第23番 医王山 無量寿院 薬王寺

薬王寺
本尊薬師如来
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬をあたえましませ
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第23番は 徳島県(阿波・発心の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では23番目です。

縁起と歴史
神亀3年(726年)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したと伝わる。弘仁6年(815年)には、平城上皇の勅命を受けた弘法大師空海がこの地に留まり、自身と衆生の42歳の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊に安置し、伽藍を建立したと伝えられる。これにより当寺は「厄除けの根本祈願所」と定められたと伝わる。空海はこの本尊の功徳を平城・嵯峨・淳和の歴代天皇に奏上し、厄除けの勅使が下されたとも伝えられる。山号「医王山」は薬師如来の別名「医王(医王善逝)」に由来し、衆生の病苦を癒す如来であることを示す。院号は無量寿院で、寺名は薬師信仰と厄除けの霊験に由来する。文治4年(1188年)の火災で堂塔を焼失した際、本尊の薬師如来は奥之院の玉厨子山へ自ら飛び去って焼失を逃れ、堂塔の再建ののちに光を放って戻り、後ろ向きのまま安置されたことから「後ろ向き薬師」と呼ばれる秘仏になったと伝わる。
弘法大師との関わり
弘仁6年(815年)、平城上皇の勅命を受けた弘法大師空海がこの地に留まり、自身と衆生の42歳の厄除けを祈願して一刀三礼し、薬師如来坐像を自ら彫造して本尊とし、当寺を厄除けの根本祈願所と定めたと伝わる。空海はこの本尊の功徳を平城・嵯峨・淳和の歴代天皇に奏上し、各天皇から厄除けの勅使が下されたとも伝えられる。境内の三つの厄坂(女厄坂33段・男厄坂42段・還暦厄坂)はこの厄除信仰に基づくもので、参拝者は一段ごとに賽銭(厄銭)を置きながら登り、厄を落とす。本堂裏には弘法大師の石像を祀る「肺大師」があり、台座から湧く霊水(瑠璃の水)が諸病平癒を願うと伝わる。
- 神亀3年(726年):聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創と伝わる
- 弘仁6年(815年):平城上皇の勅命により弘法大師空海が一刀三礼して厄除薬師如来像を彫造し伽藍を建立、厄除根本祈願所と定めたと伝わる
- 文治4年(1188年):火災により堂塔を焼失。本尊は奥之院・玉厨子山へ飛んで難を逃れたと伝わり、再建後に秘仏「後ろ向き薬師」となる
- 鎌倉期:火災ののち、後嵯峨天皇の勅により堂塔が再建されたと伝わる(後醍醐天皇説もある)
- 文化5年(1808年):男厄坂・女厄坂が現在の形に改修される
- 文政3年(1820年):大師堂建立
- 天保6〜7年(1835〜1836年):仁王門建立、仁王像造立
- 明治41年(1908年):現在の本堂を再建
- 昭和38年(1963年):弘法大師開創1150年記念として瑜祇塔を建立(高さ29m、還暦厄坂も落慶時に完成)
- 平成20年(2008年):大師堂を解体修理
- 平成24年(2012年):仁王門を解体修理
見どころ・伽藍
- 厄坂女33・男42・還暦61段。一段一円の厄銭で厄を落とす
- 瑜祇塔高さ29m。上方が方形、下方が円筒形で、五柱の相輪をもつ独特の塔
- 後ろ向き薬師火災の際に奥之院へ飛び去り、後ろ向きで戻った秘仏
- 肺大師本堂裏の石像から湧く瑠璃の水で諸病平癒を願う
- 厄除の根本祈願所阿波最後の札所。年間百万人超が参拝
- 随求の鐘数え年の回数だけ撞き、厄災消除を願う
- 明治41年(1908年)再建の本堂を中心に、文政3年(1820年)建立の大師堂、天保6〜7年(1835〜1836年)建立の仁王門が並ぶ。
- 昭和38年(1963年)建立の瑜祇塔(金剛峰楼閣瑜祇塔)は高さ29メートル。上方が方形、下方が円筒形で、五柱の相輪をもつ独特の形とされる。
- 絵馬堂には大香炉と、真言を唱えながら杵でつく石臼が置かれている。
- 本堂裏には弘法大師石像を祀る肺大師があり、随求の鐘(厄除消除の鐘)も境内に残る。
- 樹齢600〜700年と推定される大楠2樹が境内にそびえる。
- 奥之院は玉厨子山にあり、文治4年(1188年)の火災の際に本尊の薬師如来が自ら飛び去って難を逃れたと伝わる。
- 堂塔の再建ののち、本尊は光を放って戻り、後ろ向きのまま安置されたことから「後ろ向き薬師」と呼ばれる秘仏になったと伝わる。
- 薬王寺の真言八祖像(美波町指定有形文化財、2015年11月27日指定):弘法大師像は天文19年(1550年)作、他の8体は安永3年(1774年)に京都の仏師・塩釜浄而の作
- 薬王寺の星曼荼羅(九曜星)(美波町指定有形文化財、2015年11月27日指定):室町時代の作
- 仁王門の仁王像2躯(美波町指定有形文化財、2001年12月11日指定):天保7年(1836年)、仏師・塩釜高運、康信の作
- 薬王寺の大楠2樹(美波町指定天然記念物、2001年12月11日指定):周囲長5.5m・5.9m、高さ約25m、樹齢600〜700年と推定
信仰と物語
- 本尊の薬師如来は、弘法大師が42歳の厄年に自ら刻んで安置したと伝わり、当寺は「厄除けの根本祈願所」と定められたとされる。
- 山号「医王山」は薬師如来の別名「医王(医王善逝)」に由来し、病苦を癒す信仰の中心とされる。
- 肺大師の台座から湧く霊水は「瑠璃の水」と呼ばれ、肺病など諸病平癒を願うと伝わる。
- 阿波七福神霊場の寿老人を祀る札所でもある。
- 文治4年(1188年)の火災で堂塔を焼失した際、本尊の薬師如来は奥之院の玉厨子山へ自ら飛び去り、焼失を逃れたと伝わる。
- 再建後に本尊が後ろ向きのまま戻ったため、「後ろ向き薬師」と呼ばれる秘仏になったと伝わる。
- 空海はこの本尊の功徳を歴代天皇に奏上し、厄除けの勅使が下されたとも伝わる。
- 御詠歌「皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬をあたえましませ」が伝わる。
- 吉川英治の長編小説『鳴門秘帖』の舞台として当寺が登場する。
- 神亀3年(726年)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開創したと伝わる。
- 弘仁6年(815年)、平城上皇の勅命を受けた弘法大師空海が、厄除けの薬師如来像を一刀三礼して彫造し、伽藍を建立したと伝わる。
参拝の手引き
- 新春初祈祷(1月1〜3日)
- 節分星供(2月3日)
- 厄除け初会式(2月11〜12日)
- 涅槃会(2月15日)
- 釈尊花祭(4月8日)
- 正御影供(4月21日)
- 夏会式(旧暦5月晦日)
- 弘法大師降誕会(6月15日)
- 盂蘭盆会(8月13〜16日)
- 施餓鬼会(8月16日)
- 鎮守祭(10月15日)
- 厄除年越祭(大晦日)
- 本尊月並会(毎月12日)
- 三つの厄坂(女厄坂33段・男厄坂42段・還暦厄坂61段)では、一段ごとに賽銭(厄銭)を置きながら登り、厄を落とす風習がある。
- 大随求菩薩の真言を唱えながら数え年の数だけ随求の鐘を撞き、厄災の消除を願う参拝も親しまれている。
- 納経時間は7時から17時。駐車場は普通車350台・大型バス10台で無料(台数の表記は資料により差がある)。
- 宿坊あり。精進料理は事前予約制で、1人1,800円・1日20名まで。
- 前の第22番平等寺からは約19.7キロ、次の第24番最御崎寺へは約75.4キロ。阿波(徳島県)最後の札所から土佐路への長丁場となる。
- JR四国牟岐線「日和佐駅」から徒歩約5〜10分。道の駅日和佐に隣接する。
- 国道55号沿いの日和佐にあり、阿波遍路の締めくくりとして年間100万人以上が参拝するとされる。
- 鉄道:JR四国牟岐線「日和佐駅」下車、徒歩約5〜10分(約0.4〜0.7km)。道の駅日和佐に隣接。バス:徳島バスの高速バス(室戸・生見・阿南大阪線)で「薬王寺前」または「日和佐」下車。車:国道55号「薬王寺前」沿い(信号から約0.1km)、徳島ICから約100分。空路・海路の場合は徳島空港または徳島港からバスで徳島駅前へ出て、特急で約60分の日和佐駅下車。
- 駐車場:普通車350台・大型バス10台、無料(公式サイトのアクセスページには「500台無料完備」との記載もあり、資料間で台数表記に差がある)。
- 納経時間:7:00〜17:00
- 宿坊:宿坊あり(予約専用電話 0884-77-1138)。精進料理は事前予約制で1人1,800円・1日20名まで(21名以上は要相談)。境内には別途「薬王寺温泉」(TEL 0884-77-1126)もある。
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。



