四国八十八ヶ所を巡拝していると、箱車はこぐるまと呼ばれる、普段あまり目にしないものに出会います。22番平等寺に3台、57番栄福寺、44番大宝寺、88番大窪寺にそれぞれ1台、合計6台が納められています。
箱車(はこぐるま)とは、人が中に入れるほどの大きな木箱に車輪をつけたもので、歩行困難な人を乗せ、誰かが引っ張ったり押したりして移動させていた、今でいう車イスのような役割を担っていた古道具です。
本ページでは、平等寺の本堂に奉納されている高知県出身筒井林之助(つついりんのすけ)氏が使っていた箱車の物語をご紹介します。
平等寺に奉納されている箱車は、一見すると古びた木の小屋のようにも見えます。実はこれ、大正12年(1923)に土佐地蔵寺村(現在の高知県土佐郡土佐町地蔵寺)出身の鍛冶職人・筒井林之助(つつい りんのすけ)氏とその父・福次(ふくじ)氏によって奉納されたものです。もともとは車輪が三つ付いており、人力車のように前から引っ張って移動できる「箱車」でした。
寺に残る由緒書きによると、大正10年(1921)当時31歳だった林之助氏は、脊髄の病を患って下半身が痺れ、歩行が困難になりました。父・福次氏(当時54歳)はあらゆる治療法を試みるも、残念ながら回復の兆しは見えず、2年後には上半身にも麻痺が及んでしまいます。ついには松葉杖を使うことすらできなくなり、苦しい日々を送っていました。
「弘法大師におすがりするしかない」
このような状況に追い詰められた父・福次氏は、「弘法大師におすがりするしかない」と一念発起し、林之助氏が乗れる大きな木箱に車輪を取り付けた「箱車」を自作。第35番札所・清瀧寺(きよたきじ)を札始めに、親子で四国遍路の旅に出ます。
大正12年(1923)10月、親子は四国の山々や川を何とか越え、愛媛・香川・徳島を順打ちしながら、第二十二番札所・平等寺にたどり着きました。よほど疲労が溜まっていたのか、平等寺には4週間ほど滞在したようです。
この間、寺に湧く「弘法の霊水」を飲んだり、当時の住職である谷口津梁(たにぐち しんりょう)師から加持祈祷を受けたりするなど、懸命に療養に専念しました。
やがて林之助氏は、金剛杖を一本つけば歩行できるほどに回復します。もはや箱車に乗る必要がなくなったため、感謝の気持ちを込めてこの箱車を本尊・薬師如来に奉納。そして自らの足で残りの札所を巡拝しながら、土佐へと帰郷されたのです。
50代半ばの父・福次氏にとって、三つの車輪が付いた重い木箱を押し引きしながら、険しい山道や海岸沿いを歩くのは並大抵のことではなかったでしょう。箱車の前面は格子ガラスになっており、親子は同じ景色を見つめ、励まし合いながら祈りの旅を続けたと想像されます。
以上が、平等寺に奉納された箱車の物語です。近年、一部のガイドブックでは「歩行困難な人が家族から見放され、この箱車に入れられて隣の村に送られた」という説が記されることもありますが、実際にはむしろ家族の深い絆を示す道具であることがお分かりいただけるかと思います。
四国八十八ヶ所では、第五十七番札所・栄福寺や第四十四番札所・大宝寺、第八十八番札所・大窪寺にも箱車が奉納されています。詳しくは以下のサイトなどをご参照ください。
この古びた木箱には、四国遍路の功徳を信じ、実際に救われた親子の足跡が刻まれています。ぜひ平等寺にお越しの際には、当時の様子に思いをはせながらご覧になってみてください。
合掌