四国八十八ヶ所 ・ 香川県(讃岐・涅槃の道場)
第80番 白牛山 千手院 国分寺
奈良時代の創建遺構をよく残し、旧境内の全域が四国で唯一の国の特別史跡に指定されている。金堂跡・七重塔跡の礎石と四国最古の梵鐘が、律令の国分寺の面影を今に伝える 御本尊は十一面千手観世音菩薩です。 香川県・讃岐の第80番札所です。

国分寺
本尊十一面千手観世音菩薩
おん ばさら たらま きりく
御詠歌国を分け野山をしのぎ寺々に詣れる人を助けましませ
香川県・讃岐涅槃の道場真言宗御室派
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第80番は 香川県(讃岐・涅槃の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では80番目です。

所在地〒769-0102 香川県高松市国分寺町国分2065
前後の札所前の第79番天皇寺から約6.9km。次の第81番白峯寺へ約13km。
この寺の成り立ち
縁起と歴史
奈良時代の創建当時の遺構をよく残した寺で、旧境内の全域が四国で唯一の国の特別史跡に指定されている。本堂は前面と背面に桟唐戸を構える鎌倉中期の再建である。境内の中心部には創建当時の本堂の礎石33個が点々と残り、唐招提寺の金堂に匹敵する規模であったと推定される。山門を入ってすぐ右手には七重塔の礎石も残り、現存すれば京都・東寺の五重塔を超す大塔だったと推定される。寺の創建は聖武天皇の時代、勅命を受けた行基菩薩が開いた讃岐の国分寺であると伝わる。その後、弘仁年間(810〜823年)に弘法大師が本尊千手観音像を修理して霊場に定めたが、「天正の兵火」で堂塔のほとんどを焼失した。鎌倉時代には西大寺の末寺であったとする記録があり、その頃に現在の本堂が建てられた。以後は高松藩主の生駒氏や松平氏の庇護を受けて今に至る。
弘法大師との関わり
弘仁年間(810〜823年)、弘法大師が四国巡礼の途中で当寺を訪れ、本尊の十一面千手観音像を修理し、四国八十八ヶ所第80番の霊場に定めたと伝わる。律令期に置かれた国分寺の本尊に大師が手を加えたという言い伝えが、巡礼札所としての位置づけと結びついている。
おもな歴史
- 天平13年(741年):聖武天皇の国分寺建立詔。行基開基と伝わる(寺伝)
- 756年(天平勝宝8歳)以前:『続日本紀』に讃岐を含む国分寺への仏具下賜の記載(史料)
- 弘仁年間(810〜823年):弘法大師が本尊千手観音像を修理し、第80番霊場に定めたと伝わる
- 天正年間:兵火で堂塔の大半を焼失
- 鎌倉時代:西大寺末寺となり、現本堂が再建される
- 江戸初期:生駒一正が梵鐘を高松城へ移したが、鐘の願いで国分寺に返還されたと伝わる
- 特別史跡指定:旧境内全域(四国唯一)
- 6月第1日曜日:水子総供養大法要(現行)
お参りの前に
見どころ・伽藍
この札所の見どころ
- 特別史跡旧境内の全域が、四国で唯一の国の特別史跡。
- 金堂跡礎石33個の礎石が創建時の金堂の規模を示す。
- 七重塔跡東寺の五重塔を超える規模だったと推定される礎石が残る。
- 四国最古の梵鐘創建当時から伝わる。城へ移されても帰ってきたという伝説がある。
- 秘仏本尊ケヤキの一本造り。60年に一度の開帳(次回2040年予定)。
伽藍・主要堂宇
- 本堂:鎌倉時代、旧講堂跡に再建された国の重要文化財。前面・背面に桟唐戸を構える。本尊は秘仏で、開帳は60年に一度(次回2040年予定)。
- 山門右手:七重塔の礎石が残る。
- 境内中心部:創建時の金堂の礎石33個が残る。
- 鐘楼:四国最古の梵鐘を吊る。
- 大師堂:大師像を直接拝観できる。
- 弁財天:さぬき七福神の紅一点として祀られる。
- 境内には黒松の大木が立ち並ぶ。
奥の院・霊跡
- 旧境内の全域が特別史跡であり、金堂跡・七重塔跡が「奥」の歴史層を形づくる。
- 律令期の国分寺の寺域をほぼそのまま残す点が、四国の国分寺札所の中でも特異である。
文化財・寺宝
- 讃岐国分寺跡(国の特別史跡):旧境内全域
- 国指定重要文化財:本堂(鎌倉中期再建、桟唐戸)
- 国指定重要文化財:梵鐘(平安時代前期、四国最古)
- 本尊十一面千手観世音菩薩(秘仏、ケヤキ一本造り。60年周期の開帳)
- OUV特記:律令期国分寺(特別史跡級・史跡既指定)
伝わるもの
信仰と物語
御本尊と信仰
- 本尊の十一面千手観世音菩薩は秘仏で、ケヤキの一本造りとされる。開帳は60年に一度(次回2040年)。
- 弘法大師が修理したと伝わる観音像が、国分寺の巡拝本尊として信仰を集める。
- 御詠歌は、野山を越えて参拝する人々を観音が助けてくださるよう願う。
伝説・説話
- 梵鐘に大蛇がかぶっていたという伝説がある。
- 江戸初期、生駒一正公が鐘を高松城の鐘にしようと田1町と引き換えに移したが、城では音が鳴らず悪病が流行した。一正公の枕元に毎夜鐘が現れ「もとの国分へいぬ(帰りたい)」と泣いたため、鐘は国分寺に返された。返還後は軽々と運べ、美しい音色を取り戻したと伝わる。
- 縁起に含まれる伝承は『〜と伝わる』の語り口で扱うこと。
文学・和歌
- 御詠歌「国を分け野山をしのぎ寺々に詣れる人を助けましませ」
- 国分寺の巡礼歌として、参拝者の旅路を観音に託す意趣を持つ。
- 御詠歌は四国霊場会の札所案内・納経帳などで広く流通し、巡礼の道中で唱えられる。
ゆかりの人物
- 開基は行基菩薩と伝わる。聖武天皇の国分寺建立詔がその背景にある。
- 弘法大師が本尊を修理し、霊場に定めたと伝わる。
- 江戸初期の高松藩主・生駒一正公が、梵鐘移転の逸話の中心人物。
- 鎌倉期以降、生駒氏・松平氏(高松藩)の庇護を受けた。
訪ねる方へ
参拝の手引き
年中行事
- 6月第1日曜日14時〜:水子総供養大法要修行
- 年中行事の詳細は公式サイト(http://sanukikokubunji.jp/)を参照
参拝の実際
- JR讃岐国分駅から徒歩約4分(国分駅は高松・坂出方面から徒歩約14分とする案内もある)。
- 駐車場あり(無料・約20台)。
- 宿坊はない。
- 本堂・礎石・梵鐘・大師堂・弁財天と、見どころが多い。
周辺・遍路道
- 前の第79番天皇寺から約6.9km。次の第81番白峯寺へ約13km。
- 府中湖ICから約9分、高松檀紙ICから約12分。
- 高松空港から車で約30分。
アクセス
- 〒769-0102 香川県高松市国分寺町国分2065
この記事の拠りどころ
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。
sanukikokubunjiの公開ページ(sanukikokubunji.jp)
第80番 白牛山 千手院 国分寺|(一社)四国八十八ヶ所霊場会(公式霊場案内)
『四国八十八ヶ所霊場先達教典』((一社)四国八十八ヶ所霊場会編・2006年|書誌情報)
宮﨑建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編』第8版(へんろみち保存協力会・2017年|国立国会図書館書誌)
上野進「四国遍路と札所寺院―香川県の札所寺院調査から―」(『四国遍路と世界の巡礼』5・2020年|愛媛大学リポジトリ)
四国遍路総合研究(霊場資料学)(科学研究費助成事業 KAKEN23K20107|研究課題・成果一覧)


