第66番 巨鼇山 千手院 雲辺寺

雲辺寺
本尊千手観世音菩薩
おん ばざらたらま きりく
御詠歌はるばると雲のほとりの寺に来て 月日を今は麓にぞ見る
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第66番は 香川県(讃岐・涅槃の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では66番目です。

縁起と歴史
四国霊場のうち最も高い標高911メートル、四国山脈の山頂近くにある霊場で、「遍路ころがし」と呼ばれる難所とされた。現在は麓からロープウエーで山頂駅まで登ることができる。住所は徳島県だが、霊場としては讃岐の打ち始めにあたり、いわば「関所寺」である。縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。最初は延暦8年、大師16歳のとき。善通寺(第七十五番)の建材を求めて登ったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立した。これが雲辺寺の創建とされている。2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。さらに弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。霊場は俗に「四国坊」と呼ばれ、四国の各国から馳せ参じる僧侶たちの学問・修行の道場となり、「四国高野」と称されて栄えた。貞観年間(859〜77)には清和天皇(在位858〜76)の勅願寺にもなっている。鎌倉時代には七堂伽藍も整備され、境内に12坊と末寺8ヶ寺を有する古刹として、阿波、伊予、讃岐の関所でもあったという。天正年間(1573〜92)には土佐の豪族・長宗我部元親がこの地の白地城に陣を構えて雲辺寺に参拝し、裏山から眼下を望んで四国制覇を目指したが、当時の住職に諫められた。雲辺寺の歴史にも消長はあったが、江戸時代になってからは阿波藩主・蜂須賀公の手厚い保護をうけた。千古の杉に囲まれ、雲に包まれながら法灯を守っている。
弘法大師との関わり
弘法大師との関わりについて、霊場会公式サイトの縁起に記される内容を参照のこと。
- 大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。
- 弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。
- 天正年間(1573〜92)に土佐の豪族・長宗我部元親がこの地の白地城に陣を構えて雲辺寺に参拝し、裏山から眼下を望んで四国制覇を目指したが、当時の住職に諫められた。
見どころ・伽藍
- 五百羅漢像お釈迦様のお弟子である等身大の五百羅漢像が境内全域に安置され、参拝に訪れた人を見守っている
- 国重要文化財本尊の千手観音坐像、不動明王像、毘沙門天立像、絹本著色聖衆来迎図などがある
- 弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造した。
- 五百羅漢像お釈迦様のお弟子である等身大の五百羅漢像が境内全域に安置され、参拝に訪れた人を見守っている。
- 国重要文化財本尊の千手観音坐像、不動明王像、毘沙門天立像、絹本著色聖衆来迎図などがある。
- 五百羅漢像:お釈迦様のお弟子である等身大の五百羅漢像が境内全域に安置され、参拝に訪れた人を見守っている。
- 国重要文化財:本尊の千手観音坐像、不動明王像、毘沙門天立像、絹本著色聖衆来迎図などがある。
- 巨鼇・国重要文化財・雲辺寺裏山問答(長宗我部元親と俊崇住職との問答)・乳銀杏・おたのみなす(境内の片隅、奥まったところにある腰掛け)・毘沙門天展望館(雲辺寺山の四季を360度の眺望で楽しめる)
- 最初は延暦8年、大師16歳のとき、善通寺(第七十五番)の建材を求めて登ったが、深遠な霊山に心うたれて堂宇を建立した。
- 弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。
- 鎌倉時代には七堂伽藍も整備され、境内に12坊と末寺8ヶ寺を有する古刹として、阿波、伊予、讃岐の関所でもあったという。
- 千古の杉に囲まれ、雲に包まれながら法灯を守っている。
- 霊場は俗に「四国坊」と呼ばれ、各国から僧侶が参学した学問・修行の道場として「四国高野」と称されて栄えたと伝わる。
- 裏山には、長宗我部元親と俊崇住職の問答を記す「雲辺寺裏山問答」の碑や、巨鼇伝承の霊跡があるとされる。
- 境内には乳銀杏の古木が残り、弘法大師が植えたと伝わる木として親しまれる。
- 雲辺寺ロープウェイで山上の本坊へ登る。歩き遍路の難所を短縮できる交通手段として利用される。
- OUV特記:山岳部・讃岐山脈雲辺寺山
信仰と物語
- 本尊は千手観世音菩薩。はるばると雲のかかるほど高い峰の寺(雲辺寺)に登って来て、過ごしてきた月日(来し方)を、今は遥か麓に見下ろすことよ。
- 真言は「おん ばざらたらま きりく」。
- 宝号は南無大師遍照金剛/南無禅定法皇。
- 2度目は大同2年(807)、大師34歳のとき、唐から請来した宝物で秘密灌頂の修法をなされたという。
- 鎌倉時代には七堂伽藍も整備され、境内に12坊と末寺8ヶ寺を有する古刹として、阿波、伊予、讃岐の関所でもあったという。
- 縁起に含まれる伝承は『〜と伝わる』の語り口で扱うこと。
- 御詠歌「はるばると雲のほとりの寺に来て 月日を今は麓にぞ見る」
- 御詠歌は四国霊場会の札所案内・納経帳などで広く流通し、巡礼の道中で唱えられる。
- 開基は弘法大師と伝わる。
- 縁起によると、弘法大師は雲辺寺に3度登っている。
- 弘仁9年(818・大師45歳)、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅を奉じて登り、本尊を彫造して、仏舎利と毘廬遮那法印(仏法石)を山中に納めて七仏供養をし、霊場と定められた。
- 貞観年間(859〜77)には清和天皇(在位858〜76)の勅願寺にもなっている。
- 雲辺寺の歴史にも消長はあったが、江戸時代になってからは阿波藩主・蜂須賀公の手厚い保護をうけた。
参拝の手引き
- 年中行事は霊場会公式サイトを参照。
- 駐車場:あり
- 電話:0883-74-0066
- 納経時間・拝観料は季節・行事で変わる場合がある。参拝前に電話または公式で確認を推奨。
- 前の第65番三角寺から約30km(前の第65番三角寺から車遍路約30km・ロープウェイ利用)。次の第67番大興寺へ約10km。
- 大野原インターチェンジから高松市内向きに国道11号線・県道8号線へ。ロープウェイの看板に沿って山道を走れば、雲辺寺ロープウェイ乗り場に到着します。
- 〒778-5251 徳島県三好市池田町白地ノロウチ763
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


