第20番 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺

鶴林寺
本尊地蔵菩薩
おん かかかび さんまえい そわか
御詠歌しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第20番は 徳島県(阿波・発心の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では20番目です。

縁起と歴史
寺伝では延暦17年(798年)、桓武天皇の勅願により弘法大師が開創したと伝わる。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼を広げ、老杉のこずえに舞い降りて1寸8分(約5.5cm)の黄金の地蔵菩薩像を守護していたという。大師はこれを感得し、霊木に3尺ほどの地蔵菩薩像を刻んで、その胎内に黄金の小像を納めて本尊とし、鶴の瑞祥にちなんで寺号を「鶴林寺」と定めたと伝わる。山号の霊鷲山は、釈迦が法華経を説いた天竺の霊鷲山(グリドラクータ)になぞらえたものとされる。創建後は平城・嵯峨・淳和の歴代天皇の帰依を受け、のちには源頼朝・源義経らの信仰も集めて栄えたと伝える。本尊地蔵菩薩は「矢負い地蔵」とも呼ばれ、胸に矢傷が残るとされるが、これは伝承の領域に属する。地元や遍路からは「お鶴さん」と親しまれている。
弘法大師との関わり
寺伝では弘法大師が開基。大師がこの山で修行中、雌雄の白鶴が黄金の地蔵菩薩像を守護して老杉に舞い降りたのを感得し、自ら3尺の地蔵菩薩像を刻んで胎内に黄金の小像を納め本尊としたと伝わる。本尊は「伝弘法大師作」とされる。山上に至る表参道は「遍路ころがし」と呼ばれる急坂の難所で、「一に焼山(焼山寺)、二にお鶴(鶴林寺)、三に太龍(太龍寺)」と称される阿波の三難所の一つに数えられる。
- 延暦17年(798年):寺伝による開創。桓武天皇の勅願、弘法大師による開基と伝わる(伝承)
- 平安時代後期:本尊・木造地蔵菩薩立像が造立されたと推定される(国重要文化財の制作年代)
- 鎌倉時代:源頼朝・源義経らの帰依を受けたと伝わる(伝承)
- 室町時代(貞治2年=1362年ほかの年号):参道の丁石が刻まれる(県内最古級とされる)
- 慶長9年(1604年):本堂が建立されたと伝わる
- 文化14年(1817年)着工〜文政10年(1827年)完成:三重塔が建立される(徳島県唯一の三重塔。建立年は文政6年・文政10年など諸説)
- 平成22年(2010年):鶴林寺への遍路道(鶴林寺道・太龍寺道)が「阿波遍路道」として四国で初めて国史跡に指定された
見どころ・伽藍
- お鶴さん白鶴が黄金地蔵を守った瑞祥。本堂前に雌雄2羽の銅像が立つ。
- 矢負い地蔵胸に矢傷が残るとされる本尊。猟師の説や義経の説など、諸説が伝わる。
- 遍路ころがし阿波三難所の二番。急傾斜の表参道を約4km登る。
- 三重塔徳島県唯一の三重塔。五智如来を祀る県指定文化財。
- 霊鷲山標高470m余の鷲ヶ尾。千年杉の参道から海が望める。
- 山門(仁王門)は明治42年(1909年)の建立で、仁王像とともに一対の鶴像が安置される。
- 本堂は慶長9年(1604年)の建立と伝わり、70段の石段を上った先に建つ。
- 三重塔は文政期の建立で銅板葺き、高さ約23メートル、五智如来を祀る徳島県唯一の三重塔とされる。
- 大師堂は大正2年(1913年)、護摩堂は大正15年(1926年)の建立と伝わる。
- 境内最高所の聖天堂(宝暦8年建立)には役行者像が安置され、鎮守堂には鶴峯大権現を祀る。
- 袴腰形式の鐘楼や六角地蔵堂、七福神堂などが、山腹の三段の伽藍に配される。
- 本堂前には白鶴伝説にちなむ雌雄2羽の鶴銅像が左右に立ち、通称「お鶴さん」の象徴となっている。
- 御本尊降臨之杉は弘法大師開創の遺跡とされ、白鶴が黄金地蔵を守って舞い降りた老杉と伝わる。
- 奥の院は穴禅定で知られる月頂山慈眼寺で、四国別格二十霊場の第3番にあたる。
- 本堂の左裏には、弘法大師開創の遺跡とされる御本尊降臨之杉がそびえる。
- 参道の約1.27キロ手前には、弘法大師が杖を突くと水が湧いたと伝わる水呑大師がある。
- 本堂を起点に室町時代の丁石が遍路道沿いに並び、貞治2年(1362年)などの年号を刻む県内最古級の道標とされる。
- 近隣の「星の岩屋」には、弘法大師が悪星を石に変えて岩屋に封じ込めたという伝説が残る。
- 木造地蔵菩薩立像(国指定重要文化財。寄木造・彩色、像高63.3cm、平安時代後期)
- 絹本著色釈迦三尊像(重要美術品)
- 絹本著色地蔵来迎図(徳島県指定有形文化財)
- 三重塔(徳島県指定有形文化財。文政期建立、徳島県唯一の三重塔)
- 阿波遍路道 鶴林寺道・太龍寺道(国指定史跡。平成22年指定)
信仰と物語
- 本尊の地蔵菩薩は弘法大師の作と伝わる秘仏で、白鶴が守ったという小さな黄金像を胎内に納めると伝わる。
- 本尊は「矢負い地蔵」とも呼ばれ、猟師の矢を身代わりに受けて胸に傷が残ると伝わる。
- 源義経の身代わりに矢を受けたとも伝わり、鎌倉期の武将信仰と結びつく諸説がある。
- 納経では本尊の墨書に加え、白衣の背に鶴亀の鶴印を授かることで知られる。
- 三重塔には五智如来(宝生・阿閦・大日・無量寿・不空成就)を祀ると伝わる。
- 弘法大師が修行中、雌雄の白鶴が老杉の梢で黄金の地蔵像を守護していたのを見て、自ら地蔵像を刻んだと伝わる。
- 猟師が猪を追って矢を放つと、本堂の地蔵菩薩が胸から血を流していたといい、猟師は殺生を悔いて仏門に入ったと伝わる。
- 近隣の星の岩屋には、弘法大師が悪星を石に変えて封じ込めたという伝説が残る。
- 源義経の身代わりに矢を受けたとも伝わる矢負い地蔵の説があり、鎌倉期の武将信仰と結びつく。
- 御詠歌「しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈」が伝わる。
- 仁王門の右前には、瀧佳杖の句碑「水煙にまほろしの鶴古ふし咲き」が立つ。
- 山号「霊鷲山」は、釈迦が法華経を説いた天竺の霊鷲山(グリドラクータ)になぞらえたものとされる。
- 寺伝では、桓武天皇の勅願により弘法大師が開創したと伝わる。
- 平城天皇・嵯峨天皇・淳和天皇の帰依を受け、源頼朝や源義経、三好長治、蜂須賀家政らの信仰も集めたと伝わる。
参拝の手引き
- 地蔵菩薩の縁日(毎月24日)
- 表参道は「遍路ころがし」と呼ばれる急坂で、山裾から約4キロ、徒歩約1時間半の登りとされる。
- 「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と称される阿波三難所の一つに数えられる。
- 樹齢千年を超える老杉や檜・松の巨木が参道を覆い、境内から和歌山・淡路・太平洋を望める。
- 駐車場は普通車約30台分で、料金は資料により無料とも志納とも記される。現地での確認が望ましい。
- 宿坊はなく、納経時間は7時から17時が目安とされる。
- 前の第19番立江寺からは約13.1キロ、次の第21番太龍寺へは約6.7キロの行程とされる。
- 鶴林寺道と太龍寺道は「阿波遍路道」として国の史跡に指定され、石畳や丁石が残る。
- 水呑大師から約0.5キロには、徳島の茅葺き技術を伝えるために建てられた茅葺きの遍路小屋がある。
- 最寄り駅はJR牟岐線立江駅(約13.5km)。公共交通は徳島駅から徳島バス勝浦線で「生名」下車、そこから登山(徒歩約1時間半〜2時間)。車は徳島駅前から国道55号を南下し、江田町交差点を右折して県道16号を勝浦川沿いに進み、大イチョウの木が見えたら標識に従って左折、山道で門前近くまで上れる(急坂が続く)。徒歩遍路は山裾から約4km・1時間半ほどの登り。
- 駐車場:あり(志納金制)。普通車約20〜30台分。料金は志納(資料により普通車約30台無料との記載もあり、要現地確認)。
- 宿坊:なし
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出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。