第48番 清滝山 安養院 西林寺

西林寺
本尊十一面観世音菩薩
おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌弥陀仏の世界をたずね行きたくば 西の林の寺に詣れよ
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第48番は 愛媛県(伊予・菩提の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では48番目です。

縁起と歴史
清滝山 安養院 西林寺は、松山市高井町の里山に建ち、寺の前を小川が流れる静かな霊場である。門前には正岡子規の句碑「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」が立つ。「ていれぎ」は刺身のツマに使う水草で、この清流に自生し、松山市の天然記念物とされている。寺伝では天平13年(741年ごろ)、行基菩薩が聖武天皇の勅願により伊予に入り、国司の越智玉純公とともに一宮別当寺として堂宇を建立したという。当初の地は現在の松山市小野播磨塚付近の「徳威の里」とされ、本尊の十一面観音菩薩像を彫造して安置したと伝わる。大同2年(807年)、弘法大師が四国霊場を巡礼して逗留した際、国司の越智実勝公と協議して寺を現在地へ移し、四国八十八ヶ所の霊場と定め、国家安泰を祈願する道場としたと伝わる。当時の村は大旱魃に苦しみ、大師は錫杖で地面を突いて清水の水脈を見出し、「杖の淵」と名づけた。淵は寺の西南約300メートルにあり、水が涸れたことはなく、昭和60年(1985年)の「全国名水百選」にも選ばれた。江戸の寛永年間(1624〜1644年)の火災で堂塔を焼失したが、元禄13年(1700年)に松平壱岐守ら藩吏の寄進で一部が再建された。宝永4年(1707年)には、中興の祖である覚栄法印が雨乞いの成就で松山藩に帰依され、本堂と鐘楼堂の再興に尽力した。江戸末期に大師堂と仁王門が復興し、現在の大師堂は平成20年(2008年)に再建された。
弘法大師との関わり
大同2年(807年)、弘法大師が四国霊場巡礼の途中にこの寺へ逗留したと伝わる。国司の越智実勝公と協議して寺を現在地へ移し、霊場として定めた。大旱魃の際、錫杖で地面を突いて清水を湧かせ「杖の淵」とした逸話は、大師の利益行と結び付けて語り継がれる。
- 天平13年(741年ごろ):行基菩薩が勅願により伊予に入り、徳威の里に堂宇を建立したと伝わる(伝承)
- 大同2年(807年):弘法大師が逗留し、現在地へ移転して霊場と定め、杖の淵を湧出させたと伝わる(伝承)
- 寛永年間(1624〜1644年):火災で堂塔焼失
- 元禄13年(1700年):松山藩吏の寄進で一部再建
- 宝永4年(1707年):覚栄法印が雨乞い成就、本堂・鐘楼堂の再興に尽力
- 江戸末期:大師堂・仁王門を復興
- 昭和60年(1985年):杖の淵が「全国名水百選」に選定
- 平成20年(2008年):大師堂再建
見どころ・伽藍
- 福授地蔵納経所前の庭にあり、一つだけ願いを叶えてくれるとされる
- 孝行竹閻魔堂前で親子の竹が離れずに生え、家庭円満の信仰対象となっている
- 杖の淵大師が湧かせたとされる名水。全国名水百選に選ばれ、杖ノ淵公園にも遺跡が残る
- 子規句碑門前に「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」
- 寺宝『四國偏禮繪圖』(宝暦13年・1763年)ほかの遍路史料
- 西方の林御詠歌のとおり極楽浄土を求める参詣のイメージを持つ寺号
- 本堂には本尊の十一面観世音菩薩が祀られる。秘仏の場合あり(要現地確認)。
- 納経所前の庭には福授地蔵が安置され、一つだけ願いが叶うと信仰される。
- 閻魔堂の前には孝行竹があり、親竹と子竹が離れずに生える家庭円満の象徴とされる。
- 大師堂は江戸末期に復興され、平成20年(2008年)に再建された。
- 仁王門は江戸末期の復興建造物として境内入口を形作る。
- 鐘楼堂は宝永期の再興に関わる建造物の一つと伝わる。
- 境内前の小川と正岡子規の句碑が、高井の里の風景を彩る。
- 杖の淵は寺の西南約300メートルにあり、弘法大師が錫杖で湧かせた霊水の遺跡とされる。杖ノ淵公園として整備されている。
- 創建当初の地である徳威の里(小野播磨塚付近)は、旧跡として伝承に残る。
- 『四國偏禮繪圖』:最古級の四国遍路絵図として貴重(宝暦13年・1763年刊)
- 『四国霊場記』:明治24年(1891年)刊の遍路史料
- 杖の淵:昭和60年「全国名水百選」に選定
- ていれぎ(水草):松山市の天然記念物。子規句碑の舞台
信仰と物語
- 本尊の十一面観世音菩薩は、阿弥陀仏の極楽世界を求める西方の林の寺として、御詠歌が信仰を説く。
- 福授地蔵は幸せを授ける地蔵として、参拝者の願い成就を祈る実践的な信仰の対象である。
- 孝行竹は親子の和合・家庭円満の祈願に結び付けられる。
- 杖の淵の名水は、大師の利益行と旱魃救済の伝承を今に伝える。
- 弘法大師が大旱魃の村で錫杖を突き、清水を湧かせて杖の淵としたという伝承がある。
- 福授地蔵は、お詣りすると一つだけ願いが叶うとされる。
- 孝行竹は親子が離れない竹として、家庭円満のご利益を願う信仰があると語られる。
- 行基の開創と徳威の里からの移転は、大師と越智氏の協議による霊場再定の物語として伝わる。
- 御詠歌「弥陀仏の世界をたずね行きたくば 西の林の寺に詣れよ」
- 正岡子規の句碑「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」(門前)
- 高井の「ていれぎ」は刺身を彩る草として、歌枕や天然記念物でも知られる
- 行基菩薩:天平期の開基と伝わる。
- 弘法大師:大同2年の移転と杖の淵湧出の伝承。
- 越智玉純公・越智実勝公:伊予国司として創建・移転に関わったと伝わる。
- 覚栄法印:宝永期の雨乞い成就と中興。
- 正岡子規:句碑が門前に立つ。
参拝の手引き
- 年中行事は霊場会公式サイトを参照(独自の公式HPなし)
- 地域行事として、杖ノ淵公園周辺の名水・自然イベントと合わせて参拝されることが多い
- 納経時間を7時から17時とする資料がある(松山市観光サイト。最終確認は要電話)。
- 駐車場はあり、無料。
- 宿坊はなし。
- 杖の淵は境内から徒歩圏(約300メートル)。杖ノ淵公園と合わせて巡る参拝者が多い。
- 前の第47番八坂寺から約3.5km、次の第49番浄土寺へ約3.5km。
- 松山自動車道「松山IC」から国道33号線を砥部方面へ進む。森松交差点を左折、森松バスターミナルを左折し、杖ノ淵公園先の交差点を左折して右手。
- 杖ノ淵公園と名水百選の淵、高井町の里山風景が周辺の見どころである。
- 車:松山ICから国道33号線砥部方面、森松経由、杖ノ淵公園先交差点左折
- バス:森松バスターミナル・杖ノ淵公園方面(徒歩圏)
- 〒791-1111 愛媛県松山市高井町1007
- 089-975-0319
- あり(無料)
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。

