幸編『四国遍路の研究』国際日本文化研究センター、2001年。
愛媛県生涯学習センター編『遍路のこころ』「ふるさと愛媛学」調査報告書、2002年度。データベース「えひめの記憶」収載。
浅川泰宏「巡られる人々:四国遍路の民俗誌・史」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』第54号、2002年。
寺内浩「平安時代の四国遍路辺路修行をめぐって」『愛媛大学法文学部論集 人文学科編』第17号、2004年。
栗田英彦「四国遍路の展開における講集団の関わり」『東北大学宗教学年報』、2007年。
浅川泰宏「四国遍路の今日的展開:二極化する巡礼実践」『宗教研究』、2007年。
越智淳「四国八十八ヶ所・お遍路に関する調査研究:文化遺産として後世に残す」高知工科大学卒業研究、2007年。
河野昌広「四国遍路における地域の活性化」『宗教研究』、2009年。
稲田道彦「幕末期の四国遍路の巡礼路の変更」『香川大学経済論叢』、2011年。
内田九州男「四国遍路、そのスタイルの諸特徴について」『日本オーラルヒストリー研究』、2012年。
松井圭介「宗教研究におけるフィールドワーク」『人文地理学研究』第34号、2014年。
浅川泰宏「巡礼が刻む道と時」『歴史地理学』第273号、2015年。
川岡勉「四国遍路の形成をどう読み解くか」『四国遍路と世界の巡礼』第3号、2018年。
岡本亮輔「信仰なき聖地巡礼」『宗教研究』、2020年。
胡光「日本の巡礼の諸相」『交通史研究』、2021年。
Naomi Zimmer, "Pilgrimage to the 88 Temples of Shikoku: A Bibliography of Resources in English," University of Hawaiʻi LIS 705 project, 2005.
モートン常慈「ハワイからの四国遍路巡拝団の歴史」『四国遍路と世界の巡礼』第7号、2022年。
大本敬久「四国遍路に関する民俗文化財の継承と課題」『四国遍路と世界の巡礼』第8号、2023年。
浅川泰宏「観音巡礼のフィールドワークからの逆照射」『四国遍路と世界の巡礼』第8号、2023年。
大村和人「横川唐陽『四國遍路詞』について」『言語文化研究』第32号、2024年。
大村和人「横川唐陽の訪寺詩について:『四國遍路詞』補論」『言語文化研究』第33号、2025年。

形成史・辺地修行・弘法大師信仰

真野俊和「弘法大師の母あこや御前の伝承と四国霊場縁起」『上越教育大学研究紀要』、1986年。
大石雅章「四国遍路と弘法大師信仰」『四国遍路と世界の巡礼』第1号、2016年。
寺内浩「四国遍路縁起と西国巡礼縁起」『愛媛大学法文学部論集 人文学編』第42号、2017年。
寺内浩「衛門三郎伝説と熊野信仰」『四国遍路と世界の巡礼』第2号、2017年。
川岡勉「日本中世の巡礼寺社参詣と地域権力」『四国遍路と世界の巡礼』第2号、2017年。
守田逸人「中世四国における寺院の興亡と荘園制」『四国遍路と世界の巡礼』第3号、2018年。
長谷川賢二「四国遍路の形成と修験道・山伏」『四国遍路と世界の巡礼』第3号、2018年。
西耕生「山踏みと山廻り:古典文学と山林修行」『四国遍路と世界の巡礼』第4号、2019年。
寺内浩「古代中世における辺地修行のルート」『四国遍路と世界の巡礼』第5号、2020年。
大本敬久「『三教指帰』に見る空海と四国」『四国遍路と世界の巡礼』第6号、2021年。
Eiji Okawa, "The Development of the Shikoku Henro: Formation and Dissemination in Pre-Modern Japan," M.A. thesis, University of British Columbia, 2009.
John Shultz, "The Way to Gyō: Priestly Asceticism on the Shikoku Henro," Japanese Journal of Religious Studies, 2016.
大石雅章「古代中世史料から読み解く四国遍路」『四国遍路と世界の巡礼』第9号、2024年。
寺内浩「空也と辺地修行」『四国遍路と世界の巡礼』第9号、2024年。
川岡勉「伊予の中世史料から探る弘法大師信仰と四国遍路」『四国遍路と世界の巡礼』第9号、2024年。
福田安典「空海・弘法大師と平賀源内」『四国遍路と世界の巡礼』第9号、2024年。
川島佳弘「四国遍路と中世城館:弥谷寺と天霧城」『四国遍路と世界の巡礼』第10号、2025年。
三好賢子「空海の姿・御影について」『四国遍路と世界の巡礼』第11号、2026年。
大本敬久「コメント:空海の史実・弘法大師の真実」『四国遍路と世界の巡礼』第11号、2026年。
寺内浩「空海と辺地修行:入唐前の空海」『四国遍路と世界の巡礼』第11号、2026年。
渋谷啓一「空海・弘法大師の幼少期について」『四国遍路と世界の巡礼』第11号、2026年。

近世遍路・案内記・道中記・制度

和田哲也「武田家の私塾「神全塾」について」『教育史学会紀要』第35号、1992年。
白木利幸「宥辨真念と四国遍路」『日本研究』、2000年。
井上淳「資料紹介:四国西国順拝記」『研究紀要』第6号、2001年。
稲田道彦「江戸時代末期と明治初期の二家族の四国遍路の旅」『香川大学経済論叢』、2001年。
井上淳「道中日記にみる四国遍路:『四国西国順拝記』を中心に」『研究紀要』第11号、2006年。
Nathalie Kouamé, "Shikoku Local Authorities and Henro during the Golden Age of the Pilgrimage," Japanese Journal of Religious Studies, 1997.
David C. Moreton, "An Examination of Travel Literature on the Shikoku Pilgrimage Route and Warnings Contained Within," 『徳島文理大学研究紀要』, 2005.
衣川仁「徳島藩駅路寺制に関する一考察」『人間社会文化研究』、2009年。
柴谷宗叔「江戸時代の四国番外札所:澄禅『四国辺路日記』を中心に」『印度學佛教學研究』、2010年。
柴谷宗叔「四国遍路の目的意識:澄禅『四国辺路日記』と現在との比較」『宗教研究』、2011年。
柴谷宗叔「江戸時代前期の四国遍路模様:澄禅『四国辺路日記』を中心に」『印度學佛教學研究』、2011年。
柴谷宗叔「澄禅『四国辺路日記』から読み取る江戸時代前期の様相」『印度學佛教學研究』、2011年。
柴谷宗叔「二大霊場巡拝者の実態:四国と西国を比較して」『宗教研究』、2012年。
柴谷宗叔「澄禅『四国辺路日記』の検証」『印度學佛教學研究』、2012年。
稲田道彦「最初期の四国遍路のガイドブック:『四国邊路道指南』と『四国徧禮道指南』の相違」『香川大学経済論叢』、2012年。
湯麗ほか「日本の近世女性のあり方:『桜戸日記』を中心に」『徳島大学地域科学研究』第3号、2013年。
稲田道彦「日本廻国六十六部と四国遍路:浄慶の納経帳から」『香川大学経済論叢』、2013年。
須藤茂樹ほか「古文書からみた薬王寺の諸相(1):御札を配る」『四国大学紀要』、2014年。
稲田道彦「江戸時代後期の阿波と土佐の四国遍路の宿泊」『香川大学経済論叢』、2015年。
松永友和「四国遍路札所寺院の本末争論関係資料:雲辺寺所蔵文書」『徳島県立博物館研究報告』、2016年。
柴谷宗叔「四国地方における各種巡礼」『印度學佛教學研究』、2016年。
稲田道彦「四国徧禮道指南における聖地の景観」『四国遍路と世界の巡礼』第1号、2016年。
西聡子「近世後期の遍路日記に関する基礎的考察:酒井弥蔵旅日記を中心に」『書物・出版と社会変容』第20号、2016年。
須藤茂樹「史料紹介:薬王寺来由記」『四国大学紀要』、2016年。
井上淳「近世後期における四国遍路の普及:菱垣元道をめぐって」『四国遍路と世界の巡礼』、2017年。
松永友和「四国遍路札所寺院と徳島藩・江戸幕府:元禄期本末争論」『四国遍路と世界の巡礼』、2017年。
西聡子「近世後期の地域文化と四国遍路:阿波半田地域を中心に」『四国遍路と世界の巡礼』、2018年。
小嶋博巳「六十六部巡礼地再考」『四国遍路と世界の巡礼』第4号、2019年。
高嶋賢二ほか「伊方町で発見された愛媛県内最古の遍路日記」『四国遍路と世界の巡礼』第4号、2019年。
土佐清水市史編さん室「真念の『四国徧禮道指南』について」『市史編さん便り』第48号、2021年。
稲田道彦「江戸・明治時代の四国遍路の宿の案内書」『四国遍路と世界の巡礼』、2021年。
胡光「新発見の遍路日記『四国順拝みちの日記』」『四国遍路と世界の巡礼』、2021年。
町田哲「近世前期阿波国真言宗寺院における本末関係の形成:五番札所地蔵寺を中心に」『鳴門教育大学研究紀要』、2022年。
山形隆司「廻国行者による四国遍路」『四国遍路と世界の巡礼』、2025年。
山口県立文書館「四国旅日記」『小田家文書(H26g01)』、年不詳。
山口県立文書館「四国道中日記」『片山家文書(H27g06)』、年不詳。
山口県立文書館「道中記」『野村家文書(H27g07)』、年不詳。
松永友和「武士の四国遍路:徳島藩士の遍路日記を中心に」『四国遍路・世界の巡礼研究センター紀要』、2021年。

近代遍路・交通・制度・組織化

林淳「明治五年修験宗廃止令をめぐる一考察」『禅研究所紀要』、2001年。
森正人「近代における空間の編成と四国遍路の変容」『人文地理』、2002年。
北川純也「近代化における聖地巡礼に関する一考察」『コンテンツツーリズム学会論文集』、2014年。
小幡尚「戦争と四国遍路:高知の事例」『四国遍路と世界の巡礼』第1号、2016年。
中川未来「明治初期の遍路統制:根拠法令とその運用」『四国遍路と世界の巡礼』、2018年。
中川未来「四国遍路が歩いた近代の道路」『四国遍路と世界の巡礼』第5号、2020年。
小幡尚「四国の四つのパゴダ」『四国遍路と世界の巡礼』第6号、2021年。
井上淳「大正6年、自転車遍路がみた札所の様相」『四国遍路と世界の巡礼』第8号、2023年。
浅川泰宏「近代四国霊場の組織化:讃岐寺院会10年史」『四国遍路と世界の巡礼』第10号、2025年。

現代遍路・観光・世界遺産化

浅川泰宏「四国遍路のツーリズム化と観光概念のポジション」『文化』第26号、2008年。
山川廣司「四国遍路の魅力:人はなぜ遍路に出るのか」四経連「四国学」調査研究論文、2012年。
大藪明生「文化資源を活用した市民的連帯の分析」『ノンプロフィット・レビュー』、2013年。
水谷昌義「四国遍路の変容から見る現代の巡礼の方向性」『東京経大学会誌 経営学』第278号、2013年。
「四国八十八箇所霊場と遍路道」世界遺産登録推進協議会『世界遺産暫定一覧表記載資産候補提案書:四国八十八箇所霊場と遍路道』、2016年。
上野進「近現代の四国遍路研究によせて」『四国遍路と世界の巡礼』第1号、2016年。
「四国八十八箇所霊場と遍路道」世界遺産登録推進協議会『平成29年度協議会資料』、2017年。
竹川郁雄「調査データで見る現代の四国遍路」『四国遍路と世界の巡礼』第2号、2017年。
「四国八十八箇所霊場と遍路道」世界遺産登録推進協議会『令和元年度国際シンポジウム報告書』、2019年。
「四国八十八箇所霊場と遍路道」世界遺産登録推進協議会『国際シンポジウム資料』、2019年。
「四国八十八箇所霊場と遍路道」世界遺産登録推進協議会『第27回国際シンポジウム報告書』、2019年。
「四国八十八箇所霊場と遍路道」世界遺産登録推進協議会『第28回国際シンポジウム報告書』、2019年。
「四国八十八箇所霊場と遍路道」世界遺産登録推進協議会『第29回国際シンポジウム報告書』、2019年。
「四国八十八箇所霊場と遍路道」世界遺産登録推進協議会『第30回国際シンポジウム報告書』、2019年。
武田美恵「美波町における遍路宿を活用した地域活性化」『日本インテリア学会論文報告集』、2020年。
南地伸昭「四国巡礼ツーリズムの経験価値」『観光研究』、2022年。
「四国八十八箇所霊場と遍路道」世界遺産登録推進協議会『協議会資料』2023年7月21日、第1・第2分冊。
「四国八十八箇所霊場と遍路道」世界遺産登録推進協議会『協議会資料』2024年8月23日、第1・第2分冊。
文化審議会「史跡指定答申:伊予遍路道ほか」、文化庁。
文化審議会「史跡指定答申:讃岐遍路道・土佐遍路道ほか」、文化庁、2024年12月。
文化審議会「史跡指定答申:阿波遍路道切幡寺境内・伊予遍路道ほか」、文化庁、2024年6月。
「四国八十八箇所霊場と遍路道」世界遺産登録推進協議会『協議会資料』2025年8月26日、第1・第2分冊。
甲斐未希子「四国遍路の普遍的価値によせて」『四国遍路と世界の巡礼』第10号、2025年。

接待・遍路者経験・宿・身体心理

星野英紀「四国遍路における接待の意味:有田接待講」『宗教研究』第217号、1974年。
高村淳也・篠田基行「遊びと安らぎの研究:四国遍路における巡礼」『日本体育学会大会号』、1998年。
Fiona MacGregor, "Shikoku Henro: A Study of Japanese and Western Pilgrims," M.A. thesis, 2000.
David C. Moreton, "A History of Charitable Giving along the Shikoku Pilgrimage Route (Settai)," M.A. thesis, University of British Columbia, 2001.
石坂徹「四国遍路の運動強度」『日本体育学会大会号』、2003年。
福島直子「遍路の意味空間と体験過程」『人間文化論叢』第9号、2006年。
鈴木無二「巡礼の観光社会学:巡礼経験のカテゴリー化」『早稲田大学プロジェクト研究』第3号、2007年。
浅川泰宏「歩き遍路における意識の変化と宗教的次元」『宗教研究』、2008年。
大賀睦夫「四国遍路におけるメタファー思考について」『人体科学』、2011年。
樋笠奈穂美・黒田乃生「四国遍路における接待所ならびに接待文化の現状と課題」『ランドスケープ研究オンライン論文集』第4巻、2011年。
高橋順子「四国遍路「お接待」に潜むケアの要素」『日本看護研究学会雑誌』、2011年。
黒木賢一「遍路セラピー」『トランスパーソナル心理学・精神医学』、2012年。
森正人「祈りの意味・物質・身体:四国遍路の政治学」『史林』第98巻第1号、2015年。
境徳子「歩き遍路の遍路者にとっての意味と日常や生き方に及ぼす影響(2)」『人間関係研究』、2016年。
藤井容子「四国遍路道の善根宿における住空間構成と利用実態」『日本インテリア学会論文報告集』第28号、2018年。
細谷洋子「生涯スポーツ教育を通じた地域文化理解」『Leisure & Recreation』、2019年。
岡本卓也「道と歩くことの社会心理学(2):コミュニティと道」『コミュニティ心理学研究』、2020年。
竹川郁雄「四国遍路における現代のお接待」『四国遍路と世界の巡礼』第5号、2020年。
藤井容子「四国遍路における善根宿の建築的・運営的実態」『日本建築学会計画系論文集』、2020年。
近藤隆二郎「写し巡礼における身体・空間・時間」『四国遍路と世界の巡礼』第8号、2023年。

遍路道・景観・防災・公的調査

森正人「遍路道にみる宗教的意味の現代性」『人文地理』、2001年。
浅川泰宏・小林潔生「聖地の環境放射線量調査:四国遍路編」『埼玉県立大学紀要』、2012年。
河野昌広「四国遍路と遍路道の再生」『宗教と社会』、2014年。
高知市教育委員会『土佐へんろ道:竹林寺道・禅師峰寺道(五台山)』「四国八十八箇所霊場と遍路道」調査報告書第2集、高知市文化財調査報告書第42集、2014年。本文編および折込図版2点。
新林智典「四国遍路の世界遺産登録運動にみる文化景観の意味変容」『地理学報告』、2016年。
今村賢司「愛媛の道標石から見た四国遍路」『四国遍路と世界の巡礼』第3号、2018年。
宇野宏司「四国霊場八十八ヶ所及び遍路みちの自然災害被災リスクの検証」『土木学会論文集B3(海洋開発)』、2018年。
愛南町教育委員会『国史跡伊予遍路道観自在寺道試掘確認調査』、『愛南町文化財調査報告書』第1集、2020年。
稲田道彦「四国遍路道の景観と巡礼路」『四国遍路と世界の巡礼』第5号、2020年。
鷲野陽子「世界の人々が歩く理由:遍路道のゲストハウス」『四国遍路と世界の巡礼』第7号、2022年。
河野昌広「四国遍路記の難所の変遷から見る道空間の変容」『宗教と社会』、2023年。
花井詠子「四国巡礼者の地震・津波に対する防災・減災行動」『文化看護学会誌』、2023年。
守田逸人「善通寺・曼荼羅寺地域の聖域空間の成立と巡礼僧」『四国遍路と世界の巡礼』第9号、2024年。
渡邉洋心「現代四国遍路の巡拝経験にみる宗教空間の特性」『日本地理学会発表要旨集』、2024年。
岩河朱音ほか「四国遍路文化資産情報の統合管理」『デジタルアーカイブ学会誌』、2025年。
今村賢司「案内記類の作者が捉えた四国遍路の道標石」『愛媛県歴史文化博物館研究紀要』第31号、2026年。

札所別研究・寺院史・文化財

【29番 国分寺土佐】岡本健児ほか「土佐国分寺庫裡改築に伴う発掘調査概報1」国分寺、1979年。
【29番 国分寺土佐】岡本健児ほか「土佐国分寺庫裡改築に伴う発掘調査概報2」国分寺、1979年。
【86番 志度寺】南谷敬「志度寺縁起絵考」『待兼山論叢 美学篇』第14号、1980年。
【15番 阿波国分寺】河野幸夫・一山典「阿波国分寺跡第3次調査概報」『徳島市埋蔵文化財調査報告書』第9集、1981年。
【29番 国分寺土佐】山本哲也「土佐国分寺跡第一次発掘調査概報」南国市教育委員会、1988年。
【29番 国分寺土佐】山本哲也「土佐国分寺跡第二次発掘調査概報」南国市教育委員会、1989年。
【29番 国分寺土佐】山本哲也ほか「土佐国分寺跡第三次発掘調査概報」南国市教育委員会、1991年。
【80番 讃岐国分寺】国分寺町教育委員会『特別史跡讃岐国分寺跡保存整備事業報告書』、1996年。
【12番 焼山寺】尾方洋子ほか「神山町の社寺建築(焼山寺大師堂含む)」『阿波学会紀要』第46号、1999年。
【12番 焼山寺】福家清司「焼山寺文書について」『阿波学会紀要』第46号、1999年。
【75番 善通寺】山之内誠「13世紀前・中期の讃岐国善通寺における造営活動の様相:中世讃岐国善通寺における造営活動の研究 その1」『日本建築学会計画系論文集』第523号、1999年。
【75番 善通寺】山之内誠「14世紀中期の讃岐国善通寺における造営活動の様相:中世讃岐国善通寺における造営活動の研究 その2」『日本建築学会計画系論文集』第533号、2000年。
【86番 志度寺】大橋直義「珠取説話の伝承圏:志度寺縁起と南都律僧勧進」『藝文研究』第80号、2001年。
浅川泰宏「巡礼功徳譚のダイナミズム:四国遍路「尻なし貝」物語」『哲學』第107号、2002年。
【75番 善通寺】善通寺市教育委員会『善通寺旧境内ほか発掘調査報告書9』、2004年。
松尾剛次「四国遍路絵図に関する一考察」『山形大学歴史地理人類学論集』第5号、2004年。
【75番 善通寺】善通寺市教育委員会『善通寺旧境内ほか発掘調査報告書10』、2005年。
【75番 善通寺】善通寺市教育委員会『善通寺旧境内ほか発掘調査報告書11』、2006年。
【80番 讃岐国分寺】渡辺誠「特別史跡讃岐国分寺跡ほか」『高松市埋蔵文化財調査報告』第102集、2007年。
【84番 屋島寺】川畑聰『屋島寺宝物館改築工事に伴う発掘調査報告書』、『高松市埋蔵文化財調査報告』第107集、2007年。
【29番 国分寺(土佐)】森田尚宏『土佐国分寺跡:第4次発掘調査報告書』南国市教育委員会、2009年。本文編および図版編。
【38番 金剛福寺】東近伸「中世金剛福寺の勧進活動と幡多荘」『佛教大学大学院紀要』、2009年。
【82番 根香寺】森下友子「根香寺所蔵の理兵衛焼ほか」『香川県埋蔵文化財センター研究紀要』第9号、2013年。
【81番 白峯寺】木原溥幸「讃岐白峯寺にみる高松藩と地域社会」『香川大学教育学部研究報告』、2014年。
【51番 石手寺】石岡ひとみ・小玉亜紀子「石手寺経塚出土資料」『鹿園雑集』、2015年。
【64番 前神寺】吉川聡「石鎚山の縁起からみた蔵王権現信仰」『奈良文化財研究所紀要』、2015年。
【75番 善通寺】山之内誠「17世紀の讃岐国善通寺における西院伽藍の変遷について」『神戸芸術工科大学紀要 芸術工学』、2015年。
【38番 金剛福寺】大利恵子「金剛福寺文書に見る先例とその効用」『鷹陵史学』、2016年。
【45番 岩屋寺】寺内浩「岩屋寺こけら経・笹塔婆について」『愛媛大学法文学部論集 人文学科編』第40号、2016年。
【71番 弥谷寺】白石凌海「蔵王権現と蛇王権現:弥谷寺をめぐって」『宗教研究』第89巻別冊、2016年。
【1-2番 霊山寺極楽寺】黒崎仁資ほか「鳴門市の社寺建築(霊山寺極楽寺の堂塔含む)」『阿波学会紀要』第61号、2017年。
浅川泰宏「四国霊場の聖年モニュメント」『四国遍路と世界の巡礼』第2号、2017年。
須藤茂樹「第23番札所薬王寺の調査と地域振興」『四国遍路と世界の巡礼』、2019年。
【80番 讃岐国分寺】高松市教育委員会『特別史跡讃岐国分寺跡Ⅰ遺構編』、『高松市埋蔵文化財調査報告』第210集、2020年。
【86番 志度寺】毛塚万里「文化財情報の整備と継承:志度寺縁起」『アート・ドキュメンテーション研究』第27・28号、2020年。
上野進「四国遍路と札所寺院:香川県の札所寺院調査から」『四国遍路と世界の巡礼』第5号、2020年。
村上紀夫「伊予国分寺と脇屋義助廟」『四国遍路と世界の巡礼』第7号、2022年。
松岡明子「四国遍路の札所における大師堂」『四国遍路と世界の巡礼』第7号、2022年。
胡光「四国遍路と食文化:讃岐製糖の新史料」『四国遍路と世界の巡礼』第8号、2023年。
【38番 金剛福寺】大利恵子「金剛福寺所蔵文書の検証と検討」『鷹陵史学』、2024年。
岡本桂典「四国遍路の板碑について」『四国遍路と世界の巡礼』第9号、2024年。

写し霊場・移植された聖地

鎌田道隆・安田真紀子「史料:宇智・吉野郡新四国八十八ヶ所巡拝道中記」『奈良大学総合研究所所報』第3号、1995年。
松田雅子「本四国霊場に対する新四国霊場の模倣形態と実際:知多四国」『名古屋大学人文科学研究』第34号、2005年。
山本準「徳島県における四国八十八か所写し霊場」『鳴門教育大学研究紀要』、2009年。
猪熊兼年「新四国曼荼羅霊場について」『人体科学』、2014年。
S. Lamotte「地域霊場における宗教と観光:篠栗新四国八十八ヵ所」『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』第80号、2015年。
中川未来「植民地台湾の四国八十八ヶ所写し霊場」『四国遍路と世界の巡礼』第1号、2016年。
山口由等「知多半島の巡礼文化と知多四国霊場」『四国遍路と世界の巡礼』第4号、2019年。
田井静明「小豆島霊場と香川県の写し霊場概観」『四国遍路と世界の巡礼』第4号、2019年。
川崎崇博「筑後地域における写し霊場の開設背景:三井四国八十八ヶ所」『久留米大学文学部紀要』第16号、2021年。
藤澤春華・八巻惠子「巡礼の旅を巡る持続可能な地域づくり:香川県直島町写し霊場」『就実大学経営研究』第6号、2021年。
村上由実子「四国遍路と白山信仰:菅生寺」『四国遍路と世界の巡礼』第7号、2022年。
中川未来「日本近代の移民・植民と移植された聖地:開教師・堀智猛の軌跡と北海道、朝鮮、台湾の写し霊場」『四国遍路と世界の巡礼』第10号、2025年。
松花菜摘「史料にみる大島・島四国の開創と変遷」『四国遍路と世界の巡礼』第11号、2026年。
松花菜摘「大島・島四国関係史料集」『四国遍路と世界の巡礼』第11号、2026年。

比較巡礼・英語圏研究・巡礼表象

Hiroshi Tanaka, "Pilgrim Places: A Study of the Eighty-Eight Sacred Precincts of the Shikoku Pilgrimage, Japan," Ph.D. dissertation, Simon Fraser University, 1975.
Eiki Hoshino, "Pilgrimage and Peregrination: Contextualizing the Saikoku Junrei and the Shikoku Henro," Japanese Journal of Religious Studies, 1997.
Ian Reader and Paul L. Swanson, "Editors’ Introduction: Pilgrimage in the Japanese Religious Tradition," Japanese Journal of Religious Studies, 1997.
ジュリウス・バウティスタ「フィリピンにおけるローマカトリック教徒の聖週間の巡礼」『四国遍路と世界の巡礼』第1号、2016年。
モートン常慈「世界の視点から見た四国遍路の魅力:西洋人遍路」『四国遍路と世界の巡礼』第1号、2016年。
青木亮人「文学や漫画から見る近現代の遍路」『四国遍路と世界の巡礼』第1号、2016年。
加藤好文「草の根のアメリカ:マンザナール巡礼」『四国遍路と世界の巡礼』第2号、2017年。
吉田正広「イギリスにおける戦死者の追悼式典と赤いポピー」『四国遍路と世界の巡礼』第2号、2017年。
小嶋博巳「演劇・文学と巡礼」『四国遍路と世界の巡礼』第2号、2017年。
弘末雅士「国民国家における巡礼:インドネシア」『四国遍路と世界の巡礼』第2号、2017年。
河合眞澄「歌舞伎の中の巡礼」『四国遍路と世界の巡礼』第2号、2017年。
石川重雄「伝統中国における朝山進香」『四国遍路と世界の巡礼』第2号、2017年。
胡光「歌舞伎作品の歴史叙述」『四国遍路と世界の巡礼』第2号、2017年。
高橋弘臣「中国・泰山巡礼をめぐって」『四国遍路と世界の巡礼』第3号、2018年。
齋藤貴弘「古代ギリシアの巡礼:エレウシスの秘儀」『四国遍路と世界の巡礼』第3号、2018年。
Him Lal Ghimire, "Heritage Tourism in Japan and Nepal: Shikoku and Lumbini," The Gaze: Journal of Tourism and Hospitality, 2019.
安田慎「信仰とレジャーの狭間で:イスラーム参詣」『四国遍路と世界の巡礼』第4号、2019年。
John Shultz, "Pilgrimaging Through Time: The Theoretical Implications of Continuing Journeys on the Shikoku Henro," International Journal of Religious Tourism and Pilgrimage, 2020.
井上幸孝「メキシコにおけるカトリシズム:聖ヤコブ」『四国遍路と世界の巡礼』第5号、2020年。
大原志麻「サンティアゴ巡礼路:フランス人の道」『四国遍路と世界の巡礼』第5号、2020年。
Ian Reader, "Constructing Identities through the Shikoku Pilgrimage," Japanese Journal of Religious Studies, 2021.
大原志麻「熊野古道とサンティアゴ巡礼路」『四国遍路と世界の巡礼』第6号、2021年。
関哲行「近世の終末論とイェルサレム巡礼」『四国遍路と世界の巡礼』第6号、2021年。
岡田英作「アショーカ王の巡礼譚:インド仏教の巡礼」『四国遍路と世界の巡礼』第7号、2022年。
ホセ・トノ・マルティネス「サンティアゴ巡礼(カミーノ):古代と現代の神話と象徴」『四国遍路と世界の巡礼』第11号、2026年。

公式情報・当寺資料

ツーリズム四国公式サイト。四国遍路の概要、四道場、巡拝距離、観光案内。
四国八十八ヶ所霊場会公式サイト。札所情報、巡拝作法、納経、納め札、御影等の公式情報。
四国別格二十霊場会公式サイト。別格二十霊場と「御大師様の道」の公式情報。
四国遍路世界遺産化の会公式サイト。遍路道の保存・世界遺産化運動・トイレ位置案内地図。
四国遍路情報サイト「四国遍路」。札所基礎情報、参拝作法、別格二十霊場案内。
平等寺住職 谷口真梁「遍路文化と遍路道」講演。

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四国遍路と平等寺を、もう少し深く。

  • 四国八十八ヶ所 札所一覧

    八十八ヶ所それぞれの本尊・御詠歌・縁起・見どころを、一寺ずつ。お参りの前に、訪ねる札所を選べます。

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  • 本尊 薬師如来

    22番平等寺のご本尊。病と苦しみを癒やす薬師如来を、一からやさしく。

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  • 四国遍路ツアー 2026

    阿波の札所を実際に巡る、平等寺のお遍路ツアー。装束も持ち物もここで体験できます。

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  • 縁日大全

    仏さまの縁日はなぜその日なのか。経典の原文から一つずつたどる読みもの。

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