第11番 金剛山 一乗院 藤井寺

藤井寺
本尊薬師如来
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌色も香も無比中道の藤井寺 真如の波のたたぬ日もなし
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第11番は 徳島県(阿波・発心の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では11番目です。

縁起と歴史
四国最大の吉野川(全長236キロ)が、阿波の北部を貫いて流れている。阿波中央橋を南に渡ると、およそ3キロ先の山麓に十一番霊場の山門が見えてくる。三方を山に囲まれ、渓流の澄んだこの地に心を惹かれた弘法大師が、ここで護摩修法をされたのは弘仁6年のことと伝えられている。大師は42歳の厄年にあたり、自らの厄難を祓い、衆生の安寧を願って薬師如来像を彫り、堂宇を建立した。その堂宇からおよそ200メートル上の8畳岩に、金剛不壊といわれる堅固な護摩壇を築いて、一七日間の修法をされた。堂の前に5色の藤を植えたという由緒から、金剛山藤井寺と称されるようになった。
寺は真言密教の道場として栄え、七堂伽藍を構える壮大な大寺院へと発展した。しかし天正年間(1573〜92)の兵火で全山を焼失し、江戸時代初期まで衰微した。延宝2年(1674)に、阿波藩主が帰依していた臨済宗の南山国師が入山して再興し、このとき宗派を臨済宗に改めている。天保3年(1832)に再び火災に遭い、本尊を除く伽藍はすべて焼失した。現在の伽藍は、万延元年(1860)に再建されたものである。本尊は「厄除け薬師」として親しまれ、国の重要文化財に指定されている。藤井寺から次の十二番・焼山寺までは、往古の姿を留める「へんろ道」が通じている。弘法大師が修行中に休息したと伝わる遺跡や石仏、標石が残る、貴重なへんろ道である。
42歳の厄年を迎えた弘法大師が、自らの厄難を払い、衆生の災いを除くため、この地で17日間の護摩修法を行いました。その満願の証として五色の藤を植えたことが、寺名の由来です。この藤は今も境内を彩り、春には紫・白・紅の花房が石段を覆うように垂れ下がります。本堂の天井には、江戸末期の画人・林雲渓が3年の歳月をかけて描いた30畳におよぶ雲龍の天井画が残ります。龍の眼はどこから見ても参拝者を睨むようで、その迫力が、これから先の道行きへ気持ちを引き締めてくれます。本尊の薬師如来坐像は平安後期の作で、国指定重要文化財に指定された古仏です。境内奥の白龍弁財天は金運や芸事の上達を願う人に親しまれ、芸能や商売に携わる参拝者が絶えません。この寺は、十二番焼山寺へ続く約12kmの山越え遍路道「遍路ころがし」の入口にあたり、平地の札所から山道の巡礼へ移る節目の地です。阿波の前半を締めくくり、覚悟を整える場所として強く印象に残るでしょう。
- 弘法大師がこの地で護摩修法をされたのは弘仁6年のことと伝えられている。
- 天正年間(1573〜92)の兵火で全山を焼失し、江戸時代初期まで衰微した。
見どころ・伽藍
- 藤の古木。大師が悪疫退散を祈願したのちに植えたと伝わる。
- 本堂の雲龍の天井画。昭和52年、地元出身の画家による30畳ほどの巨龍。
- 大師が42歳の厄難を払い、衆生の災いを除くため17日間の護摩修法を行った。
- 満願の証として五色の藤を植え、これが寺名の由来となった。
- 42歳の厄年を迎えた大師が17日間の護摩修法を行い、満願の証として五色の藤を植えた。
- 春には紫・白・紅の花房が石段を覆うように垂れ下がる。
- 42歳の厄年を迎えた大師が17日間の護摩修法を行い、満願の証として五色の藤を植えた。
- 春には紫・白・紅の花房が石段を覆うように垂れ下がる。
- 本堂の天井には、林雲渓が3年をかけて描いた30畳におよぶ雲龍の天井画がある。龍の眼はどこから見ても睨むようだ。
- 本尊の薬師如来坐像は平安後期の作で、国指定重要文化財(像内墨書「久安4年=1148年」、四国最古級の造立銘)。
- 境内奥の白龍弁財天は金運や芸事上達のご利益で知られる。
- 42歳の厄年を迎えた弘法大師が、自らの厄難を払い、衆生の災いを除くためこの地で17日間の護摩修法を行い、満願の証として五色の藤を植えた。これが寺名の由来です。
- この藤は今も境内を彩り、春には紫・白・紅の花房が石段を覆うように垂れ下がります。
- 遍路ころがし(約12km)の入口。平地から山道の巡礼へ移る節目。
- 十二番焼山寺への山越え道は、昔から難所として知られてきた。
- 本堂の天井には、江戸末期の画人・林雲渓が3年の歳月をかけて描いた30畳におよぶ雲龍の天井画が残る。龍の眼はどこから見ても参拝者を睨むようで、その迫力が、これから先の道行きへ気持ちを引き締めてくれる。
- 本尊の薬師如来坐像は平安後期の作で、国指定重要文化財に指定された古仏である。
- 境内奥の白龍弁財天は、金運や芸事の上達を願う参拝者に親しまれ、芸能や商売に携わる人の参拝が絶えない。
- この寺は、十二番焼山寺へ続く約12kmの山越え遍路道「遍路ころがし」の入口にあたり、平地の札所から山道の巡礼へ移る節目の地である。
- 阿波の前半を締めくくり、覚悟を整える場所として強く印象に残る。
- 本尊は「厄除け薬師」として親しまれ、国の重要文化財に指定されている。
信仰と物語
- 五色の藤が、厄除と護摩修法の満願を象徴する。
- 芸能や商売に携わる人の弁財天参拝が絶えない。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 大師が42歳の厄難を払い、衆生の災いを除くため17日間の護摩修法を行った。
- 満願の証として五色の藤を植え、これが寺名の由来となった。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 御詠歌は、無比中道と真如の波を藤の花にたとえる。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 弘法大師が護摩修法を行い、藤を植えた。
- 仏師経尋作の本尊(久安4年銘)。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
参拝の手引き
- 年中行事は霊場会公式サイトを参照。
- 藤の季節(4〜5月)は花が見ごろ。
- 焼山寺への長い山道に入る前に、心構えを整える場。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 10番切幡寺から続く。12番焼山寺へは遍路ころがし約12km。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 土成インターチェンジから、国道318号線を左折して鴨島方面へ進み、阿波中央橋を渡り、国道192号線との突き当たりを左折。鴨島郵便局手前の信号を右折して道なりに進むとたどり着きます。
- 〒776-0033 徳島県吉野川市鴨島町飯尾1525
- 0883-24-2384
- 門前に「本家ふじや」の駐車場がある 問い合わせ電話:0883-36-1037 参拝時間:300円/1日 500円
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


