第5番 無尽山 荘厳院 地蔵寺

地蔵寺
本尊勝軍地蔵菩薩
おん かかかび さんまえい そわか
御詠歌六道の能化の地蔵大菩薩 導き給えこの世後の世
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第5番は 徳島県(阿波・発心の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では5番目です。

縁起と歴史
嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により、弘仁12年に弘法大師が開創された。大師は自ら約5・5センチの勝軍地蔵菩薩を彫り、本尊に安置したと伝えられる。その後、淳和天皇(在位823〜33)、仁明天皇(在位833〜50)の3代にわたり、天皇家が篤く帰依された。さらに紀州・熊野権現の導師を務めていた浄函上人が霊木に延命地蔵菩薩像を刻み、その胎内に大師作の勝軍地蔵菩薩を納められたとも伝えられている。この勝軍地蔵菩薩への信仰からか、源頼朝、義経をはじめ、蜂須賀家などの武将たちが多くの寄進をしている。これらの寄進により寺領は広がり、阿波、讃岐、伊予の3ヶ国におよそ300を数える末寺ができ、塔頭も26寺にのぼったと伝えられる。
しかし天正年間(1573〜92)の長宗我部元親による兵火で、堂塔はことごとく灰燼に帰した。その後、歴代の住職や僧侶、信者たちの尽力で堂宇が整備拡充され、いまでも寺領は40,000平方メートル(12,000坪)におよぶ古刹である。本堂左の参道を通り、石段をのぼったところが奥の院で、ここが羅漢堂である。安永4年(1775)の創建で、五百羅漢堂とされていた。だが大正4年、参拝者の失火で罹災し、いまは200ほどの等身大羅漢像が、さまざまな喜怒哀楽の表情で並んでいる。境内の大銀杏は樹齢800年を超え、母なる大木として長い歴史を刻んできた。
弘法大師が自ら刻んだとされる甲冑姿の勝軍地蔵菩薩を本尊とし、武運と勝負事にご利益を願う信仰があると伝わる霊場です。嵯峨天皇の勅願所として篤く庇護され、最盛期には阿波北部に末寺300余、塔頭26坊を数える大寺院でした。寺域は現在の境内をはるかに超えて広がり、周辺一帯が地蔵寺の寺領だったと伝わっています。源頼朝が平家追討の戦勝祈願に寄進し、弟の義経も屋島合戦へ向かう途上で武運を祈ったとされ、武家の信仰が厚い寺でした。天正の兵火で伽藍の大半を焼失しましたが、のちに復興され、今の落ち着いた境内に整えられました。樹齢800年を超えるたらちね銀杏は往時の寺域を知る生き証人のように境内を見守り、秋には黄金色の落葉が地面を埋め尽くします。山門近くの水琴窟に耳を澄ませると澄んだ音色が響き、巡拝で張りつめた気持ちを静かに整えてくれます。かつての大寺院の面影が静かに息づく、阿波でも印象に残る札所です。
- 弘仁12年に弘法大師が開創した。
- 天正年間(1573〜92)の長宗我部元親による兵火で、堂塔はことごとく灰燼に帰した。
- 大正4年、参拝者の失火で罹災し、いまは200ほどの等身大羅漢像が喜怒哀楽さまざまな表情で並ぶ。
- 天正の兵火で伽藍の大半を焼失したが、のちに復興され、今の落ち着いた境内に整えられた。
見どころ・伽藍
- 五百羅漢喜怒哀楽の等身大羅漢が約200体並ぶ奥の院。
- 水琴窟山門付近で澄んだ音色が響く。
- 大銀杏樹齢800年超の巨木が境内を覆う。
- 勝軍地蔵武将の信仰を集めた本尊。大師作の小像が伝わる。
- 御室派の古刹末寺300に及んだ寺領の面影。
- 奥の院石段を上ると羅漢堂へ至る。
- 山門から方丈・本堂・大師堂が配され、御室派の寺紋・欄間が残る。
- 本堂左の参道を石段で上ると、奥の院・五百羅漢堂がある。
- 五百羅漢堂には喜怒哀楽の表情をした等身大羅漢像が約200体並ぶ。
- 山門付近の水琴窟は澄んだ音色で知られる。
- 境内の大銀杏は樹齢800年超の巨木。
- 勝軍地蔵を祀る本堂は、武将の寄進で整えられた伽藍を伝える。
- 弘法大師が自ら刻んだとされる甲冑姿の勝軍地蔵菩薩を本尊とし、武運と勝負事にご利益を願う信仰があると伝わる霊場です。
- 奥の院の五百羅漢堂は安永4年(1775年)の創建で、大正4年の失火後に再建された。
- 大師作の小さな勝軍地蔵を、延命地蔵の胎内に納めたと伝わる。
- 末寺300・塔頭26に及んだ壮大な寺院だった面影を、寺領4万㎡が物語る。
- 嵯峨天皇の勅願所として篤く庇護され、最盛期には阿波北部に末寺300余、塔頭26坊を数える大寺院でした。
- 寺域は現在の境内をはるかに超えて広がり、周辺一帯が地蔵寺の寺領だったと伝わっています。
- 源頼朝が平家追討の戦勝祈願に寄進し、弟の義経も屋島合戦へ向かう途上で武運を祈ったとされ、武家の信仰が厚い寺でした。
- 天正の兵火で伽藍の大半を焼失しましたが、のちに復興され、今の落ち着いた境内に整えられました。
信仰と物語
- 本尊の勝軍地蔵菩薩は、源頼朝・義経・蜂須賀家など武将の信仰を集めた。
- 大師が自ら約5.5cmの勝軍地蔵を彫って安置したと伝わる。
- 六道の能化として衆生を導く、地蔵信仰の中心地。
- 樹齢800年を超えるたらちね銀杏は往時の寺域を知る生き証人のように境内を見守り、秋には黄金色の落葉が地面を埋め尽くします。
- 山門近くの水琴窟に耳を澄ませると澄んだ音色が響き、巡拝の気持ちを静かに整えてくれます。
- かつての大寺院の面影が静かに息づく、阿波でも印象に残る札所です。
- 嵯峨天皇の勅願により、弘仁12年(821年)に大師が開創したという縁起。
- 浄函上人が延命地蔵を刻み、大師作の小像を胎内に納めたと伝わる。
- 天正の兵火で焼失した後、信者の尽力で再建された。
- 御詠歌は、六道の能化である地蔵大菩薩に導きを願う。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 弘法大師が開創。
- 源頼朝・源義経・蜂須賀家が寄進。
- 淳和・仁明・嵯峨の三天皇が帰依したと伝わる。
参拝の手引き
- 年中行事は霊場会公式サイトを参照。
- 五百羅漢堂は本堂から徒歩約5分、駐車場から車で約2分。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 4番大日寺から約2.0km。6番安楽寺へ約5.3km。
- 板野郡板野町羅漢の山地に位置する。
- 詳細は霊場会公式・寺伝を参照。
- 藍住インターチェンジから、県道1号線を板野方面へ。次に県道12号線を板野・上板町方面へ。県道34号線と交差する道を右折。
- 〒779-0114 徳島県板野郡板野町羅漢字林東5
- 088-672-4111
- 普通50台・マイクロバス20台・大型10台・無料
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


