第12番 摩廬山 正寿院 焼山寺

焼山寺
本尊虚空蔵菩薩
のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか
御詠歌後の世を思えば恭敬焼山寺 死出や三途の難所ありとも
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第12番は 徳島県(阿波・発心の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では12番目です。

縁起と歴史
焼山寺山(標高938メートル)の8合目近くにあり、四国霊場で2番目に高い山岳札所です。剣山や白髪山など四国山脈の山々を見渡す眺望が広がります。四国霊場には「遍路ころがし」と呼ばれた難所の札所がいくつかありますが、焼山寺もその一つで、昔から険しい坂道をたどる「修行の霊場」でした。いまは山上まで車道が通っています。縁起によると、飛鳥時代に役行者が山をひらき、蔵王権現を祀ったのが寺のはじまりとされます。ところが、この山には神通力を持つ大蛇が棲み、しばしば火を吐いて農作物や村人を襲っていました。弘仁6年ころ、弘法大師がこの地を巡られた時、一本杉で休んでいると、阿弥陀様があらわれる夢を見ました。目を覚ますと目の前が火の海になっています。そこで麓の垢取川で身を整えて山に登ると、大蛇は全山を火の海にして行く手を妨げました。大師は「摩廬(水輪の意)の印」を結び、真言を唱えながら進みましたが、大蛇は山頂近くの岩窟に姿をあらわしました。
大師は一心に祈願し、虚空蔵菩薩のご加護のもとで大蛇を岩窟に封じ込めました。そして自ら彫った三面大黒天を安置し、被害を受けていた人々の安楽と五穀豊穣を祈りました。山が「焼山」となってしまったことから、大師は寺を「焼山寺」と名付けました。「摩廬」の山号も「焼山」の寺名も、こうした不思議な伝説に由来し、鎌倉時代の後期には後醍醐天皇(在位138〜39)の勅願所となっています。境内には樹齢数百年の杉の巨木(県の天然記念物)が並び、巡礼者を迎えています。
昔この山には大蛇が棲み、山全体が火に包まれていたと伝わります。大師が真言の力で炎を鎮め、虚空蔵菩薩の力で大蛇を岩窟に封じ込めたことが寺名の由来です。山門をくぐると、樹齢500年を超える杉の巨木が参道の両脇にそびえ、平地の札所とはまるで異なる霊気に包まれます。十一番藤井寺からの山越えの遍路道は、かつて「遍路ころがし」と呼ばれた四国屈指の難所で、歩き遍路にとって最大の試練とされてきました。この寺には「四国遍路の元祖」とされる衛門三郎の伝説も色濃く残ります。伊予の豪農であった衛門三郎が、托鉢に訪れた大師への施しを拒んだところ、8人の子が次々に亡くなったとされています。悔悟した衛門三郎は大師を追って四国を20周巡り、この焼山寺の麓でついに力尽きました。駆けつけた大師が「何か望みはあるか」と問うと、「来世は河野家に生まれたい」と答え、大師は「衛門三郎再来」と刻んだ小石を握らせたと伝わります。のちに河野家に、左手を握ったまま開かない男児が生まれ、僧が祈祷すると手が開き、中からその石が現れたとされます。石は今も51番石手寺の宝物として伝わっています。この物語は施しと悔悟、そして再生の教えとして、四国遍路が単なる巡礼ではなく、人生をやり直す旅でもあることを象徴しています。境内奥の三面大黒天は福徳のご利益でも知られます。標高700mまで登りつめた先に広がる境内に足を踏み入れること自体が、第1回の巡拝における大きな達成感になるでしょう。
- 弘仁6年ころ、弘法大師がこの地を巡られた時、一本杉で休んでいると、阿弥陀様があらわれる夢を見た。
見どころ・伽藍
- 山岳霊場標高938m付近、四国2番目に高い札所。
- 三面大黒天大師作と伝わる三面の福徳の像。
- 遍路ころがし阿波三難所のひとつ。
- 杉巨木群樹齢500年超が参道を覆う。
- 杖杉庵衛門三郎終焉の番外霊場。
- 虚空蔵信仰後世安楽と三途越えの護り。
- 標高938mの焼山寺山8合目に本堂・大師堂・鐘楼が建つ四国屈指の山岳札所。
- 本堂左横のお堂に弘法大師作と伝わる三面大黒天(大黒天・毘沙門天・弁財天)が安置される。
- 樹齢500年超の杉巨木群が参道両脇にそびえ、県天然記念物。
- 山上まで車道が通り、宿坊(約30名・要予約)がある。
- 仁王門から境内へ続く参道は、平地の札所とは異なる山岳の空気に包まれる。
- 昔この山には大蛇が棲み、山全体が火に包まれていたと伝わります。
- 大師が真言の力で炎を鎮め、虚空蔵菩薩の力で大蛇を岩窟に封じ込めたことが寺名の由来です。
- 境内から車道で約1.6km下った杖杉庵は、衛門三郎終焉の伝承地。
- 大蛇を封じ込めた岩窟、垢取川での身清めなど、縁起の霊跡が語り継がれる。
- 阿波三難所の一つ「遍路ころがし」として、古くから修行の霊場。
- 山門をくぐると、樹齢500年を超える杉の巨木が参道の両脇にそびえ、平地の札所とはまるで異なる霊気に包まれます。
- 十一番藤井寺からの山越えの遍路道は、かつて「遍路ころがし」と呼ばれた四国屈指の難所で、歩き遍路にとって最大の試練とされてきました。
- この寺には「四国遍路の元祖」とされる衛門三郎の伝説も色濃く残ります。
- 伊予の豪農であった衛門三郎が、托鉢に訪れた大師への施しを拒んだところ、8人の子が次々に亡くなったとされています。
信仰と物語
- 本尊の虚空蔵菩薩は、後世の安楽と三途の難所を越える護りとして信仰される。
- 三面大黒天は福徳・商売繁盛のご利益でも知られる。
- 御詠歌は、死出の山を越える恭敬の念を説く。
- 悔悟した衛門三郎は大師を追って四国を20周巡り、この焼山寺の麓でついに力尽きました。
- 駆けつけた大師が「何か望みはあるか」と問うと、「来世は河野家に生まれたい」と答え、大師は「衛門三郎再来」と刻んだ小石を握らせたと伝わります。
- のちに河野家に、左手を握ったまま開かない男児が生まれ、僧が祈祷すると手が開き、中からその石が現れたとされます。石は今も51番石手寺の宝物として伝わっています。
- この物語は施しと悔悟、そして再生の教えとして、四国遍路が単なる巡礼ではなく、人生をやり直す旅でもあることを象徴しています。
- 役行者の開基、大蛇退治、大師が摩廬印と真言で炎を鎮めた伝承。
- 衛門三郎が20周の巡礼の末に麓で力尽き、「衛門三郎再来」の小石を握らされたという譚。
- 後醍醐天皇の勅願所となったと伝わる。
- 境内奥の三面大黒天は福徳のご利益でも知られます。
- 標高700mまで登りつめた先に広がる境内に足を踏み入れること自体が、第1回の巡拝における大きな達成感になるでしょう。
- 御詠歌「後の世を思えば恭敬焼山寺 死出や三途の難所ありとも」
- 元祖遍路・衛門三郎の物語は、近代文学や講談でも語られる。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 開基は役行者小角と伝わる。
- 弘法大師が虚空蔵菩薩で大蛇を封じ、三面大黒天を安置。
- 衛門三郎(四国遍路の元祖とされる)。
参拝の手引き
- 正御影供:日時:旧3月21日
- こもり法要:日時:8月30日
- 大般若会:日時:秋の彼岸中日
- 駐車場は各車種あわせて70〜80台。
- 宿坊は山上のため、必ず予約を。
- 11番からの遍路道は約13kmの山越えの難所。
- 11番藤井寺から遍路道で約13.0km。13番大日寺(一宮)へは下山後約27.0km。
- 名西郡神山町。ウメ・スダチの産地としても知られる。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 11番藤井寺より192号を経て、石井町経由し県道20号線を利用すると便利。
- 〒771-3421 徳島県名西郡神山町下分字中318
- 088-677-0112
- 各車種あわせ70〜80台
- あり(30人・山上のため必ず予約ください)
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


