仏教と霊感商法
「あなたの家は因縁が悪い」と言われたら
お寺で、こういう話を聞かされたことはありませんか。
「お寺でお祓いを受けたら、お坊さんに『あなたの家は因縁が悪い。不成仏霊がついている』と言われました」。平等寺には、こうした相談がときどき寄せられます。何年も前から、だいたい同じような話です。
お祓いを受ける前に「心霊スポットに行きましたか」「お墓参りはしていますか」と聞かれ、お祓いのあとに「家の因縁が良くない。何代か前のご先祖さまに自殺した人がいて、その不成仏の霊があなたについている」と言われる。家の古木を伐採したせいで木の魂が祟っている、家の前が霊道になっていて悪霊が通る、古い人形に念が入って気を吸われている。そして「悪因縁を切るにはこの塩を家の周りに21日間撒いてください」「一願成就の特別な護摩木は一万円です」と勧められる。
どれも、聞いているだけで心が重くなる言葉です。でも、ひとつだけ確かなことがあります。こういう話は、仏教の教えではありません。
このページでは、ブッダが霊魂をどう説いたか、弘法大師が心をどう見たかを、経典の原文から順番に確かめていきます。最後にはきっと、「ああ、大丈夫なんだ」と思っていただけるはずです。
ブッダは「霊魂」をどう説いたか
答えず、黙した。それが最初の答えでした。
ブッダの時代、インドには「この世を離れてどこかへ行く魂(アートマン)がある」と信じる人も、「死んだら何もない」と信じる人もいました。あるとき、婆蹉種(ばさしゅ)という修行者がブッダに問いました。「私には“我”があるのでしょうか」。ブッダは黙ったまま答えませんでした。三度問われても、答えませんでした。
弟子の阿難が「なぜ答えられなかったのですか」と尋ねると、ブッダは『雑阿含経』の中でこう答えたと伝わります。
『雑阿含経』婆蹉種出家經(九六一経)
「若答言有我,則增彼先來邪見;若答言無我,彼先癡惑豈不更增癡惑?……若先來有我則是常見,於今斷滅則是斷見。如來離於二邊,處中說法」
もし“我がある”と答えれば、彼の元からの邪見を増やすことになる。もし“我はない”と答えれば、彼の愚かさはますます増すだろう。先には我があったのに、今は断滅したと思ってしまうからだ。もとより我があるというのは常見、今断滅するというのは断見である。如来は二辺を離れて、中道によって法を説く。
「霊魂はある」「死んだら消える」。このどちらも、ブッダは「二辺」として斥けました。どちらかを選ばせる問い方そのものが、迷いを深めるのだと。
同じ問いを、別の修行者マールンキヤプッタは「答えてもらえないなら修行をやめる」と迫りました。ブッダは毒矢の喩えで答えました。毒を塗った矢に射抜かれた人が、医者を呼ぶ前に「誰に射られたのか、弓は何の木か」を知るまでは矢を抜かない、と言ったら、その人は知らないまま死んでしまうだろう。それと同じだと。
では、ブッダは何を説いたのか。同じ経典に、こうあります。
『中阿含経』箭喻經(二二一経)
「苦・苦習・苦滅・苦滅道跡,我一向說」
苦しみと、苦しみの原因と、苦しみの滅と、苦しみを滅する道。私はこれを説く。
霊の有無、死後の行方。それらは「無記」。答えない問いとして、置かれたままです。ブッダが一貫して説いたのは、「今ここで、苦しみがどう生じ、どう滅するか」でした。
「霊がつく」は、仏教の言葉ではない
不成仏霊という存在を、経典は説きません。
「不成仏霊が家に居座って、あなたに取り憑いている」。この言葉は、経典のどこにもありません。「成仏していない霊」という存在を、仏教は説かないからです。
仏教が死後について語るとき、その言葉は「中有(ちゅうう)」です。亡くなってから次の生を受けるまでの間(最長四十九日)を中有といい、日本の四十九日の法会はこの考え方に基づいています。しかし中有は、業によって生じ、やがて必ず次の生へ向かう、一時の流れです。家に居座り、人に取り憑き、塩を撒けば消えるような「もの」ではありません。
亡き人を想う営みは、檀家さんとともに続けてきました。盆の供養も、四十九日の法会も、三寶(仏・法・僧)への供養と、その功徳を故人に回す「回向」という形をとってきました。『三教指歸簡註』は、盂蘭盆経の話を引きながらこう註しています。ただ亡き人の霊を祀るだけでは、三寶を供養するのとは「其業大異」(その結果は大きく異なる)と。
「不成仏霊」と呼ばれた方のご家族が、どれほど傷ついたか。自死された方を「不成仏霊」と呼ぶ言葉は、仏教の根本である慈悲の反対側にあります。
弘法大師は心をどう見たか
即身成仏。阿字本不生。この身のまま仏になる教え。
真言宗の開祖、弘法大師空海は、この世界と心をどう見ていたでしょうか。『即身成仏義』は、宇宙と身心のすべてを構成する六大(地・水・火・風・空・識)を説きます。識(こころ)は、因位では「識」、果位では「智」。つまり心は、大日如来の覚そのものへ開かれていく働きです。身体を抜け出して漂う「霊」のような実体は、ここにはありません。
そして空海は『吽字義』で、世間が「我・人・衆生」を実体として信じることを「増益」(ないものを付け加える)と呼びました。実体のないものを実体だと思い込むこと。それこそが迷いの人の姿だと、空海は言います。霊や因縁を「もの」のように語るのも、この「増益」の一種です。
大日経には、こうあります。
『大毘盧遮那成佛神變加持經』(大日經)卷一 住心品
「云何菩提?謂如實知自心」
何を菩提というか。自心をありのままに知ることである。
菩提(悟り)は、無相であり虚空の相である。心は、掴める「もの」ではありません。「あなたの心に悪い霊が入っている」と、心を「もの」にして売る商売。それは、密教が目指す方向と正反対です。
護摩は、智火の行であり効能の商品ではない
護摩の火は、何を焼く火なのでしょうか。
「一願成就の特別護摩木、一万円」「護摩の灰と塩を混ぜたものを家の周りに21日間撒けば悪因縁が消える」。こういう言葉に、護摩を修する寺として一言申し上げます。
護摩の火は、何を焼く火なのでしょうか。大日経疏の注釈『大日經疏義述』はこう説きます。
宥祥『大日經疏義述』(真言宗全書 第4巻)
「無ン煩悩業苦ノ分別ノ薪者何ノ所ニ生セン無分別ノ智火」
煩悩・業・苦という分別の薪がなければ、無分別の智火はどこに生じようか。
護摩は、行者自身の煩悩という薪を、無分別の智火が焼き尽くす行です。お不動さまの御前で智火を燈し、お護摩を修する。その火が外の霊を祓うのではなく、自分の心の奥の執着を焼くのです。護摩木も、その智火にくべる木。
「普通の護摩木と一万円の護摩木ではご利益が変わりますか」。護摩木は、お護摩の智火にくべる木です。同じ火の中で、同じように焼かれます。金額によって智火の働きが変わるという話は、経典にも先師の教えにもありません。
効能を値段で売る営みは、仏教の戒律が最も古くから斥けてきた「邪命」。誤った生業です。二千五百年前の『長阿含経』沙門果経は、信者のお布施で食べながら占いや呪い、吉凶を瞻相して利益を得る者たちを並べ立てて、繰り返しこう記しています。
『長阿含経』沙門果經(二七経)
「沙門瞿曇無如是事」
沙門ゴータマには、そのようなことはない。
木の霊・人形の念・霊道
そして、木はむしろ仏でした。
「庭の古木を祈禱なしに伐採したから、木の魂が祟って発熱が続く」。これは、木をめぐる豊かな仏教の物語を知らない言葉です。
日本には、天台の「草木成仏」、真言宗では『祕藏記拾要記』にこうあります。草木も器界も、すべて五大(仏の身)から成る本来の佛體であり、草木もまた同じく發心成佛する。木は、祟るものではなく、仏でした。古い人形に念が入るという「付喪神」の話も、仏教の経典には出てきません。家の前が「霊道」だから、という話も。霊が通る道という概念そのものが、仏教の言葉ではないのです。
もちろん、木を伐採するときに手を合わせ、古いものを供養して送り出すのは、日本の心の自然な営みです。それを否定するつもりはありません。ただ、それと「祟りがあるから金が要る」という商売は、話が違います。
それでも不安なあなたへ。大丈夫です
仏教の言葉は、不安から心をほどくためのものです。
ここまで読んでも、「でも、あの時“当てられた”気がした」と不安が残る方があるかもしれません。お祓いを受けた日、お坊さんは家族のこと、離婚のこと、職場のことを聞きました。「当てられた」ように思うのは、そのためです。聞いた話を、霊のせいにしているだけなのです。
不安にさせる言葉は、不安を売る商売の材料です。そして仏教の言葉は、不安から心を解放するためのものです。般若心経はこう説きます。
『般若波羅蜜多心經』
「心無罣礙。無罣礙故,無有恐怖,遠離顛倒夢想」
心に掛かりがなければ、恐怖がなく、倒れた夢想を遠く離れる。
因縁とは、あらゆるものが移ろいゆくさまを表す言葉です。良いも悪いもありません。悪因縁という「もの」が家に溜まることも、霊が寄ってくることもありません。霊魂という固定された存在は、もとよりないのですから。移ろいゆく因縁は、背負えるものではありません。あなた自身も移ろいゆくのですから。
少し乱暴なたとえで恐縮ですが、住職は相談にこう答えました。「心配はいりません。うんちも流せば消えていくように、あらゆるものは移ろいゆきます」。あらゆるものが移ろいゆく。これが縁起という、仏教の根本思想です。実在しないものを実在と語り、運命と決めつけて怖がらせるのは、その真逆を歩いています。
怖がらせるお寺とは、離れて大丈夫です。その言葉は、犬のふんを踏んだくらいに忘れてください。そして本当に心配なときは、身体の不調は病院へ、心の重さは信頼できる人へ。そしてお寺へは、お気兼ねなくお参りにいらしてください。智火の燈るお堂で、お薬師さまの御前で、話を聞く住職がいます。
本当に、大丈夫です。
この記事の次に読む記事
無我・空の学びを、平等寺の信仰や行へつなげて読める記事です。
参考文献
この記事の解説に用いた原典と研究です。
経典(大正蔵)
- 『雜阿含經』(焰摩迦經・迦旃延經・婆蹉種出家經)大正蔵 T02n0099
- 『中阿含經』箭喻經 大正蔵 T01n0026
- 『長阿含經』布吒婆樓經・沙門果經 大正蔵 T01n0001
- 『般若波羅蜜多心經』(玄奘訳)大正蔵 T08n0251
- 『大毘盧遮那成佛神變加持經』(大日經)大正蔵 T18n0848
パーリ経典
- 相応部 無我相経(SN 22.59)・迦旃延経(SN 12.15)・焰摩迦経(SN 22.85)・差摩尼経(SN 44.1)・阿難経(SN 44.10)
- 中部 箭喩経(MN 63)・火喩経(MN 72)
- 長部 布吒婆楼経(DN 9)・沙門果経(DN 2)
- 増支部 優陀夷経(AN 10.95)
真言宗
- 空海『即身成佛義』真言宗全書 第13巻
- 空海『吽字義』真言宗全書 第15巻
- 宥祥『大日經疏義述』真言宗全書 第3・4巻
- 隆瑜『祕藏記拾要記』真言宗全書 第9巻
- 『三教指歸簡註』真言宗全書 第40巻