第77番 桑多山 明王院 道隆寺

道隆寺
本尊薬師如来
おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
御詠歌願ひをば仏道隆に入りはてて 菩提の月を見まくほしさに
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第77番は 香川県(讃岐・涅槃の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では77番目です。

縁起と歴史
仁王門をくぐると、ブロンズの観音像がずらりと並んで迎えてくれます。創建のころ、この付近一帯は広大な桑園で、絹の生産地だったようです。縁起によると、和銅5年、この地方の領主・和気道隆公が桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫って草堂を建てたのが、寺の初めといわれます。道隆公は、周囲5メートル近い桑の大木が夜ごと妖しい光を放つのを見ました。光を怪しんで矢を射ると、女の悲鳴があがり、乳母が倒れて死んでいました。嘆き悲しんだ道隆公は、その桑の木で仏像を彫り、草堂に安置して供養しました。大同2年(807)、道隆公の子・朝祐公は、唐から帰朝した弘法大師に懇願し、弘法大師みずから90センチほどの薬師如来像を彫り、その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊としました。朝祐公は大師から授戒を受けて第2世住職となり、先祖伝来の財産を寺の造営にあてて七堂伽藍を建立、寺名は創建した父の名から「道隆寺」と号しました。第3世は弘法大師の実弟にあたる真雅僧正(法光大師)が嗣ぎ、二十三坊を建立。第四世の円珍(智証大師)は五大明王と聖観世音菩薩像を彫って護摩堂を建立し、次の第5世聖宝(理源大師)の代には「宝祚祈願所」となりました。高僧が相次いで寺勢は栄えましたが、貞元年間(976〜78)の大地震による堂塔の倒壊、康平3年(1060)の兵火、また「天正の兵火」に遭うなど、興亡をくり返しながらも法灯を守り続けています。
- 大同2年(807)、道隆公の子・朝祐公は、唐から帰朝した弘法大師に懇願し、弘法大師みずから90センチほどの薬師如来像を彫り、その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊としました。
- 「天正の兵火」に遭うなど、興亡をくり返しながらも法灯を守り続けています。
見どころ・伽藍
- 潜徳院殿堂本堂の左裏手にある、江戸後期の典医・京極左馬造公の墓所で、眼病にご利益を願う信仰があると信仰されています。
- 潜徳院殿堂・観音像・寺宝(鎌倉時代の絹本著色「星曼荼羅図」は国指定重要文化財)。
- 大同2年(807)、道隆公の子・朝祐公は、唐から帰朝した弘法大師に懇願し、弘法大師みずから90センチほどの薬師如来像を彫って本尊としました。
- 潜徳院殿堂本堂の左裏手にあります。江戸後期の典医・京極左馬造公の墓所で、眼病にご利益を願う信仰があると信仰されています。
- 観音像西国・秩父・坂東の百観音のほか、観音霊場として名高い各地の本尊、水子供養の観音像や交通安全の観音像など、255体が建立されています。
- 潜徳院殿堂:本堂の左裏手にあります。江戸後期の典医・京極左馬造公の墓所で、眼病にご利益を願う信仰があると信仰されています。
- 観音像:西国・秩父・坂東の百観音のほか、観音霊場として名高い各地の本尊、水子供養の観音像や交通安全の観音像など、255体が建立されています。
- 潜徳院殿堂・観音像・寺宝(鎌倉時代の絹本著色「星曼荼羅図」は国指定重要文化財)。
- 仁王門をくぐると、ブロンズの観音像がずらりと並んで迎えてくれます。
- 縁起によると、和銅5年、この地方の領主・和気道隆公が桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫って草堂を建てたのが、寺の初めといわれます。
- 嘆き悲しんだ道隆公は、その桑の木で仏像を彫り、草堂に安置して供養しました。
- 朝祐公は大師から授戒を受けて第2世住職となり、先祖伝来の財産を寺の造営にあてて七堂伽藍を建立し、創建した父の名から寺を「道隆寺」と号しました。
- 第3世は弘法大師の実弟にあたる真雅僧正(法光大師)が嗣ぎ、二十三坊を建立しました。第四世の円珍(智証大師)は五大明王と聖観世音菩薩像を彫って護摩堂を建立し、次の第5世聖宝(理源大師)の代には「宝祚祈願所」となりました。
- 奥の院や霊跡の詳細は、寺の公式情報または霊場会サイトでご確認ください。
- 道隆寺周辺の霊跡や奥の院は寺伝に記されています。詳細は公式をご参照ください。
- 文化財の指定状況は、文化庁データベースおよび寺の公式情報でご確認ください。
信仰と物語
- 本尊は薬師如来です。御詠歌は、もろもろの願いを道隆寺の仏道に入り込ませて成し遂げ、さとりをあらわす菩提の月を仰ぎ見たいと願う心を詠みます。
- 真言は「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」。
- 宝号は南無遍照金剛/南無聖宝尊師/南無神変大菩薩。
- 縁起に含まれる伝承は、断定せず『〜と伝わる』という語り口で扱います。
- 縁起に含まれる伝承は、断定せず『〜と伝わる』の語り口で扱います。
- 御詠歌「願ひをば仏道隆に入りはてて 菩提の月を見まくほしさに」
- 御詠歌は四国霊場会の札所案内や納経帳などで広く知られ、巡礼の道中で唱えられます。
- 開基は和気道隆と伝わる。
- 大同2年(807)、道隆公の子・朝祐公は、唐から帰朝した弘法大師に懇願し、弘法大師みずから90センチほどの薬師如来像を彫り、その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊としました。
- 第3世は弘法大師の実弟にあたる真雅僧正(法光大師)が嗣ぎ、二十三坊を建立しました。第四世の円珍(智証大師)は五大明王と聖観世音菩薩像を彫って護摩堂を建立し、次の第5世聖宝(理源大師)の代には「宝祚祈願所」となりました。
参拝の手引き
- 定例護摩供:1月・5月・9月の各28日、13:00〜
- 駐車場:あり(無料)
- 電話:0877-32-3577
- 納経時間や拝観料は、季節や行事で変わる場合があります。参拝前に電話または公式でご確認ください。
- 前の第76番金倉寺から約4.6km。次の第78番郷照寺へ約7.9km。
- 善通寺インターチェンジから多度津町市街地に入ります。県道21号線とのT字路を右折し、JR高架橋を越えて300mほど進めば道隆寺へ。仁王門は道路の反対側にあります。
- 〒764-0022 香川県仲多度郡多度津町北鴨1丁目3番30号
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


