筒井林之助と父・福次
父・福次が作った箱車で、親子が四国遍路を巡った記録です。

平等寺の箱車
平等寺の箱車は、一見すると古びた木の小屋のようです。土佐地蔵寺村(現在の高知県土佐郡土佐町地蔵寺)出身の鍛冶職人・筒井林之助氏と、その父・福次氏が、大正12年(1923年)に平等寺へ納めました。
もとは車輪が3つと引き手が付いていて、人力車のように前から引いて動かしました。前面は格子ガラスになっています。
林之助の病気
由緒書きによると、大正10年(1921年)、31歳の林之助氏は脊髄の病気で下半身がしびれ、歩くことが難しくなりました。父の福次氏は当時54歳でした。多くの医者を訪ね、さまざまな治療を試しましたが回復せず、症状は次第に重くなりました。2年後には麻痺が上半身にも及び、松葉杖も使えなくなりました。
福次氏は箱車を作り、林之助氏を乗せて、第35番札所・清瀧寺を札始めに四国遍路に出ました。
もはや弘法大師におすがりするしかない

(寺に残る古い写真より)
平等寺で起きたこと
親子は愛媛・香川・徳島と順に巡り、大正12年(1923年)10月に第22番札所の平等寺に着きました。寺には4週間滞在し、林之助氏は寺に湧く弘法の霊水を飲み、当時の住職・谷口津梁師から加持祈祷を受けて過ごしました。
ある日、林之助氏は金剛杖一本で歩けるまでに回復しました。乗る必要のなくなった箱車を本尊薬師如来に納め、自分の足で残りの札所を巡りながら土佐へ帰ったと伝えられています。

住職・谷口津梁師
箱車をめぐる誤った説明
近年の四国遍路のガイドブックなどには、歩けない人が家族に見放され、箱車に入れられて隣の村まで運ばれた、と書かれていることがあります。平等寺の箱車は、父が息子のために作り、二人で四国を巡った道具です。

