第17番 瑠璃山 真福院 井戸寺

井戸寺
本尊七仏薬師如来
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌面影をうつしてみれば井戸の水 結べば胸のあかやおちなん
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第17番は 徳島県(阿波・発心の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では17番目です。

縁起と歴史
7世紀後半の白鳳時代は、清新な日本文化が生まれた時期で、律令制もようやく芽生え、阿波の国にも国司がおかれた。この国司に隣接して、天武天皇(在位673〜86)が勅願道場として建立したのが井戸寺で、当時の寺名は「妙照寺」であったという。寺域は八町四方と広く、七堂伽藍のほか末寺十二坊を誇る壮大な寺院があって、隆盛を極めたと伝えられている。本尊は薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏の薬師如来坐像で、聖徳太子の作と伝えられる。脇仏の日光・月光菩薩像は行基菩薩の彫造と伝えられる。のち弘仁6年(815)に弘法大師がこれらの尊像を拝むために訪れ、檜に像高約1.9メートルの十一面観音像を彫って安置した。この像は右手に錫杖、左手に蓮華を挿した水瓶をもった姿で、現在は国の重要文化財に指定されている。大師はまた、この村が水不足や濁り水に悩んでいるのを哀れみ、自らの錫杖で井戸を掘ったところ、一夜にして清水が湧き出した。そこで付近を「井戸村」と名付け、寺名も「井戸寺」に改めたという。
ただ、南北朝時代以降の寺史は激変する。まず貞治元年(1362)、細川頼之の兵乱で堂宇を焼失し、次いで天正10年(1582)には三好存保と長宗我部元親との戦いでも罹災した。江戸時代に本堂が再建されたのは万治4年(1661)であった。 七仏薬師如来は全国でも珍しく、七難即滅・七福即生などの開運を願う信仰が篤い。
白鳳時代に天武天皇が勅願道場として創建し、もとは「妙照寺」と称して七堂伽藍と末寺12坊を擁する壮大な寺院でした。弘仁6年(815年)に弘法大師が訪れた際、水不足に苦しむ村人を見かねて自らの錫杖で地を突いたところ清水が湧き出し、この地を「井戸村」、寺を「井戸寺」と改めたと伝わります。境内の「面影の井戸」は大師伝説の井戸そのもので、水面に自分の姿が映れば無病息災、映らなければ3年以内に厄災ありとされ、参拝そのものが強い記憶になります。本尊の七仏薬師如来は全国でも珍しい七体一組の形式で、七難即滅・七福即生の開運に厚い信仰を集めてきました。大師が訪問時に彫った高さ約1.9mの十一面観音像は国指定重要文化財です。「水大師」とも呼ばれる日限大師は、5日・7日と日数を限って日参すればご利益を願う信仰があるとされ、具体的な願いを抱えて通う参拝者に親しまれています。阿波10代藩主・蜂須賀重喜が寄進した仁王門も堂々たる構えで、二日目の出発にふさわしく身を整え気持ちを整えられる札所です。
- 白鳳時代は清新な日本文化が生まれた時期で、律令制もようやく芽生え、阿波の国にも国司がおかれた。
- 弘仁6年(815)、弘法大師がこれらの尊像を拝むために訪れた際、檜に像高約1.9メートルの十一面観音像を彫って安置した。
- 天正10年(1582)、三好存保と長宗我部元親との戦いで罹災した。
- 白鳳時代に天武天皇が勅願道場として創建し、もとは「妙照寺」と称して七堂伽藍と末寺12坊を擁する壮大な寺院でした。
- 弘仁6年(815年)に弘法大師が訪れた際、水不足に苦しむ村人を見かねて自らの錫杖で地を突いたところ清水が湧き出し、この地を「井戸村」、寺を「井戸寺」と改めたと伝わります。
見どころ・伽藍
- 面影の井戸大師が掘ったと伝わる井戸で、覗き込んで自分の姿がうつれば無病息災、うつらなければ3年以内の厄災…
- 日限大師石造の大師像で「水大師」とも呼ばれる。5日、7日などと日数を限って日参すればご利益を願う信仰が伝わる。
- 弘法大師が水不足の村人のため錫杖で地を突いて清水を湧かせ、「井戸村」「井戸寺」と改めたと伝わる。
- 白鳳時代に天武天皇の勅願で創建。もとは七堂伽藍と末寺12坊を擁する大寺だったと伝わる。
- 「面影の井戸」は、大師が錫杖で地を突いて清水を湧かせたと伝わる井戸。
- 白鳳時代に天武天皇の勅願で創建。もとは七堂伽藍と末寺12坊を擁する大寺だったと伝わる。
- 「面影の井戸」は、大師が錫杖で地を突いて清水を湧かせたと伝わる井戸。
- 本尊の七仏薬師如来は、全国でも珍しい七体一組の形式。
- 大師が彫ったと伝わる高さ約1.9mの十一面観音像は、国指定重要文化財。
- 阿波10代藩主・蜂須賀重喜が寄進した仁王門が堂々と立つ。
- 白鳳時代に天武天皇が勅願道場として創建し、もとは「妙照寺」と称して七堂伽藍と末寺12坊を擁する壮大な寺院でした。
- 弘仁6年(815年)に弘法大師が訪れた際、水不足に苦しむ村人を見かねて自らの錫杖で地を突いたところ清水が湧き出し、この地を「井戸村」、寺を「井戸寺」と改めたと伝わります。
- 水面に自分の姿が映れば無病息災、映らなければ3年以内に厄災ありとされる占いの伝承。
- 「水大師」(日限大師)は、5日・7日と日数を限って日参すればご利益を願う信仰が伝わる。
- 境内の「面影の井戸」は大師伝説の井戸そのもので、水面に自分の姿が映れば無病息災、映らなければ3年以内に厄災ありとされ、参拝そのものが強い記憶になります。
- 本尊の七仏薬師如来は全国でも珍しい七体一組の形式で、七難即滅・七福即生の開運に厚い信仰を集めてきました。
- 大師が訪問時に彫った高さ約1.9mの十一面観音像は国指定重要文化財です。
- 「水大師」とも呼ばれる日限大師は、5日・7日と日数を限って日参すればご利益を願う信仰があるとされ、具体的な願いを抱えて通う参拝者に親しまれています。
- 阿波10代藩主・蜂須賀重喜が寄進した仁王門も堂々たる構えで、二日目の出発にふさわしく身を整え気持ちを整えられる札所です。
- 十一面観音像は右手に錫杖、左手に蓮華を挿した水瓶をもった姿で、現在は国の重要文化財に指定されている。
信仰と物語
- 七難即滅・七福即生の開運を願う信仰が篤い。
- 面影の井戸の占いは、参拝の強い記憶になる。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 弘法大師が水不足の村人のため錫杖で地を突いて清水を湧かせ、「井戸村」「井戸寺」と改めたと伝わる。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 御詠歌は、井戸の水に映る面影と、心の垢を洗う教えをうたう。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 天武天皇の勅願で創建。
- 弘法大師が井戸を掘る。
- 蜂須賀重喜が仁王門を寄進。
参拝の手引き
- 正御影供:日時:旧暦3月21日
- 不動護摩:日時:毎月28日
- 面影の井戸は静かに覗く。
- 日限大師には、日数を守って日参する習慣がある。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 16番観音寺から。18番恩山寺へ。徳島駅方面にも近い。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 藍住インターチェンジから県道1号線を蔵本町方面へ行き、NTT徳島西営業所ちかくの交差点を右折。約2km先で標識に従って左折。あとは道案内が出ています。
- 〒779-3118 徳島県徳島市国府町井戸北屋敷80-1
- 088-642-1324
- 普通30台・マイクロバス5台・大型5台(午前7時〜午後5時)
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


