第1番 竺和山 一乗院 霊山寺

霊山寺
本尊釈迦如来
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
御詠歌霊山の釈迦のみ前にめぐりきて よろずの罪も消え失せにけり
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第1番は 徳島県(阿波・発心の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では1番目です。

縁起と歴史
四国八十八ヶ所霊場の全行程は、およそ1460キロ、365里におよぶ。札所番号の順に巡拝する遍路にとって、ここは「発願の寺」であり、「同行二人」の長い旅の始まりとなる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が開創した。弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、この地で衆生の88の煩悩を浄化し、衆生と自らの厄難をはらって、心身を救済できる霊場を開こうと37日間の修法をされた。その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み、熱心に耳を傾けている霊感を得た。大師は、その光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法していた情景に似ていると感じ、インドの霊山を和国(日本)に移すという意味で「竺和山・霊山寺」と名づけられた。
このときの念持仏が釈迦誕生仏像であり、本尊の前に納められたことから、ここを四国八十八ヶ所の第一番札所とさだめ、霊場の開設・成就を祈願されたと伝えられる。誕生仏は白鳳時代の作で、身の丈約14センチ余の小さな銅造である。往時は阿波三大坊の一つに数えられ、荘厳な伽藍を誇った。しかし天正10年(1582)、長宗我部元親の兵火により堂塔は全焼した。その後、阿波藩主・蜂須賀光隆公によってようやく復興したが、明治24年(1891)には出火により、本堂と多宝塔以外の堂宇を再び焼失している。以来、100年の努力で往時の姿となっているが、おおかたが近年の建物である。別格本山であり、地の利を生かした伽藍の配置が、お遍路さんを迎える。
天平年間、聖武天皇の勅願を受けた行基菩薩が開基し、のちに弘法大師が37日間の修法を行った際、インドの霊鷲山に似た光景が現れたことから「霊山寺」と名づけられたと伝わる。天正10年、長宗我部元親の兵火で焼失したが、蜂須賀光隆により再興され、現在の伽藍が整えられた。応永年間建立の多宝塔は阿波で最も古い塔建築とされ、白鳳時代の釈迦誕生仏も安置されている。本堂内の泉水池には放生の伝統が息づき、池を眺めながら「発願」の意味を静かにかみしめることができる。門前では白衣・金剛杖・納経帳といった遍路用品が揃い、はじめての方もここで身支度を整えられる。縁結び観音に手を合わせれば、この旅が単なる観光ではなく、自分の祈りを一歩ずつたどる時間になる。四国遍路の出発点として、多くの巡礼者が最初に手を合わせる札所である。
- 弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、この地で衆生の88の煩悩を浄化し、衆生と自らの厄難をはらって、心身を救済できる霊場を開こうと37日間の修法をされた。
- 釈迦誕生仏は白鳳時代の作で、身の丈約14センチ余の小さな銅造である。
- 天正10年(1582)、長宗我部元親の兵火により堂塔は全焼した。
- 明治24年(1891)には出火により、本堂と多宝塔以外の堂宇を再び焼失している。
- 天平年間、聖武天皇の勅願を受けた行基菩薩が開基し、のちに弘法大師が37日間の修法を行った際、インドの霊鷲山に似た光景が現れたことから「霊山寺」と名づけられたと伝わる。
- 天正10年、長宗我部元親の兵火で焼失したが、蜂須賀光隆により再興されたと伝わり、現在の伽藍が整えられた。
- 応永年間建立の多宝塔は、阿波で最も古い塔建築とされ、白鳳時代の釈迦誕生仏も安置されている。
見どころ・伽藍
- 発願の寺四国遍路の起点であり、ここから同行二人の旅が始まる。
- 多宝塔応永年間建立の阿波最古級の塔。五智如来を安置する。
- 釈迦誕生仏白鳳期の小さな銅像で、大師の念持仏と伝わる。
- 縁結び観音水で清めながら、さまざまな縁を祈願する。
- 明治の庭大師堂北の枯山水で、発願を象徴する。
- 別格本山霊場会の格式ある伽藍配置。
- 発心門をくぐると、本堂・大師堂・護摩堂・観音堂が配された伽藍が広がる。
- 応永年間(1394〜1428年)建立の多宝塔は阿波最古級の塔建築で、内部に五智如来を安置する。
- 大師堂の北側にある「明治の庭」は、発願の寺を象徴する枯山水の庭である。
- 縁結び観音は、男女の縁だけでなく、健康・仕事・幸せとの縁結びにもご利益を願う信仰が伝わる。
- 白鳳時代の釈迦誕生仏(身丈約14cmの銅造)が本尊の前に納められ、第1番の証となっている。
- 鐘楼・毘沙門堂・納経所など参拝の動線が整い、別格本山としての格式を保つ。
- 天平年間、聖武天皇の勅願を受けた行基菩薩が開基し、のちに弘法大師が37日間の修法を行った際、インドの霊鷲山に似た光景が現れたことから「霊山寺」と名づけられたと伝わる。
- 弘仁6年(815年)、大師が37日間の修法中に霊鷲山の説法の情景を感得し、寺号を定めた霊場である。
- 奥の院の詳細は公式の境内案内を参照(本資料では一次確認に至っていない)。
- 鳴門市大麻町の丘陵に位置し、発心の道場の入口として巡礼者を迎える。
- 天正10年、長宗我部元親の兵火で焼失したが、蜂須賀光隆により再興されたと伝わり、現在の伽藍が整えられた。
- 応永年間建立の多宝塔は阿波で最も古い塔建築とされ、白鳳時代の釈迦誕生仏も安置されている。
- 本堂内の泉水池には放生の伝統が息づき、池を眺めながら「発願」の意味を静かにかみしめることができる。
- 門前では白衣・金剛杖・納経帳といった遍路用品が揃い、はじめての方もここで身支度を整えられる。
信仰と物語
- 本尊釈迦如来の御前でよろずの罪が消え失せると詠む御詠歌が、信仰の核となっている。
- 発願の寺として、納経・護摩・初詣の参拝者が年間を通じて絶えない。
- 釈迦誕生仏は大師の念持仏とされ、霊場開設の証として本尊の前に安置される。
- 縁結び観音に手を合わせれば、この旅が単なる観光ではなく、自分の祈りを一歩ずつたどる時間になる。
- 四国遍路の出発点であり、多くの巡礼者が最初に手を合わせる札所である。
- 聖武天皇の勅願と行基開創の縁起、そして大師の37日修法・霊山命名の伝承が伝わる。
- 天正10年(1582年)、長宗我部元親の兵火で堂塔が焼失し、蜂須賀光隆らが再興した。
- 明治24年(1891年)の出火で本堂・多宝塔以外が焼失し、その後百年にわたり再建が続いた。
- 御詠歌「霊山の釈迦のみ前にめぐりきて よろずの罪も消え失せにけり」は、罪滅ぼしの願いを詠む。
- 境内には遍路歌や句碑が残る場合があり、参拝の折に目を通すとよい。
- 詳しくは霊場会の公式情報や寺伝を参照されたい。
- 開基は行基菩薩と伝わる。
- 弘仁6年(815年)、弘法大師が37日間の修法を行い、寺号を定めた。
- 天正の兵火のあと、蜂須賀光隆が再興を支えた。
参拝の手引き
- 正月護摩祈祷:日時:1月1日〜3日
- 星祭り・厄除け祈祷:日時:2月3日
- 接待講:日時:2月21日〜末日
- 釈迦誕生日・青葉祭り・花祭り:日時:4月第1日曜日
- 大師誕生日・青葉祭り:日時:6月15日
- 護摩供養:日時:毎月1日
- 御影供:日時:毎月21日
- 駐車場は普通車約100台・バス10〜20台で、無料とされる。
- 宿坊はない。発願の寺として、多くの巡礼者が最初に参拝する。
- 四国遍路の起点。次の2番極楽寺へは約1.5km。
- 藍住ICから県道1号・12号を経由して、鳴門市大麻町板東塚鼻に至る。
- 藍住インターチェンジから、県道1号線を板野町方面へ進み、次に県道12号線を鳴門市方面へ走ると左手にあります。
- 〒779-0230 徳島県鳴門市大麻町板東塚鼻126
- 088-689-1111
- 普通100台・バス10〜20台・無料
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


