第4番 黒巌山 遍照院 大日寺

大日寺
本尊大日如来
おん あびらうんけん ばざらだどばん
御詠歌ながむれば月白妙の夜半なれや ただ黒谷にすみぞめの袖
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第4番は 徳島県(阿波・発心の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では4番目です。

縁起と歴史
徳島と香川県の県境をなす阿讃山脈から南流する黒谷川に向かって、標高70m前後の尾根が緩やかに張り出し、その斜面に南向きの伽藍が配されています。
弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地で大日如来を感得し、一刀三礼の作法で1寸8分の大日如来像を彫造したことが寺名の由来と言われます。
元禄2年の『四國遍礼霊場記』(寂本1631〜1701)には、かつては立派な堂塔が並んでいたものの、歳月とともに荒廃していたと記されています。その後、応永年間(1394〜1428年)に松法師という人物が夢の託言を受けて修復したという話が、『阿波史』文化12年(1815年)に伝えられています。再び荒廃しましたが、徳島藩二代目藩主・蜂須賀忠英が慶安2年(1649年)に材木を寄進して本堂一宇を建立し、天和(1681年)・貞享(1688年)までに再興されました。さらに元禄5年(1692年)には五代目藩主・蜂須賀綱矩が、寛政11年(1799年)には十一代目藩主・蜂須賀治昭がそれぞれ修復し、今に至っています。三方を山に囲まれた黒谷の地にあることから、地元では「黒谷寺」と呼び習わされることもありました。山号「黒巌山」もこの地形に由来するとされます。現在は京都・東寺の末寺ですが、それは明治20年以降のことで、それ以前は真言宗御室派に属していました。庫裡の熨斗瓦や入口の透かし欄間には、寺紋の十六菊紋が見られます。
阿讃山脈から南流する黒谷川に向かって張り出した標高70mほどの尾根に、南向きに伽藍が配されています。三方を山に囲まれた黒谷の地にあることから地元では「黒谷寺」とも呼ばれ、山号「黒巌山」もこの地形に由来します。弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地で大日如来を感得し、一刀彫るごとに三度礼拝する「一刀三礼」の作法で1寸8分の大日如来像を彫造したことが寺名の由来です。八十八ヶ所のうち大日如来を本尊とするのはわずか6ヶ寺と少なく、貴重な札所です。元禄2年の『四國遍礼霊場記』には、かつては立派な堂塔が並んでいたものの歳月とともに荒廃していたと記されています。応永年間(1394〜1428年)に松法師なる僧侶の夢の託言により修復がなされたのち再び荒廃しましたが、徳島藩二代目藩主・蜂須賀忠英が慶安2年(1649年)に材木を寄進して本堂を建立、以後も五代目綱矩・十一代目治昭と歴代藩主が修復を重ねて今日の姿に至っています。平成25年の発掘調査では、境内北側に鎌倉時代以降の遺構や12世紀頃の窯跡が確認され、中世に遡る宗教的施設がこの地に存在していた可能性が示されました。本堂と大師堂をつなぐ渡り廊下には西国三十三観音にちなんだ33体の観音菩薩像が並び、回廊を歩くだけで三十三所巡礼の功徳を願うとされています。大師堂内陣の仏画「両面大師」は表裏で異なる姿の大師が描かれた珍しい作品です。明治以前は真言宗御室派に属し、かつて住職を務めた泉智等は御室派の管長にまで昇った人物で、庫裡の軒丸瓦や欄間には十六菊の寺紋が残ります。荒廃と再興を繰り返しながら中世から信仰を紡いできた、阿波の札所の歴史の深さを実感できる一寺です。
- 弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地で大日如来を感得し、一刀三礼の作法で1寸8分の大日如来像を彫造したことから大日寺と称するようになったと言われます。
- 元禄2年の『四國遍礼霊場記』(寂本1631〜1701)には、かつては立派な堂塔が並んでいたものの、歳月とともに荒廃していたと記されています。
- 応永年間(1394〜1428年)に松法師という人物が夢の託言を受けて修復したことが、『阿波史』文化12年(1815年)に記されています。
- 慶安2年(1649年)に材木が寄進されて本堂一宇が建立され、天和(1681年)・貞享(1688年)までに再興されました。
- 元禄5年(1692年)に五代目藩主・蜂須賀綱矩が、寛政11年(1799年)に十一代目藩主・蜂須賀治昭がそれぞれ修復し、今に至っています。
- 弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地で大日如来を感得し、一刀彫るごとに三度礼拝する「一刀三礼」の作法で1寸8分の大日如来像を彫造したことが寺名の由来です。
- 慶安2年(1649年)に材木を寄進して本堂を建立、以後も五代目綱矩・十一代目治昭と歴代藩主が修復を重ねて今日の姿に至っています。
- 平成25年の発掘調査では、境内北側に鎌倉時代以降の遺構や12世紀頃の窯跡が確認され、中世に遡る宗教的施設がこの地に存在していた可能性が示されました。
- 明治以前は真言宗御室派に属し、かつて住職を務めた泉智等は御室派の管長にまで昇った人物で、庫裡の軒丸瓦や欄間には十六菊の寺紋が残ります。
見どころ・伽藍
- 鐘楼門伽藍の南側に建つ、欅材を用いた二層の鐘楼門(弁柄塗り)。屋根は入母屋造り本瓦葺き…
- 西国三十三観音像西国三十三観音霊場にちなむ御像が安置されています。寛政2年(1790年)前後に当寺周辺に…
- 弘仁6年(815年)弘法大師が大日如来を感得し、一刀三礼の作法で像を彫造。
- 応永年間、松法師の夢の託言で修復。慶安2年(1649年)蜂須賀忠英が本堂再建。
- 阿讃山脈から南流する黒谷川に向かう尾根(標高約70m)に南向きに伽藍が配される。
- 地元では「黒谷寺」とも呼ばれ、山号「黒巌山」は地形に由来する。
- 阿讃山脈から南流する黒谷川に向かう尾根(標高約70m)に南向きに伽藍が配される。
- 地元では「黒谷寺」とも呼ばれ、山号「黒巌山」は地形に由来する。
- 本堂と大師堂をつなぐ渡り廊下に西国三十三観音にちなむ33体の観音菩薩像が並ぶ。
- 大師堂内陣の仏画「両面大師」は表裏で異なる姿の大師を描いた珍しい作品。
- 庫裡の軒丸瓦や欄間には十六菊の寺紋が残り、御室派との関係を示す。
- 阿讃山脈から南流する黒谷川に向かって張り出した標高70mほどの尾根に、南向きに伽藍が配されています。
- 三方を山に囲まれた黒谷の地にあることから地元では「黒谷寺」とも呼ばれ、山号「黒巌山」もこの地形に由来します。
- 平成25年の発掘調査で境内北側に鎌倉時代以降の遺構や12世紀頃の窯跡が確認された。
- 中世に遡る宗教的施設がこの地に存在していた可能性が示されている。
- 弘仁6年(815年)、弘法大師がこの地で大日如来を感得し、一刀彫るごとに三度礼拝する「一刀三礼」の作法で1寸8分の大日如来像を彫造したことが寺名の由来です。
- 八十八ヶ所のうち大日如来を本尊とするのはわずか6ヶ寺と少なく、貴重な札所です。
- 元禄2年の『四國遍礼霊場記』には、かつては立派な堂塔が並んでいたものの歳月とともに荒廃していたと記されています。
- 応永年間(1394〜1428年)に松法師なる僧侶の夢の託言により修復がなされたのち再び荒廃しましたが、徳島藩二代目藩主・蜂須賀忠英が慶安2年(1649年)に材木を寄進して本堂を建立、以後も五代目綱矩・十一代目治昭と歴代藩主が修復を重ねて今日の姿に至っています。
- 平成25年の発掘調査では、境内北側に鎌倉時代以降の遺構や12世紀頃の窯跡が確認され、中世に遡る宗教的施設がこの地に存在していた可能性が示されました。
信仰と物語
- 八十八ヶ所のうち大日如来を本尊とするのはわずか6寺。一刀三礼で刻まれた1寸8分の像が由来。
- 渡り廊下の三十三観音巡りには、西国三十三所の功徳に通じる信仰がある。
- 本堂と大師堂をつなぐ渡り廊下には西国三十三観音にちなんだ33体の観音菩薩像が並び、回廊を歩くだけで三十三所巡礼の功徳を願うとされています。
- 大師堂内陣の仏画「両面大師」は表裏で異なる姿の大師が描かれた珍しい作品です。
- 明治以前は真言宗御室派に属し、かつて住職を務めた泉智等は御室派の管長にまで昇った人物で、庫裡の軒丸瓦や欄間には十六菊の寺紋が残ります。
- 荒廃と再興を繰り返しながら中世から信仰を紡いできた、阿波の札所の歴史の深さを実感できる一寺です。
- 弘仁6年(815年)弘法大師が大日如来を感得し、一刀三礼の作法で像を彫造。
- 応永年間、松法師の夢の託言で修復。慶安2年(1649年)蜂須賀忠英が本堂再建。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 御詠歌は黒谷の夜と墨染めの袖を詠じ、大日信仰の静謐さを表す。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 弘法大師が感得・刻像。
- 徳島藩二代藩主蜂須賀忠英、五代綱矩、十一代治昭が修復を支援。
- かつて住職を務めた泉智等は御室派管長に昇った人物。
参拝の手引き
- 年中行事は霊場会公式サイトを参照。
- 渡り廊下の三十三観音像は順に拝むとよい。
- 黒谷の地形上、参道はやや急な場合がある。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 板野町黒谷。3番金泉寺から西へ。5番地蔵寺へ続く。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 〒779-0113 徳島県板野郡板野町黒谷字居内28番地
- 088-672-1225
- 普通20台・マイクロバス/大型5台 午前7時~午後5時・無料
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


