第84番 南面山 千光院 屋島寺

屋島寺
本尊十一面千手観世音菩薩
おん ばさら たらま きりく
御詠歌梓弓屋島の宮に詣でつつ 祈りをかけて勇む武夫
はじめての方へ|この記事に出てくる言葉
- 本尊
- そのお寺がいちばん大切におまつりする、中心の仏さま。
- 御真言
- 本尊に呼びかける、サンスクリットに由来する短い聖なる言葉。
- 御詠歌
- その札所をたたえ、巡る心をうたった和歌。
- 縁起
- そのお寺の始まりや、いわれを伝える言い伝え。
- 札所
- お参りするお寺のこと。四国遍路では四国八十八ヶ所をめぐる。
- 大師堂
- 弘法大師(お大師さま)をおまつりするお堂。本堂とあわせてお参りする。
- 奥の院
- 札所の近くにある、もう一つの聖地。旧境内や、大師が修行したと伝わる岩や滝など。
- 結願
- 八十八ヶ所すべてを巡り終えること。「満願」ともいう。
- 四つの道場
- 四国の四県を、心の旅の四段階になぞらえた呼び名。阿波=発心、土佐=修行、伊予=菩提、讃岐=涅槃。
八十八ヶ所のなかの位置
八十八ヶ所の道のりで、第84番は 香川県(讃岐・涅槃の道場)にあります。阿波23・土佐16・伊予26・讃岐23ヶ寺のうち、全体では84番目です。

縁起と歴史
南面山 千光院 屋島寺は、高松市東部にある標高293メートルの火山台地・屋島の南嶺に建つ。屋島は那須与一の扇の的や源義経の弓流しで知られる源平合戦の古戦場で、島全体が国の史跡に指定されている。天平勝宝年間(749〜756年)、鑑真和上が開創したと伝わる。鑑真は唐の学僧で、朝廷の要請を受けて五度の渡航を試み、暴風や難破で失明しながら、天平勝宝5年(753年)に鹿児島へ漂着した。翌年、東大寺へ向かう途次に屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得し、北嶺に登って普賢堂を建て、持参の普賢菩薩像を安置し経典を納めて創建したと伝わる。その後、和上の弟子で東大寺戒壇院の恵雲律師が堂塔を建立して精舎を構え、「屋島寺」と称して初代住職になったとされる。弘仁6年(815年)、弘法大師は嵯峨天皇の勅願を受けて屋島寺を訪ね、北嶺にあった伽藍を現在地の南嶺へ移し、十一面千手観音像を彫造して本尊として安置したと伝わる。以後、大師は屋島寺の中興開山の祖として仰がれる。天暦年間(947〜957年)には明達律師が訪ねて四天王像を奉納したとされ、現在の本尊・十一面千手観音坐像はこのころに造られたとされて、国指定重要文化財となっている。本堂も国指定重要文化財で、鎌倉時代の造営とされる。戦乱で寺運は衰えたが、国主・生駒氏の寺領寄進や歴代藩主の援助で修築が重なり、鎌倉・江戸時代の風格を今に伝えている。宝物館改築に伴う境内発掘(川畑聰2007、OA取得)は、屋島合戦期の遺構を知る手がかりになっている。
弘法大師との関わり
弘仁6年(815年)、嵯峨天皇の勅願を受けた弘法大師が屋島寺を訪ね、北嶺の伽藍を南嶺の現在地へ移し、自ら十一面千手観音像を彫造して本尊として安置したと伝わる。中興開山として大師を仰ぎ、その後の寺史の中心に位置づけられている。御詠歌「梓弓屋島の宮に詣でつつ 祈りをかけて勇む武夫」は、源平合戦の武士の勇気と参詣の祈りを重ねて詠む。
- 天平勝宝年間(749〜756年):鑑真和上が北嶺に普賢堂を建て開創したと伝わる(伝承)
- 天平勝宝5年(753年):鑑真が鹿児島に漂着
- 弘仁6年(815年):弘法大師が伽藍を南嶺へ移し、十一面千手観音を本尊としたと伝わる(伝承)
- 天暦年間(947〜957年):明達律師が四天王像を奉納。現在の本尊像はこの頃の造営とされる
- 1185年:屋島合戦(源平合戦のクライマックスの一つ)
- 鎌倉時代:本堂造営(国重文)
- 近世:生駒氏の寺領寄進、藩主の援助による修築
見どころ・伽藍
- 屋島合戦・源平史跡那須与一の扇の的、義経の弓流しなど、史跡が島全体に残る。
- 十一面千手観音弘法大師作と伝わる本尊坐像(国重文)。
- 平家供養の鐘鎌倉時代の梵鐘(国重文)。
- 宝物館源平盛衰記絵巻、「源氏の白旗」、屋島合戦屏風など寺宝を展示。
- 蓑山大明神四国狸の総大将「太三郎狸」を祀る。子宝・縁結び・家庭円満の神。
- 本堂は鎌倉時代の造営で、国の重要文化財。本尊の十一面千手観音坐像を安置する。
- 本堂の左手前に宝物館があり、本尊の複製や源平関連の寺宝を展示する。
- 梵鐘は鎌倉時代の作で「平家供養の鐘」と伝わり、国の重要文化財。
- 本堂の右に蓑山大明神(太三郎狸)を祀る。子宝・縁結び・家庭円満の信仰がある。
- 北嶺から南嶺へ伽藍が移されたのは、弘法大師の中興と伝わる。
- 屋島台地全体が源平合戦の舞台として史跡に指定され、寺はその南嶺に位置する。
- 屋島全体が源平合戦の史跡(那須与一の扇の的、義経の弓流しなど)。
- 宝物館の屋島合戦屏風・源平盛衰記絵巻が、合戦の様子を視覚資料として伝える。
- 木造十一面千手観音坐像(国指定重要文化財。天暦年間の造営とされる本尊)
- 本堂(国指定重要文化財、鎌倉時代造営)
- 梵鐘(国指定重要文化財、鎌倉時代。「平家供養の鐘」と伝わる)
- 源平盛衰記絵巻物、「源氏の白旗」、屋島合戦屏風(宝物館展示)
- OUV特記:屋島(史跡既指定)。屋島合戦
信仰と物語
- 本尊の十一面千手観世音菩薩は弘法大師が彫造したと伝わり、天暦年間の坐像が国重文として現存する。
- 御詠歌は、屋島の宮に参じて祈り、勇む武夫を思う。源平合戦の舞台と武士の信仰が重なる。
- 平家供養の鐘は、平家一門の供養と結びつく伝承を持つ。
- 蓑山大明神(太三郎狸)は土地の氏神として、子宝・縁結びの信仰を集める。
- 鑑真が屋島の沖で瑞光を感得し、北嶺に普賢堂を建てたと伝わる。
- 1185年の源平合戦で、屋島は平家の最後の籠城の舞台となった。那須与一の扇の的、義経の弓流しが語り継がれる。
- 太三郎狸は四国狸の総大将として、屋島の神に親しまれている。
- 御詠歌「梓弓屋島の宮に詣でつつ 祈りをかけて勇む武夫」は、源平の武士と参詣を結びつける。
- 『源平盛衰記』絵巻・屋島合戦屏風は、文学・美術史の重要資料。
- 御詠歌「梓弓屋島の宮に詣でつつ 祈りをかけて勇む武夫」
- 鑑真和上:天平勝宝年間の開創と伝わる。
- 恵雲律師:鑑真の弟子で、屋島寺の初代住職とされる。
- 弘法大師:弘仁6年の中興、十一面千手観音の彫造と伝わる。
- 明達律師:天暦年間に四天王像を奉納。
- 源義経・那須与一:屋島合戦の武将として史跡と結びつく。
- 生駒氏・歴代藩主:近世の寺領寄進・修築を支援。
参拝の手引き
- 源平関連の史跡めぐりと合わせて参拝する人が多い。
- 屋島は観光地でもあり、参拝と史跡めぐりを兼ねる巡礼者が多い。
- 駐車場あり。宿坊なし。
- 電話:087-841-9418
- 前の第83番一宮寺から約5km。次の第85番八栗寺(五剣山)へ約4km。
- 第83番一宮寺から約5キロ、第85番八栗寺(五剣山)へ約4キロ。
- 高松西ICから国道11号線南バイパス・国道11号線を東へ。マクドナルドのある交差点を左折し、ドライブウェイのゲートへ。
- 屋島は新屋島大橋・屋島ケーブルなど、観光アクセスも充実している。
- OUV特記:高松市屋島東町。屋島(史跡既指定)。屋島合戦。
- 〒761-0111 香川県高松市屋島東町1808
出典
本文の確認に用いた公開資料と、札所別研究記録に記載された書誌情報です。公開本文のURLを確認できた資料はリンクし、書誌情報のみ確認できたものはその旨を明記しています。


