第22番 白水山 医王院 平等寺

平等寺
本尊薬師如来
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌平等にへだてのなきと聞く時は あらたのもしき仏とぞみる
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第22番は 徳島県(阿波・発心の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では22番目です。

縁起と歴史
平等寺の開創については、弘法大師が薬師如来を刻み、白水の霊泉を得たとする寺伝が伝わります。由来記は、薬師如来が人々の苦しみを平等に癒やす誓いを示したことを寺名の由来とし、独鈷で山崖を穿つと乳白色の水が湧いたため山号を白水山とした、と記します。これは寺に伝わる縁起として、現在の信仰を形づくっている物語です。
一方、江戸時代の巡礼案内記からは、平等寺が遍路の道筋に組み込まれていたことを具体的にたどれます。貞享4年(1687年)刊の真念『四國邊路道指南』には、平等寺を那賀郡の札所として、薬師如来と御詠歌とともに記しています。さらに『四国遍礼名所図会』(1800年)には、門前の茶屋で一宿したという記述があります。縁起の伝承だけでなく、道を歩く人を迎える札所としての歴史も、この寺の大切な姿です。
近世の由来記には、戦乱や荒廃を経たのち、延宝5年(1677年)に照俊法印が中興を志し、楼門・本堂・大師堂などを順次整えた経緯も記されています。現在の境内は、こうした再興の積み重ねと、地域の人々が守ってきた祈りの場の上にあります。
弘法大師との関わり
弘法大師が薬師如来を刻み、独鈷で山崖を穿って白水を得たという寺伝が、平等寺の信仰の核にあります。白水の井戸は、その伝承を今に伝える境内の霊跡です。奥之院の月夜御水大師にも、月を招いて加持水を得たという修行伝承が伝わります。いずれも、史料が示す歴史的事実と同じ意味で断定するのではなく、平等寺に受け継がれてきた弘法大師信仰の物語としてお参りください。
- 弘仁5年(814年)三月中旬:弘法大師が巡錫し、薬師如来を刻んで七塔伽藍を創置、寺号を平等寺と定めたと由来記に記される
- 戦国以降:蜂須賀入国を機に四国霊場一般が衰替したと由来記に記される
- 延宝5年(1677年)春三月:照俊法印(豫州桒村郡古田村出身)が当寺に来て中興の業を誓う(由来記)
- 天和3年(1683年)四月:洪鐘を再鑄(由来記)
- 宝永3年(1706年)仲春:楼門を建立(由来記)
- 享保7年(1722年)八月:照俊法印が本堂を建立(由来記)
- 享保10年(1725年)霜月七日:照俊法印遷化(由来記)
- 元文2年(1737年)三月:中興二世槐翁上人が新薬師堂を造立(由来記)
- 寛保4年(1744年)二月二十八日:薬師如来入佛供養を遂げ、のち方丈庫裏を経営(由来記)
- 安永8年(1779年)正月:無為法印が照俊遺命に則り大師堂再営(銅瓦)と護摩堂を造立(由来記)
- 文政5年(1822年)閏正月:憲翁法印が御影堂を造立、文政7年(1824年)四月廿一日上棟(由来記)
- 大正12年(1923年)八月:星供にまつわる隕石を床下から発見(由来記・『新野町志』編纂時)
- 1969年(昭和44年)9月10日:「紙本金地著色秋草図」4面が徳島県有形文化財に指定
- 2020年(令和2年)4月26日:本堂内陣の24時間ライブ配信を開始(平等寺公式 byodoji.online)
- 2021年(令和3年)10月:「阿波遍路道 平等寺道」が国史跡に指定
見どころ・伽藍
- 白水の井戸独鈷で山崖を穿つと乳白色の水が湧いたという、山号の由来に関わる霊跡。
- 88段厄除坂男42・女33・子13段で計88段。一段ごとに厄を落とす風習がある。
- 薬師本尊誰をも平等に救う誓いを込めて大師が刻んだ。常時拝観できる。
- 箱車病苦からの回復を願う信仰と、祈りがかなった感謝を伝える奉納物。
- 善の綱仁王門まで延びる五色の綱と幕が境内を華やかに彩る。
- 裏山の新四国(写し霊場)江戸後期、新野町や周辺の方々が寄進した88体の石仏が、約1時間の山道に立ち並ぶ。一体ずつ手を合わせると、遠い四国を身近に感じることができる。
- 山門は入母屋造の楼門で、金剛力士(仁王)像を安置する。
- 本堂は享保7年(1722年)八月、照俊法印が建立したと由来記に記される。元文2年(1737年)三月、中興二世槐翁上人が新薬師堂を造立し、寛保4年(1744年)二月二十八日に薬師如来入佛供養を遂げたと由来記に記される(1737年は本堂再建ではない)。
- 大師堂は安永8年(1779年)正月に無為法印が銅瓦で再営、御影堂は文政5年(1822年)閏正月に憲翁法印が造立し、文政7年(1824年)四月廿一日上棟と由来記に記される。
- 護摩堂・観音堂・鐘楼・客殿が境内に並ぶ。
- 山門前に子厄坂13段、本堂正面に男厄坂42段、本堂左に女厄坂33段があり、合わせて計88段の厄除け坂となる。
- 本堂・大師堂は常時フルオープンで、本尊・大師像を間近に拝することができ、境内は五色幕で彩られる。
- 本堂には賓頭盧尊者が安置され、撫でて病平癒を願う参拝者が絶えない。
- 奥の院・月夜御水大師(阿南市新野町月夜)は、大師が月を招いて加持水を得たと伝わる霊跡とされる。
- 月夜御水大師には、大師が月を招き寄せて月夜とし、加持水を得たという修行伝承が残る。
- 弥谷観音堂(阿南市福井町日の地)は、若き空海が岩に如意輪観音を刻んで修行したと伝わる番外霊場である。
- 本堂前の白水の井戸(弘法の霊水・鏡の井戸)は、山号「白水山」の由来とされる。
- 白水の井戸の霊水は現在も湧き、全国から水を汲みに訪れる人が絶えない。
- 徳島県指定有形文化財「紙本金地著色秋草図」4面(狩野内膳筆、1969年9月10日指定)
- 国史跡「阿波遍路道 平等寺道」(2021年10月指定)
信仰と物語
- 本尊の薬師如来は、人々の苦しみを平等に癒やす誓いを示して刻まれたと寺伝に記される。
- 白水の井戸には、病苦の平癒を願い、霊水をいただく信仰が受け継がれている。
- 当寺に伝わる星供の秘法は、由来記において一切に平等な功徳を及ぼす修法として記される。
- 箱車の奉納など、健脚や病苦の平癒を願う信仰の物語が残る。
- 大正期、病からの回復を願った参拝者が、感謝のしるしとして箱車を奉納したという寺伝が残る。
- 弘法大師の修行中、空中に圓光蓋の如く光が現れ、その光の中に瑠璃の鑁字を顕して薬師如来の姿に変わったと伝わる。
- 大師が独鈷で山崖を穿つと乳白色の霊泉が湧き、山号を白水山と定めたと由来記に記される。
- 寺名の平等寺には、すべての衆生を平等に救おうとする大師の願いが込められていると伝わる。
- 長宗我部元親の兵火焼失説を由来記は訛傳とし、元親が経行の声を聞いて下馬拝伏したと伝える(由来記)。
- 御詠歌「平等にへだてのなきと聞く時は あらたのもしき仏とぞ見る」は由来記に記される。
- 真念『四國邊路道指南』(1687年)にも、薬師如来とこの御詠歌が記されている。現在の札所案内と江戸時代の道案内をつなぐ、平等寺の古い記録である。
- 享保17年(1732年)五月、『四島隨方録』に「霊場弐拾弐番白水山平等寺」と詠まれ、日光院を転句に挟んだ(由来記)。
- 境内には谷中隆子の句碑「大道といへる道あり花樗」などが残る。
- 2020年4月26日より本堂内陣の24時間ライブ配信を開始し、遠隔参拝に取り組んでいる。
- 弘仁5年(814年)、弘法大師空海が開創したと由来記に記される。
- 延宝5年(1677年)春三月、照俊法印が豫州桒村郡古田村出身の僧として来寺し、中興の業を起す(由来記)。
- 照俊法印は天和3年(1683年)洪鐘再鑄、宝永3年(1706年)楼門建立、享保7年(1722年)八月本堂建立と再建を逐次行い、享保10年(1725年)霜月七日に遷化(由来記)。
- 槐翁上人、無為法印、憲翁法印など、中興十四世にわたる再興が由来記に続く。
参拝の手引き
- 本堂内陣24時間ライブ配信(2020年4月26日開始)
- 新春初護摩祈祷(1月1日0時・10時・15時、2日・3日10時・15時)
- 本尊初会式(1月下旬)
- 星まつり(1月28日から2月4日)
- 春彼岸会・御影供(3月21日)
- 花まつり(4月8日)
- 薬師増益護摩(毎月8日15時)
- 十一面息災護摩(毎月18日15時)
- 不動息災護摩(毎月28日15時)
- 朝の勤行(毎日)
- 山門前の子厄坂13段を上がって仁王門をくぐり、男厄坂42段または女厄坂33段で本堂へ参拝する(計88段)。
- 駐車場は普通車30台・大型5台で無料(8時から17時)。
- 納経時間は8時から17時(納経料500円、2024年4月改定)。
- 宿坊は現在休業中。
- 前の第21番太龍寺からは遍路道で約10.9キロ。
- 次の第23番薬王寺へは約19.7〜20.3キロで、室戸方面への長い行程の入口にあたる。
- 『四国遍礼名所図会』(1800年)には、平等寺の門前茶屋で一宿した記録がある。札所が祈りの場であると同時に、歩く人を迎える道の場でもあったことが分かる。
- JR牟岐線「新野駅」から徒歩約28分(約2.3km)、車約5分。前札所の第21番太龍寺から車で約20分。国道55号からのアクセスも良い。
- 駐車場:あり。無料。普通車30台、マイクロバス・大型5台(利用時間 7:00〜17:00)。
- 納経時間:8:00〜17:00(納経料500円、2024年4月改定)
- 裏山の新四国:本堂から山道を約1時間。江戸後期からの88体の石仏を、一体ずつ巡ることができる。
写真






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出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。