第16番 光耀山 千手院 観音寺

観音寺
本尊千手観世音菩薩
おん ばさら たらま きりく そわか
御詠歌忘れずも導きたまえ観音寺 西方世界弥陀の浄土へ
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第16番は 徳島県(阿波・発心の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では16番目です。

縁起と歴史
寺に伝わる宝物に『観音寺縁起』一巻がある。巻末に「享保十乙秋穀旦 南山沙門某甲謹書」の署名があり、享保10年(1725)に高野山の僧が筆写したことがわかる。その冒頭は「南海道阿波国名東郡観音寺邑 光耀山千手院観音寺縁起」と書き出される。そこには、観音寺が弘法大師によって創建され、大師自ら千手観音像を彫造して本尊にしたこと、脇侍像に悪魔を降伏する不動明王像と鎮護国家の毘沙門天像を刻んだこと、徳島藩主の蜂須賀綱矩公が新築・移転に協力したことなど、寺史が詳しく記されている。この『縁起』とは別に、寺伝では、聖武天皇(在位724〜49)が天平13年に全国68ヶ所へ国分寺・国分尼寺を創建したとき、行基菩薩に命じて勅願道場として建立した由緒ある古刹とされている。弘法大師がこの地を訪ねたのは弘仁7年(816)のころで、本尊像などを彫造して再興し、現在の寺名を定めたとされている。
その後は他の阿波各地の霊場と同じように栄枯盛衰の運命を歩み、「天正の兵火」(1573〜92)にも罹災した。蜂須賀家の帰依を受けて万治2年(1659)に宥応法師によって再建され、現在に至っていると伝えられる。大正2年ころ、両親に連れられて参拝した盲目の高松伊之助という方が、本尊のご利益で目が見えるようになり、松葉杖を奉納したという話が語り継がれている。遍路道に面した和様重層の鐘楼門は、むかしの面影を残し堂々とした風格がある。
千手観音を本尊とする住宅街の小さな寺だが、霊験譚の語りが色濃く残る。大正2年、讃岐の生まれつき盲目の高松伊之助という男性が「どうか目が見えるようになりたい」と一心に願い、観音寺に日参して千手観音に祈り続けた。満願の日、伊之助は突然光を感じ、ついに目が開いたと伝わっている。この開眼の実話は新聞にも取り上げられ、以来「目の観音さま」として眼病に悩む参拝者が各地から訪れるようになった。一方で戒めの話も残る。嫁ぎ先で姑をひどくいじめていた女性がこの寺に参拝した折、身につけていた遍路の白衣から突然火が燃え上がったとされる。火は女性の体には燃え移らず、白衣だけが焼け落ちた。女性は日頃の行いを深く悔いたと伝わり、その場面を描いた絵が今も本堂に掛かっている。境内の夜泣き地蔵は子どもの安眠にご利益があり、親子で訪れる参拝者が多い。規模は控えめながら、救いと戒めの物語が色濃く残る札所である。
- 天平13年、聖武天皇が全国68ヶ所へ国分寺・国分尼寺を創建したとき、行基菩薩に命じて勅願道場として建立した由緒ある古刹とされている。
- 弘法大師は弘仁7年(816)のころにこの地を訪れ、本尊像などを彫造して再興し、現在の寺名を定めたとされている。
- 「天正の兵火」(1573〜92)にも罹災し、蜂須賀家の帰依を受けて万治2年(1659)に宥応法師によって再建され、現在に至っていると伝えられる。
- 大正2年ころ、両親に連れられて参拝した盲目の高松伊之助という方が、本尊のご利益で目が見えるようになり、松葉杖を奉納したという話が語り継がれている。
- 大正2年、讃岐の生まれつき盲目の高松伊之助という男性が「どうか目が見えるようになりたい」と一心に願い、観音寺に日参して千手観音に祈り続けたという。
見どころ・伽藍
- 夜泣き地蔵子供の夜泣きを止めてくれる地蔵尊。子供の病気平癒や健康と成長を祈願する。
- 絵馬炎に包まれた女性を描いた奉納額で、本堂内に掲げられている。明治時代の遍路の実話という。
- 伊之助の開眼の実話。
- 姑をいじめていた女性の白衣だけが燃え上がり、戒めを深く悔いた話。
- 住宅街に佇む小さな寺だが、霊験譚の語りが色濃く残る。
- 本堂には白衣から火が燃え上がった場面を描いた絵が掛かる。
- 住宅街に佇む小さな寺だが、霊験譚の語りが色濃く残る。
- 本堂には白衣から火が燃え上がった場面を描いた絵が掛かる。
- 夜泣き地蔵は子どもの安眠にご利益があり、親子参拝が多い。
- 千手観音を本尊とする住宅街の小さな寺だが、霊験譚の語りが色濃く残る。
- 大正2年、讃岐の生まれつき盲目の高松伊之助という男性が「どうか目が見えるようになりたい」と一心に願い、観音寺に日参して千手観音に祈り続けたという。
- 満願の日、伊之助は突然光を感じ、ついに目が開いたと伝わっている。
- この開眼の実話は新聞にも取り上げられ、以来「目の観音さま」として眼病に悩む参拝者が各地から訪れるようになった。
- 規模は控えめながら、救いと戒めの物語が色濃く残る札所。
- 嫁ぎ先で姑をひどくいじめていた女性がこの寺に参拝した折、身につけていた遍路の白衣から突然火が燃え上がったとされる。
- 火は女性の体には燃え移らず、白衣だけが焼け落ちた。女性は日頃の行いを深く悔いたと伝わり、その場面を描いた絵が今も本堂に掛かっている。
- 境内の夜泣き地蔵は子どもの安眠にご利益があり、親子で訪れる参拝者が多い。
- 規模は控えめながら、救いと戒めの物語が色濃く残る札所。
信仰と物語
- 大正2年、生まれつき盲目の高松伊之助が日参して開眼したという実話が新聞にも掲載された。
- 以来「目の観音さま」として眼病に悩む参拝者が訪れる。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 伊之助の開眼の実話。
- 姑をいじめていた女性の白衣だけが燃え上がり、わが身の行いを悔いたという話。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 御詠歌は観音の導きと西方浄土を願う。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 高松伊之助(開眼の霊験を授かった盲目の男性)。
- 姑をいじめていた女性(戒めの譚)。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
参拝の手引き
- 年中行事は霊場会公式サイトを参照。
- 住宅街にあるため駐車には配慮を。
- 夜泣き地蔵は子育て祈願の対象。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 前の15番国分寺から、次の17番井戸寺へ。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 藍住ICから県道1号・国道192号経由、県道123号で国府町観音寺方面へ。
- 〒779-3123 徳島県徳島市国府町観音寺49-2
- 088-642-2375
- 普通6〜7台・マイクロバス1台(午前7時〜午後5時・無料)
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


