真言宗において八祖大師とは、密教の教えがインドより唐へ伝わり、弘法大師によって日本へ請来されるまでの、尊い伝法の祖師方です。龍猛菩薩・龍智菩薩・金剛智三蔵・不空三蔵・善無畏三蔵・一行阿闍梨・恵果和尚・弘法大師の8名を仰ぎます。
この八祖は、昔の偉い僧侶を8人並べたものではありません。教えを開かれた御方、それを受け継がれた御方、経典を漢訳された御方、教えをわかりやすく説き明かされた御方、祈りの作法を整えられた御方、そして弘法大師へ直接法をお授けになった御方が、ひと筋の伝法として拝まれています。
教えのはじめは、龍猛菩薩・龍智菩薩のインドの祖師方にさかのぼります。やがて金剛智三蔵・不空三蔵が金剛界の密教を唐へお伝えになり、善無畏三蔵が『大日経』とともに胎蔵の教えをお伝えになって、一行阿闍梨がそれを書きとめてくださいました。この二つの流れは、唐の青龍寺で恵果和尚お一人のうちに合わさり、弘法大師へとお授けになりました。
金剛界・胎蔵という2つの曼荼羅の教えは、幾多の祖師方の御苦労によって海を越え、時代を越え、私たちのもとへ届きました。八祖大師像は、そのありがたい法の道を、目に見えるお姿としてお寺に留めるものです。像の修復に名を納めることは、祖師方の御徳を讃え、自らもその法流に結ばれる結縁となります。
瀉瓶相承(しゃびょうそうじょう)
八祖の伝わり方を、仏教では「瀉瓶相承」といいます。「写瓶」とも書きます。瓶(かめ)の水を別の瓶へそっくり移すように、師より弟子へ、法の奥義を一滴も漏らさずお授けする、という意味です。
この言葉のもとは、お釈迦さまのお弟子・阿難(あなん)が、お経を一度聞いただけで余すところなく覚えていらしたことを、瓶の水を移すようだと讃えた『大般涅槃経』の一節にあります。
持我所說十二部經、一經於耳、曾不再問、如寫瓶水、置之一瓶、唯除一問。
阿難は、わたし(釈尊)の説いた十二部の経を、一たび聞けば二度と問い返すことなく覚え、瓶の水を別の瓶へそっくり移すようであった。ただ一つの問いだけが例外であった。
『大般涅槃経』世尊が阿難の多聞を讃える条(大正蔵 T12 No.374)経はこの後、その「ただ一つの問い」を明かします。釈迦族が滅ぼされ迦毘羅城(かびらじょう)が壊されたとき、阿難は悲しみのなかで、世尊のお姿が常と変わらぬわけをお尋ねしました。世尊が「空(くう)の三昧を修めるゆえ」とお答えになると、阿難は三年の後、その空三昧のことをもう一度たしかめました。一度聞けば二度と問い返さない阿難が、ただ一度だけ重ねてたずねた問いが、これです。
のちに真言宗では、恵果和尚が弘法大師へ両部の教えをお授けになったありさまを、この言葉で伝えました。
兩部祕奧、漢梵無差、悉受於心、猶如寫瓶。
両部の奥義を、漢も梵も違うことなく、ことごとく心に受けとられた。ちょうど瓶の水を移すようであった。
『真言付法纂要抄』恵果和尚から弘法大師への両部相承の条(大正蔵 T77 No.2433)真言密教で大切なのは、書物で知ることだけではありません。師から弟子へ、生きた法がそのまま受け継がれること。八祖大師像は、その受け継ぎの確かさを、目に見えるお姿としてお寺に留めるものです。
八祖像のなりたち
八祖像のもとをたどると、弘法大師が唐から請来された祖師方の御影にゆきつきます。金剛智・不空・善無畏・一行・恵果の五幅は唐の絵師の筆と伝えられ、いまも東寺に国宝「真言七祖像」として遺ります。龍猛・龍智の二幅は唐になかったため、弘法大師がご帰国ののち日本で描き加えられました。賛(画中の銘)は弘法大師の自筆、龍猛・龍智の御名は嵯峨天皇の筆と伝えます。
当ページに掲げる御影は、奈良国立博物館蔵の「真言八祖像」によります。平等寺に古く伝わる八祖大師像も、こうした祖師方のお姿を受け継ぐものです。