御遠忌 境内整備プロジェクト

このたび限りの、尊い結縁のお願い

八祖大師像 修繕奉納

平素より平等寺の護持興隆にお力をお寄せいただき、心より感謝いたします。八祖大師とは、密教の教えがインドより唐へ伝わり、弘法大師によって日本へ請来されるまでの、伝法の祖師方です。平等寺に古く伝わる八祖大師像は、8体いずれも長い年月の中で傷みが進んでいました。このうち弘法大師像・龍猛菩薩像の2体はすでに修復を終え、龍智菩薩像は作業を控えています。いま、金剛智三蔵・不空三蔵・善無畏三蔵・一行阿闍梨・恵果和尚(けいかかしょう)の5体について、修繕の施主を募っています。一尊につき、お一人。その一尊をまるごとお護りし、御芳名と願いを尊像とともに後の世へ残す、祖師方の御前に名を連ねるご結縁です。

修繕が終わった弘法大師像(真言第八祖)
修繕が終わった弘法大師像(真言第八祖)

弘法大師御入定1200年御遠忌の記念事業

八祖大師像の修繕を、御遠忌の法縁として

平等寺では、令和16年(2034年)に迎える弘法大師御入定1200年御遠忌の記念事業として、八祖大師像の修繕奉納を進めています。弘法大師の御遠忌は、祖師の御徳をたたえ、その教えを後の世へ受け継ぐ大切な節目です。高野山でも2034年4月2日より50日間、「宗祖弘法大師御入定千二百年御遠忌大法会」が奉修されます。

その上で、平等寺に残る史料をひもとくと、この修繕は今だけの思いつきではなく、古くから八祖を供養してきた当山の法縁に連なるものだとわかります。『平等寺由来記』には、寛政4年壬子(1792)3月4日より5日間、久しく絶えていた薬師如来開扉の行事を中興5世・權大僧都啓盤が復興し、その中日に「八祖開眼供養」が行われたことが記されています。

中興五世權大僧都啓盤の世に至りて、寛政四年壬子(一七九二年)三月四日以降五日間、久しく絶えたる薬師如来開扉の行事を復活して後世に範を垂れたり。其初日「為御影堂供養大曼陀羅供」、中日「八祖開眼供養」、結願「為㳒界萬靈流水灌頂修行」。是より厄除薬師如来の開帳利益は世に知られ渡りぬ。
『平等寺由来記』中興五世啓盤・薬師如来ご開帳の条

この記述を拝しますと、八祖開眼供養は5日間の薬師如来開扉の、まさに中日に置かれています。初日の御影堂供養大曼陀羅供、結願の法界萬靈流水灌頂と並んで記されるほど、八祖への供養は、平等寺の法灯を再び明るくする大切な行事でありました。

平等寺では、この由来に連なる法縁として、2034年に奉修する弘法大師御入定1200年御遠忌 焼120万枚大護摩供の中で、4月22日(旧暦3月4日)に八祖大師開眼大法会を執行いたします。寛政4年3月4日に復興された薬師如来開扉と八祖開眼供養の記憶を、弘法大師御入定1200年の大きな節目に、あらためて未来へ受け継ぐためです。

8体すべてに傷みが及んでいたことは、私どもにとって心の痛むことでした。その中で、2体はすでに修復を終え、1体は作業を控え、残る5体について施主をお待ちしています。傷みをそのままにせず、浄財をもってお姿を整え、御芳名と願意を像内に納めることは、尊像を直すだけでなく、祈りを未来へ受け継ぐ営みです。

伝持の八祖

八祖大師とは

真言宗において八祖大師とは、密教の教えがインドより唐へ伝わり、弘法大師によって日本へ請来されるまでの、尊い伝法の祖師方です。龍猛菩薩・龍智菩薩・金剛智三蔵・不空三蔵・善無畏三蔵・一行阿闍梨・恵果和尚・弘法大師の8名を仰ぎます。

この八祖は、昔の偉い僧侶を8人並べたものではありません。教えを開かれた御方、それを受け継がれた御方、経典を漢訳された御方、教えをわかりやすく説き明かされた御方、祈りの作法を整えられた御方、そして弘法大師へ直接法をお授けになった御方が、ひと筋の伝法として拝まれています。

教えのはじめは、龍猛菩薩・龍智菩薩のインドの祖師方にさかのぼります。やがて金剛智三蔵・不空三蔵が金剛界の密教を唐へお伝えになり、善無畏三蔵が『大日経』とともに胎蔵の教えをお伝えになって、一行阿闍梨がそれを書きとめてくださいました。この二つの流れは、唐の青龍寺で恵果和尚お一人のうちに合わさり、弘法大師へとお授けになりました。

金剛界・胎蔵という2つの曼荼羅の教えは、幾多の祖師方の御苦労によって海を越え、時代を越え、私たちのもとへ届きました。八祖大師像は、そのありがたい法の道を、目に見えるお姿としてお寺に留めるものです。像の修復に名を納めることは、祖師方の御徳を讃え、自らもその法流に結ばれる結縁となります。

瀉瓶相承(しゃびょうそうじょう)

八祖の伝わり方を、仏教では「瀉瓶相承」といいます。「写瓶」とも書きます。瓶(かめ)の水を別の瓶へそっくり移すように、師より弟子へ、法の奥義を一滴も漏らさずお授けする、という意味です。

この言葉のもとは、お釈迦さまのお弟子・阿難(あなん)が、お経を一度聞いただけで余すところなく覚えていらしたことを、瓶の水を移すようだと讃えた『大般涅槃経』の一節にあります。

持我所說十二部經、一經於耳、曾不再問、如寫瓶水、置之一瓶、唯除一問。

阿難は、わたし(釈尊)の説いた十二部の経を、一たび聞けば二度と問い返すことなく覚え、瓶の水を別の瓶へそっくり移すようであった。ただ一つの問いだけが例外であった。

『大般涅槃経』世尊が阿難の多聞を讃える条(大正蔵 T12 No.374)

経はこの後、その「ただ一つの問い」を明かします。釈迦族が滅ぼされ迦毘羅城(かびらじょう)が壊されたとき、阿難は悲しみのなかで、世尊のお姿が常と変わらぬわけをお尋ねしました。世尊が「空(くう)の三昧を修めるゆえ」とお答えになると、阿難は三年の後、その空三昧のことをもう一度たしかめました。一度聞けば二度と問い返さない阿難が、ただ一度だけ重ねてたずねた問いが、これです。

のちに真言宗では、恵果和尚が弘法大師へ両部の教えをお授けになったありさまを、この言葉で伝えました。

兩部祕奧、漢梵無差、悉受於心、猶如寫瓶。

両部の奥義を、漢も梵も違うことなく、ことごとく心に受けとられた。ちょうど瓶の水を移すようであった。

『真言付法纂要抄』恵果和尚から弘法大師への両部相承の条(大正蔵 T77 No.2433)

真言密教で大切なのは、書物で知ることだけではありません。師から弟子へ、生きた法がそのまま受け継がれること。八祖大師像は、その受け継ぎの確かさを、目に見えるお姿としてお寺に留めるものです。

八祖像のなりたち

八祖像のもとをたどると、弘法大師が唐から請来された祖師方の御影にゆきつきます。金剛智・不空・善無畏・一行・恵果の五幅は唐の絵師の筆と伝えられ、いまも東寺に国宝「真言七祖像」として遺ります。龍猛・龍智の二幅は唐になかったため、弘法大師がご帰国ののち日本で描き加えられました。賛(画中の銘)は弘法大師の自筆、龍猛・龍智の御名は嵯峨天皇の筆と伝えます。

当ページに掲げる御影は、奈良国立博物館蔵の「真言八祖像」によります。平等寺に古く伝わる八祖大師像も、こうした祖師方のお姿を受け継ぐものです。

龍猛菩薩像

龍猛菩薩

初祖

Nāgārjuna生没年不詳

龍猛菩薩は、伝持の八祖では最初に仰がれる祖師です。真言の血脈では、金剛薩埵より大日如来の秘密の法を受け、龍智菩薩へ伝えた御方として語られます。南天の鉄塔を開いて密教の奥義を得たという伝承も、この「深い法が人から人へ託された」という記憶を象徴しています。中観の祖・龍樹と同一の御方とする伝統がある一方、歴史学では別人と見る説もあり、平等寺では断定を避けつつ、真言の法流の起点として礼拝します。

画像: ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)収録、奈良国立博物館蔵「真言八祖像」 / CC BY 4.0

龍智菩薩像

龍智菩薩

付法

Nāgabodhi生没年不詳

龍智菩薩は、龍猛菩薩より受けた法を、金剛智三蔵へ伝えたとされる南インドの阿闍梨です。資料には長寿伝承なども残りますが、ここで大切なのは年数の不思議さではなく、目に見えない相承が途切れず守られたという信仰の意味です。空海の『御請来目録』では、不空三蔵がさらに南天竺の龍智阿闍梨のもとへ参じ、十八会瑜伽や胎蔵の密蔵を究めたとも記されます。龍智菩薩は、インドに保たれた深い密教を唐へ開く前の、静かな橋渡しの祖師です。

画像: ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)収録、奈良国立博物館蔵「真言八祖像」 / CC BY 4.0

金剛智三蔵像

金剛智三蔵

金剛界

Vajrabodhi671–741

金剛智三蔵は、南インドに生まれ、ナーランダー寺で学び、海を渡って唐へ金剛界の法を将来した祖師です。『宋高僧伝』は、開元年間に広州へ到り、勅により長安の寺へ迎えられ、住む寺ごとに大曼荼羅灌頂道場を建てて四衆を導いたと伝えます。けれども空海は『御請来目録』で、金剛智三蔵の法は尊ばれながらも、広く流布するには不空三蔵の働きを待ったと見ています。金剛智三蔵は、インドの金剛界を唐の大地へ初めて本格的に据えた、渡海の祖師です。

画像: ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)収録、奈良国立博物館蔵「真言八祖像」 / CC BY 4.0

不空三蔵像

不空三蔵

金剛界

Amoghavajra705–774

不空三蔵は、十五歳で金剛智三蔵に師事し、その法を継いで唐の密教を国家的な祈りへと押し広げた祖師です。金剛智三蔵の入滅後、さらに南天竺・師子国方面へ法を求め、十八会の金剛頂瑜伽や胎蔵の法まで深く学んだと伝えられます。多くの経典・儀軌を漢訳し、玄宗・粛宗・代宗の三朝に仕え、国土安穏の祈りを整えたため、「大広智」「不空金剛」として重んじられました。恵果和尚はこの不空三蔵の付法の弟子であり、日本へ伝わる両部密教の直前に立つ大きな祖師です。

画像: ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)収録、奈良国立博物館蔵「真言八祖像」 / CC BY 4.0

善無畏三蔵像

善無畏三蔵

胎蔵

Śubhakarasiṃha637–735

善無畏三蔵は、釈迦如来の叔父・甘露飯王の血をひくと伝えられる中インドの祖師で、ナーランダー寺で達磨掬多阿闍梨より総持・瑜伽・三密の教えを受けました。師から「震旦、すなわち中国と縁がある」と示され、唐へ渡って『大日経』の法を伝えました。善無畏三蔵が訳し、一行阿闍梨が筆受した『大日経』は、胎蔵の教えが東アジアに根を下ろす大きな転機となります。金剛界が金剛智・不空の流れによって開かれたなら、善無畏三蔵は大日如来の大悲を胎蔵の法として唐に明らかにした祖師です。

画像: ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)収録、奈良国立博物館蔵「真言八祖像」 / CC BY 4.0

一行阿闍梨像

一行阿闍梨

胎蔵

Yixing683–727

一行阿闍梨は、中国に生まれた学僧で、善無畏三蔵の『大日経』訳出を筆受し、その講説を『大日経疏』として後世へ開いた祖師です。八祖の中で一行阿闍梨が大切なのは、単に経を訳したからではありません。梵語の経典と師の口伝を、学ぶ人がたどれる言葉へ整え、胎蔵教学の道筋を残したからです。天文暦学にも通じ、『開元大衍暦』に関わったほどの知性をもって、密教を祈りの実践であると同時に、理解し受け継ぐべき教学として形にしました。

画像: ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)収録、奈良国立博物館蔵「真言八祖像」 / CC BY 4.0

恵果和尚像

恵果和尚

両部

Huiguo746–805

恵果和尚は、長安の青龍寺東塔院に住し、不空三蔵より金剛界を、善無畏門下の玄超和尚より胎蔵を受け、両部の法を一身に兼ね備えた祖師です。『恵果行状』には、弘法大師空海が日本から来たり、胎蔵・金剛界ならびに諸尊瑜伽の教法を求めたことが記されます。恵果和尚は空海の器を見抜き、わずかな間に灌頂を授け、両部の秘奥を伝えました。唐で成熟した金剛界と胎蔵の二つの流れが、恵果和尚のもとで一つとなり、日本へ渡る直前の姿を整えたのです。

画像: ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)収録、奈良国立博物館蔵「真言八祖像」 / CC BY 4.0

弘法大師像

弘法大師

第八祖

Kūkai774–835

弘法大師空海は、延暦二十三年(804)に唐へ渡り、翌年、長安青龍寺で恵果和尚に出会いました。『御請来目録』に記されるように、発菩提心戒を受け、灌頂道場に入り、胎蔵・金剛界の両部の大法と諸尊の瑜伽を学び、伝法阿闍梨の位を授かります。帰国にあたっては、百余部の金剛乗の教え、両部大曼荼羅、法具・付嘱物を請来し、日本に真言密教を開きました。平等寺をお開きになった大師として、そして伝持の八祖を日本へ結実させた第八祖として仰がれます。

画像: 平等寺

2
修復済
1
作業中
5
修繕受付中

1体につき、1名の御芳名と願意を納めます

このご寄進でおこなうこと

いただいた浄財は、尊像の傷みを止め、祖師方を礼拝にふさわしいお姿へ整え、御芳名と願意を後の世へ伝えるため、大切に用います。寺院における寄進とは、ただ形あるものを整えるだけではありません。願いのこもった灯明や石塔が参道を照らし続けるように、修繕された八祖大師像もまた、平等寺の法灯を永く荘厳するものとなります。

尊像の修繕

汚れを取り、亀裂や浮きの有無を確かめ、必要に応じて補修・補彩・補箔を行います。1体ごとの状態を見極めながら、古くからのお姿と信仰の気配を損なわぬよう慎重に手を入れます。

御芳名と願意の奉安

施主のお名前と願いごとは、像体内に永く奉安し、像底部にも刻みます。仏像の胎内に祈りや施主名を納めることは、後の世へ信心の証を託す古くからの営みでもあります。願いを紙の上だけに留めず、祖師方のお姿の内へ納めるところに、この奉納の重みがあります。

修繕後の礼拝

修繕を終えた尊像は、八祖大師として平等寺の祈りの場にお戻りいただきます。お名前は一度の記念として終わるのではなく、祖師方への日々の礼拝のなかに置かれ、平等寺を荘厳する御縁となります。

法縁の相続

像体内への奉安と像底部への銘刻は、この時にどなたの願いによって尊像が守られたのかを、後の世へ静かに伝えるしるしとなります。施主の願いは、祖師方の御前に納められ、平等寺の法灯とともに受け継がれます。

修繕の参考

修繕すると、このようにお姿が整います

すでに修繕を終えた龍猛菩薩像と弘法大師像の修繕前後です。傷みを止め、尊容を整え、ふたたび礼拝の場へお戻りいただくための修繕です。

龍猛菩薩像

傷みが目立っていた表面とお姿を安定させ、礼拝にふさわしい尊容へ整えた例です。

龍猛菩薩像の修繕前
修繕前
龍猛菩薩像の修繕後
修繕後

弘法大師像

弘法大師像の修繕前後です。今回の八祖大師像も、このようにお姿を整えてお祀りします。

弘法大師像の修繕前
修繕前
弘法大師像の修繕後
修繕後

修繕受付中

修繕受付中の5体

下記5体につきまして、それぞれ1名の施主を募ります。1体につき1口のみの修繕奉納で、満願となり次第、その尊像の受付は終了します。この勝縁に、どうぞご縁をお結びください。

1体300万円の浄財をご寄進いただいた方には、施主としての御芳名と願意を像体内に永く奉安し、あわせて像底部にも刻みます。これはその時だけの記念ではなく、日々の礼拝の中で祖師方の御前に納められ、後の世へ伝えられる、またとない尊い御縁です。

金剛智三蔵像

受付中

金剛智三蔵

Vajrabodhi金剛界

金剛智三蔵は、インドより唐へ渡り、金剛界の密教を伝えられた祖師です。その法の流れは不空三蔵へ、さらに恵果和尚を経て弘法大師へと連なります。金剛智三蔵像の修復に加わることは、密教が海を越えて伝えられた長い法の道に、お名前をもって参列するありがたい機会です。

不空三蔵像

受付中

不空三蔵

Amoghavajra金剛界

不空三蔵は、金剛智三蔵より法を受け、唐の地で密教を大きく弘められました。多くの経典や儀礼を訳し、祈りの作法を整え、国と人々の安穏のために法を尽くされた祖師です。不空三蔵像に御芳名と願意を納めることは、祈りを世のために働かせてこられた御徳に随喜することです。

善無畏三蔵像

受付中

善無畏三蔵

Śubhakarasiṃha胎蔵

善無畏三蔵は、インドより唐へ渡り、『大日経』の深い教えを伝えられた祖師です。胎蔵曼荼羅の教えが東アジアに広まるうえで、欠かすことのできない御方です。この尊像に浄財をお寄せいただくことは、大日如来の慈悲の教えを平等寺に末永く留める勝縁となります。

一行阿闍梨像

受付中

一行阿闍梨

Yixing胎蔵

一行阿闍梨は、善無畏三蔵の教えを受け、『大日経疏』に代表される注釈を通して、密教を学ぶ道筋を整えられた祖師です。法は伝わるだけでなく、受け取る人にわかる言葉として開かれてこそ、次の時代へ届きます。一行阿闍梨像の修復は、教えを正しく受け、正しく伝える智慧へのご寄進です。

恵果和尚像

受付中

恵果和尚

Huiguo両部

恵果和尚(けいかかしょう)は、唐の青龍寺で弘法大師へ密教の大切な教えを授けられた御師です。金剛界と胎蔵、2つの曼荼羅の教えは、この御縁によって日本へ伝わりました。恵果和尚像を修復することは、弘法大師へ法が託された尊い御縁に、いまを生きる私たちも結ばれることです。

海外の方へ

海外からのご奉納について

海外にお住まいの方も、海外からの銀行振込(国際送金)でご奉納いただけます。お申し込みののち、送金先の口座情報をご案内します。

大師堂 弘法大師像 修繕基金

同じ御遠忌の事業として、大師堂の弘法大師像の修繕基金も進めています。一口500円から、どなたでもご縁を結べます。

弘法大師像 修繕基金を見る

Dāna

祖師方の御前に、願いを納める

受付中の祖師像は5体。1体につき1名の修繕奉納で、満願となり次第、その尊像の受付は終了いたします。この勝縁に、どうぞご縁をお結びください。