焼八千枚供とは
八千枚の護摩木に込められた意味を、原典と実修からたどる
八千枚を供える行
護摩壇の前に用意された木を、一枚ずつ智火へ投じる。平等寺の結願の日には、朝から夕刻まで、この供養が続きます。「結願」とは、一つの行を修め終えること。その一座に至るまでにも、護摩壇に向かい、真言をとなえる日々があります。
八千枚は、護摩に供える木の数です。けれども、その数を数え終えれば、行の意味がわかるというものではありません。何を願い、どのように仏に向かい、何を修めようとするのか。八千枚供のよりどころとなる文献には、その道筋が記されています。
真言は仏の真実のことば、念誦はそれを心に念じ、となえることです。護摩は、智火に供物をささげ、仏を供養する密教の修法。その供養と念誦を積み重ねて、八千枚を供える結願を迎えます。

よりどころとなる『立印軌』
焼八千枚供のよりどころは、不空訳と伝えられる『金剛手光明灌頂経最勝立印聖無動尊大威怒王念誦儀軌法品』、通称『立印軌』です。儀軌とは、仏を供養し、修法を行うための作法などを説いた文献をいいます。
『立印軌』は、菜食して念誦を十万遍に満たし、一昼夜の断食を経て、大供養を設けることを説きます。そのうえで、八千枚を限りとして護摩を修する。身を整える行と念誦が、八千枚の供養につながっています。
原文
菜食作念誦,數滿十萬遍,
斷食一晝夜,方設大供養。
作護摩事業,應以苦練木,
兩頭搵酥燒,八千枚為限。
『大正新脩大蔵経』第21巻、No.1199、5頁上段14–17行(CBETA)
現代語訳
菜食して念誦し、その数を十万遍に満たす。一昼夜、食を断ち、そこで大いなる供養を設ける。護摩を修するには、苦練木を用い、その両端に酥をつけて炎に供え、八千枚を限りとする。
「酥」は乳から作る油脂です。原文には、数だけでなく、供える木と供養のあり方まで記されています。ここに掲げた訳は、原文に即した本記事の現代語訳です。
なぜ、八千枚なのか
なぜ、八千枚なのでしょうか。『立印軌』は「八千枚為限」と定めていますが、この箇所では数の理由を説明していません。その意味を読み取ろうとした言葉は、日本に伝えられた修法書の中に見いだせます。
釈尊が衆生を導くはたらきに重ねる
元海の『厚造紙』には、ある抄物の説として、八千という数を、釈迦如来が娑婆世界に八千度往来することに寄せる解釈が記されています。娑婆世界とは、私たちの生きるこの世界。衆生とは、迷いや苦しみの中にある生きとし生けるもののことです。
仏が、苦しむもののいる世界へ繰り返し来て、導く。そのはたらきに八千枚を重ねて受け止めた伝承です。一枚の木を供える行為の向こうに、衆生を見捨てない仏の救いを見ています。
ただし、『厚造紙』の文末は「歟」、すなわち「だろうか」という推量を残します。これは伝えられてきた解釈の一つであり、『立印軌』自身が説いた数の由来として断定することはできません。『厚造紙』278頁中段3–4行を読む
ここで釈尊の話が出るのは、八千という数の意味を説明するためです。不動明王を本尊とする修法であることと、数に釈尊の教化を重ねることは、それぞれ違う事柄を説明しています。
不動明王と、智慧の火
護摩壇に燈す火は、如来の智火です。「智」は智慧。ものごとを正しく見きわめ、迷いを破る仏の智慧を、火のはたらきとしてあらわします。
実運の『諸尊要抄』は、不動明王を観ずる説明の中で、智火が一切の障りを除くことを記しています。不動明王の厳しいお姿も、衆生を導く本願のあらわれです。煩悩と障りを摧き、動くことのない菩提心、すなわち悟りを求める心を示します。
その本尊の御前で、供物をささげ、真言をとなえ、仏の智慧を自らの身心にあらわすことを目指して行を修める。焼八千枚供を支えるのは、こうした供養と修行です。護摩木の多さは、この行を離れて功徳の大きさを量る物差しにはなりません。
日本に伝えられた修法
『諸尊要抄』第九には「八千枚乳木燒之事」という項目があります。乳木は、護摩に供える木のこと。千枚ごとに供養を重ね、八度にわたって供えることなどが記されています。八千枚供は、数と名称だけでなく、具体的な作法を伴って日本に伝えられてきました。
経軌をよりどころとし、師から弟子へと作法や意味を受け継ぐことを、相承といいます。前行の期間や細かな作法には、この相承や実修による違いがあります。一つの修法書にある次第を、そのまますべての寺院に共通するものとは考えません。
平等寺の二十一日間
平等寺では、不動明王を本尊とする焼八千枚供を、21日間・63座の護摩、108,000遍の念誦を重ねて修します。『立印軌』が説く十万遍に対し、108,000遍は平等寺のこの法会で実際にとなえる数です。
開白から、日々の護摩へ
行の始まりを「開白」といいます。そこから護摩壇に向かう日々が始まります。平等寺では、皆さまからお預かりした祈願を、63座すべてで読み上げます。結願の日まで、願いは一座一座の供養と念誦に託されていきます。
八千枚を供える結願
修法を勤める僧侶を「行者」といいます。結願には、行者が一昼夜の断食を保ったまま、朝から夕刻まで大護摩を修します。八千枚の護摩木を一枚ずつ智火へ投じ、お預かりした願いのために祈願します。断食はこの行を修する行者の修行であり、参座される皆さまに求めるものではありません。

修した功徳を回向する
回向とは、修した善い行の功徳を、自分の内にとどめず、他のものへ振り向けることです。皆さまの願いを預かる法会には、供養と念誦の功徳を願主へ、そして衆生へと回向する祈りがあります。参座の折には、結願の智火とともに、そこへ至る日々の行にも心を向けていただければと思います。
願いを預かり、行を修する
『立印軌』は、初めの行を修め終えた後について、「心所願求者、皆悉得成就」と説きます。心に願い求めることは、ことごとく成就する。この言葉は、念誦と供養を重ね、修法を成就する行者について説かれたものです。
平等寺は、この教えをよりどころとして、皆さまの願いをお預かりします。願いを託す方がいて、その願いを読み上げ、行を勤める者がいる。祈願のお申込みは、その供養と念誦に願いを託していただくご縁です。
大切な方の無事を願うとき、ご自身の苦しみを仏に申し上げたいとき、その願いをお寄せください。一つひとつの願いを、不動明王の御前で祈念いたします。
現地と配信でのお参り
平等寺の焼八千枚供は、現地のほか、ライブ配信を通じてお参りいただけます。初めての方も、遠方の方も、どうぞご参座ください。開催日程、祈願のお申込み、御札の郵送、当日の参座方法は、開催案内にまとめています。
よくある質問
焼八千枚供は何と読みますか?
「しょうはっせんまいく」と読みます。「焼八千枚護摩供」「八千枚護摩供」とも呼ばれます。
護摩と焼八千枚供は別のものですか?
焼八千枚供は護摩の修法の一つです。このページでは、不動明王を本尊に、念誦などの行を重ねて八千枚の護摩木を供える修法を取り上げています。
なぜ八千枚なのですか?
『立印軌』に定められた数です。その箇所に数の理由は記されていませんが、日本の『厚造紙』には、釈尊が娑婆世界に八千度往来することに重ねる解釈が伝えられています。
本尊は不動明王なのに、なぜ釈尊の話が出るのですか?
釈尊の八千度の往来は、八千という数の意味を説くために引かれた伝承です。この解釈によって、修法の本尊が釈尊に変わるわけではありません。
どのお寺でも、同じ日数・作法ですか?
前行の期間や細かな作法には、相承や実修による違いがあります。21日間・63座・108,000遍は、ここでは平等寺での実践として示しています。
参座する人も断食をするのですか?
平等寺では、参座される方に断食を求めていません。一昼夜の断食は、修法を勤める行者の修行です。初めての方もお参りいただけます。
遠方からでもお参りできますか?
ライブ配信を通じて参座いただけます。祈願のお申込みや御札の郵送については、開催案内をご確認ください。
出典と参考資料
- 『立印軌』 — 不空訳と伝わる儀軌。『大正新脩大蔵経』第21巻、No.1199、5頁上段12–24行。十万遍の念誦、一昼夜の断食、八千枚の護摩、願求成就の記述。
- 元海『厚造紙』 — 同第78巻、No.2483、278頁上段21行–中段4行。八千枚を釈尊の八千度の往来に寄せる解釈。
- 実運『諸尊要抄』第九 — 同第78巻、No.2484、311頁上段18行以降。八千枚の乳木を供える次第。智火の説明は同頁中段9–16行の不動明王の観法による。
- 平等寺「不動明王 焼八千枚護摩供」開催案内 — 平等寺の実修、祈願、参座方法、過去の法会写真。
- 平等寺「不動明王とは」 — 不動明王の本誓とお姿、智火の解説。
原典確認日:2026年9月6日。原文の字体は参照本文に従っています。現代語訳と本文の説明は区別して掲載しています。