夏の無病息災を願う、千年の祈り
弘法大師伝来の秘法を、平等寺の本堂でお勤めします
お名前と願意を読み上げ、きゅうりを病や厄を託す依代として加持します。加持の後、きゅうりは土へ還します。
2026年は7月20日と7月26日、いずれも午後3時からお勤めします。所要時間は約2時間です。
宗派や年齢を問わず、どなたでもお申し込みいただけます。夏を健やかに過ごしたい方、ご家族の無事を願う方にも向いています。
オンラインでお申し込みいただき、ご自宅から配信で参座できます。きゅうりの扱いは申込時の案内に従ってください。
近年は気候変動の影響もあり、夏の暑さが長く、厳しくなっています。体調を崩しやすく、家族の健康も気になる時期です。
昔から人々は、目に見えない病気や災いから身を守るために、さまざまな祈りを大切にしてきました。その一つが「きゅうり加持」です。一本のきゅうりへ病や厄を託し、仏前で加持して土へ還す。夏の無事を願う、寺院の祈祷です。
平等寺では、暑さの厳しい夏の節目の祈りとして、きゅうり加持をお勤めします。
きゅうり加持は、きゅうりを病や厄を託す依代として用い、無病息災を祈る寺院の加持祈祷です。「きゅうり封じ」とも呼ばれます。
夏の土用の丑の日前後に、京都・徳島・山口・東京・岡山・静岡など全国の寺院で行われ、近年ではハワイの日系コミュニティでも継承されている、宗派を超えた祈りの形です。
「加持」という言葉は、サンスクリット語の adhiṣṭhānaの漢訳語です。「加(仏のお力が加わる)」と「持(私たちがそれを受けとめる)」の二字で、双方向のお働きを表します。
お大師さまは『即身成仏義』というお書物の中で、こう説かれました。
仏日の影、衆生の心水に現じ、行者の心水よく仏日を感ずる、之を加持と名づく。
仏という太陽の光が、私たちの心の水面に映る。私たちはその光を感じ取る。その双方向のお働きを「加持」と呼ぶのです。きゅうり加持では、このお働きをきゅうりという一つの依代に集めて、身代わりとなっていただきます。
納経所またはオンラインで、お名前と願いごとをお書きいただき、お布施をお納めください。平等寺が、きゅうり加持のための専用の護符を用意します。
導師(阿闍梨)が薬師如来の御前で印を結び、真言を誦して、願主さまときゅうりが感応するように加持します。身・口・意を調えて祈る、三密加持の作法です。
独鈷杵という仏具で、きゅうりに小さな穴を穿ちます。その中に、願主さまの護符をそっと納めます。加持のお力が、きゅうりの中に静かに移されてゆきます。
直接ご参拝の方は、加持したきゅうりでご自身の体の悪いところを三度撫でてください。オンラインでお申し込みの方は、平等寺でお名前と願意を読み上げて加持いたします。
加持を終えたきゅうりは、境内の清浄な土の中に納めます。きゅうりが土へ還ることに、病や災いが離れていくことを重ねて祈ります。
平等寺オンラインなら、ご自宅からお申し込みいただき、法会にもライブ配信でリモート参座できます。
きゅうりは、病や厄を祈りの中で受け止める器として用いられます。
細長く、手で持って身体を撫でやすく、夏の土用に身近な作物であること。その具体的な形と季節感が、きゅうりを依代として受け止めやすいものにしています。
仏教には「代受苦」という言葉があります。他の存在が苦しみを代わって受け止めるという、慈悲の働きをあらわす言葉です。
きゅうり加持では、きゅうりを願主さまの身代わりとして見立てます。病や厄をそのまま抱え込むのではなく、祈りの中で仏さまへお預けするための受け皿として用いるのです。

土用の頃は、暑さと季節の変わり目が重なり、体調を崩しやすい時期です。水気を多く含むきゅうりは、その季節の身体感覚に近い作物です。
中国の本草学でも、きゅうりは身体を冷やす作物として語られてきました。夏の不調を仏前に託す祈りに、旬の作物を用いることには、生活の実感に根ざした自然さがあります。

古い祈りの言葉にも、瓜が自然に離れる姿を、束縛から解き放たれる比喩として読む感覚が見えます。
古代インドの聖典『リグ・ヴェーダ』第七巻 7.59.12 には、「熟した瓜が蔓から離れるように」という祈りの言葉が残されています。
サンスクリット原文(デーヴァナーガリー)
त्र्यम्बकं यजामहे सुगन्धिं पुष्टिवर्धनम् ।
उर्वारुकमिव बन्धनान्मृत्योर्मुक्षीय माऽमृतात् ॥
IAST 転写
tryambakaṃ yajāmahe sugandhiṃ puṣṭi-vardhanam |
urvārukam-iva bandhanān mṛtyor mukṣīya mā ’mṛtāt ||
日本語訳
三つの眼をもつ聖なる御方を、私たちは祈り敬います。
その御力は香りのように満ち、生命を育み、力を与える。
熟した実が自然に蔓から離れるように、
私たちを死の束縛から解き放ち、
永遠のいのちへと導きたまえ。
この祈りが、そのまま日本のきゅうり加持の起源である、という意味ではありません。しかし、瓜が蔓から自然に離れる姿を、束縛からの解放として読む感覚は、病や厄が身から離れることを願うきゅうり加持を考えるうえで、一つの深い補助線になります。
一本のきゅうりの背景には、インドの古い祈り、初期仏教の護りの言葉、唐の密教経軌、平安の伝承、中世の修験道、江戸の文献が重なっています。きゅうり加持は単一の起源を持つ儀礼ではなく、多層の祈りが重なって今に伝わっています。
先ほど触れた『リグ・ヴェーダ』第七巻 7.59.12 の祈りを、ここで少し詳しく見てみます。この一節は、ルドラ神を称える古い祈りで、「トリヤンバカ・マントラ」と呼ばれます。後にシヴァ派で「Mahāmṛtyuñjaya-mantra(偉大なる『死を克服する者』シヴァ神を称えるマントラ)」として継承され、今日もインドで唱えられる延命の祈りとなりました。
サンスクリット原文(デーヴァナーガリー)
त्र्यम्बकं यजामहे सुगन्धिं पुष्टिवर्धनम् ।
उर्वारुकमिव बन्धनान्मृत्योर्मुक्षीय माऽमृतात् ॥
IAST 転写
tryambakaṃ yajāmahe sugandhiṃ puṣṭi-vardhanam |
urvārukam-iva bandhanān mṛtyor mukṣīya mā ’mṛtāt ||
日本語訳
三つの眼をもつ聖なる御方を、私たちは祈り敬います。
その御力は香りのように満ち、生命を育み、力を与える。
熟した実が自然に蔓から離れるように、
私たちを死の束縛から解き放ち、
永遠のいのちへと導きたまえ。
熟した瓜が、誰の手も借りずに、するりと蔓から落ちる。その姿が「人が病から、死から、自由になる」象徴として、古代インドの人々の心を捉えました。およそ3000年の時を経て、この祈りは今もインドで唱えられ、瓜を病や死からの解放の象徴として見る感覚を伝えています。
典拠:『リグ・ヴェーダ本集(Ṛgveda-saṃhitā)』第七巻 7.59.12。この箇所は中期マンダラに属し、ヴァシシュタ家集成に含まれます。テキストは、ゲッティンゲン大学のインド語電子テキスト登録「GRETIL」所収の詞別誦本(Padapāṭha)に拠ります。
仏教が成立した頃、加持の語源にあたるパーリ語 adhiṭṭhāna(サンスクリット adhiṣṭhāna に対応)が「決住・誓願」として、十波羅蜜の第八に位置づけられました。波羅蜜とは、悟りに至る菩薩の徳目のことです。
パーリ原文 『仏種姓経』第二章「スメーダの誓願」(Buddhavaṃsa 2, Sumedhapatthanākathā)151・154
Vicinanto tadā dakkhiṃ, aṭṭhamaṃ adhiṭṭhānapāramiṃ. ...
Adhiṭṭhānapāramitaṃ gantvā, Sambodhiṃ pāpuṇissasi.
日本語訳
求道のうちに、私は第八の徳である「不退転の決意の波羅蜜」を見出した。
……
その決意の波羅蜜を究めたとき、あなたはついに完全なる悟りへ至るだろう。
また初期仏教には、パリッタ(paritta、護経・護りの経)と呼ばれる、身を護るために唱えられる言葉の伝統が見えます。仏教には、ただ災いを恐れるのではなく、仏への帰依と慈しみの心をもって、身を護り、場を清める祈りが早くから伝えられてきました。
なかでも『蘊護経(Khandhaparitta)』は、蛇の害をきっかけに説かれた護りの言葉です。世尊は、蛇を憎んで退けるのではなく、四つの蛇王族を慈しみの心で包むことを、自己防護のためのパリッタとして許されました。
パーリ原文 『増支部経典』第四集第六十七「蛇王経(Aṅguttaranikāya 4.67 Ahirājasutta)」
Anujānāmi, bhikkhave, imāni cattāri ahirājakulāni mettena cittena pharituṁ attaguttiyā attarakkhāya attaparittāyāti.
Sabbe sattā sabbe pāṇā, sabbe bhūtā ca kevalā;
Sabbe bhadrāni passantu, mā kañci pāpamāgamā.
Ahivicchikā satapadī, uṇṇanābhī sarabū mūsikā;
Katā me rakkhā katā me parittā, paṭikkamantu bhūtāni;
日本語訳
世尊は言われました。「比丘たちよ、私は、自分を守るため、身を護るため、自分の護りとするために、この四つの蛇王族を慈しみの心で包むことを許します。」
すべての衆生、すべての息あるもの、すべての生きものが、残らず幸いを見ますように。誰にも悪しきことが訪れませんように。
蛇、さそり、百足、蜘蛛、やもり、鼠よ。私の護りはなされました。私のパリッタはなされました。生きものたちは退いてください。
この祈りは、危険なものを憎しみで押し返すのではありません。害を及ぼしうる存在までも慈しみで包み、仏の前で「護りはなされた」と唱えます。そこには、恐れを慈悲へ変え、言葉によって身と心を整える仏教の力があらわれています。
きゅうり加持もまた、病や災いをただ敵として追い払う祈りではありません。真言を唱え、本尊を念じ、きゅうりを身代わりとして、苦しみが離れていくことを祈ります。初期仏教のパリッタに見える「慈悲をもって護る」という心は、時代を越えて、加持祈祷の祈りの底にも流れています。
典拠:ヴィパッサナー研究所(VRI)刊『第六結集パーリ三蔵(Chaṭṭha Saṅgāyana Tipiṭaka)』所収。『仏種姓経(Buddhavaṃsa)』第二章「スメーダの誓願(Sumedhapatthanākathā)」151・154、および『増支部経典(Aṅguttaranikāya)』第四集第六十七「蛇王経(Ahirājasutta)」。パリッタは、初期仏教に見える護身のための唱えごととして紹介しています。
唐の都・長安で訳された密教の儀礼文献には、冬瓜や冬瓜の蔓を護摩の火に供える作法が記されています。瓜は、ただ食べるための作物ではなく、目に見えない災いや病の気配をしずめ、祈りを仏天へ届けるための供物でもありました。
唐の阿地瞿多(Atikūṭa)が永徽5年(654年)に訳した『陀羅尼集経』には、護摩の火にさまざまな供物を捧げ、鬼神や天部を歓喜させる作法が並びます。その中に、冬瓜を少しずつ火に供える一節があります。
漢文原文 『陀羅尼集経』巻第十(『大正新脩大蔵経』第18巻 No.901、阿地瞿多訳、唐・永徽5年〔654年〕)
又法、若取具嚧陀木一千八段、一一呪已、呪一遍火中燒盡、一切鳩盤荼・藥叉等鬼神皆悉歡喜。
又法、若火燒冬瓜少少、一千八遍并呪者、一切魍魎皆悉歡喜。
又法、若取塚墓之樹木一千八段與胡麻相和、火燒一千八遍并呪者、一切大惡鬼神歡喜。
日本語訳
別の作法。具嚧陀木(ニグローダ樹に似る木)を千八段取り、それぞれ呪を誦したうえで、一遍ごとに火に供える。そうすれば、鳩盤荼・薬叉などの鬼神はみな歓喜する。
別の作法。冬瓜を少しずつ火に供え、呪とともに千八遍行えば、魍魎はみな歓喜する。
別の作法。塚墓の樹木を千八段取り、胡麻と合わせて、呪とともに千八遍火に供えれば、すべての大悪鬼神は歓喜する。
護摩の火に冬瓜を供え、真言を重ねる。そこでは、病や災いをもたらすと恐れられた目に見えないものたちも、祈りの場の中でしずめられていきます。瓜は、火と真言の中で災いをやわらげる供物として用いられていました。
唐の不空三蔵(Amoghavajra、705〜774)が訳した『聖迦抳忿怒金剛童子菩薩成就儀軌経』には、さらに踏み込んで、鳩盤茶鬼を降伏するために冬瓜の蔓藤を護摩に用いる作法が説かれています。
漢文原文 『聖迦抳忿怒金剛童子菩薩成就儀軌経』巻中(『大正新脩大蔵経』第21巻 No.1222a、不空訳、唐)
又法欲降伏鳩盤茶鬼、取冬瓜蔓藤長十指截一千八莖、搵酥護摩、誦真言一千八遍、一遍一擲火中、其鬼即皆降伏。
日本語訳
また、鳩盤茶鬼を降伏させようとする作法。冬瓜の蔓藤を十指ほどの長さに切り、千八茎を用意する。これを酥に浸して護摩を行い、真言を千八遍誦する。一遍ごとに一茎を火中に投じれば、その鬼はみな降伏する。
ここで火に投じられるのは、冬瓜の実ではなく蔓藤です。実を火に供える作法と、蔓を火に投じる作法。姿は異なりますが、どちらにも、瓜という具体物を通して、見えない災いを鎮めるという祈りの感覚が通っています。
鳩盤荼・鳩盤茶について、慧琳『一切経音義』には「冬瓜鬼」「面や腹が冬瓜に似る」といった説明も見えます。冬瓜は、災いをもたらす鬼神の姿を思わせるものでもあり、またその災いを仏の火に預けるための供物でもありました。
きゅうり加持では、きゅうりに病や災いを移し、最後に土へ還します。唐代の文献に見える冬瓜の護摩にも、瓜を祈りの器とし、災いを仏のはたらきにゆだねる心があらわれています。時代も作法も異なりますが、身近な瓜を前にして災いがしずまることを願う祈りは、静かに響き合っています。
典拠:『大正新脩大蔵経』第18巻 No.901『陀羅尼集経』巻第十 0873c01-c08(阿地瞿多訳)、同 第21巻 No.1222a『聖迦抳忿怒金剛童子菩薩成就儀軌経』巻中 0112c26-c28(不空訳)、および第54巻 No.2128『一切経音義』の鳩盤荼関連項。テキストは中華電子佛典協會(CBETA)所収。
お大師さま(774〜835)は、延暦23年(804年)から大同元年(806年)にかけて唐に渡り、長安・青龍寺の恵果阿闍梨から両部の灌頂を受け、密教の正系を日本に将来しました。お大師さまは帰朝後、『即身成仏義』を著し、即身成仏の根拠として、有名な「即身成仏頌(二頌八句)」を説きます。
漢文原文 『即身成仏義』即身成仏頌・二頌八句(『大正新脩大蔵経』第77巻 No.2428、弘法大師撰、9世紀前半)
六大無礙常瑜伽 四種曼荼各不離
三密加持速疾顯 重重帝網名即身
法然具足薩般若 心數心王過剎塵
各具五智無際智 圓鏡力故實覺智
日本語訳
六大 無碍にして常に瑜伽(相応・一体)なり。
四種曼荼、各々離れず。
三密加持すれば、速疾に顕る。
重重帝網(インドラの宝網)なるを即身と名づく。
法然に薩般若(一切智)を具足して、
心数心王、刹塵(無数の微塵)に過ぎたり。
各々 五智・無際智を具し、
円鏡力のゆえに実覚智なり。
第三句の 「三密加持速疾顕」 が、きゅうり加持の理論的支柱です。三密とは、私たちの身体・言葉・心の三つの働き。これが如来の三密と一つに重なるとき、「速疾」、すなわち、すみやかに、仏の働きが姿を現すと説かれます。
そしてお大師さまは、同じ『即身成仏義』のなかで、「加持」という語そのものを次のように定義しました。
漢文原文 『即身成仏義』加持釈(『大正新脩大蔵経』第77巻 No.2428、弘法大師撰)
加持者表如來大悲與衆生信心。佛日之影現衆生心水曰加。行者心水能感佛日名持。
日本語訳
加持とは、如来の大悲と衆生の信心とを表す。仏日(仏という太陽)の影が、衆生の心水(心の水面)に現れることを「加」と曰う。行者の心水が能く仏日を感ずることを「持」と名づく。
さらに、お大師さまが請来された『大日経』の代表的注釈である『大日経疏』にも、三密加持の核心がはっきりと説かれています。
漢文原文 『大日経疏』巻五(『大正新脩大蔵経』第39巻 No.1796、善無畏述・一行記、唐・8世紀前半)
今此真言門中、以如來三密淨身為鏡、自身三密行為鏡中像、因縁有悉地生、猶如面像。
日本語訳
いま、この真言門のなかにおいては、如来の三密という清浄身を鏡となし、自身の三密の行を鏡中の像となす。因縁によって悉地(成就)が生ずることは、ちょうど顔と鏡像の関係のごとくである。
きゅうり加持で、僧の三密がきゅうりという物に向けられ、本尊の働きがきゅうりに映し出されるという構造は、まさにこの「鏡と鏡中の像」の譬えの延長線上にあります。物を依代として、仏の働きが衆生の願いに届く。お大師さまの遺した教えが、後のきゅうり加持の足場となりました。
典拠:『大正新脩大蔵経』第77巻 No.2428『即身成仏義』(弘法大師撰、9世紀前半)、ならびに同 第39巻 No.1796『大日経疏』巻五(善無畏述・一行記)。テキストは中華電子佛典協會(CBETA)所収。
鎌倉末の虎関師錬(1278〜1346)が撰した日本仏教史『元亨釈書』巻第四「慧解二之三」釋勸修伝に、興味深い逸話が伝わります。藤原道長(966〜1028)のもとに夏の瓜が届けられ、道長から厚く帰依を受けていた勸修(945〜1008、天台宗・園城寺長吏)、陰陽師・天文博士の安倍晴明(921〜1005)、医師の丹波重雅(946〜1011)が居合わせた、その折のお話です。
漢文原文 『元亨釈書』巻第四(虎関師錬撰、元亨2年〔1322年〕成立、全30巻。CBETA 補編 No.B0173 所収)
開門納之。于時修在座。大史安晴明、大毉重雅預焉。
相國顧安大史曰。家裏有齋祓、不知此瓜可嘗不。
晴明曰。瓜中有毒不可輙啖也。
相國語修曰。許多瓜子何為毒乎。
修誦呪加持。忽一瓜宛轉騰躍。一座驚恠。
重雅乃袖出一針針瓜、其動便止。割見中有毒蛇、針中其眼。蓋術家之言是也。
日本語訳
門を開いて〔瓜を〕納れ入れさせた。その時、修(勸修)が座におり、太史(天文博士の唐名)の安倍晴明、大医(典薬寮の医師)の丹波重雅(946〜1011、後の典薬頭)も同席していた。
相国(道長)は晴明を顧みて言った。「家中で齋祓を行ったところでもあり、この瓜は食して良いものかどうか」。
晴明「瓜の中に毒があります。たやすく食すべきではありません」。
相国は修に向かって「これほど多くの瓜のうち、何が毒となろうか」と問うた。
修は呪を誦して加持を施した。すると一個の瓜がにわかに転がり跳ね上がった。一座は驚き怪しんだ。
重雅は袖から針を取り出して瓜を刺すと、その動きはすぐに止まった。割って見ると中に毒蛇がおり、針はその眼を貫いていた。陰陽師の言は正しかったのである。
この逸話には、瓜と加持が結びついて語られた、古い日本の祈りの感覚がよくあらわれています。瓜の中にひそむ災いが、僧の誦む呪と加持によって動き出し、医師の針によって鎮まる。目に見えない不安を、仏の力をいただきながら受け止め、しずめていく。一本の瓜を前に、病や厄が離れていくことを願う心が、ここにも静かに息づいています。
典拠:虎関師錬撰『元亨釈書』巻第四「慧解二之三」釋勸修伝。類話は『古今著聞集』巻第七「術道第九」第295話にも伝わります。
中世になると、密教の祈りは寺院の堂内だけにとどまらず、病や災いに向き合う人々の暮らしの中へ深く広がっていきました。真言、護符、加持、身代わり、土に還す作法は、各地の寺院の祈りと結びつきながら、生活を護る祈りとして受け継がれていきます。
きゅうり加持も、そのような祈りの流れの中で熟してきました。きゅうりを身代わりとして、病や災いを移し、仏の加持をいただいて土へ還す。そこには、密教の三密加持と、修験道の病封じ、そして夏を無事に越したいという庶民の願いが重なっています。お経と真言の力を、一本のきゅうりという身近なものに託すところに、この祈りの具体性があります。
寺島良安(大坂の医師)が三十年余を費やして編纂した百科全書『和漢三才図会』全105巻には、京都・八坂神社の前身である感神院と、きゅうりをめぐる信仰が記されています。
『和漢三才図会』巻第七十二之本「山城」祇園社の項(寺島良安撰、正徳2年〔1712年〕刊、全105巻) 主旨の読み下し
祇園社では、胡瓜を食べることを強く戒める。木瓜花形の神紋に似るためである。
原文(漢文体)の表記そのものは、国立国会図書館デジタルコレクションならびに早稲田大学古典籍総合データベース所収の原本画像でご確認ください。本ページでは、近代以降の研究で広く流通する読み下し文の形で引用しております。
きゅうりは、京都八坂神社の氏子にとって禁忌の対象でもありました。理由として、神紋「五瓜に唐花」がきゅうりの輪切りに似ているとされること、また一部地域には牛頭天王がきゅうり畑に隠れて難を逃れたという口承があることなどが、しばしば挙げられます。
五瓜に唐花
きゅうりの断面

典拠:寺島良安撰『和漢三才図会』巻第七十二之本「山城」祇園社の項(正徳2年〔1712年〕刊、全105巻)。原本画像は国立国会図書館デジタルコレクションおよび早稲田大学古典籍総合データベースで公開。なお、民俗的分布については鈴木棠三『日本俗信辞典 動・植物編』(角川書店、1982年。後に『動物編』『植物編』に分冊化、角川ソフィア文庫、2020年)が、八坂神社分社・祇園信仰浸透地域への広がりを確認している。
明治18年(1885年)以降、官約移民として始まったハワイ諸島への日系移民は、サトウキビ・プランテーション労働の傍らで「大師講」と呼ばれる弘法大師信仰の集まりを各地で開きました。医療資源が極めて限られた異郷において、加持祈祷は身体と心の支えとなり、きゅうり加持を含む夏の祈りの作法が、海を越えて受け継がれました。
現在のハワイには、高野山真言宗ハワイ開教区に属する12か寺の寺院が、オアフ島・マウイ島・ハワイ島・カウアイ島にあります。それらの多くのお寺で、きゅうり加持が夏の祈りとして受け継がれています。
典拠:守屋友江「戦前のハワイにおける日系仏教教団の諸相」(『立命館言語文化研究』第20巻第1号、立命館大学国際言語文化研究所、2008年、pp.115-159)。現代の実践例については、 The Garden Island 紙オンライン版、ワイメア真言寺 公式 YouTube を参照。
現在、きゅうり加持・きゅうり封じは、真言宗系の寺院を中心に、修験、天台、日蓮、臨済などの寺院にも広がり、各地の夏の祈りとして受け継がれています。平等寺は、オンラインでのご祈祷も承り、世界中からご参加いただける場をご用意しております。
典拠:各実施寺院の公式サイトおよび観光協会発表。具体的な寺院一覧は、本ページ「全国のきゅうり加持 実施寺院一覧」セクションを参照。
きゅうり加持の理論的支柱は、お大師さまの『即身成仏義』に説かれた「三密加持」です。
三密とは、私たちの身体・言葉・心の三つの働きのことです。
| 三密 | 働き | 所作 |
|---|---|---|
| 身密 | 身体の働き | 印を結ぶ |
| 口密 | 言葉の働き | 真言を誦する |
| 意密 | 心の働き | 本尊を観想する |
お大師さまは、こう説かれました。
三密加持すれば、速疾に顕る。
三密の働きが、仏さまの三密と一つに重なるとき、私たちはこの身このままで、仏さまのお力と一体になる。これが、お大師さまの密教の核心です。きゅうり加持は、この三密のお働きを、きゅうりという一つの依代に向けて集める修法です。
お大師さまは『即身成仏義』で、こう説かれました。
六大無礙にして常に瑜伽なり。
地・水・火・風・空・識の六大は、森羅万象を成り立たせる根本として説かれます。『即身成仏義』では、六大によって成る身が互いに妨げなく関わり、常に相応していることを「六大無礙にして常に瑜伽なり」と示します。
そのため密教では、きゅうりのような具体的な物も、ただの物として終わるのではなく、仏さまの加持を受ける依代となりえます。きゅうり加持は、ものを通して仏さまの働きをいただく、密教の祈りとして理解することができます。
平等寺では、きゅうり加持を、弘法大師が唐より将来された秘法として伝えられる加持祈祷としてお勤めしています。とくに新野町には、お大師さまが善修寺・平等寺でこの祈りをお勤めになったと伝わり、平等寺はその縁起を今に守っています。
きゅうりを身代わりにし、護符・真言・加持によって病苦を仏さまへお預けする。この具体的な作法を、平等寺では単なる民間習俗ではなく、密教の加持祈祷として大切にお勤めしています。
実は、京都の八坂神社の氏子は、伝統的にきゅうりを食べないとされてきました。
理由は二つあります。一つは、八坂神社の神紋「五瓜に唐花」がきゅうりの断面に似ていること。もう一つは、八坂神社の祭神・牛頭天王が、追われた際にきゅうり畑に隠れて命拾いをしたという伝承です。神さまが命拾いしたきゅうりを、氏子が食べるのは恐れ多い、という信仰です。
このきゅうり禁忌は、八坂神社の分社・祇園信仰浸透地域に全国分布することが、民俗学者・鈴木棠三『日本俗信辞典 動・植物編』(角川書店、1982年。後に分冊化、角川ソフィア文庫『植物編』2020年)で確認されています。
江戸時代の刊本『和漢三才図会』正徳二年(1712)にも、こう記されています。
祇園社では、胡瓜を食べることを強く戒める。木瓜花形の神紋に似るためである。
きゅうりと祇園信仰の結びつきは、少なくとも江戸初期に遡ることが、確実な刊本史料によって裏付けられます。
八坂神社の氏子には、きゅうりを食べないという習わしが伝わります。一方、きゅうり加持では、きゅうりを仏前に供え、病や厄が離れることを祈ります。
食べないのは、神仏にかかわるものとして慎むため。祈りに用いるのは、病や厄を受け止めるものとして仏さまにお預けするため。どちらにも、きゅうりをただの夏野菜としてではなく、祈りにかかわる特別なものとして大切に扱う心が見えます。
仏教民俗学の大家・五来重氏(1908〜1993、高野山大学・大谷大学教授)は、ご著書『宗教歳時記』(角川選書、1982年。角川ソフィア文庫、2010年再刊)のなかで、きゅうり加持を含む夏の祈りと、きゅうりの信仰について触れています。
胡瓜は水神の供物にされる伝統があり、ヒョウタンと同じく霊的なものを入れておく容器になりうると考えられていた。
難しく言えば、きゅうりは「霊的なものを受け止める器」と見られていた、ということです。もっと平たく言えば、きゅうりは水をたっぷり含む夏の瓜であり、神仏への供物にも、病や厄を預ける身代わりにもなりやすいものとして受け止められてきた、ということです。
同じ瓜の仲間では、瓢箪も、古くから薬を入れる器、魔除けの器として大切にされてきました。中が空洞で、何かを納めることができる瓜類は、東アジアの信仰の中で「受け止めるもの」「守るもの」として見られやすかったのでしょう。
だからこそ、きゅうり加持では、きゅうりに病や厄を託します。きゅうりそのものに不思議な力があるというより、身近で水気を含んだ一本のきゅうりを、仏さまの加持をいただくための器として用いるのです。
寺院公式サイト、公式ブログ、自治体・観光協会、地方紙、寺院・関係者から寄せられた情報で、きゅうり加持・きゅうり封じの実施が確認できる寺院を掲載しています。リンクは、SNS・公式サイト列にまとめています。
地図を読み込んでいます。
実施案内がある場合はそのページへ、実施案内が見つからない場合は公式サイトや所在地確認ページへリンクしています。SNSを確認できる寺院は、公式サイトと並べて表示しています。
※ 各寺院の実施日程・申込方法は年により変わります。参拝前に、必ずリンク先の最新案内または各寺院へご確認ください。一覧は2026年5月時点の調査に基づきます。
きゅうり加持の伝統は、日本だけにとどまりません。遠く太平洋を越えたハワイの地でも、この祈りの文化が大切に受け継がれています。
19世紀後半(1885年以降)、サトウキビ・プランテーションの労働者として太平洋を渡った日系移民の方々。新天地での過酷な労働と異文化の中で、彼らは故郷の信仰を、心の支えとして大切に抱き続けました。医療資源が限られていたプランテーションで、お祈りは生きるための支えでもありました。
特に「大師講」と呼ばれる弘法大師信仰の集まりは、医療と宗教が一体となった治療儀礼として機能してまいりました。立命館大学・守屋友江氏の研究「戦前のハワイにおける日系仏教教団の諸相」(『立命館言語文化研究』20-1、2008)が、この歴史を詳細に明らかにしています。

現代のハワイには、高野山真言宗ハワイ開教区に属する12か寺の寺院が、オアフ島・マウイ島・ハワイ島・カウアイ島にあります。それらの多くのお寺で、きゅうり加持が夏の祈りとして受け継がれています。
確認できる例として、カウアイ島のワイメア真言寺、ハワイ島ホノムのホノム遍照寺、オアフ島ハレイワのハレイワ弘昭寺で、Cucumber Blessing または Kyuri Kaji Blessing としての実施記録が残っています。これらの寺院は、本ページの実施寺院一覧にも国内寺院と同じ形式で掲載しています。
参照:The Garden Island、ワイメア真言寺 公式発信、ホノム遍照寺 関連イベント情報、ハワイ報知。
きゅうり加持は、苦しみをただ心の中で受け止めるのではなく、きゅうりという具体物に託して祈る儀礼です。似た発想は、形代、紙の替身、贖いの供物、魂を呼び戻す儀礼など、東アジアとその周辺にも見られます。
| 地域・系統 | 媒介物 | 祈りの働き |
|---|---|---|
| 日本のきゅうり加持 | きゅうり・護符 | 願主の病や厄を託し、加持して土へ還す |
| 日本の大祓 | 人形・形代 | 身体を撫で、息を吹きかけて穢れを移し、祓いへ送る |
| 台湾道教・民間信仰 | 紙の替身・紙人 | 災厄を受ける身代わりを立て、本人から離す |
| 朝鮮半島の民間信仰 | 藁の人形 | 厄や災いを人形に負わせ、本人の代わりに送る |
| チベット仏教 | glud・torma | 人や共同体に代わる供物を出し、災いを遠ざける |
| 東南アジアの魂呼び | Baci / Riak Khwan | 離れた魂を呼び戻す。身代わり封じとは別系統だが、身体と魂の回復を願う |
比較できる点は、苦しみや災いを抽象的なものとして扱わず、身体に触れる物、紙の人形、供物、魂を呼ぶ声など、具体的なかたちを通して祈ることです。その中で、きゅうり加持には次の特徴があります。
平等寺では、きゅうり加持を弘法大師が唐より将来された秘法として伝えられる加持祈祷としてお勤めします。
新野町には、お大師さまが善修寺・平等寺でこの祈りをお勤めになったと伝わります。きゅうりを身代わりにし、護符・真言・加持によって病苦を仏さまへお預けする祈りです。
夏の無事を願う方、ご自身やご家族の健康を願う方にお申し込みいただけます。
ご自身やご家族の病気の回復、手術の成功、健康長寿を願う方へ。
厄年の災い、事故や怪我、最近の不調から身を守りたい方へ。
離れて暮らすご家族の無事や、家庭の穏やかな日々を願う方へ。
不安やストレスを抱えながらも、落ち着いて前へ進みたい方へ。
きゅうり加持は医療と対立するものではありません。必要な治療や健康管理を続けながら、ご自身とご家族の無事を仏さまに託す祈りです。
納経所でも、オンラインでもお申し込みいただけます。オンラインの方も、平等寺の本堂でお名前と願意を読み上げ、法会には配信で参座できます。
令和8年 夏土用
弘法大師伝来の秘法として、平等寺の本堂でお勤めします。
受付開始後、オンライン申込に進めます。
お申し込みの前に、お客さまから多く寄せられるご質問をまとめました。
本ページは、原典資料の網羅検索に基づいて編纂しています。記述の典拠となる主要文献を、ここにご紹介申し上げます。
本ページでは、弘法大師伝来のきゅうり加持をお伝えするため、以上の原典・研究資料を背景資料として参照しています。文献・寺院伝承・民俗資料の関係は、本文中でできるだけ分けて記しています。
一本のきゅうりの背景には、古代インドの祈り、初期仏教の護りの言葉、唐の都の修法、平安のお坊さまの故事、中世以降の寺院祈祷、江戸の文献、そして海を越えたハワイの実践が重なっています。きゅうり加持は、それらと響き合いながら、日本の寺院儀礼として大切に受け継がれてきました。
お大師さまの三密加持の教えを受けたきゅうり加持の智慧を取り入れて、今年の夏を、穏やかで健やかなものにいたしませんか。皆さまの無病息災を、心よりお祈り申し上げております。