第13番 大栗山 花蔵院 大日寺

大日寺
本尊十一面観世音菩薩
おん まか きゃろにきゃ そわか
御詠歌阿波の国一の宮とはゆうだすき かけて頼めやこの世のちの世
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第13番は 徳島県(阿波・発心の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では13番目です。

縁起と歴史
徳島市には5ヶ所の霊場がある。その最も西、鮎喰川を渡った平地にこの寺があり、車の往来が激しい県道をはさんだ向かいが、かつて阿波の総鎮守であった一の宮神社である。開基は弘法大師とされる。縁起によると、「大師が森」と呼ばれるこの地で大師が護摩修法をしていたとき、空中から大日如来が紫雲とともに舞いおり、「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と告げられたという。大師はすぐに大日如来像を彫り、本尊として堂宇を建立し安置したと伝えられている。寺名の由来もこの縁起による。境内は老樹に覆われ、密教寺院の雰囲気を漂わせるが、戦国時代の「天正の兵火」により堂塔はすべて罹災した。その後、江戸時代前期に阿波3代目藩主、蜂須賀光隆公により本堂が再建された。諸国に国の総鎮守・一の宮が建立されると、この寺はその別当寺として同じ境内に置かれ、管理にあたった。
ただ、一の宮の本地仏は行基菩薩作の十一面観音像とされ、同じ境内であったことから、江戸時代には一の宮神社が札所となり、納経所として参拝されていたようである。このことは真念著『四國邊路道指南』(貞享四年・1687)にも記されている。明治の神仏分離令により神社は独立し、一宮寺はもとの寺名である大日寺に戻した。もともとこの寺にあった大日如来像は脇仏となり、いまは十一面観音像が本尊として祀られている。日本人の心には仏と神が融和している。遍路は大師の御心を慕って歩みつづけている。
弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地で護摩修法を行うと、空から紫雲とともに大日如来が現れ、「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と告げた。これが寺名の由来です。かつては阿波の総鎮守・一宮神社の別当寺として神仏習合の信仰を担い、明治の神仏分離令により現在の独立した寺院となりました。本尊は十一面観音ですが、大日如来の縁起が寺の個性を強く形づくっています。戦国時代の兵火で被災したのち、蜂須賀光隆により本堂が再建されたと伝わります。樹齢100年を超える巨木のそばに立つ「しあわせ観音」は、合掌した両手のなかに蓮と小さな観音像を抱く極彩色の姿で、参拝者に穏やかな幸福を願わせます。本堂脇の「ぼけ封じ観音」と、東へ約700mの奥の院・国中寺はお年寄りへの祈祷で知られ、高齢の家族を思って参る方も少なくありません。都会近郊の札所ならではの親しみやすさと、古い信仰の層の厚さが同居する寺です。
- 戦国時代の「天正の兵火」により、堂塔はすべて罹災した。
- 明治の神仏分離令により神社は独立し、一宮寺はもとの寺名である大日寺に戻した。もともとこの寺にあった大日如来像は脇仏となり、十一面観音像が本尊として祀られている。
- 弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地で護摩修法を行うと、空から紫雲とともに大日如来が現れ、「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と告げたと伝わる。
- 明治の神仏分離令を経て、現在の独立した寺院となった。
見どころ・伽藍
- ぼけ封じ観音東へ0.7キロほどの新奥の院・国中寺は、お年寄りへの祈祷で知られる。
- しあわせ観音山門の前に二つの石柱が立つ。数段の石段を上ると、左手に本堂、右手に大師堂がある。
- 紫雲とともに大日如来が「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と告げた。
- 戦国の兵火後、蜂須賀光隆により本堂が再建された。
- かつて阿波の総鎮守・一宮神社の別当寺として神仏習合の信仰を担った。
- 明治の神仏分離令後、現在の独立した寺院となった。
- かつて阿波の総鎮守・一宮神社の別当寺として神仏習合の信仰を担った。
- 明治の神仏分離令後、現在の独立した寺院となった。
- 樹齢100年を超える巨木のそばに、極彩色の「しあわせ観音」が立つ。
- 本堂脇の「ぼけ封じ観音」はお年寄りへの祈祷で知られる。
- 東へ約700mの奥の院・国中寺は、高齢者の祈祷で知られる。
- 弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地で護摩修法を行うと、空から紫雲とともに大日如来が現れたと伝わる。
- 大日如来が「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と告げたことが、寺名の由来とされる。
- 弘仁6年(815年)の護摩修法の際、紫雲とともに大日如来が降臨したと伝わる。
- 奥の院の国中寺は、ぼけ封じや高齢者祈願で知られる番外霊場。
- かつては阿波の総鎮守・一宮神社の別当寺として神仏習合の信仰を担い、明治の神仏分離令により現在の独立した寺院となりました。
- 本尊は十一面観音ですが、大日如来の縁起が寺の個性を強く形づくっています。
- 戦国時代の兵火で被災したのち、蜂須賀光隆により本堂が再建されたと伝わります。
- 樹齢100年を超える巨木のそばに立つ「しあわせ観音」は、合掌した両手のなかに蓮と小さな観音像を抱く極彩色の姿で、参拝者に穏やかな幸福を願わせます。
- 本堂脇の「ぼけ封じ観音」と、東へ約700mの奥の院・国中寺はお年寄りへの祈祷で知られ、高齢の家族を思って参る方も少なくありません。
信仰と物語
- 本尊は十一面観音だが、大日如来降臨の縁起が寺の個性を形づくる。
- しあわせ観音は穏やかな幸福を願わせる。
- 都会近郊の札所ならではの親しみやすさと、古い信仰の層の厚さが同居する寺です。
- 紫雲とともに現れた大日如来が「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべし」と告げた。
- 戦国の兵火後、蜂須賀光隆により本堂が再建された。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 御詠歌は、阿波一の宮であるこの寺に、この世も後の世も頼む心を詠む。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 弘法大師がこの地で護摩修法を行った。
- 一宮神社の別当寺としての歴史をもつ。
- 蜂須賀光隆により本堂が再建された。
参拝の手引き
- 年中行事は霊場会公式サイトを参照。
- 奥の院の国中寺は別に参拝する。ぼけ封じ観音は家族連れに人気。
- 都会近郊でアクセスしやすい。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 12番焼山寺から下山したのち、徳島市の北部に位置する。次は14番常楽寺へ向かう。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 藍住インターチェンジから県道1号線を徳島市内へ行き、国道192号線と合流すると石井町方面へと走り、鮎喰川沿いの県道21号線を進んで行くと右手にあります。
- 〒779-3132 徳島県徳島市一宮町西丁263
- 088-644-0069
- 普通車であれば15台、マイクロバスであれば10台、大型車であれば8台・無料
- あり(150人)
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


