第3番 亀光山 釈迦院 金泉寺

金泉寺
本尊釈迦如来
のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
御詠歌極楽の宝の池を思えただ 黄金の泉すみたたえたる
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第3番は 徳島県(阿波・発心の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では3番目です。

縁起と歴史
聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が寺塔を建立し、「金光明寺」と名づけたと伝えられる。当初の本尊は高さ約91センチの釈迦如来像で、脇侍に阿弥陀如来と薬師如来を配した三尊像を安置して開基したという。弘仁年間(810〜24)に弘法大師が四国を巡教された際、日照りに苦しむ村人を見て、この地に井戸を掘られた。湧き出た水は霊水とされ、「長寿をもたらす黄金の井戸」と呼ばれて、寺名を「金光明寺」から「金泉寺」に改めた。その後、亀山天皇(在位1259〜74)が法皇となり、弘法大師を篤く信仰して各地の霊跡を巡拝され、金泉寺にもしばらく滞在された。
その間に、京都の三十三間堂(蓮華王院)に倣った堂舎を建立し、1,000体の千手観音像を祀り、背後の山を「亀山」と名づけ、山号も「亀光山」と改めた。この堂舎には経蔵が置かれ、学僧たちで賑わったという。以来、皇室との縁が深く、長慶天皇(在位1368〜83)の御陵も本堂裏にある。また源平合戦(元暦2年=1185)のおり、源義経が屋島へ向かう途中に金泉寺へ立ち寄り、戦勝開運を祈願したと『源平盛衰記』に伝えられている。本堂の左手にある慈母観音子安大師は義経ゆかりの祈願所とされ、境内西隣の「弁慶石」も義経にちなむ石で、義経が弁慶に力試しとして持ち上げさせたと伝えられている。子の健やかな成長を願う親心の観音菩薩であり、いまも人生の開運を願う参詣者が多く訪れる。
聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建し、もとは「金光明寺」と称しました。弘仁年間、弘法大師が巡教のさなか日照りに苦しむ村人を見かね、自ら井戸を掘ったところ黄金色の霊水が湧き出し、寺名を「金泉寺」に改めたと伝わります。この「黄金の井戸」を覗いて自分の影が映れば長寿、映らなければ注意が必要という占いの伝承は、今も参拝者を惹きつけています。のちに亀山法皇(在位1259〜74)がこの寺に滞在し、京都の三十三間堂に倣った堂舎を建立して千体の千手観音像を安置、山号を「亀光山」と改めたことで寺格は大きく高まりました。源義経が屋島合戦へ向かう途上で戦勝祈願に立ち寄り、弁慶に力試しとして巨石を持ち上げさせたと伝わる「弁慶石」も境内に残っています。北向地蔵には首から上の病気平癒のご利益があり、頭痛や眼病に悩む方の参拝が絶えません。皇室・武家・庶民それぞれの信仰が交差する寺です。
- 弘仁年間(810〜24)に弘法大師が四国を巡教された際、日照りに苦しむ村人を見て、この地に井戸を掘られた。
- 弘仁年間、弘法大師が巡教のさなか日照りに苦しむ村人を見かね、自ら井戸を掘ったところ黄金色の霊水が湧き出し、寺名を「金泉寺」に改めたと伝わります。
見どころ・伽藍
- 弁慶の力石伝説源義経は平家追討の命を受け、讃岐国屋島に向かう途中、金泉寺に立ち寄り、戦勝開運の祈願をしました…
- 弘法大師が日照りに苦しむ村人のため井戸を掘ると黄金色の霊水が湧いた。
- 源義経が屋島合戦へ向かう途上、戦勝祈願で弁慶に巨石を持ち上げさせた。
- 境内の「黄金の井戸」は弘法大師が掘った霊水が湧いたとされる占いの井戸。
- 北向地蔵は首から上の病気平癒にご利益があり、頭痛・眼病に悩む参拝者が訪れる。
- 境内の「黄金の井戸」は弘法大師が掘った霊水が湧いたとされる占いの井戸。
- 北向地蔵は首から上の病気平癒にご利益があり、頭痛・眼病に悩む参拝者が訪れる。
- 境内には弁慶石と伝わる巨石があり、源義経が弁慶に力試しで持ち上げさせたとされる。
- 亀山法皇(在位1259〜74)の滞在により千体の千手観音像を安置した堂舎があったと伝わる。
- 聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建し、もとは「金光明寺」と称しました。
- 弘仁年間、弘法大師が巡教のさなか日照りに苦しむ村人を見かね、自ら井戸を掘ったところ黄金色の霊水が湧き出し、寺名を「金泉寺」に改めたと伝わります。
- この「黄金の井戸」を覗いて自分の影が映れば長寿、映らなければ注意が必要という占いの伝承は今も参拝者を惹きつけています。
- もとは「金光明寺」と称し、黄金色の霊水にちなみ「金泉寺」に改めたと伝わる。
- 山号「亀光山」は亀山法皇の滞在と千手観音信仰に由来する。
- のちに亀山法皇(在位1259〜74)がこの寺に滞在し、京都の三十三間堂に倣った堂舎を建立して千体の千手観音像を安置、山号を「亀光山」と改めたことで寺格は大きく高まりました。
- 源義経が屋島合戦へ向かう途上で戦勝祈願に立ち寄り、弁慶に力試しとして持ち上げさせたと伝わる巨石「弁慶石」も境内に残っています。
- 北向地蔵には首から上の病気平癒のご利益があり、頭痛や眼病に悩む方の参拝が絶えません。
- 皇室・武家・庶民それぞれの信仰が交差する寺です。
信仰と物語
- 本尊は釈迦如来。黄金の井戸に自分の影が映れば長寿、映らなければ注意が必要という占い伝承がある。
- 北向地蔵は病気平癒、特に頭部の疾患に信仰が集まる。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 弘法大師が日照りに苦しむ村人のため井戸を掘ると黄金色の霊水が湧いた。
- 源義経が屋島合戦へ向かう途上、戦勝祈願で弁慶に巨石を持ち上げさせた。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 御詠歌は極楽の宝の池と黄金の泉を詠じ、寺名の由来を示す。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 聖武天皇の勅願により行基菩薩が創建。
- 亀山法皇が滞在し寺格を高めた。
- 源義経・弁慶ゆかりの弁慶石。
参拝の手引き
- 年中行事は霊場会公式サイトを参照。
- 黄金の井戸は影占いのため静かに覗く習慣がある。
- 北向地蔵は首上の病気平癒祈願の対象。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 2番極楽寺から南下。板野町・藍住方面へ続く阿波の平野札所群。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 藍住インターチェンジから、県道1号線を板野町方面へ進み、次に県道12号線を鳴門市方面、県道1号線へ。走っていると標識が現れるのでその通りに進んでいきます。
- 〒779-0105 徳島県板野郡板野町大寺字亀山下66
- 088-672-1087
- 普通14台・大型3台・終日・無料
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


